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花火大会

 彼女の調査をコインズに一任するべきか、自分でも調査をするべきか、悩みながら夏休み前最後の平日を俺は過ごしていた。


 本当は自分の中の気持ちの変化に気付き、それを認めるべきか否かで悩んでいた。


 不器用に人と距離をとりながらテレビ実況のサエズッターする彼女に親近感を覚え、怪奇現象に悩みながらも無理して笑顔を作る彼女を支えたくなっていて、

 つまりは、

 きっと、

 多分だけど、

 ほぼ確定的に俺の気持ちは決まっていた。


 でも認められないでいた。


 不釣合いな自分のスペックが原因なのかもしれないし、怪奇現象なんて全く無知の世界にビビッているのかもしれないし、もっと自分勝手で一人が好きなのに一人の時間が減ることが嫌なだけかもしれないし、初めての感情に向き合うのが怖いだけかもしれないし、もしかしたら全部関係なくて自分の気付かない所で何か気になっているのかもしれない。

 

 理由は分からないけど、素直に認められないでいた。


 正直、今の俺はそのことに悩みすぎていて、自分の気持ちの正体ばかりを考えていて、彼女のことを全然心配できていなくて、そんな最低な自分に気がつき、それでもそれゆえに自分のことばかりを考えてしまっていた。


 男らしくないな。


 委員長じゃないけれど、俺は俺に対して思った。

 男らしいの定義なんて良く分からないし、そんなの十人十色で人の数だけあるんだろうけど、委員長の男らしいの男像は俺には全く共感できないわけで、それでも言える。


 今の俺、男らしくない。


 問題は色々ある。

 まだ認めきれてない。


 だけど、俺が今するべきことはこうして一人でグダグダ悩むことじゃないのは、分かりきっている。


 彼女に話しかけるのか、太陽君や月子さんのクラスへ行くのか、それとも他の誰かに調査するか、俺は自分の行動も決めずに席から立ち上がろうとした。


「ちょっと~。何ボーっとしてるの? 早く机下げてよね」


 掃除当番の鈴木さんに怒られた。

 ちょっと~、ニュアンスは違うけど今立ち上がろうとしたんだから~。

 あ~、やろうとしてた所にやれって言われたら、急にやる気なくした~。

 と心の中で脇役ごっこ。


 本当男らしくないな。

 この期に及んで逃げ出す口実を作りたがっている。


「ねぇ! 聞いてるの? あんたが机下げないと私達も掃除できないし、あんたの前の席の人も帰れないんだよ!」


「ゴメン。考えごとしてた」


 俺は鈴木さんに謝り、前の席の佐藤君にも謝り、なんか便乗で怒ってくる鈴木さんの彼氏の加藤君にも謝り、机を教室の後ろまで下げた。


 俺が考えことをしている間に、帰りのホームルームも終わってしまったらしく、教室の人口密度は授業時の半分程にまで下がっていた。


 彼女は?


 机を下げながらそう思った俺は、教室の後ろで友達とお喋りしている彼女を見つけた。

 彼女の友達が掃除当番なので、待つみたいだ。


 まだ彼女に話しかけるかも決めていないけれど、ホッとしながら机に視線を戻す。


 戻す時、気のせいかもしれないけれど、凄く俺を睨んでいる委員長を見た。

 睨まれるようなことをした覚えはないので、気のせいのはずなのだけど、念のため確かめてみる。


 確実に睨まれていいる。


 教室の後ろ廊下側に設置されている、掃除用具箱の前で、自由箒を逆さまに持ち仁王立ちしながら、俺を睨んでいる。


 俺は視線を机に戻す。

 何かしたかな?

 何をした?

 何で怒ってるの?


 睨む委員長は、とっても怖くて、俺は急ぎ記憶をたどり、原因を探すのだけど、全く思い至らない。


「止まるなよ~」


 佐藤君が言った。

 俺は考え込むあまり立ち止ってしまったので、佐藤君もまた机を持ち上げた体勢のまま立ち止らずを得なかったのだ。


 そこでやっと俺は気がついた。


 そうか。委員長は掃除当番で俺は掃除の邪魔をしているから、怒っているのか。

 怒られることは変わりないだろうけど、理由が分かっただけでも結構安堵する。


 俺はもう一度委員長を見ようとすると、佐藤君に怒られた。

 かわいそうな佐藤君は、中々帰れなかった。

 俺はまた謝り、机を下げることに集中した。

 机を下げ終わった後、もう一度佐藤君に謝る。

 佐藤君は、


「良いよ。昔と違って夕方の再放送はめっきり減ってしまったからね。それに今のオタクは時間に縛られないんだ。テレビ放送だけじゃなく、インターネットでも放送してくれるからね。一週間以内なら、いつでも自分の都合の良い時間に見れるんだよ」


 まるで昔のオタクを知っているような口ぶりで、良く分からないことを言った。

 でも温厚な人だった。


 さて、温厚じゃない委員長はどうするのかな?


 俺は今度こそ、委員長の方を見た。

 湯気が見えそうなぐらい顔を赤くし、恐ろしい目つきのまま、掃除の邪魔をしながらじゃれるクラスメイトはもちろん、真面目に掃除している人も掻き分け、ずかずかと俺に近づいてくる最中だった。


 やっぱり理由が分かっても委員長に怒られるのは怖いものだと、俺は思った。


 そんなに怒らなくてもいいじゃないかと、俺は思った。


 いっそ気付かないフリして逃げちゃおうかなと、俺は思った。


 色々思っているうちに、委員長は俺の目の前にいた。


 短くて荒い鼻息を鳴らし、ジッと俺を睨む。

 無言で睨み続ける。


「ゴメン……」


 俺は怒られる前に謝ってしまった。

 無言の重圧は俺の男気を容赦なく押しつぶした。


「な、なんで謝るのよ!」


 謝ったことに対して、怒られた。


「委員長が怒ってるから?」


「怒ってないわよ! 馬鹿!!」


 怒ってない人に、怒られた。


 やっぱり怒ってるじゃん、と言ってしまいたかったが、言ったらもっと怒られるだろうから黙ることにした。

 委員長は尚も鼻息を荒くしながら睨み続ける。

 掃除の邪魔をしたことを怒ってるんじゃないのかな?

 他に何かしたかな?

 俺は自分に疑問をいくつか投げかけるも、答えは見えてこない。

 この重圧に耐え切れなくなった俺は、結局黙っていられなかった。

 話題に困った時の話題は、俺が生まれるよりずっと前から決まっている。

 天気の話だ。


「良い天気だね」


「そうね!」


 怒りながら、委員長は同意した。


「あ、明日も良い天気になるわよね!?」


 怒られながら同意を求められた。


「さぁ。晴れると良いね?」


「晴れるわよ! 晴れなきゃ困るの!」


「それじゃあ、テルテル坊主を作ってみようかな。晴れるようにお願いするよ」


 テルテル坊主の作り方を思い出しながら、俺は答えた。

 委員長はより眼光を鋭くし俺を睨みつけてくるので、俺は委員長ってテルテル坊主を嫌いなのかなと不安になる。


「明日の天気ぐらいは自分で切り開かなくちゃ、男らしくないかな?」   

「何言ってるのよ! 天気を操ろうなんて、あんたにとって男ってどういう生き物なのよ!?」


 また怒られた。

 何故に怒ってないと主張する委員長に、こんなにも怒られてるかを考えながら、同時に急ぎ俺流男論をまとめていると、


「あ、明日の予定はあるの?」


 気がつけば俺じゃなくて窓を睨みつけながら、委員長は聞いてきた。

 俺は俺流男論を発表する機会を失ったみたいだった。

 別に、それは有難いから良いのだけど。


「明日は終業式だよ」


「知ってるわよ! 私も終業式に出るんだから! その後の予定を聞いてるの!」


「未定かな。多分」


 今日の予定も決められてないのに、明日の予定まで考えてなかった。


「じゃあさ!!」


 委員長は俺を怒鳴りつけ、


「私も暇なの!!」


 高らかに、クラスメイトの視線が集まるような大きな声で宣言した。

 委員長が暇なのは、俺のせいじゃないのに……。

 怒鳴るなんて酷いよ! 

