第70話「彼女のけじめ。戻ってきた萬部」
見れば、カバンを肩に下げ、短い前髪をいじりながら風山が中庭に向かって歩いている姿があった。遠目で見てもわかるほど浮かれているなあ。
数十秒もする頃には、風山は中庭にたどり着いた。
『ごめんごめん、待たせちゃった? 寒かったっしょ? ほんとごめん~』
右手だけで軽く謝る風山。
それに対して、木葉は街灯から身体を起こし、首を横に振る。
『ううん。全然待ってないですよ』
『そう? 優しいねぇ、木葉ちゃん。それでそれで、話って何かな? 動物園にするか水族館にするか決まったん? それとも、今週末のフットサルに来てくれるっていう連絡かな?』
次から次へと畳み掛けるように言葉を放つ風山。
それだけ、木葉は少々体力を削がれているように見える。大丈夫なのか、こんなんで……。
などと思っていると、左隣にいる静夏がぽつりと呟いた。
「随分な肉食ね、彼。けれど、あまり肉食過ぎるのはどうなのかしら」
今度はそれに応じるように右隣にいる雅が口を開く。
「そうですね。少なくとも、私はああいう風にこっちが話すタイミングなしに色々と喋ってくる人は嫌ですね」
「ふふ、同感だわ、小野さん」
何とも入りにくいし、入っていいものか分からない会話が俺を隔てて繰り広げられた。
やがて二人の会話は終わり、意識は再び木葉の方へ向けられる。
木葉は何か言いたげな顔をしているが、風山の口が早すぎて切り出すタイミングを逃しているように見える。
『あ、あのっ……』
『それでさそれでさ、木葉ちゃん。実は来月、俺の誕生日なんだよ。誕生日にはさ、一緒に遊園地でも行こうよ。あ、手作りケーキとかも食べてみたいなあ。だとしたら、一緒に俺ん家で遊ぶとかどう?』
ちょっと目を離したすきに、会話が思いもよらぬ方向に飛んでいた。
誕生日? 手作りケーキ? なんだそりゃ。そんなの、俺だって食べたことないぞ。
あ、でも、手作りチョコレートならあるか……。
っていうか、何で俺は風山に張り合ってんだよ。
胸中で、自分に自分でつっこみを入れる俺。
『あ、さっきの話に戻るんだけどさ、木葉ちゃん。今週末のフットサルの件なんだけどさ、誘っておいて女の子と現地集合なんてできないからさ、当日木葉ちゃんの家に迎えに行くよ。だからさ、住所教えてよ。あ、そうだ! 何ならこの際、連絡先とかも交換しちゃおうよ!』
おお、すごいな風山。どんどん聞き出してるぞ。
連絡先はまだしも、住所まで聞き出すのはさすがに何かアレな気がする。
横に居る二人を見てみたが、彼女らも引き気味だった。
それは当然木葉もであり、表に出さないように努力はしているものの、やはり歪みがにじみ出ていた。
それでも風山の口は止まらない。
『そうだそうだ! 何なら今日から一緒に帰ろうよ! そうすれば住所なんて聞かなくても分かるし、朝だって一緒に学校に行け――』
『ちょ……ちょっと待ってくださいっ!』
木葉の声が誰もいない中庭に響いた。
いきなり大きな声をあげられて風山も驚いたのか、加速し続けていた口が停止していた。
『あの……私、今日は言わなきゃいけないことがあって……』
『あ、そうだよね。そうだったね、木葉ちゃん。そんでそんで。なにを言いたいんだい?』
木葉は一度小さく深呼吸する。
『実は……今まで黙ってましたけど……そうやって私のことを深く詮索したり、勝手に一緒の予定を作ったりするのをやめていただきたいんです』
はっきりと木葉は口にした。
今まで言えなかった、木葉の心的ストレスにして、俺への心配をかけまいと封じていた言葉をやっと放った。
風山はしばしぽかんとした後、かぶりを振った。
『いやいや、ちょっと待ってよ。それどういうこと? あれ、おっかしいな。これって告白するシチュじゃないの?』
ははは、と気持ち悪く笑い、風山は頭をかく。
『……すみません』
言うと、風山は見違えるように変貌した。
『あーっ、なにそれ、なんだよそれ。意味わかんねーっ。顔が可愛いからって調子のんなよ、てめぇ。なんだよ、これじゃあ今まで愛想よくしてきた意味ねぇじゃん! 完全無意味な行為になっちまうじゃねぇかよ。あああああ、なんだよこれ、マジでさぁ』
先ほどまでの風山はどこに行ったのだろうか。そこにいたのは、もう完全に別人だった。
風山という男の仮面をかぶった別人だ。
その変わりように、俺たちは息を呑んでいた。
今の風山と木葉を二人きりにして大丈夫だろうか。逆上気味の風山はなにをするか分からない。俺の中に不安が生まれる。
何かある前に事情を説明して、何事もないようにしなければ。
俺は二人の間に割ってはいろうと、木陰から飛び出す。が、瞬時に腕を掴まれ、引き戻された。腕を掴んだのは雅のようだ。
「なにすんだよ、雅。何かあってからじゃ遅いだろ。今の風山はちょっと変だ。早いうちに事情を説明したほうが」
