第61話「メイド・バイ・シスター。彼女はきっと……」
「お兄ちゃ~ん、ご飯だよー」
言いながら、ノックをすることなく、妹の楓が俺の部屋に入ってきた。
ベッドに転がっていた俺は身体を起こし、楓の方へと向き直る。
「へいへい分かった分かった」
「あー、何その適当な返しはぁ! ていうか、お兄ちゃん、最近どうかしたの? 何か表情が暗いよ?」
「え、いやあ、別にそんなことは……」
俺は楓から顔を背ける。
まさか、中学二年生の妹にまで見透かされているとは。
今日の放課後には河橋さんに軽く注意され、今はこうして妹に指摘されている。もともと顔に出やすい性格なのは理解していた。けれど、まさかここまでとは。
楓は一歩前に出ると、心配そうな顔で言ってくる。
「お兄ちゃん、楓が相談に乗ってあげようか?」
「ないない、大丈夫だよ。ていうか、俺はこのとおり元気だからさ、心配する必要なんて全然ない!」
言って、俺は笑顔で身体を適当に動かす。三つも年の離れた妹に心配をかけるのは、兄としては情けない。しかもそれが、自分を中心とした私情のことなら尚更。
楓はぽかんとした表情で首をかしげる。
「あ、そうなの? 楓の思い違いかな? でも、それなら良かったよぉ~」
安心したようににぱっと笑い、続けて楓は顎に右手の人差し指を当てた。
「せっかく今日、楓からのプレゼントがあるのに、暗い顔してちゃ嫌だったからさ、ちょっと心配してたんだ」
「プレゼント?」
はて、今日は何かあっただろうか? 俺の誕生日は七月。そして今は二月。ということは、誕生日プレゼントではないことは、火を見るより明らかである。
俺の疑問符に満ちたつぶやきに、楓はにっこりとした可愛らしい笑顔で答える。
「そうだよそうだよ! プレゼント! ちょーっと遅れちゃったけど、今日ね、楓からのバレンタインチョコをあげるよ~! 色々あって当日までに作れなかったんだぁ!」
「おいおい、バレンタインだとっ!? それって先週終わったやつじゃねぇか! なんで今更っ!?」
ていうか、木葉たちからチョコをもらったことで頭がいっぱいで、楓からもらってなかったことに気づいてなかった。
というか、楓からのチョコか……。毎年もらっていると言っても、それは兄妹だから仕方なく受け取っているという感覚に近い。
いや、最愛のマイシスターからのチョコが嫌なわけじゃない。ありがたいよ? 俺みたいな非リアのオタク兄貴なんかにチョコをくれるんだしさ。
でも、楓の作るチョコはえげつないくらい常軌を逸した味がするのだ。どんな表現にも当てはまらない未知の味。チョコレートの味という概念を超えてしまった、まったく別の物体を毎年くれるのだ。
見た目だけはチョコだし、匂いもチョコだ。けれど、食べてみればわかる。あれはチョコの皮をかぶった別物だと。
俺は額からは一滴の汗の雫が流れる。
今年のチョコははたして人間の食べれるものなのだろうか。
眼前にいる我が妹は、「だって、テストで点数が悪かったから、補習しててチョコ作れなかったんだもーん」と頬を膨らませている。
ここでチョコを受け取らないという選択も出来る。
が、もう作ってあるんだろうな、チョコ。てことはさ、受け取らないわけにはいかないんだ。俺も一応、兄のはしくれとして、妹を泣かせるわけにはいかないんだ……。
たとえ、チョコを食べたあとに、三時間ほどトイレにこもることになったとしても。
俺は楓の頭の上にぽんと手を置いた。
「そ、そっかぁ、補習なら仕方ないな。お、お兄ちゃんも楓がチョコをくれなかったから、どうしたのか心配だったんだよぉ。ありがたくいただくよ」
前にも言ったが、俺はシスコンではない。でも、妹の――楓のために割と身体を張っている。
楓は即座に表情を明るくし、大きく首を縦に振った。
「実はね! 今年のチョコは一味違うんだよ! なんとなんと、お母さんの協力なしで、最初からひとりで作ったんだ! だから、今年のチョコは純度一〇〇パーセントの楓のチョコだよ!」
「お、おお……楓だけで作ったのか。そいつは楽しみだなあ。はは、はははは……」
母さん。なんでチョコ作り手伝わなかったし……。あなたは息子を殺す気ですか……。
「あれ? なんでお兄ちゃん泣いてるの? そっかぁ! 楓からのチョコがそんなに嬉しいんだね! よーし、じゃあ早速チョコあげるよ。あ、でもその前にご飯だね! さーさーお兄ちゃん、ご飯食べに行くよ~!」
言いながら、楓は俺の腕を引っ張っていく。
妹よ。お兄ちゃんが泣いてるのは、嬉し泣きじゃないんだぜ。
その後、チョコを食べた俺は、五時間ほどトイレから出ることはできなかった。
純度一〇〇パーセントの妹チョコの威力は凄まじかった。
***
翌日。俺たちのグループは新しい仕事に着手することになった。
それは、在校生による卒後祭参加希望者の中から、実際に参加してもらうグループを審査する仕事だ。
文化祭や後夜祭とは違って、卒後祭というのは卒業生の今後の活躍を祝い、送り出す目的も兼ねている。そのため、不適切な出し物をするグループがいるかどうかを確認する必要があるのだ。
また、会場は一般の施設を使うため、時間の延長などの自由もあまり利かない。なので、あまりに多くのグループに参加されると、卒後祭そのものの進行に影響を与える可能性もあるのだ。
河橋さんはそんなことを説明し、さらに言葉を続ける。
「現在、私たちのグループは九名います。ですので、これをさらに四つに分けて、審査の仕事を分担しようと思います。こちらの方で誰とペアになるかは決めましたので、今から読み上げます」
