第48話「薫編:~Winter Vacation~本当に暇な休日」
「はぁ…気が重い」
神ケ谷駅の新幹線のホームで一人呟く女性がそこにいた。
真っ黒なコートに身を包み、長い黒髪を後ろで一つに括り、整った容姿で周囲の視線を引きつける。
彼女の名前は、前宮薫。神ケ谷市にある『緑ヶ丘高校』の教師である。
彼女は今、地元静岡に帰る途中だ。
普通なら実家に帰れることに少しは嬉しく思うのだろうが、薫は違った。
「うぅぅ…こんなことなら萬部の活動アリにしておくんだった」
コートのポケットに両手を入れ、軽くジャンプする。
こうしていると、少しばかり寒さが和らぐのだ。
今日は12月31日。今年ももうすぐ終わる。年末年始は実家で過ごそうとは思うが、薫はこの時期のある話題に触れると、とても気が重くなるのだ。
一見、優秀なキャリアウーマンに見える薫だが、それは来ているスーツやコートなどの格好と黒くツヤのある髪がそう見せているだけであって、薫自身はそこまで完璧な存在ではないのだ。
「まだか…まだ来ないのか…」
新幹線を待つ薫の目が鋭くなる。寒さのせいだ。
手もかじかんでしまって携帯を操作することも難しい。
そうしていると、遠くから線路を走る音が聞こえて来た。
「やっとか……」
時計は定刻を示していたが、薫にとっては新幹線を待っていた10分弱が物凄く長い時間に感じられた。
この新幹線に乗れば地元静岡まで降りれない。
はじめの一歩に戸惑うが、後ろにいる人ごみに飲まれて決意を固める前に新幹線に乗ってしまった。
「あぁっ!」
新幹線の扉はプーッと音を立てて閉まる。
新幹線は無事に静岡目指して発進した。
仕方なく薫はチケットを取り出し、座席を確認する。
全席指定席のため、間違った席に乗ってしまうと大問題になる。
「7-A,7-A…」
と、座席をつぶやきながら探す。
しばらく歩き、更に、車両も跨ぎ歩くと、やっと自分の席を見つけることができた。
「あった。よこらせっと」
倒れこむように座席に座り込んだ。
「あ、よっこらせって言っちゃった…」
自分の言葉使いの老化現象に落胆し、頭を垂れる。
幸い窓側の席だったため、景色はピカイチだった。
本当にいつ見ても綺麗な景色だと思いながら薫を乗せた新幹線は走っていく。
真冬の雪がチラチラと顔を見せた。
まだ、完全に積もっていない雪が地上に落ちると同時に水として消えていく。
薫は、何か寂しいものを感じながら、静岡に着くまでそっと目を閉じ、眠りについた。
***
「ただいまー」
薫は実家のドアを開け言った。
地元と言っても、薫の実家があるのは田舎ではなく、結構都市部の方だった。
どちらかと言えば、神ケ谷市のほうが少し賑やかかもしれないが、ここも負けてはいない。
薫の目に飛び込んできたのは、懐かしい玄関だった。実に見るのは一年ぶりだろう。去年の正月に帰って以来だ。
「あら、おかえり」
奥からヒョイっと母が顔を出す。
エプロンを着ていた。どうやら何か料理をしていたようだ。
「何作ってたの?」
薫が聞くと、薫もの母はエプロンで手を2、3度拭き、言う。
「炊き込みご飯よ」
薫は少し、ニヤリと微笑んだ。実は、薫は炊き込みご飯が大好きなのだ。
「ささ、早く上がって。寒かったでしょ?コタツに入ったら?」
母が優しい言葉をかけてきてくれる。
ここまでは誰もが懐かしむ地元の光景だ。
だが、問題はもうちょっと先にある。
今はまだ、その時はやってこない。
薫は母の言葉に甘え、コタツに入った。懐かしい温もりだ。
「まっ、電気の温もりなんだけどな…」
そうボソッと呟き、コタツの上に置いてあるみかんに手を伸ばす。
ゆっくりと皮をむき、それを口に放る。
口の中で甘酸っぱいみかんの味が広がる。
「あぁ…旨い」
***
夜になり、父も仕事から返ってきた。
そう、この時から薫のライフは削られ始めるのだ。
「ただいまー」
父の優しい声が玄関先から聞こえてくる。
「おっ、薫帰ってきたのか!」
嬉しそうな声も聞こえて来た。
薫の父は薫のことを溺愛している。そのため、薫が神ケ谷市で教師になると言ったときも最後まで反対し、挙句の果てには神ケ谷市に転勤するとまで言い出した。
最後は母に止められ、泣きながら薫を見送った。
「おかえり!薫」
毎年のことだが、今年も父の顔は涙目になっていた。感動しているのか。
「あ、ただいま」
これからが問題の幕開けだ。
薫の父は薫を溺愛する一歩で、薫に子供が出来ることにも期待しているのだ。
そのため、父と話していると、決まって――
