第59話「彼女の笑顔。彼のざわつき」
放課後の訪れを知らせる鐘の音が鳴り響いた。
俺は卒後祭実行スタッフの集まりに行くべく、手早く帰り支度を進めている。
すると、暇そうな顔をしたひとりの男子生徒、須藤が俺の方に近づいてきた。
「おーっす、遥斗。何かお前、いつになく急いでカバンに荷物詰めてっけど、何かあんの? 萬部の活動?」
俺はカバンに荷物を詰める手を止めることなく、須藤に向かって口を開く。
「まあ、萬部の活動っちゃ活動だな。新しく依頼が入ったんだよ。これからその集まりに向かうところだ」
「うーわ、大変そうだな」
顔を歪め、須藤は同情するような素振りを見せる。他人事感が丸出しだが。
「そういうお前は随分と暇そうだな。何かやることないのかよ?」
「やること? そーだなあ。今週は特にないかな。先週は美々香とデートしたし、今週は美々香は部活で忙しそうだから、本当に何もないな今週は」
「ちゃっかりリア充アピールしやがって……」
くっそ。そうだったよ、こいつ彼女持ちだったじゃん。他校の女子と付き合ってるからすっかり忘れてた。つか、こいつらの破局の危機を救ったの俺たちじゃん。
須藤は軽く笑いながら、手をひらひらと振る。
「いやいや、アピールとかじゃなくて事実だから。俺彼女持ちだから~」
いちいち非リアを敵に回す発言しやがって。今ここに剣があったら、俺は間違いなくこいつをぶった斬っている。絶対斬ってる。いや、絶対に斬る。
「つーかさ、そういうお前だって彼女いるだろ?」
突拍子もない発言に、俺は耳を疑った。こいつは誰のことを言ってるんだ?
「ん? お前、誰のこと言ってんだ?」
「だから、お前だよ、お前」
そう言って、須藤はぴんと俺の方を指差す。
はて、俺の後ろに誰かいるのだろうか。俺は後ろを振り返り、確認する。
「いや、だからお前だっての。昔のギャグかっ!」
俺としては別にギャグをしたわけではない。本当に後ろに誰かがいて、そいつのことを話しているかと思ったのだ。
なぜなら俺には、生まれてこの方彼女などひとりもいないのだから。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ、須藤。お前、なに言ってんの? 俺に彼女? はっ、いる訳ねーだろ! それとも何か? リア充の目からは、非リアにも彼女がいるくらいピンク色の世界しか見えないのか? こちとら、彼女いない歴イコール年齢だぞ!?」
「なんでそんなムキになってんだよ! 遥斗って大空さんと付き合ってんじゃないのか?」
言われて、俺の中の時が止まった気がした。
はい? 俺が付き合ってる? 誰と? 木葉と? そんな馬鹿な?
疑問符ばかりが脳内に浮かび、一向に須藤が何を言っているのか分からない。
俺が黙りこくっていると、須藤が付言する。
「だってさ、大空さんが転校してきてから、最初のうちこそそんな素振りなかったけど、ここ最近は一緒に昼飯食ってるし、一緒に部活に行ってるし、家も隣だから一緒に帰ってんだろ? 一日のうちのほとんど一緒なのに付き合ってないのか?」
須藤に言われて、はたと考えてみた。
たしかに、思い返せば木葉とは一日中ほとんど一緒の時間を過ごしている。授業中などはもちろん違うが、放課後になればずっと一緒にいるのは確かだ。この事実には自分でも驚きである。須藤に言われるまで、まるで気付かなかった。
「あーでも、違うのかな? 何か最近、大空さんと一緒じゃないもんな。たしか、先週あたりからか? 教室でも話してないみたいだし、部活にもひとりで行ってるみたいだし」
「お前、どんだけ俺のこと見てんだよ。……って、まさか、お前っ! やめろ、俺にそっちの趣味はないぞ!」
「おいっ! 変な誤解すんなよ! 別にそんな目で見てるわけじゃねーよ! つか、俺彼女いるんだし、そっちではないから。絶対にな。……って、そうじゃなくて、お前って基本友達少ないだろ?」
「うぅ……、痛いところをついてくるな」
そうだ。たしかに俺は友達が少ない。萬部に入って交友関係は広がりはしたが、それでも平均よりは友達の数は少ない自信がある。
ていうか、友達は多けりゃいいってものじゃないと思うの! 大事なのは、数じゃないよ、うん! 数より、質だよ! ん、待てよ。てことは、須藤は友達として高品質なのか?