 と思いつつも、俺の知らないところで俺が原因で、委員長が暇になったのかもしれない。

 そうじゃないと、この状況は説明できない。


「う~ん。暇を楽しむのも、結構良いものだよ。でも、僕にできることがあるなら協力するよ?」


 様子がおかしいのは、きっと、委員長は注意するのは得意でも代償を求めるのが苦手なのだと、俺は理解し、自ら提案した。

 今回のことだけじゃなく、尾行に付き合ってもらったお礼もあるし、ってあれは付き合ってもらったというか勝手についてきたのだけど。


「私は花火を見たいな」


 俺の問いに答えたその声は、目の前の委員長からではなく、俺の後ろから聞こえてきた。

 彼女だった。


「ビックリした。いつからいたの?」


 俺は振り返りながら聞いた。


「委員長さんが『私は暇だ~!』って叫んだ直後、かな」


 彼女は委員長を指差すので、俺は委員長を見た。

 委員長は睨む対象を、窓から彼女に変えていた。


「花火は、私も見たいわ」


 さっきまでの怒気はなく、冷めた言い方だった。

 これはこれで、恐怖を感じた。


「そっか~。花火か~。二人とも良いなぁ。僕は一緒に行く人がいないや」


「私は君を誘ったつもりだよ」


 彼女は俺の肩に手を乗せ言った。

 俺は振り返ることもできずにうつむいた。


 彼女はサエズッターで一緒に花火を行く人がいないのだとさえずっていたことを、思い出した。

 それに彼女と話をしなくてはいけないのだから、これはまたとないチャンスのはずだ。


「ゴ、ゴメン。僕は委員長に聞いたつもりだったんだ」


 だけど、委員長にお礼とお詫び? をしなくちゃいけないと思う。

 愛と友情を天秤にかけるのは、本質的にできないのだ。

 似ている場所にあるようで全然違う場所にある感情で、比べようがないのだ。

 お父さんとお母さんどっちが好き? なんて子供心を本気で困らせる親戚の質問並に、答えのない問題なのだ。

 だから、答えが出せないのだから、先約を優先しよう。

 それが、俺ルールだ。

 だって、選べないんだもん。


 委員長の答えは、


「私もあなたを誘ったつもりよ」


 そうだったかなとちょっと昔を思い出すけど、委員長は絶対に俺を誘ってなんかいなかった。

 でも委員長の謝罪要求? も花火大会だったみたいだ。


「じゃあ、私は諦めるしかないかな」

 彼女は委員長の横まで歩き、

「楽しんできてね!」

 くるりと振り返って俺を見つめながら微笑んだ。

 その瞳は潤んでいた。


 委員長は彼女に向かって何か言いたそうに『あ』の形の口を作ったかと思えば、表情を曇らせる。


 そして俺を見てくる。


 何を言いたかったかは分からないけれど、この気まずい雰囲気をあなたが壊してよっていうアイコンタクトなのは分かった。

 俗に言う、無茶振りだ。


 彼女は花火大会に行く人がいなくて困っていた。

 委員長もここ一週間で仲良くなった俺なんかを誘うぐらいだから、何らかの事情で委員長の友達も花火大会に行けないのだろう。


 なるほど。簡単だ。


「二人で行けば良いよ! 女の子同士、きっと楽しいよ」


 委員長は両手で机を叩いた。


「どうして、あなたは、そうなのよ!!」


 委員長は怒気を取り戻した。

 俺はドキドキしっぱなしだ。


 もう何が何だか分からなくて、とりあえず、というか無意識に視線は泳ぎまくって、あぁ、凄くクラス中の視線を集めてるなとか、彼女はポカンと驚いた表情してるなとか、考えながら、俺は分かったね。

 委員長は、彼女が俺に好きだと告白したことを知っている。

 それで、男らしくない、と怒ったのだ。

 だから、俺が言うべきは、こうだったのだ。


「ゴメン。間違った。三人で花火を見よう」


 まだ間違っていたみたいだ。

 委員長はわざとらしく大きなため息をして、哀れむような同情するような、つまりは明らかに俺を見下してる半目で、


「どうして、あなたは、そうなのかしらね」


 だけど、その声は落ち着いていて怒気を取り除くことには成功した。

 俺のドキドキも誰かにあげたい。


「三人で見るのも良いよね!」


 彼女は明るい声で言った。

 だけど、俺が見た彼女は、絶対に不機嫌だった。

 告白してくれた時の可愛らしい膨れっ面じゃなくて、どこにも緩んだ表情筋がない、むしろ緊張している表情筋ばかりの、むくれ顔だった。


 でも俺は少し場違いにも嬉しかった。

 いつも笑顔を振りまく彼女はどこか無理しているようだったのに、今の彼女の表情は無意識に出た自然な表情としか思えなかった。


 怒らせても仕方がないのだけど……。

 いつか彼女が自然に笑えるようにしなくてはいけないんだ。


「待ち合わせ場所と時間はどうしようか?」


 二人の不満の視線を無視して、俺は無理してでも笑顔を作って、聞いた。

 今の俺に何ができるのか見当もつかないけれど、楽しく花火を見ることぐらいはできるはずだ。

 彼女の怪奇現象とは全くの無関係な思い出作りがどんな意味を持つのか考えれば、これっぽちも意味を持たないのだろうけど、それでも彼女に喜んでもらうのは決して無意味じゃない。

 多分。


「二人とも意見はないの? じゃあ、僕が決めちゃうよ」


 と言っても二人の反応は乏しい。

 何がそんなに不満なのかと考えてみれば、そういえば委員長は校則違反する人を好きじゃない節があったし、誰とでも仲良くやっている彼女に対して少し冷めた意見をした雄一の人物だった。

 俺が知らないだけで、二人は仲が良くなかったのかなと、手遅れながら思い至った。


 いやいや、立ち止っちゃ駄目だ。それでも楽しい感じで!


「えっと、確か会場は愛上川だよね。

 じゃあ、学校で待ち合わせにしよう!

