第55話「友情のはやとちり」
「そんで、どうだった? 遥斗ぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
土曜日からさらに六日が経過し、金曜日になった。俺が教室に入ると同時に、須藤が開口一番、涙声になりながら足下に抱きついてきた。
なんだ、こいつ!?
「おまっ、ちょ、離してくれ! 抱きつくなら実山さんに抱きつけ! 俺はお前の彼女じゃない!」
「んな冷たいこと言うなよぉぉぉぉぉ」
なんでこいつは朝っぱらからこんなに泣いてんだよ! もはや涙が出ているのか、鼻水が出ているのかわからない。
「おいっ、その顔を制服に擦りつけるな!」
うわー。須藤の鼻水がズボンについた……嘘だろ。
俺はポケットからハンカチを取り出し、白く粘り気のある須藤の鼻水を拭う。もうマジで汚い。このハンカチは捨てよう、うん。
須藤が泣きはらした顔で俺のことを見上げる。
「なあ、そろそろ素行調査もいいんじゃねえか? 教えてくれよ、どうなんだよ?」
もう須藤は我慢の限界のようだ。たしかに、自分の彼女がイケメンと一緒に楽しそうに毎日のように下校してたら心配にもなるか。
俺だって彼女はいないけど、きっといたら心配になってしまうだろう。
だが、今の段階で真実を教えるというのはどうだろうか。
実山さんの尾行を初めて一週間近くが経過した。毎日同じように実山さんは一八時頃に学校を出て、イケメン男子と一緒に帰っている。誰が見てもデートと判断するほどに輝かしい笑顔で。
そのことを須藤に告げるとなると、やはりこちらにしても勇気がいる。もしこのまま伝えたら、今の須藤はなにをするかわからない。発狂し、剣道部で愛用している竹刀を振り回す可能性だってある。危険だ……。
「いや、待て須藤。まだ早い。もう少しだけ待ってくれ」
ぐすっと鼻水をすすり、須藤は掠れた声を出す。
「…………もう少しで真実がわかるのか?」
一瞬、言葉に詰まってしまった。真実がわかる……か。もしかしたら、今まで見てきたのが真実なのかもしれない。須藤の彼女は浮気をしていて、さらに、浮気相手はイケメンで須藤に勝目はない、ということが。
でも、それでも……俺は敢えて言うのだ。数少ない友人のために。
「ああ。あと少しで真相解明だ!」
親指をつきたて、俺は優しい嘘を吐いた。知ってるか? 嘘には二種類あるんだぜ。この嘘がどちらに転ぶかはわからない。ただ、須藤にとって良い結末になる嘘であることを願うばかりだ。
***
今日も実山さんの素行調査は行われる。ちなみにペアは静夏。土曜日以降、あまり話していないため、少しだけ気まずい。
「な、なあ。静夏……さん?」
いつもは呼び捨てなのだが、途中で心細くなって『さん』をつけてしまった。
静夏は横目で俺のことを見ると、
「別にいつもどおりの呼び捨てでいいわよ。それとも、土曜日のことを気にしているなら、謝るわ」
「へ?」
「そもそも遥斗が鈍感だというのは、前から知ってることだったし」
「ちょっと待ってくれ。俺は鈍感じゃないぞ? どちらかと言ったら敏感な方だと思うんだが」
俺はお前らから受けた中学時代の仕打ちを忘れたわけじゃないからな。ただ、昔のことだから気にしないでいるだけで。もし、俺が鈍感だったら、あの日のことも簡単に水に流していただろう。だから、流さずにいる俺は逆に敏感だと言えるだろう。……言える、かな?
「どうかしら? 鈍感だから、大空さんも雅さんも、加えて私も手を焼いているんじゃないの?」
「なんだよ、人を面倒くさそうな奴みたいに」
「実際、面倒でしょ。普通ならとっくに気づいてるわよ」
「普通って、おい……」
いや、しかし。静夏の言わんとすることは、だんだん俺にも察しがついてきた。さっきも言ったとおり、俺は鈍感ではない。むしろ、敏感な方だと自負している。土曜日にチョコを見に行ったときに思ったことは確かにあった。もしかしたら……と。
だが、そんなわけはないのだ。いつそんなフラグがあった? ないだろ! ギャルゲーをよく見てみろ。フラグなしのヒロインと結ばれるか? 結ばれねーよ! だから、ありえるはずがないのだ。
「もうそろそろ十八時ね」
静夏が呟いた。
俺の思考は、彼女の呟きによって途切れた。目線を上西女子高の校門に集中させる。
二月の一八時ともなると日は沈み、光源は街灯とコンビニやスーパーなどの電気くらい。ほの暗い校門を注視していると、ひと組の男女が出てきた。
――実山さんだ。
俺と静夏は手をつなぎ、彼女のあとを追う。ていうか、どうして相手のイケメンは毎回校門から出てくるんだ? 入るところはこの一週間、見たことがないのに。まさか、俺たちの尾行に気づいて別の入口から入ってきているのか!?