「待ってください、遥斗くん。もうちょっと様子を見ましょう。今遥斗くんが出て行ってしまえば、それは、木葉ちゃんが最初に危惧したことが現実になってしまうかもしれません」
「最初に危惧したこと……」
昼休みに木葉は言っていた。俺に心配をかけたくないと。それはつまり、自分自身でケリをつけなければいけないと思っているということ。俺が出て行ってしまえば、それを妨げることになる。そういうことか……。けれど、それでも今の風山を見る限り、心配だ。
「これは自分の問題。彼女自身がそう言ったわ。この問題は大空さん自身で解決しなければ意味がないんじゃないかしら」
悩んでいる俺に向かって、今度は静夏がそう言った。
「もし本当にやばくなったら、その時は割って入れば良いと思うわ。もちろん、私たちと一緒にね」
静夏に諭され、俺は足を動かそうとするのをやめた。
「わかったよ。そうする」
これは木葉の問題。木葉が解決しなきゃ意味がない、か。たしかにその通りだ。
俺が出て行って、木葉だけを守る解決方法じゃダメなのかもしれない。
俺は再び木葉たちの方へ意識を集中させる。
『なあ、大空さあ、今からでも俺と付き合わね? 別に今付き合ってるやつとかいねぇんだろ? じゃあ、良いじゃねえか。俺だって、せっかく愛想よくしてきたこの時間のことを考えたら、お前をこのまま手放すのはもったいないんだよ。なあ、いいだろ?』
風山が言っていることが、俺には理解できなかった。
今までモテなかったからだろうか。愛想よくしてきた相手から好意を向けられなければ、その時間はもったいないと感じてしまう、その感覚が理解できなかった
。
木葉は風山から一歩退くと、
『お、お断りしますっ!』
『えー、なんでだよ。なに、付き合ってる奴でもいんの?』
『そ、それは…………』
『つーかさ、大空だって俺と話してて笑顔だったじゃん。俺たち合うんじゃね?』
大空が風山と話すときに笑っていたのは、俺――俺たちに心配をかけたくないがためだ。まさかその弊害がここで出るなんて。
『それはありません! 合うとも思えません……っ!』
怯えているのがこちらにも伝わってくる。
あいつ、大丈夫なのか……。
風山は一歩だけ詰め寄り、木葉の手を握った。
『いいだろ、なあ、大空。俺、顔だって結構整ってる方だし、部活でも活躍してるから人気だぜ? 俺と付き合えたら最高だと思うけどなあ』
嫌味な笑い声を上げながら、風山は自分を売り込む。しかし、あまりにも最低過ぎて願い下げたい気持ちが見ていても上がる。
『そ、それでも私は、あなたと付き合えません』
言って、木葉は風山の手を振りほどいた。その反動のせいかよろけるように後退し、おおよそ五歩ほど距離をとった。
ここまで否定された風山は苛立ってきたようで、髪をくしゃっとかき分けると、すぐ近くにあるベンチを力任せに蹴った。
『はあ? じゃあ最初から気があるように勘違いさせんのマジでやめろよ。その気がないなら、最初っからそうしろよ!』
怒気の混じった声で荒く言う風山。
対する木葉は小刻みに震えながら、深く頭を下げた。
『ごめんなさい、風山くん。私、ある人を心配させないように、過剰に明るく愛想よくしてた。風山くんのことも考えずに。けれど、それだとダメだって気づいた。結局あの人にも心配をかけていたし、風山くんにも不誠実だから。これもすべて、私のわがままが招いたことです。だから……本当にごめんなさい』
木葉の言葉を聞いたせいなのか、女の子に深々と頭を下げられたせいなのか、風山から先ほどまでの勢いがなくなる。
頭をくしゃくしゃと掻き、やるせないように舌打ちをひとつ。
『ああ……。くっそ……。調子狂うわ。正直、腹は立ってる。けど、これ以上言ったところで意味なさそうだし、もういいわ。これからは別に話しかけにもいかねえから』
言うと、風山はカバンを肩にかけると、くるりと方向転換する。が、すぐに立ち止まり、肩越しに木葉を見やる。
『あ、そうだ。ひとつ言っとくわ。大空さあ、嫌なことは最初か嫌って言っておいた方がいいぜ、マジで。でないと、後で後悔すると思うわ』
木葉は小さく『わかったわ』と口にすると、今度こそ風山は中庭から立ち去った。
しばらくの間、木葉は心ここにあらずとでも言った様子でその場に立ち尽くしていた。大方、自分のせいなのに風山に嫌な思いをさせたことを情けなく思っているのだろう。
俺たちは風山が完全にいなくなってから、木陰から出て木葉のもとへと向かう。
「いつまでぼーっとしてんだよ」
俺はからかうように木葉に声をかけた。
すると、木葉はビクッと身体を動かし、跳ねるように驚いた。
「うわっ、びっくりしたっ! なんだ遥斗か。それにみやびんに花美さんも……ってか、何であんたたちがここにいんのよ!?」
顔を赤くさせ、木葉が俺たちに恥じらいのこもった声をぶつける。