「孫はできたか?」
ニコニコして父が言う。
薫は飲み途中だったお茶を吹き出した。
「ゲッホ。ゲッホッ……」
薫は服の袖でそっと口を拭う。
「いや、いや孫できてないし。そもそも旦那も彼氏も居ない…」
言っていて自分で悲しくなる。
薫にとってこの話題になることが実家に帰りたくない要因の一つだ。
「そうか、それは残念だ」
「うん、私も残念だ。アラサーなのに…」
苦笑いをして答えるが、内心ボロボロだ。
『アラサー』。この言葉の破壊力は絶大だ。自分のライフポイントが一気に削られる。
その後、薫は少しの間家を空けた。
薫には決めてることがあった。それは、昔からの行きつけのラーメン屋に行くことだ。
「うぅ…寒いなあ」
コートを着ても寒さを凌げず、手袋を両手で擦る。
実家を出て十五分程歩いたところにそのラーメン屋はある。
今、薫が歩いているこの道も懐かしいものだ。
幼稚園の頃からずっと通っている。懐かしい。
角を曲がると、いよいよ見えてきた。名前は『ラーメン 元春』。このあたりでも隠れ家的な店のため、相変わらず客は少ない。
実のところ、薫以外の客が入ったところを見たことがない。本当にどうやって商売しているか分からない。
「こんちわー」
のれんを潜り、言う。すると、奥の厨房の方からかすれた声が聞こえて来た。
「いらっしゃい~…」
その声の主はこのラーメン屋の店主だ。喋ったせいか物凄くむせていた。
「おじさん、大丈夫?」
「なぁに、このくらい。半年ぶりのお客さんだから緊張したのかな。ほほほ…ゲッフ、ゲッホ…」
薫は店主の背中をそっとさする。
「それで、薫ちゃんいつ帰ってきたの?」
奥からまたもや声が聞こえてくる。その声の主は、この店の店主の妻だ。
この店の名前『ラーメン 元春』はこの二人の名前を掛け合わせたものだそうだ。店主の名前が元幸、奥さんの名前が春美。足して元春。
薫自身も一昨年聞かされたことだ。
「春美さん、さっき帰ってきました」
薫はカウンターの席に座りながら答える。
元幸がメニューを差し出す。それを薫は手に取り見るが、あることに気が付く。
「あれ?新メニュー出しました?」
「あら、分かる?」
「そりゃ…わかりますよ…」
薫はメニュー表に目をやりながら春美から視線を外す。
なにせ、新メニューが『おかゆ』って…手抜きすぎだろ。
それに、ラーメンと同じくらいの字の大きさで書いてあればそりゃ気づく。
「ほい、お水…」
乾いた声で元幸が水を出す。手は震えていて今にもこぼしそうだ。
「そういえば春美さん。元幸さんって何歳になられたんですか?」
春美は首を傾げ、少し考える。
「確か…98?だったかしら……」
それを聞いて薫は目を見開いた。
「はぁっ!98ですか?」
「確かね。そんな感じだったと思うけど」
春美は、ほほほと笑いながら、薫の前に座る。
「それで、ご注文は?今なら特別メニューでおせち料理あるけど」
「それって、正月の時のやつですよね?出しちゃっていいんですか?」
「もちろん。だって元幸さんが食べたら胃もたれで逝っちゃうから」
「ああ…」
その姿が容易に想像できるから申し訳ない。しかし、薫はおせち料理は注文せず、普通にラーメンの中から選ぶことにした。
「じゃあ…。あ、チャーシューメンで」
「だってよ、元幸さん」
「ラ、ラジャー……ケッホン」
何かを言うたびに咳き込む元幸にラーメンを作らせるのは酷なことでは…?と、いう思いを薫は心に秘め、チャーシューメンが出てくるのを待った。
その間、春美さんと色々話した。
主たる会話は私の愚痴と、結婚とかについてだ。
だが、一番驚いたのが春美さんの年がまだ80歳だということだ。いや、十分ご年配なのだが、それでも元春と比べれば大分若い。
通りで、まともに会話が通じる分けだ。
「それで、上司がうるさいんですよ。親は孫だの結婚だの…はぁ…私の安静の地はここくらいですよ」
「大変だったのね」
頬杖をつきながら、薫の話を聞く。
春美と話し始めて約一時間。未だにチャーシューメンは出てこない。
「あの…チャーシューメ――」
と、言いかけたところでチャーシューメンが出てきた。
が、それは、なんというか…
「あの…このチャーシュー…って」
それは、麺の上にゴロっと大きなチャーシューの塊が乗っかっていたのだ。たしかに麺はあるが、それでもチャーシューのおまけ見たいな感じになっていた。
「これ…切れんかったわ…ケッポン」
ああ、なるほどね。切れなかったのね。
薫はどう食べていいのか分からないチャーシューと格闘していると、春美がナイフとフォークを出してくれた。