  時間は、えっと何時開始か知らないや……。

 でも、花火大会のことを良く知らないけど、十八時に待ち合わせれば大丈夫そうだよね。

 余った時間はお喋りでもして潰そう!」


 俺は重たい空気の中、頑張って待ち合わせ場所と時間を決めた。


「私の家からだと、愛上川と学校は正反対だよ」


 彼女はクスリと笑って指摘した。

 ちなみに俺の家から彼女の家を目指す途中に、愛上川はあるので、俺としても学校を待ち合わせ場所にするのは無駄手間だった。


 じゃあ、どこが良いかな~っと俺は呑気に考えていて、委員長の異変に気がつけなかった。


 委員長はまた机を叩くので、怒ったのかなと恐る恐る顔を見れば、思った以上に委員長の顔が近かった。

 振り向くと同時に、胸倉を掴まれ、委員長に引き寄せられたからだ。

 

「あなたは花火大会を舐めているのかしら? 一時間前に学校に待ち合わせていたんじゃ、良い場所を取れないわ! 良い? 愛上川花火大会はシンプルな名前で規模も特別大きいものではないから目立たないのは確かね。訳合って有名になれない宿命だし、小さい頃から慣れ親しんじゃってる地元民がその偉大さを知らないのも無理もないのかもしれないけど、花火マニアの間じゃ北海道や沖縄の人間ですら知っている気がするぐらい有名なのよ。あの偉大な花火師、八代目火吾郎が手がけるから! もう想定外に人が集まりすぎちゃって、困った主催者が五年前からはマスコミやネット上への情報を意図して隠すぐらいに、凄いのよ。十八時ですって? そんな時間にノコノコ現れたんじゃ、立ち見決定ね。ううん。建物で花火が隠れちゃわないなんて最低条件も満たせない所で見るしかないわね」


「そ、そうなんだ」


「そうよ。余裕ある会社なんかは、新入社員を使って場所取りさせるのよ。主婦とかも時間に融通が利くし、これのために有給使っちゃう人もいるし、学生はただでさえ不利なワケ! まぁ、場所取りの許可が出るのは当日十四時からだから、今年の私達は幸運よね。終業式が重なってくれたおかげで、時間的条件で大人たちにも負けないわ。対等に勝負できるのよ。それを十八時? はっ! いいえ。別に良いのよ。こだわってるのは私だから、私が場所をとってしかるべきだとは思う。でも、十八時はあり得ないでしょ? 人ごみの壁が邪魔して、せっかく私が確保するだろうベストポジションまで辿り着けもしないわ!!」


 委員長はやっぱり大きな声だったけど、とてもとても上機嫌だった。

 嬉しそうに語っていた内容は、俺の頭に全然入ってこなかったけれど、委員長が楽しそうだってことは分かった。


「花火、好きなんだね」


「えぇ!」


 とりあえず、文句ばかりだったけど機嫌を良くしたみたいなのは良いことだ。


「それじゃ、委員長は集合場所はどこで、時間はいつぐらいが良いと思う?」


「現地集合で良いんじゃないかしら。

 時間は……、そうね。開始二時間前の十七時なら自由に動けるはずよ。

 あなたたちはその時間に来てちょうだい。

 ビックリするぐらいの場所を見つけて待ってるから!」


「うん。分かったよ」

 と俺は頷いてしまうのだけど、


「ゴメンなさい……」

 と彼女は何故か謝った。


「別に良いわよ。私は私のやりかたがあるわ。

 あなたにはあなたのやりかたがあるようにね。

 私は悔いの残らないように、全力でやるだけ」


「そっか。委員長さんは凄いね」


「ふんっ! 褒めても意味ないでしょ!」


 俺は二人のやり取りを見ながら、やっと彼女が謝った理由が分かった。

 委員長が言い出したとはいえ、一人に場所取りを押し付けるなんて良くない。


「あ、やっぱり僕も早く行くよ」


「いらない。

 気持ちは嬉しいけど、真剣勝負なの。

 素人は邪魔だわ。

 ……、場所を確保したら連絡するから、それより早く来ないでね」


「そっか。分かったよ」


 こうして俺たちは解散し、いつもより三十分程遅れてやっと掃除が始まった。

 俺にも彼女にも委員長にも、興味心に理性を蝕まれたクラスメイト達が群がって来たが、


「ほっといてやれよ! 下らねぇ詮索するんじゃねぇ!」


 というヤンキー田中君の一喝でクラスメイト達は理性を取り戻した。

 それは一時のことで早ければ明日にも、きっと夏休み明けには学校中に噂が広がるのだろうけど、有難かった。


 俺は田中君に近づきお礼を言ったけれど、田中君は涙をこらえるように顔を歪ませ、

「お前のためじゃねぇよ」と言って俺から離れていった。

 何か用があるらしく、教室からは出なかった。


 彼女とは明日花火を見に行くし、注目されたのだから他の誰かに調査するには危険な状態かなと思い、太陽君に会いに行くことにした。

 だけどアニメ同好会の部室には、ヤンキー達と月子さんしかいなかった。

 

「まだ調査中」とのことで、「太陽君は留守。亭主元気でも、留守は嫌」とのことだった。


 それなら彼女と話そうと教室に戻ったけれど、もう教室には誰もいなかった。


 この日、結局俺は何をするでもなく一日を終えた。

 一番の重要案件、彼女の怪奇現象に対して俺は全くの無力だった。

 それでも、彼女と花火大会に行くのは大きな前進だったし、もっと大きな前進があった。


 俺は確かに認めてしまっていた。


 意識しない思考の中、友情と愛情を比べると言う形で、彼女への感情を愛だと認めたことには気がついていた。


 多分でも、きっとでも、らしいでも、ない。


 俺は彼女が好きなんだ。




 

 翌日、七月二十一日。

 終業式は特に変わった様子のない終業式だった。

 校長先生や教頭先生の『夏休みだからって浮かれないようにね』って話は中学生時代のそれと大きな違いはなかったし、もはや浮かれ気分のソワソワした生徒達も見慣れたものだった。

 ホームルーム前の大掃除も特に変わった様子もなかったし、その後のホームルームも特に変わった様子のないホームルームだった。

 新しい環境で気付かぬうちに真たる力に目覚めちゃていたから驚くような良すぎる通知表が戻ってくるなんてこともなかったし、節目を機に誰かが転校するなんて悲しいお知らせもなかった。


 田中君の一喝効果はまだ続いているらしく、昨日掃除を三十分も中断させるようなプチ騒ぎを起こした俺も、特に質問攻めにあうことも無く、いつものように一人静かにイベントを消化していった。


 けれど、内心は静かじゃなかった。


 相変わらず様子を伺えば必ず目を合わせてくる彼女は、やっぱり笑っていて、だけど今の俺にはその笑顔は無理しているようにしか見えなくなっていて、なのに何もできずに何をすれば良いかも分からない。


 自分の無力が辛かった。


 今も彼女は表で笑って裏で泣いている。


 俺はどうするべきだ?