「何でって言われましても、ずっと見てましたから」
雅が頬を指先で掻きながら、微笑して答えた。
「ええっ、見てたの!? ちょ、え、何で!? 昼休みに言ったじゃない! あんたたちは来ないでって!」
「そう言われれば見たくなるものでしょう、普通」
静夏が当たり前だろと言わんばかりに木葉へ返す。
「それにしても、やっぱり自分勝手でわがままな謝罪だったわね、大空さん」
挑発的な目で木葉を見る静夏。
木葉は奥歯をギリっと噛み、静夏を一度ジト目で睨む。が、すぐに脱力し、目を伏せた。
「花見さん。……って、本当にその通りなのよ。私は自分勝手でわがまま。結局みんなにも風山くんにも嫌な思いをさせた。ほんと、情けないわ……」
潤んだ声で独り言ちた木葉は、落胆するように息を吐いた。
慰めようとも思ったが、今回の木葉の行動は彼女自身が言うとおり、自分勝手でありわがままなものだった。誰もに心配・迷惑をかけまいと自分を偽り、その結果ほころびが生まれ、最終的には嫌な思いを押し付けるものとなってしまった。
ならば、木葉へとかける言葉は慰めではないだろう。
俺は木葉から目をそらし、口を動かす。
「まったくだ。今回ばかりは木葉が悪い。けど、俺だって悪い。お前が変だと思っていながら、声をかけれなかった。いや、本音を聞き出せなかった。だから俺も悪いんだ」
「遥斗……」
視線を上げた木葉が、俺を見る。木葉の綺麗な瞳に見据えられ、いささかの照れくささを覚えるが、俺はそれを黙らせ言葉は続ける。
「今回のことをしっかり受け入れて、反省して、お互いに次はそうならないようにしようぜ」
「うん…………」
と、木葉は頷いた。
慰めるはずじゃなかったんだけど、結局慰める形になってしまった。
そう思っていると、静夏が俺にしか聞こえない声量で呟いた。
「甘いわね」
「かもな」
俺だって甘くいようと思っているわけではない。けれど、気づけばそうなっているのだ。なんでだろうなあ。
けど、まあ、なんだ。これでひとまずは解決ってところか。すっきり爽快な後味ではなかったが。
「ていうか、それはそうと、どこから見てたのよ、あんたたち」
「どこからって、きっちり最初からよ、大空さん。あなたが街灯に背中を預けて『全然、待ってないですよ』とかいうところからずっと。というか、待ってないとは言いつつも、結構待ってたわよね、あなた。なんなの、これからわがままな謝罪をするというのに、その無駄な気遣い」
ふふ、と静夏が笑う。
「んなっ、笑うところじゃないわよ! それに、普通気遣いするでしょ普通! これから謝ろうとしてるんだし! てか、待ってるところから見てたの!?」
「だからそう言ってるでしょう」
「あああああ――」
額に手を当て、うなだれる木葉。よっぽど恥ずかしかったのだろう。
「木葉ちゃん、そんな恥ずかしがらないでくださいよ。たしかに私も、これからあんなことをいうのに、変な気遣いするなあ、とは思ってましたけど、そこは木葉ちゃんらしさと言いますか」
「ちょっ、みやびんも思ったの!? ああああああ…………」
さらにうなだれてしまった。恥ずかしさと悲しさのダブルパンチってとこか。
だが、俺はそんな光景に懐かしさを感じていた。
これはしばらく触れることのできなかった、萬部の風景だった。
バレンタインの日以降、どこか歪で気持ちの悪い雰囲気を放っていた萬部が、今目の前でいつもどおりの空気感をまとっている。
俺にとってそれは何よりも嬉しいものだった。
大切だと思える場所が戻ってきたような気がして。
ふと空を仰いだ。
日は沈み、空は完全に黒一色。闇に染まっている。どうやら太陽の就業時間は終了したらしい。金色に輝く三日月が美しい光を放っている。
「もう夜か」
誰に言うわけでもなくひとり呟いた。
まだ三月ということもあり、日が暮れると本当に寒い。俺なんてコートを着ていないから、マジで凍えそうだ。
俺は震える身体をなんとか黙らせ、言い合いをしている彼女らを見やる。昨日まで言えなかった言葉を今、俺は告げる。
「なあお前ら、そろそろ帰ろうぜ」
こんにちは、水崎綾人です。
前章の最後のバレンタインを境にどこか気まずい雰囲気が漂っていた萬部でしたが、木葉を中心とする出来事によって再びもとの空気感になりましたね。これによって、彼、彼女らは何を思うのでしょうか。
そして話は変わりますが、隣の彼女は幼馴染み!? がこの話でついに70話目を迎えました。書き始めた当初はここまで続くとは微塵も思っていませんでした。しかしながら、読んでくれるみなさんのおかげでこれまで書いてこれました。
最終章はもう少しだけ続きますので、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
では、また次回