「ありがとうございます。でも、ラーメン屋でナイフとフォークを使う日がくるだなんて」
「時代よね」
「違うかな」
春美から借りたナイフとフォークを駆使して、巨大チャーシューに立ち向かう。チャーシューを軽く切っていると麺が顔を見せた。
だが、その麺は薫が知っている麺の太さの三倍くらいはあった。
「元幸さん」
「なん――ゲッホ…。なんじゃ?」
「もしかして、麺にスープを入れてからチャーシュー切ろうとしました?」
薫に嫌な予感が走る。
「そうじゃの」
ああ、やっぱりか…麺が伸びてるよ。それに、スープもう無いし。
それから一時間後、薫は何とか完食することができた。
「あぁぁ……」
「お疲れ」
春美がニコやかな笑顔でこちらを見ている。
「どうもです」
薫は席から立ち上がり、会計を済ませようとする。
「いくらですか?」
春美がポンポンポンとレジを打ち、値段を算出する。
「お会計は1500円です」
「え?」
薫は開いた口が塞がらなかった。
「た、高くないですか?」
「増税、増税」
どこかに悪意を感じるが、仕方なく薫は1500円払った。
外も寒いが、財布も一気に寒くなった。
「私の懐にも氷河期がきた……」
雪に打たれ、薫の精神も摩耗していった。
***
その夜、薫はとてつもなく暇だった。
確かに、暇つぶしをしようと思えばいくらでも出来る。
年末特番をひたすら見てればいいのだ。
父親の孫だの結婚だのの話はすべて華麗に受け流し、明後日には帰ろうと思っている。
「あ…暇だ。本当に暇だ」
薫の手には携帯が持たれている。
これは現代では万能機のはずだ。これを使って暇をつぶす他ない。
かと言ってもどうすれば。そんな考えがグルグルと頭を回る。
そんな時、一人の男子生徒の顔が脳裏をよぎった。奥仲遥斗だ。
彼はここ最近で最も変わった。
彼以上に薫の興味を引く相手は居ない。せっかく、奥仲の電話番号を知っているのだから、彼にかけてみようと薫は決心した。
携帯のアドレス帳から『奥仲遥斗』の名前を探す。
「えっと…奥仲、奥仲」
呟きながら探していると、ようやく見つけることができた。
「あった。よし…と」
発信の画面をそっとタップし、電話をかける。
呼び出し音が8回なったが、彼は出ない。
「なんだ、若者の万能機は携帯ではないのか?」
すると、9回目の呼び出し音でようやく奥仲が電話に出た。
『なんすか?先生』
実に気の乗らなそうな声をしていた。
「奥仲、君は私からの電話に出るのを戸惑ったな?」
『な――ッ、ま、まさか』
電話越しでも分かりやすい。でも、それが楽しくて電話をかけてしまう。
「私と暇つぶしをしてくれ」
『なんで俺なんですか?』
「相手がいないからだ。君もいないだろ?」
『いや、一緒にしないでくださいよ』
「ま、まさか、相手がいるのか?なぜだ。被リア充同盟を組んだではないか!」
『な、なんの話ですか!?そんな悲惨な同盟組んでませんよ!まあ確かに被リア充ではありますけど』
薫は、はっははと笑ってみせ、話を続ける。
「そこでだ。私の暇つぶしとしてしりとりをしよう」
『え?しりとりすか?まあいいですけど』
そこから、薫と奥仲のしりとりは始まった。
***
三時間が経過しても、未だ決着は付いておらず、
『薫先生、そろそろ止めませんか?』
「奥仲。負けるのが怖いのか?」
今の奥仲は弱気になっている、というより飽きてきている。勝機はあると、薫は確信していた。
「墾田永年資材法」
『牛若丸』
「留守番電話サービスに接続します」
『って、先生。それって反則じゃ』
「全然問題ない。ノープロブレム!」
薫のテンションは夜のテンションとなっており、酒を飲んでいないのにボルテージは上がりっぱなしだった。
『ぅ…じゃあ、す、す、す、スニーカーソックス』
「う、またすか。す、す、す、水酸化ナトリウム」
『む、む、む、――』
ポーンと綺麗な音がなった。
それは、つけっぱなしにしていたテレビによるものだった。
時刻は0時。日付は1月1日。
つまり、年が明けたのだ。
『先生…』
「奥仲…」
『年が――』
「開けたな」
何だか、こうしてしりとりをして年を越したことに物凄く悲しくなったため、薫と奥仲はしりとりの幕を閉じた。
「あけまして、おめでとう」
薫は食べかけの干しイカを食べながら小さくそう呟いた。
こんにちは水崎綾人です。
今回は薫先生編です。冬休みは先生も暇なようです。是非、いい出会いがあると良いなと思って書いています。
次話もお楽しみに!