 分からない。


 そうやって何度も何度も自問自答しても、分からない。


 一つの答えを提示してくれたのは、彼女だった。


 一ヵ月ちょっとという短い別れを惜しんでか、ホームルーム後も帰宅しない生徒が多く賑わう教室で、グダグダウジウジ悩んでいる俺に、彼女が話しかけてきた。


「ねぇ、どうしたの? 帰らないの?」


「あ、うん。ちょっとね」


「ふ~ん。悩みごとでしょ?」


「違うよ」


 とっさに嘘をついてしまった。

 悩みに悩んで悩みすぎて、結局同じ質問を何度も自分にしているだけなのだけど、確かに俺は悩んでいた。

 でも彼女を心配させるわけにはいかない、と思った。


「嘘つき~」


 彼女は俺の鼻を指差し、からかうように笑った。

 彼女の指と俺の鼻は一瞬少しだけ触れた。


「嘘じゃないよ」


 ちょっとしたスキンシップともいえないスキンシップで、赤くなってしまった顔を窓へ向けながら答えた。


「あのね、気付いてないみたいだから教えてあげる」


 彼女の教えてあげるって言葉で、俺はやっと気がついた。 

 どうすれば良いのか分からないのは、どうなっているのか分からないからだ。

 今の俺は無力であると同時に、無知だった。

 まずは知れば良い。

 遠回りせずに、彼女に聞けば良い。

 辛い辛いとうずくまって何もしないなんて、男らしくなかった。


 好きだと認めたことで、俺の心で歯止めを失ったかのごとく際限なく彼女の存在がどんどん大きくなっていって、彼女の存在だけが俺の心に存在しているかのように満たされていって、彼女、彼女、彼女、と考え込むのは良い。

 あんまり良くない気がするから、もう少しコントロールできるようにしなくちゃいけないとも思うけど、できるはずもないとも思う。

 不可能だ。

 が、それだけならまだ良かった。

 でも、今の俺は駄目だろ。

 駄目すぎだ。

 それが原因で動きが鈍ってどうする。

 彼女を好きなんだと認めたのだから、昨日よりもっと積極的にならなくちゃいけなかったんだ。


 気がつくと同時に、強く痛んだ。

 俺の耳が人生初の痛みに襲われた。

 テレビで見たことあったけど、自分が耳を引っ張られることになるなんて思っても無かった。

 そして、こんなに痛いなんて知らなかった。


「人と話してる時は、集中してよ。聞いてなかったでしょ?」


 耳を引っ張られたことで視界から外した彼女を見てしまったのだけど、ほっぺに空気をためてふくれっ面をしていた。

 作ったような演技みたいなその表情は、正直可愛かった。


「聞いてなかった、かも」


「かもじゃないよ。絶対に聞いてなかった!」


「うん。ゴメン」


「まったくも~。仕方無いな~」


 彼女はそう言って演技調にため息をし、続けて演技調に咳払い。


「あのね、気付いてないみたいだから教えてあげる」


 俺が思考の世界に旅立つ前に聞いた彼女の台詞と一緒だった。

 やり直すみたいだ。


「えっと、何だろう?」


「ん~っとね」と彼女は焦らすように悪戯な微笑を浮かべる。

 焦らすようにというか、確実に焦らされているのだ。

 何故なら俺は「教えてよ~!」と三回も言う羽目になったからだ。

 四回目の「教えてよ」で、やっと彼女は微笑を崩し、噴出した。

 また演技調に咳払をいして、また俺の鼻の辺りを指差してくる。


「君、かなり顔に出るタイプだよ」


「そうなの?」

 まさか~。


「そうだよ! だから、私に嘘ついても無駄なんだよ! 悩んでることもお見通しだよ」


 彼女は自慢げに腰に手を当て胸をそらした。

 その大げさなアクションはやっぱり嘘っぽくて演技みたいだった。

 俺は、今の俺じゃ、彼女に無理させているのかなと思った。

 顔に出るって話は、全く信じていなかった。


「ちなみに、今、君は……」


 彼女は右手を口に当て、目を細め、俺を見つめる。

 俺の表情を血管の一本から筋繊維の一本まで、全てを解析するようにジッと俺を見つめてくる。

 まるで心を読まれているみたいでドキドキして、彼女に近距離で見つめられることにドギマギして、俺は彼女の目を見れなくなり視線を落とした。

 見るつもりはなかったけれど、結構、彼女の胸は大きかった。


「私の話を全然信用してないでしょ!

 そして、なんで今なの?

 ちょっとエッチなことを考えたでしょ?」


「そうだったかも」

 当たっていた。


 信用してないだけならまだしも、彼女の胸についてちょっぴりいやらしい心の声まで、当てられた。


「ね。君は顔で全てを物語ってしまうのだよ!」 


「知らなかった……」


 スルーマンとして俺は人に注目されずに動けていた。

 そしてそれを感情や考えが表に出難いタイプなのだと思ってしまっていた。

 ポーカーフェイスには自信があった。

 しかし俺の勘違いだった。


 ということは、今までのドジをこっそり隠そうとしたのも、誰も俺なんか見てないだろうと堂々とパンチラを見つめてしまったのも、みんなにはバレているのか。

 少なくとも彼女にはバレているのだ。


 ショックだった。

 特にムッツリが彼女にバレてしまうのは、本当にショックだった。


「あの……、エッチな僕でゴメンなさい」


 俺は誠心誠意謝った。

 だけど、彼女は怒らなかった。

 何故か、一粒の涙が俺の机に落ちるぐらいに、大笑いされた。


「君は私が想像していたより、もっと変な人だよ」


「僕は変じゃないよ」


「変だよ~」


「そうなのかな?」


「うん!」


「それも、知らなかった……」


 最近、同じ事を誰かに言われたな。

 あ、月子さんにだ。

 別に俺が変人なのは良いのだけど、変態がばれるのは嫌だった。

 そして、変態なことを考えてはいけないと思い始めると、急に変なことを考えてしまう。

 止めなきゃ、と思えば思う程、考えてしまった。


 俺は考えを止めるのを諦め、両手で顔を隠した。

 これなら、心を読まれない。

 だけど、また彼女は大きく笑った。


「大丈夫だよ。嘘をついていることが分かっても、本当のことが分かるわけじゃないから。

 悩んでることが分かっても、内容が分かるわけでもないしね」


「そうなんだ」


 安心した。

 人に見せるには、少々、やっぱり多々、俺の心は汚れすぎている。


 恐る恐る、顔を隠していた両手を避けると、彼女は佐藤君の椅子に座って、俺の机に頬杖を付いていた。

 彼女が座ったことで、ちょっと彼女の顔が近くなった。

 そのちょっとの距離は、俺にとっては全然ちょっとじゃなかった。

 俺の顔から手が完全に外れると彼女は、


「なんとなく、予想はつくけどね。私のことでしょ? 悩みごと」


 そう小声で言った。

 そうだった。

 俺は彼女がどんな怪奇現象で悩んでいるのか聞かなくちゃいけない。

 そう思った。

 

 だけど、彼女は更に顔を近づけ、一瞬ほっぺにキスされるんじゃないかってぐらいに顔を近づけてくる。

 

 でも何故にこのタイミングでキスされるのさ!