いや、あいつ良質なわけがない。絶対に認めたくない。
「まあ、友達が少ないのは事実だろ?」
再度言われて、俺は渋々頷く。
「だから、遥斗が大空さんとか萬部以外の人と話すことはまずないだろ。だから、たまに見るだけですぐに分かるんだよ。お前がどことなくつまらなそうにしてんのがさ」
つまらなそう、か。果たしてその気持ちは本当なのだろうか。自分でもよくわからない。
須藤の言うとおり、つまらないという感情もたしかに存在しているのだと思う。今まで普通に話していた木葉や雅、静夏と気まずい空気のせいで話せなくなったからだ。
けど、それだけじゃない気がする。自分でも何と言い表していいのか分からないが、このつまらないという感情は、言い知れぬ感情による副産物なのかもしれない。
このまま須藤に言われっぱなしなのは癪なので、俺は最後に残った筆箱をカバンに詰め、口を開く。
「まあ、たしかにお前の言うとおり、つまらないって思いはあったのかもしれない。けどな、言っておくが、俺は木葉と付き合ってないからな。これは本当だ。いや、マジで」
須藤にどんな推測をされようがどうでも良いが、俺が木葉と付き合っているという誤解だけは絶対に解いておかなくてはならない。
別段、木葉が嫌だというわけではない。ただ、俺はまだチョコの答えを決めていない。誰にどんな返事をすれば良いのか決めていないのだ。
そんな状態だというのに、俺が木葉と付き合っているなどという誤解が広まりでもしたら、雅や静夏には申し訳がたたない。
俺が少し強めに言ったせいか、須藤は少しだけ目を丸くした。
「あ、っと、そうなの? へぇ、てっきり付き合ってんだと思ったわ。ま、それならそれで別にいいや。けど、大空さんって結構モテるから、彼氏いないって判明したら男子たちが群がるかもな」
「え、ちょっと待って。木葉ってモテるのか?」
いや、たしかに容姿は可愛い。瞳は大きいし、どこか幼さを感じる輪郭をしている。髪だって滑らかで、それでいて艶やかな茶髪だ。けれど、そんな見た目に反して、あいつは実際人見知りだったりする。初めての、それも男子相手ならまともに話すのは難しいとさえ思うのだが、そんな木葉がモテるのか?
「ああ、遥斗知らなかったのか? 大空さんって、何かいまどきな感じの女子に見えるけど、実際結構清楚な感じだったりするじゃん。男子って、そういうギャップみたいなものに弱いからさ、割と人気なんだよ。先週のバレンタインの日なんて、たぶんチョコ貰いたがってたやつ大勢いるぜ?」
「ま、まじか……」
まさかそこまで人気だとは。
俺は驚きのあまり、少々固まってしまった。と同時に、木葉からチョコ――それも本命をもらってしまったことが少しばかり後ろめたくなってしまった。
「まあ、そういうこった。けど、俺には美々香がいるから、大空さんには興味ないけどな」
「まだリア充アピールすんのかよ」
「リア充だからな。じゃ、そろそろ俺、帰るわ。遥斗も仕事があるんだろ?」
言われて、俺は黒板の上にかかっている時計に目を放る。少し早めに集合場所につこうと思っていたが、もう時間がない。
「やべっ、そうだった。早く行かないと」
「じゃ、また明日な、遥斗」
「おう、じゃあな、須藤」
俺たちは互いに挨拶をすると、別々の出口から教室を出た。
***
河橋さんに指定された場所は、会議室だった。
会議室は、文化祭実行委員のときにも使用したことがあるので、校内を探し回ることなくたどり着くことができた。
しかし、集合時間ギリギリの到着になってしまったため、俺が会議室の敷居をまたいだ時には全員が着席していた。
ぱっと見で二十人ほどの生徒の視線を浴びながら、萬部のメンバーが固まっているところに足を進めた。
俺は木葉の隣の椅子に腰を下ろす。
さっきの話を聞いたあとだと、木葉の隣に座っているだけで何だか緊張してしまう。
「ねえ遥斗。ちょっと来るの遅くない? せっかくの依頼なんだし、もうちょっと余裕持って来た方がよくない?」
と、思いがけず木葉に言われ、俺は「へっ」と上擦った声を漏らしながら、ビクッと肩を震わせた。
「あ、ああ。そうだな、そうだとも。いやあ、ちょっと須藤と話しててさ、それで遅れたんだ」
まさか、『お前が結構モテてて、内心動揺してるんだ』なんて言えない……。
すると、木葉の隣に座っていた静夏がぽつりと呟いた。
「まったく、あの剣道リア充が……。それで、あの男と何を話していたの、遥斗? その驚きようだと、何か大きなことだったりするのかしら?」
相変わらずの洞察力とでも言うべきなのか、静夏は目を細めて俺を見てくる。だが、これに怯んで、おいそれと口を開くわけにはいかない。
俺は首を左右に振りながら、
「いや、全然大したことない話だよ。実山さんとは、バレンタインの日以降どうなってんのかな、とかそんな話だよ」
言って、俺は空気がすうっと冷えたのを感じた。
バレンタイン。
その語句は、今の俺たちの歪な空気感を作り上げた元凶。
彼女らの本心を受け止め、自分の気持ちと向き合わなければと思った日。
未だ自分の心の整理はできていないが、逃れることのできない問題を突きつけられた。