別角度から尾行している木葉に連絡を入れる。
「木葉、もしかして上西女子高には裏口とかあるか?」
少しして、木葉から返答が来る。
『裏口? それはないと思うけど……』
なんだか煮え切らない態度だ。前からだが、尾行するときになると木葉はいつもこんな態度になってしまう。
「けど、なんだ?」
『やっぱり、あのイケメンはなんだか違う気がする』
またそれか……。
「どういうことだよ?」
『あー。どう説明したらいいんだろう。なんていうか中性的っていうかさ』
「いや、どう見たって男じゃないか?」
『そうなんだけど……。まあいいわ。もう少ししたらまた連絡する』
それ以降、木葉からの連絡はなくなった。
「ちょっと、遥斗……」
静夏がわずかに苦しそうに、恥ずかしそうに俺の名前を呟いた。
「どうした?」
「痛い……手」
手? 俺は視線を、静夏の手を掴む自分の手に落とした。
気づけば、思いの外力強く握っていた。木葉とのやり取りに集中しすぎて、静夏の手に力を込めていたようだ。
「ご、ごめんッ!」
咄嗟に手を離した。
静夏は自らの手を優しく撫で、
「い、いや……。できれば、もうちょっと優しくして欲しい……」
なぜだか顔を赤らめている。解せないぞ……。
「わ、悪かったよ」
特に怒っている様子もないので、改めて彼女の手を握った。
『遥斗くん、痛いってなんですか? 静夏さんになにかしたんですか?』
怪訝そうな声音で、雅からの通信が入った。なにか勘違いをしていませんかね。
「な、なにもしてないぞ?」
と応える俺を押しのけて、静夏がスマホに向かって声を発する。
「ちょっと遥斗に痛くされただけよ」
『なッ!』
『え!?』
雅、次いで木葉が驚嘆の声を上げた。
「おい、ちょ!」
明らかに誤解されそうな一言を放ちやがった。
静夏はうふふ、と笑い、俺にスマホを託した。
『は、遥斗くん。痛くされたとはどういうことですか?』
『そうよ、どういうことなの?』
雅と木葉のダブル攻撃に、俺は誠心誠意、懇切丁寧に事情を説明した。静夏と手をつなぎ、実山さんたちの動向にも注意をはらいながら説明すること五分。ようやく分かってくれたのか、二人からの質問攻めはなくなった。
「静夏。て、てめぇ……」
俺はジト目で隣にいる静夏を睨みつけた。
「あら、随分怖い顔ね、遥斗。でもまあいいじゃない。たまには、あんなこともしてみたかったのよ」
少しだけ強く手を握られ、優しく微笑を向けてきた。二次元キャラにやられるならとても嬉しいが、三次元にやられると裏がありそうで疑ってしまう。
「そんなことより、実山さんたちよ」
言われて、俺は視線を正面に向けた。
実山さんは楽しそうに隣にいるイケメンと話をしている。それもよく見れば、彼女たちも手をつないでいる。
これは……もう。黒、と断定するしかないかもしれない。
いつもなら、このくらいの時間にはコンビニやスーパーなどに入る実山さんたちだが、今日は違った。いつも入っている店の前を何事もないように素通りし、人気のない公園の敷居をまたいだ。
「……公園?」
どうしてここに?
街灯の明かりしか照らすものがない中で、実山さんらは隅にあるベンチに腰を下ろした。
俺と静夏は少し遠くから彼女らの姿を見る。少し遠いところには木葉たちもいる。
なにをする気なのだろうか。わずかな緊張が走る。体が少しだけ震ええてきた。しかし、その震えが緊張によるものなのか、寒さによるものなのかわからない。もしかすれば、決定的な瞬間を目の当たりにするかもしれない、という怖気のせいもあるかもしれない。
ふぅ、とゆっくり息を吐く。
ベンチに腰掛けた実山さんとイケメンは、なにを話しているのかわからないがとても楽しそうにしている。見ている分では、実山さんの言葉にイケメンが笑って答えている、と言った具合か。
と、その時、実山さんが背負っていたリュックから箱を一つ取り出した。実山さんはその箱を開けると、なにやら黒いものを取り出した。
「…………チョコレート?」
静夏が呟いた。
チョコレート……まさか!?