 と自分にツッコミを入れているうちに彼女の顔は俺の頬を通り過ぎ、耳のちょっと手前まで近づいていた。


「教室だと話し難いね」


 彼女の目的は、当たり前だけどキスじゃなかった。

 耳打ちだった。


 彼女の言葉で気がついたけど、クラスメイトの視線はさり気なく様子を伺う遠慮がちなチラ見だったけど、クラスメイトのほぼ全員がかなり集中して聞き耳を立てているのが分かった。


 教室はやたらと静かだ。


「悩んでくれるのは嬉しいよ。それだけ真剣に考えてくれてるんだもんね」


 彼女は耳打ちを続けた。

 彼女の口が揺らす空気は、暖かくて、くすぐったかった。


「でも、まずは花火大会を楽しみたいな。

 最初で最後のデートかもしれないから……」


 彼女は立ち上がり、両肩の前で両手を小刻みにバイバイと振った。

 やっぱりそのしぐさは演技調だった。


 本当は手を振り返したかったけどなんだか照れくさくなって、軽く手を上げることしかできなかった。

 左右には振れてない。

 そんなことはどうだって良い。

 俺は結局聞けなかった。

 クラスメイトの注目を浴びているから聞けなかったのもあるが、違う。


 最初で最後。


 彼女のその言葉が胸に突き刺さった。

 俺がグダグダと彼女の気持ちが本物かどうかなんて悩んでいる間に、彼女の状態は深刻なレベルで悪くなっているのかもしれない。

 いや、もしかしたら、怪奇現象に蝕まれ時間があまり残されてないことを知り、俺に気持ちを伝えてくれたのかもしれない。

 俺が遅かったから、花火大会が最初で最後になるのかもしれない。

 全ては仮定で、落ち込むにはまだ早いのに、ネガティブにネガティブに予想してしまう。

 彼女は無理して笑っていたというのに、俺はウソの笑顔すら作れなかった。


 中々席から立ち上がることもできずに、用もないのにぼんやりと窓を眺めていた。

 気がつけば教室に残るのは、俺を除けば三人グループが一つあるだけだった。


 もっともっと積極的に動かなくちゃ、そう決めたばかりなのに、俺が彼女と別れてからやったことは、携帯電話で彼女のサエズッターを見たぐらいだ。


 ちなみに、今日はまだ更新されていなかった。


 ここで落ち込んでいても仕方がない。

 分かっていても動けない。

 最初で最後という言葉は、手強かった。

 それでも時間は残酷に優しくて、もうちょっと、もうちょっとで動けそうだ。


 そう思った時だった。


 携帯電話が鳴った。


「もしもし。太陽君?」


「そうだけど、携帯電話にかけて聞かれたの初めてだ。ディスプレイに俺の名前表示されてないの?」


「目に見えるものが、正しいとは限らないじゃないか。月子さんが太陽君の電話を使う時もあるかもしれないでしょ?」


「まぁな。いや、別にそれはどうでも良いんだ」


「うん。どうしたの?」


 どうしたの? と言ったが、大体用件は分かっている。

 早く言ってよ! が本心としては近い。

 どこまでも、他力本願だな。俺は。


「お前こそどうしたんだよ? ずっと電話してたんだぞ」


 だけど、太陽君はわき道にそれた。


「ずっと?」


「おぉ。昨日の夜から、ずっと。今日も何度も電話した」


「夜は駄目だよ。寝る時は電源切るもの」


「切らねぇよ。……何で?」


「だって、電話が鳴ったら起きちゃうでしょ?」


「いや、マナーモードにすれば良いじゃん。ってか、最初にかけた時は寝るような時間じゃなかったぞ」


「僕、使う時しか電源入れないよ」


「だから、何でだよ!」


「だって、普段鳴らないし。節電?」


「はぁ……。もう良いよ。俺は分かっているからな。

 お前らに説得なんてどれ程意味のない行為かは知っている。

 俺達と同じ世界に住んでいるようで、全く別次元に住んでるんだよな。

 お前らは」


「そんなことないよ」

 

「あるよ。

 でもまぁ、電源くらい入れようぜ。

 繋がらない電話に何度も電話するのは、結構寂しいもんなんだぜ」


 意味がないから諦めると言った太陽君は、結局説得を続けるみたいだ。

 俺は太陽君に諦めちゃいけない大切さを教えるためではないけれど、携帯電話の電源をできる限り入れておこうと思った。

 自分の大切な人の一大事かもしれない時期ぐらいは、常に入れとくべきだったと反省した。


「分かったよ。できるだけ電話の電源を切らない。

 でも、太陽君。

 一つだけ質問があるんだ」


「なんだよ?」


「マナーモードってどうやるの?」


「今度教える。機種によって違うから、電話じゃ説明し難い」


 そう言って、太陽君は呆れるように呟いた。


「マナーモードって何? って聞かれなかっただけ良かったよ」


 俺は馬鹿にされているみたいだった。


「それより、どうしたの? 彼女のことで何か分かったの?」


「おぉ。調査は終わったよ」


「本当に?」


 弾む俺の声とは対照的に、太陽君の声は静かだった。


「報告の前に、聞いときたいんだけどよ、思えば聞いてなかったよな。

 お前は彼女のことどう思ってるの?」


 気付いたのは、昨日。

 きっと、太陽君に依頼した時に聞かれたならば、答えは違っていただろう。

 でも、今は自信持って言える。


「好きだよ」


「そうか」


 太陽君はそう言ってうなりだした。

 う~ん、う~ん、言ってないで早く結果を教えて欲しいと思った。


「じゃあ、何で調べてたの? 彼女の告白の真偽なら、まぁ、分かるよ。

 でも、彼女が困っているかどうかなんて、関係ないよね。

 彼女が心霊がらみのトラブルに巻き込まれていたら、諦めるの?

 それ以外にも、自分の手に負えなさそうな問題を抱えてたら大人しく諦めるよな?」


「諦めないよ」


「本当か?」


「うん」


「正直に言えよ」


「本当だよ」


「でも、実は違うんだろ?」


 太陽君は相変わらずしつこかった。

 でも、太陽君が聞きたいことは何となく分かっている。

 この状況で『諦めないよ』の一言しか言わないのは、俺が想像する限り、先のことを何も考えない馬鹿か、自分で解決できる霊能力者ぐらいだ。

 太陽君は、俺の不安や迷いを、本音を聞きたいのだ。


「諦めはしないよ。

 この気持ちに気がついたのは、ほんの少し前だけど。

 絶対に変わらないよ。

 でも、僕にはどうして良いのか分からないんだ。

 何ができるかも分からない。

 彼女が人を食べたいって言ったらどうしよう。

 彼女が異世界に帰るって言ったらどうしよう。

 彼女がもう少しで呪いの影が私の心臓を握りつぶすのって言っても、僕はどうしていいのか分からない。

 何もできないんだ。

 僕は……、何もできない」


 最近泣きすぎたせいで、泣き癖がついたのか、俺は男子高校一年生としてかなり珍しいことに、クラスメイト三人に指差されヒソヒソ噂話される中、泣きじゃくった。

 嗚咽交じりに、涙を拭うこともできずに、鼻水もだだ漏れで、泣きじゃくった。


 太陽君は俺が落ち着き、喋れるようになるまで、黙って待っていてくれた。


「それでも、僕は彼女が好きだ」


「一気に喋るなよ。何から話して良いか分からねぇ~から!」


 言葉は優しくなかったけれど、不思議なことに、電話越しに夕日色に照れているツンデレお日様君が容易に想像できた。


「まぁ、あれだよ。何もできないのは、何もしないことの理由にはならないからな。

 とりあえず、分からないままで良いから動け。

 自分で分からないなら、誰かに聞けよ。

 俺でも良い。

 一応、そっち系の事情には強いつもりだぜ。コインズはな」


「うん。僕はどうしたら良い?」


「聞くの早ぇよ! 急に言われても、何も言えねぇし! もう少し考えてみろ!