やばい。また、気持ちの悪い、あの歪な空気に……。
と、思ったが、そこまでの変化はなかった。
静夏はそっと胸の前で腕を組むと、小さく息を吐いた。
「どうせ、もともと誤解だったのだし、あの人たちは上手くいっているのでしょう?」
「へ? あ、ああ。そうらしいぜ。先週もデートしたとか言ってたし」
「そう」
静夏からの返答はそっけないものだった。しかしよくよく考えてみれば、静夏からの受け答えはいつもこんな感じのものだった気がする。
などと色々考えていると、がらりと扉が開かれ、河橋さんと薫先生が入ってきた。
「みなさん、お待たせしました。では、これより卒後祭実行スタッフの仕事を始めていきたいと思います。既にお伝えしているように、仕事は各自分担されていますので、各役割ごとにまとまって仕事をしてもらいます」
と、河橋さんは淡々と説明を続けていく。
聞けば、俺と木葉の担当する、告知・審査のグループは会議室の前側をつかって作業をするらしい。
グループの人数は総勢九名。半分よりもやや少ない人数だ。
ひとり一台パソコンが与えられ、卒後祭に参加したいという希望者のリストを作成するのが、今日の一つ目の仕事らしい。
俺たちは早速移動し、パソコンを立ち上がる。
このグループのリーダーは、卒後祭実行スタッフのリーダーでもある、生徒会長の河橋さんだ。河橋さんは、三十センチはあろうかという紙束を俺たちの作業する机の上に置いた。
見れば、『参加希望書』という書類で、在校生が催し物をしたいという意思を示したものだった。これを一枚一枚目で確認し、後日の審査用のリストを作成しなければならない。
学年とクラス別にリストを作成してく。
正面に座る木葉は、どうやら判別の難しいくらいの雑な字の参加希望書と格闘しているらしく、眉間に皺を寄せてじっと紙面を見つめている。
すると、そんな木葉のもとにひとりの男子生徒が現れた。
「どうしたんだい、木葉くん?」
その声には聞き覚えがあった。
つい昼休みにも聞いた声だ。
生徒会でもサッカー部でも『副』のつく役割に従事している男子生徒――風山だった。
風山は木葉の背後に、慣れたように回り込む。
木葉はびくっとか身体を動かし、驚いた様子で風山を見る。人見知りの木葉は、えーっと、と少々不審な動きをしながらも、口を動かした。
「じ、実は、字の雑な参加希望書がありまして……。判別するのが難しくて、困ってたんです……」
「ああ、そんなことか」
言って、風山は短い前髪を指で軽く払う。とてつもなくナルシストっぽい行為だが、彼がイケメンであるため様になっている。そこがまた腹立たしいが。なんだ、あのイケメンは。
風山は木葉から書類を取ると、顎に手を当てて紙面を見つめる。
「よし、わかったよ。これはこう書いてあるんだ。ちょっとキーボードを借りるね」
風山は木葉の手が乗っていたキーボードに自らの手を乗せる。反射的に木葉は手をどけるが、彼は特に動じる様子がない。
俺にはひと目でわかった。彼は、故意的に木葉に接触しようとしている、と。
そのことが無性に俺の心をざわめかせた。気づけば、俺のキーボードを弾く手は完全に止まっており、木葉と風山のやり取りを見ていた。
風山はカタカタと軽やかな動作でキーボードを打つ。
「この判別しにくい字は、こう書いているんだと思うよ。これなら意味も通るし、しっくりくる。まあ、もし違ったときは、後日開かれる審査の時に、これを書いた本人たちに直接聞けばいい。この名簿はあくまでも、審査のときにどんな生徒が参加しているのかが分かればいいだけだからさ」
最後に白い歯を出して、風山はにこっとイケメンスマイルを披露した。
木葉は少しだけうつむきながら、
「あ、ありがとうございます……」
と、礼を口にした。
おそらく人見知りをしているだけのように見えるが、なんだろう、この感覚。なぜだか、木葉がしおらしく見える。
普段、俺に見せる木葉の顔とは違うからか? イケメンの風山が木葉に意図的に接触しているように見えるからか?
自分でも整理できないモヤモヤとした感情が、胸の中に拡散されていく。
すると、
「おいおい、奥仲くん。手が止まってるよ」
と、風山が俺に声をかけてきた。
俺は、はっと我に返り、紙面に再び紙面に目を落とす。
ダメだダメだ。今はこの仕事に集中しなければ。この仕事は、今までの依頼とは違う。これまでお世話になった先輩――莉奈先輩への恩返しに繋がる依頼なんだ。逸れた気持ちで臨んではいけない。
カタカタとキーボードを叩き、ひとつ名簿を完成させる。
そして、次の参加希望書に手を伸ばした時だった。
ふと、またも木葉の姿が視界に入っていしまった。
だが、俺の視界に映ったのは木葉だけではない。もうひとりいた。風山だ。
それだけなら良かった。
なぜだろう。俺の心が急にざわめき始めて、名状しがたい不安感に襲われた。
人見知りの木葉が、笑顔で風山と話していた。
こんにちは、水崎綾人です。
いよいよ今回から卒後祭のお仕事が始まりました。お仕事も大事ですが、彼、彼女らの心の行方も同じくらい大事だと思っています。
今後も遥斗たちのことを見守っていただければなあ、と感じています。
それでは、また次回。