実山さんはひとつ摘んだチョコレートをイケメンの口に近づける。口を開けて待つイケメンは、どこか気恥ずかしそうな表情をしている。だが、この光景は、確実にカップルがお菓子を食べさせあっているそれにしか見えない。……須藤。これはもう……。
浮気、としか判断できないかもしれない。
須藤にこのことを言ったどうなるだろうか。悲しみに任せて竹刀でも振り回すだろうか。泣きじゃくるだろうか。固まったまま動かなくなるだろうか。
そんなことを想像していたらなんだか腹が立ってきた。今でもリア充はムカつくし、爆発すればいいとも思っている。しかし、須藤が友人であるというのは事実だ。その友人が、悲しみに暮れる姿というのは、やはり見ていて楽しいものではない。
スマホを握る手に力が入る。
「静夏。ちょっとこれ持っててくれ」
「え? あ、ちょっと」
了解を得る前に静夏にスマホを預ける。
せめて、なにか文句の一言でも言ってやりたい。
俺はほぼ無意識のうちに、実山さんの座るベンチの方へ駆け出していた。思えば、前にもこんなことがあった気がする。あれは確か……木葉を柏崎から取り返す時だったけか。あの時も、柄にもなくこんな風に走り出したんだよな。
「実山さんッ!」
半ば叫びながら、ベンチの前で足を止める。
「は、はい!?」
視界には驚いたような声をあげる実山さんと、思いっきり警戒した眼差しを向けてくるイケメン。
わずかに切れた息を整える。
「あ、あなたは……あなたは、どうしてこんなことを?」
「どうしてって……まずあなたは誰です?」
カールされた茶髪をなびかせながら、毅然たる態度でこちらを見やる実山美々香。
「俺は……俺は、須藤の友達の奥仲遥斗。……須藤に頼まれて、実山さんのことをここ一週間尾行してた」
「須藤君の……友達?」
実山さんは訝しげな声音で続ける。
「……で、その友達がなんの用なの?」
「あ、あなたは、須藤と付き合っているんじゃないんですか? それなのに、どうして別の男とそんなに仲良くして……。こんなの、須藤が見たら浮気だって思うに決まってるじゃないですか。だいたいなんで――」
「ちょっと待ってちょうだい」
俺の言葉を遮り、実山さんが怪訝な顔で訊ねてくる。
「わ、私が浮気してる?」
「はい。そうですよ。隣にいるイケメンと毎日のように仲良く下校しているし、今だってチョコレートを食べさせていた。自分の彼氏以外の男にそんなことをするなんて、浮気なんじゃないんですか」
「えっと……男?」
この期に及んでまだ知らばっくれるつもりか……。
「はい。そうですよ、隣にいるこの人とッ!」
もう反論されるのも面倒なので、俺は隣に座っているイケメンに向かって思いっきり指を指した。人に向かって指を指したらいけません、と教えられたが、今はそんなことを言っている場合ではない。
指を指されたイケメンは、驚いた様子で「あたしのことかい?」と吐いた。逆にお前以外の誰がいるというのか。
「はい。そうです」
迷いなく答えると、実山さんがぷっ、と吹き出した。あまりにも場違いな行動に、少々言葉を失う。
「ちょっと明日花。あなた、男だと誤解されてるわよ」
イケメンの肩をパンと軽く叩いた実山美々香。それに対して困ったような表情を浮かべるイケメン。
「あ、えっと……」
申し訳なさそうに後頭部を掻く明日花と呼ばれたイケメン。彼はゆっくりとベンチから腰を上げる。
遠目で見ていたよりも背は大きくなく、俺と同じあるいは少し低いくらいだ。しっかし、近くで見ると本当にイケメンだ。ひとつひとつのパーツが整っていて、まるで作り物のようだ。それに、髪の毛も長すぎず短すぎずのちょうど良い具合。クソ、なんだこのイケメン。ムカついてきたぞ。
「あのさ……あたし、女、なんだけど」
その言葉を理解するのに、結構な時間が必要だった。
女? はて、女というのはあの女だろうか。木葉や雅、静夏とかと同じくくりの女ってことでいいんだよな。それにしては、なんというか……女っぽくないというか。ていうか木葉も雅も静夏も見た目はとても可愛い女の子だ。しかし、目の前で女の子を名乗るこのイケメンは可愛いというよりも格好いい、と言った方が適切なような気がする。
「あまり、信用されていないみたいだね」
イケメンは苦笑いを浮かべ、頬をぽりぽりと掻いた。そして、短いため息をひとつ。
「しかたがない。ほれ」
そう言って、上半身をこちらに近づけてきた。いったい、なにをしろというのか。
「百聞は一見に如かず、って言うだろ? ほら、あたしの胸を触ってみるといい。他の女の子と比べれば小ぶりだが、男よりはあるぞ? まだ誰にも触らせたことがないから、奥仲くん? だったかな。君が一番最初だ。ほら触ってくれ!」
な、なにを言っているんだ、こいつは。イケメンというのは、どういう神経してるんだ?
「そ、それじゃあ……」
だが、論より証拠というのは確かである。俺は、ゆっくりと明日花と呼ばれたイケメンの胸に右手を伸ばしていく。
と、その時だった。
「なぁにやってんのよッ!」
後ろからポカン、と頭を殴られた。この声は、木葉?