 いや……、やっぱ考えなくて良い。

 彼女な、特に問題ないから。

 いや、問題はあるんだけど、お前が考えているような、深刻な心霊現象では悩んでないぞ」


「そうなの!」


「おぉ。あとな、お前はきっと何もできなくねぇよ。

 俺はお前のこと好きだし。

 何かできてるから俺はお前が好きなの。

 ほら、あれだ。

 実は人って利己的な生き物だからな。

 逆に、あれだ。何もできない人間を探す方が難しいもんだぞ」


 こんな感じでしばらく太陽君は俺を慰めてくれた。

 あれあれウルサイなと、俺が思っていることなんて知らずに出会って間もない俺の長所を探してくれた。

 太陽君が褒めちぎっている俺なんかより、太陽君はずっと良い人だと思った。

 でも、大事なことを言わない人だ。


「太陽君、ありがとう。もう大丈夫だよ。

 それで、彼女はどうなったの?」


 俺は話をぶった切って聞いた。

 俺は悪い人だった。


「ん? 言ったじゃん。大丈夫。彼女は深刻な心霊現象で悩んでない」


「それじゃ、良く分からないよ」


「お前が必要なのは、その情報だけで充分じゃないのか?」


「そうかもしれないけど、心配だよ」


「駄目だ。詳しくは言えない。

 考えてみろよ。

 逆の立場でさ、彼女がお前の浮気症チェックの調査を俺らに頼んだとするだろ?

 俺らは美人を使ってお前を誘惑するの。

 で、結果的にお前は流されなかった。

 でも、超デレデレしてた。

 結果だけ報告されるのと、過程も詳しく報告されるのと、どっちが良い?」


「結果だけかもしれない」


「じゃあ、結果だけの報告で」


「やっぱり過程も話して良いかもしれない」


「それを俺らに言ったら、きっと後悔することになるぞ。

 どっちにしろ今回は結果しか報告しないからな」


「やっぱり、結果だけです」


「おぉ」


「デレデレしない自信がないので、できれば調査しない方向でお願いしたいです」


「俺に言われても困るよ。

 頼まれれば、楽しそうなことは何でもやる。

 それがコインズだ」


「ろくでもないグループだ」


「まあな」


 やれやれ、否定しないのかよ。

 俺はろくでもないと自覚しながら開き直る人間と、ろくでもないと気付いてもない人間と、どっちがよりろくでもないかを考えるため、答えの出ないだろう思考の渦に旅立とうとしていた。

 呼び止めたのは、太陽君だった。


「あ、そうだ。あとさ、お前さっき言ってたじゃん。

 ずっと、彼女を好きだって。

 気持ちは変わらないって」


「うん。ずっとずっと好きだよ」


「あ~、そういうもんだよな。

 恋の始まりってそう思ってしまうよな。

 でも、違うんだよ」


「違わないよ。僕は変わらない」


「どうせろくに恋愛したない癖に」


「ないけど、変わらないよ」


「あのな~、そうやって言い切ると、その言葉がお前を縛るぞ。

 本当は心変わりしてるのに、認められなくなるんだ」


「それで良いよ。

 認める必要もない。

 僕はずっと彼女を愛していたいんだ」


「別に、お前がそれで良いなら良いんだけどよ。

 いや、やっぱり良くないよな。

 う~ん」


「何さ?」


「例えば、俺も子供の頃はカレーが好きだったんだよ。

 毎日カレーだったら良いのにって思ってた。

 絶対にカレーを嫌いになんかならないと思ってた。

 だけど、今は苦手だ」


「何で?」


「月子が料理を覚えた、中一ぐらいからかな。

 あいつさ、家に来て作ってくれるんだよ。

 俺の両親、出張が多くてさ」


「ふ~ん」


「でもよ、カレーだけなの。

 あいつ、カレー以外料理作れないんじゃないかってぐらい、カレーだけなの。

 しかも、劇辛。

 カレー一杯で水が五杯飲める位」


「ふ~ん」


「言いたいことが分かるか?」


「ノロケ話をしたいんだぜ?」


「違げぇよ!

 人の感情は変わってしまうって話だ」


「え? 太陽君は月子さんを嫌いになったの?」


「はぁ?

 何でそうなるんだよ。

 俺が苦手になったのはカレーだけ。

 月子は、その、あれだ。

 超好きだよ」


「じゃあ、僕も彼女を超好きだよ」


「何で張り合ってくる? 

 それに、お前のそれと、俺のこれは、別物だからな。

 恋なんて燃えるように熱いのは最初だけ。

 冷めちまうんだよ。

 時間とともに、江戸っ子風呂ぐらいにな。

 まぁ、そのぐらいが心地良いんだけどよ」


 充分ノロケだ。

 まだまだ熱々じゃないか。

 俺は江戸っ子風呂には入れない。

 お風呂は三十八度に限る。

 別に太陽君のノロケ話はどうでも良い。


「じゃあ、僕は燃え続ける」


「ったく。分からず屋だな! お前は!!」


 太陽君は怒っているみたいだった。

 何故にそんなにしつこいのだろう。

 どうして俺の気持ちを否定するのだろう。

 心変わりしなくちゃ、本当の恋じゃないとでも言いたいかのようだった。

 

 少し違うな。


 最初、俺は太陽君に試されてるのかと思った。

 だから、強く伝えた。

 本音も伝えた。

 するとどうだろう。

 今度は心変わりしても良いと、ノロケ話交じりに語ってきた。


 何故だ?


 それは分からない。

 でも、以前アニメ同好会の部室を訪れた時には見せなかった態度から考えて、俺に報告できない調査過程で、問題があったのだろう。


 彼女は深刻な怪奇現象では悩んでいない。

 だけど、太陽君が俺を心配するような問題を抱えているのだ。

 

 世話好きなお人良しだな、太陽君は。

 だけど、舐めないで欲しい。

 今回の件でいえば、例えどんな障害があろうとも、お節介でしかない。

 今日のこの気持ちを未来の俺は恨めしく思うのかもしれないけど、絶対に後悔なんかしない。

 傷ついて涙して彼女に嫌われるような絶望が待っていようとも、ここで引き返すよりマシだ。


「太陽君の言いたいことは分かったよ。多分ね。

 でもさ、やっぱり僕は彼女が好きだ。

 ずっと好きでいたい。

 調査だけじゃなく、心配もしてくれてありがとうね。

 でももう大丈夫。

 あとは僕が頑張るよ!」


「あ~! もう!! お前は相変わらずガンコだな」


「太陽君も相変わらずしつこいね。でも、今日は無理に押し通さないんだね!」


「まぁな……。お前の幸せはお前が決めるもんか……」


 太陽君はそう言って、意図的に声に出しているのか、意図せず漏れてしまってるのか、あるいは俺に意見を求めてるのかは分からないけど、独り言のように聞き取り難い声でボソボソと続けた。


「そうなんだよ。

 分かってはいたはずなんだよ。

 世間の当たり前を押し付けられるのを、人一倍嫌がってたはずなのに……。

 俺が決めちゃ駄目なんだよ……。

 意外と、こいつタフだし……。

 大丈夫かな……。

 大丈夫かもしれない……」


「大丈夫だよ」


 良く分からないけど、俺は答えた。

 何が大丈夫なのかも分からないけど、多分大丈夫だ。


「お前って、真剣なようで適当だよな。

 何にも分かってないくせに。

 でも、そんなお前だから大丈夫なのかもしれねぇ~けど」


「うん、任せてよ!」


「おぉ。まぁ、気張らずに頑張れや。

 その、あれだ。

 どんなに辛そうに見えても、お前が幸せならそれで良いんだよな。

 ゴチャゴチャ難癖つけて悪かった」


「うん。全くもって、その通りだよ」


「普通はフォローするところだけどな。

 心配してくれてのことでしょ? 僕気にしてないよ。

 的な」


「心配してくれてのことでしょ? 僕気にしてない……、かも」


「真似するならせめて言い切れよ!