河橋さんは机の上に置いていた紙を取り、読み上げる。
彼女の言う通り、審査の仕事を分担するのは良い考えだと思う。ただでさえ、参加希望者が多いのだ。それをこの九人全員で一度に審査しようとすると、時間が掛かるだけで仕事をしない人も出てくる。だが、あらかじめグループを分けて、それぞれに審査の仕事を与えれば、同時に審査の仕事を行うことが出来る。
河橋さんの読み上げる声を聞いていると、ようやく俺の名前が出てきた。驚いたことに、ペアとなる人物は河橋さんだった。
てっきり、萬部で固められると思っていたが、そうではないらしい。
そんなことを思っていると、今度は木葉の名前が呼ばれる。どうやらあいつのペアは風山のようだ。なんとも言えない複雑な気持ちが駆け巡る。
ていうか、風山はいつも木葉から遠くの席で仕事をしているというのに、今日に限っては木葉の隣で仕事をしている。なんであいつが木葉の隣にいるんだよ……。
木葉も木葉で、会話に花を咲かせているのは見ているだけでわかる。
木葉のことも引っかかるが、昨日怒らせてしまった静夏のことも気になる。今日話しかけに行っても、あまり愛想の良い態度をとってくれなかった。
自分の発言が最低なものだとは充分に理解しているが、あの対応は正直こたえる。
それに不安要素がもうひとつ。
俺の腹のコンディションだ。昨日楓からお手製の――メイド・バイ・マイシスターのチョコレートを食べた。予想を越える味と、人体への影響で昨日はトレイにこもりっぱなしだった。その影響がまだ身体に残っているらしく、朝からずっと微弱な腹痛に襲われている。
「……チョコ、おそるべし……」
チョコで部活仲間と心の溝ができ、妹のチョコで死にそうになっている。
もう、マジでチョコ怖いっ!
心の中でそう叫ぶと、不意に肩をぽんぽんと叩かれた。
俺はびくっとした後、背後を振り返る。
「どうされたんですか、奥仲くん? 私たちも審査の仕事をするので、教室を移動しますよ?」
振り返った先にいたのは、資料を小脇に抱えた河橋さんだった。
「へ? い、移動?」
聞き返すと、河橋さんは眉間に皺を寄せ、小さく頬を膨らませた。不覚にもちょっとだけ可愛く見えた。
「もぅ、さっき説明したのに、話を聞いてなかったんですか? 会議室で審査をすると、『用意』を担当してくれる人たちの迷惑になりますので、私たちがこれから行う審査の仕事は、ほかの教室を借りたので、そちらで行うと言ったではないですか」
「あ、ああ。そうでしたね。すみません、ちょっとぼーっとしてまして」
ははは、と歪に笑い、俺は急いで椅子から立ち上がる。
「どこか体調でも悪いんですか、奥仲くん?」
「いえいえ、別にどこも悪くないですよ。このとおりピンピンしてます!」
「はあ……。なら良いですが。では、早速行きましょう。場所は物理準備室ですよ」
「わ、わかりました」
ふと木葉を見ると、風山と話しながた移動しているのが見えた。そうだった。木葉のペアは風山だった。なら、話しながら移動するのもおかしくないな。
だって、俺だって、河橋さんと話しているのだから。
河橋さんの背中を追って会議室から出ると、木葉たちの会話する声が、静まり返った廊下に反響し、俺の耳に届く。
「ねえねえ、木葉ちゃんってさ、すっごく可愛いけど、今付き合ってるやつとかいるん?」
「へっ、えっと……付き合ってる人ですか……。い、いませんよ」
一瞬だが、声にためらいのようなものが孕まれている気がした。
「へー、そうなんだ! じゃあさじゃあさ、好きな人といるの?」
「も、もう、なんなんですか、さっきから。からかってるんですか?」
ちょっと恥ずかしがっているような木葉の声が聞こえてくる。
「いやいや、からかってないない。もう全然からかってないから! いやあさ、結構噂になってんのよ、木葉ちゃんと、えーっと何だっけか……あの同じ萬部にいる男子……ええと……」
どうやら俺の名前を思い出せないご様子である。やっぱり、俺って影薄いかー。知ってた。
「遥斗……奥仲遥斗、ですか?」
木葉が遠慮がちに言う。
それに対して風山が指をパチンと鳴らした。
「そうそう、そいつそいつ、奥仲だ。木葉ちゃんと奥仲が付き合ってるって噂なんだよ。だからさ、本当なのかなーって思って聞いてみたんだ」
「そ、そんな噂があるんですか!?」
驚いたような木葉の声が、廊下中に響いた。
まあ、そんな反応になるよな。俺だって須藤から聞いたときは驚いたし。
「ちょ、木葉ちゃん声大きいよぉ」
「あ、すみません。でも、そんな噂があるなんて知らなくて……。けど、私と遥斗は……」
俺の中の時がスローになるのを感じだ。
木葉のその言葉の先が気になったからだ。
一体、今現在、彼女は俺のことをどう思っているだろうか。
風山と笑顔で話している今でも、俺に好意を向けてくれているのだろうか。それとも、俺への感情は間違いだったと思いなし、イケメン男子へと好意を向けるのか。
心臓が一度、どくんと大きく鼓動した。
そして、木葉の口が開かれる。
「私と遥斗は…………幼馴染み、ですよ」
こんにちは水崎綾人です。
さて、今回は久しぶりに楓ちゃんの登場です。他にも懐かしいキャラが登場する予定だったりします。
もしも前の話を覚えていてくれたり、読んでくれている人がいらっしゃいましたら、あのキャラのその後が少しだけ見れるかもしれません。
それでは、また次回。