「痛ッ! なにするんだよ、木葉」
「なにすんだよ、じゃないわよ。なんで胸揉もうとしてんのよ! そんなことしなくても性別を確認する方法ならあるでしょ」
「は、はあ?」
「失礼ですが、あなたは?」
実山さんが木葉の顔を見ながら訊いた。
「すみません。私、遥斗と同じ学校の大空木葉といいます。須藤君から頼まれて尾行していたものです」
「あなたもですか?」
「いえ、あと二人ほどいます」
その言葉の後に、雅と静夏が出てきた。実山さんは、彼女ら二人が出てきたことに心底驚いていたが、やがてそれも落ち着いた。
「ところで、どうやって性別を確認するんだよ?」
「簡単な話よ。学生証を見せてもらえばいいのよ」
あー。なるほどね。そいつは簡単な話だ。
イケメンはポケットから学生証を取り出し、木葉に渡した。俺たち三人は、覗き込むような形で学生証に目を落とす。
そこには確かに『横原明日花。性別、女』と記されていた。横に貼ってある顔写真と比較しても、同一人物だということは確実だった。
「信じてもらえたかな?」
わずかに苦笑する明日花さん。
俺は額がすり切れるほど深く頭を下げ、男と勘違いしたことを謝罪した。
「よく勘違いされるのよね、明日花」
実山さんのその口調はなんだか慣れているものだった。
「もしかして、一度じゃないんですか? 男と勘違いされるの?」
「ああ。そうなんだ。普段スカートを履いていても男だと勘違いされることがある。なんでかな?」
肩をすくめる明日花さん。たぶん、男みたいな顔立ちのせいでは?
「そういえば、どうしてこの一週間、スカートじゃなかったんですか?」
雅が不思議そうに訊いた。たしかにその通りだ。もしスカートを履いていれば俺も間違えることは……どうだろう。
「そのことかい? あたしは美々香と同じ演劇部なんだよ。それで、今回やる役が男役立ったんだ。普段と違う性別の役をやるんだから、役作りしようと思ってね。普段から男の服装で過ごしてたんだ」
「そうだったのね」
納得したように頷く静夏。
なんだよ。役作りか……。なんだかそう思うと、勢いよく飛び出していった自分が恥ずかしく思えてくる。うわー。めっちゃ恥ずかしい。
「ちなみに、演劇は来週、十六日だ。もしよかったら見に来てくれ。場所は上西女子高で、入場は無料だよ。この出会いもなにかの縁だろう。どうかな?」
「あ、ありがとうございます……」
男だと疑ってた相手に、演劇の招待をするとか、器大きいな。さすがイケメン。俺や須藤よりも男らしいんじゃないか。
「それじゃ、浮気ってことは……」
ちらっと実山さんを見る。
「ないない。そんなことしませんよ」
きっぱりと否定した。そうか。まあ、良かったのかな。
「それじゃあ、どうしてチョコレートを?」
訊くと、実山さんは「ああ、それね」と快く質問に答えてくれた。
「もうすぐバレンタインじゃない。それで手作りチョコを渡そうと思ってたんだけど、私料理に自信なくてね……。だから明日花と一緒に具材選びから手伝ってもらって、試作品を今日食べてもらったってわけ」
「あー。なるほど」
なんだよ、そのリア充的な理由。爆発してしまえ……。
「それより、あなたたちは須藤君から頼まれて私を尾行していたのよね?」
実山さんの俺たちを見る目が少しだけ変わった気がした。なんというか、面白そうなものを見る目に変わった。
「……ええ、まあ」
「でも、いくら頼まれたからとって言っても、それだけで尾行するというのはなんだか解せないわ。それに、あなたたちはいったいどんな集まりなの?」
隠しておく必要もないので、俺は今回の依頼の内容と、この依頼を受けるに当たっての経緯を簡単に話した。それと、俺たちの所属している部活『萬部』の活動についても一応説明した。
全部聞き終えると、実山さんはぷはっ、とまたも吹き出した。
「なかなか面白い部活ね。そう『萬部』ねぇ。須藤君の通う学校にはそんな部活もあるんだ~」
そんなことを独り言ちりながら、実山さんはこちらを見据えながら続ける。
「萬部さんは、他校の生徒の依頼も引き受けてくださいます?」
「なにか依頼があるんですか?」
「ええ、まあ」
なんだか面倒そうだ。……しかし、無罪だった相手を一週間も尾行したのだから、邪険にもできない。
「……わかりました。それで、依頼というのは?」
こんにちは、水崎綾人です。
今回も楽しんでいただけたでしょうか? 一人でも多くの方が楽しんでいただけたら嬉しいです。
では、また次回。