 まぁ、良いけどな。

 何となくお前にもなれてきた。

 あ、それとな、お礼もいらないからな。

 ほら、こっちも商売だし」


「商売でもお礼は言うよ?」


「そうかもな~。

 で、お前の方は順調なの?

 あの、掲示板荒しの件」


「あ~!! あれね……」

 忘れてた。


「無理そうなら別のでも良いぞ?」


「いや、大丈夫だよ。ただ、もうちょっと待って」


「急がないから良いけど。本当大変だと思うぞ」


「大丈夫。僕に任せてよ」


 こっちの問題こそ何の問題もない。

 だって、スルーマンは俺だからな。


 その後電話越しに呼び鈴らしき音が聞こえ、「あ、月子が来たみたいだわ。今日デートなんだよ! へへへ」と最後までノロケ話を聞かされながら、太陽君との電話は終わった。


 教室に残っていた三人組は、電話が終わると直ぐに群がってきたが、新たな電話が鳴った。

 俺は今まで平気な顔で電話してたのに、レストランで気まずそうに入り口を目指す人をイメージしながら、そそくさと教室を出た。


「もしもし。委員長だね!」


「そうね。私は私ね。それは、一体、何のギャグなの?」


「え? 疑問系だと変だって言われるから、言い切ったのに」


「そう。良かったわね」

 と委員長は冷たく答えるだけだった。


 用件は、花火大会の場所を確保した連絡だった。

 打ち上げ場所からの距離や、風向きを考慮し、中々満足のいく場所を確保できたらしい。

 らしい、と言ってしまうのは、委員長の話が専門的で良く分からなかったためだ。


 俺はやっぱり一人で場所取りをさせたことを謝った。


 委員長は、

「私が望んでやってるのよ。こんな時言うべきは、謝罪じゃなくてお礼なの」

 と言うので、俺はお礼をする。

 

 委員長は、

「私のためなのよ! あ、あなたのためじゃないわ!!」

 とやっぱりお礼を言われると照れていた。

 急ぐように一方的に電話を切られだ。

 無茶苦茶な委員長だった。




 花火大会の会場は自宅と学校の間にあるので、直接三丁目橋を目指すことにした。

 委員長は平気だと言ってたけれど、やっぱり大会が始まるまで約五時間もあるし、俺達が合流予定の十七時までだって三時間もある。

 花火は正直あんまり興味ないけど、委員長には謝罪とお礼の気持ちがあるし、彼女とのお出かけは楽しみだし、俺は進んでこの花火大会に行くのだ。 それなのに長時間を一人で待たせるのは宜しくない。

 できるだけ早く合流しようと思った。


 多分、会場に自転車置き場は存在しないだろうから、自転車は学校に置いて行くことにした。


 途中まではほぼ同じルートを歩いているのに、ゆっくり動くと今まで気付かなかったものが見えてくる。

 オレンジ色の看板のお店は、酒井商店というお酒のお店だということや、その酒井商店の隣には車道もない小さいわき道があることや、酒井商店では飲食店も兼ねているらしい珍しいお酒屋さんであることや、酒井商店は田中君などのヤンキーのたまり場になっていることなんて、今まで全然知らなかった。

 なんとなく、近づき難い店だと思った。

 酒井商店では、ウェイトレス兼レジのお姉さんが浴衣を着ていた。

 彼女だけではなく、注意して見れば、普段は滅多にお目にかからない浴衣や袴の人がチラホラ見えた。

 もうこの街の気分は、花火色をしているみたいだ。


 俺も段々と染まっていく。


 結局の所、彼女の言った『最初で最後』の意味は分からない。

 でも何故か、大丈夫な気がした。

 コインズのことを何も知らなくても、太陽君は信用できる人物だと思った。

 彼が心配ないと言うのだから、いや途中俺の心配はされたけれど、最後は頑張れよと言ってくれたのだから、きっと、俺がどうにかできる問題なのだろう。


 ならばまずは目の前の花火大会を大切にしたい。


 例え、俺の力及ばずこの恋が短い期間で終わりを迎えようとも、大人になった自分が心の支えにできる素敵な思い出にしたい。


 それは自分のためでもあって、きっと彼女のためにもなるはずだから。


 全力で楽しもう。そう思った。


 いやいやいやいや、何思ってるんだ。俺は。


 違うよな。


 そうじゃない。


 この恋は、終わらせない。


 そのためにも、今日を、最初の記念すべきデートを、楽しい日にするんだ。


 歩くことで見つけられる新発見に喜んだのは最初だけで、気がつけば妄想の世界に身をおき、いつの間にやら三丁目橋についてしまった。


 橋から川原を覗くと、まだ十四時半を少しすぎたあたりなのに、思っていたよりも人が多かった。

 一丁目橋方面も、五丁目橋方面も、ここから見える地面はブルーシートやレジャーシートが隙間なくびっしりと敷かれていた。

 平日の真昼間なのに、もう酒を飲み騒いでいる連中も多かった。

 終業式当日の浮かれ具合には自信のある高校生の俺から見ても、やれやれ、お前ら浮かれ過ぎだぜとため息が出る。

 それ程までに、彼らはこの日を楽しみにしていたのだろう。

 花火を愛しているのだろう。

 まぁ、俺の彼女への愛には遠く及ばないだろうがな。

 などと、無意味に妄想して一人顔を赤くしながらも、ちゃんと委員長は探してみた。


 見つけられなかった。


 時間が早いこともあって、今は場所取り隊しかいないだろうに、それでも確かに人ごみと呼べるうっとおしい人口密度。

 こんな中、簡単に見つけられるはずもないじゃないか!

 あのメガネ!

 とこっそり心の中で委員長に八つ当たりしていたのがバレたかの様なタイミングで携帯電話が鳴った。

 ディスプレイを見れば、やっぱり委員長だった。 


「ねぇ。どうして何も言わないの?」


「それはね、こっちから喋ると変だって言われるからだよ」 


 実は携帯電話の出方が変だと言われた俺は、新しい秘策を思いついていた。

 名づけて喋らせてから喋る。

 別名アイ アム スペシャルカウンター。


「そう。それじゃ、どうして早く来たのよ? 

 十七時ぐらいで良いて言ったわよね?」


 委員長は半分ボケで半分マジの俺の行動をスルーした。

 帰ったら、携帯電話の正しい出方を調べようと思った。


「それはね、僕が暇人だからだよ」


 委員長に悪いと思った、なんて言えば、きっと照れて『帰りなさいよ』とか騒ぐんだ。

 手の掛かるメガネだぜ。

 とこっそり人を見下すのは、ちょっと何ともいえない背徳感のある快感だった。


「そう。それじゃ、どうして橋から降りてこないの?」


 こんにゃろめ。

 見れば分かる、なんて適当な説明しかしなかったのはどこのどいつだ。


「それはね……。お前を見つけられないからだっ! ガオー! 狼だぞ~!」


 俺はちょっとふざけながらも、不満をメガネちゃんにぶつけた。


「そう。じゃあ、そのまま見ててよ。手を振るから」


 委員長は俺と出会ったことでスルースキルに磨きをかけているらしい。

 ちょっと、現実でスルーされるのは寂しいのだなと、最近人と話すようになった俺は学んだ。


 割と俺のショックはどうでも良いことだった。

 確かに橋を見上げて手を振っている人物は、簡単に見つけられた。


「え? もしかして、委員長、浴衣着てるの?」


「えぇ。着てるわね。駄目かしら? 文句あるの?」


「いや、ないけど。もしかしてさ、髪も下ろしてるの?」


「だから、そうよ。それが私よ」


 見つけられるはずもなかった。

 メガネ委員長はメガネをしていなかった。

 俺がメガネフェチなこともあって、委員長=メガネというイメージが出来上がってしまっていた。


 それだけじゃない。


 尾行の時を除けば、学校でしか会ったことのないのだから当然だけど、委員長は制服のイメージしかなかった。

 それも、学校紹介のパンフレット撮影に向かうかのように、しわも毛玉も一つ残らず退治し、ルール遵守のスカート丈にきっちり定位置で縛られたリボン。

 そんな委員長が、季節限定、イベント限定の浴衣を着ているのだ。しかもピンク。

 リクルートウーマンを連想させていた硬く硬く一つにまとめられていた髪も解かれ、いつもある味気ない黒ゴムの代わりに変なのが頭に乗ってる。

 メイドカチューシャというのだろうか。

 とにかく白っぽい薄ピンクのヒラヒラレースの変なのが頭についてる。

 なんだろう、不思議な組み合わせだ。

 そして、言わせてもらえるなら叫びたい。

 別人じゃん! だが、悪くない!


「ちょっと、見つけたなら早く降りてきなさいよ。一人で手を振り続けるのは、恥ずかしいものなのよ」


「あ、ゴメン。ちょっと驚いちゃった。見とれちゃったよ」


 しゃっくりのような息を吸い込む音が聞こえ、電話は乱暴に切られた。

 あまりファッションのことについて話をするのは、良くないのかもしれない。

 照れ屋さんの勇気ある挑戦は、下手に褒めるよりも気付かないフリが正しい反応なのかもしれない。


 川原に降り、シートの敷くことが禁止されているコンクリートの遊歩道を歩き、委員長のいる場所に向かった。

 委員長の苺模様のピンクのシートは遠くからでも目立っていたが、近くで見ても目立っていた。


 委員長は俺が降りてくることを知っているはずなのに、遊歩道の反対側、川を見つめている。


「お待たせ」

 俺は靴を脱ぎシートに上がりながら、委員長の背中に挨拶。


「……」

 委員長はシカト。


「今日は良い天気だね。天気予報見てないから、夜の天気は知らないけれど」


「夜も晴れよ」


 答えてくれたけど、まだこっちを見てくれない。

 予想以上に照れ屋さんは照れていた。


「ところで、委員長さ、マナーモードって知ってる?」


 特に他意はなく、服装には触れずに世間話をすることで『全然変じゃないよ』と伝えようとしたのだが、


「はぁ!? あなたは馬鹿にしてるの? 私が……、こんな格好をしてるから……」


 ついにこっちを見てくれた委員長は、とっても怒っていた。

 上手くフォローできるイケメン振りを発揮できれば良かったのだけど、残念ながら俺はボッチ系男子だった。

 地雷を踏んだっぽいけど、このまま世間話作戦を続けることにしよう。


「やっぱり、馬鹿にされてると思うよね?」


「やっぱり、馬鹿にしていたのね!!」


「違うよ。あのさ、……」


 俺は田中君に屋上に呼び出され、あれやこれやと気がついたらコインズに彼女の調査以来をし、今日結果を聞かせてもらって、マナーモードも知らなさそうだと馬鹿にされたことを話した。


「そう。怒鳴ってしまってゴメンなさい。

 私、あなたがそんなにお馬鹿さんだなんて知らなかったから、つい勘違いしてしまったわ。

 傷を抉るような真似してしまったわね」


「違うよ。ちゃんと話を聞いて!

 僕はマナーモードの存在を知っているよ。

 でも、やり方が分からないだけなんだよ!」


「同じことよ。お馬鹿さん」


 俺は馬鹿じゃないとハッキリ分からせてやりたかったが、あまり抵抗するともう一度お馬鹿さんと言われそうなので諦めた。

 そんなことされたら、スルーマンの血が騒ぎそうだ。


「ねぇ、意地悪しないで教えてよ」


「全く、自分でマニュアル読みなさいよ。ほら、貸して!」


 委員長は俺の携帯電話を見つめて、ため息。


「画面に書いてあるじゃない。マナーモードって」


「僕の携帯電話、タッチパネルじゃないよ」


「マナーモードって四角が、右下にあるでしょ。だから、この右上のボタンを長押しすれば良いの」


 早速試してみると、『マナーモードに設定しました』のシステムメッセージが表示された。


「凄いね。委員長は教えるのが上手だね」


 言った後に後悔する。

 委員長を褒めちゃ、駄目だった。


「凄くないんだからっ! あなたがお馬鹿さんすぎるのよ!」


 俺は怒られるどころか、三度目のお馬鹿さんを聞いてしまった。

 押さえ切れないスルーマンの血が暴れだしやがった。

 もう、抑え切れない。


「三回もお馬鹿さんって言わないでよ! お馬鹿、三だけに」


 委員長は三秒程動きを止めた後、


「とっても、お、おも、面白いと思うわ」


 ゆっくりと視線を地面に落としながら言った。


 あれだけ華麗にスルーを決めていた委員長に、気を使わせる程に面白くないのか。

 優しさが凶器に見えた瞬間だった。


「僕も面白いと思うんだ」


「えぇ。面白いわよ。あなたこそ、凄いじゃない」


「ね! 面白いよね」


「えぇ! あなたは面白いわ! 駄洒落の天才よ!!」


 二人で嘘を固める作業は、どんどん辛くなるばかりだった。


 それでもこう言うべきなんだよな。

 きっと。


「委員長。ありがとう」


 委員長は『お』と『さん』を取って、つまりは『馬鹿』と何度も言ってきた。


「急に何言うのよ。バカ! なんなのよ。バカじゃないの? きっと、そうね。あなたはバカよ。バカ!」


「急にじゃないよ。

 彼女の尾行の時も手伝ってくれたし、彼女が神社で行方不明になった時も電話してくれたし、今日だって一人場所取りしてくれたし、マナーモードも教えてくれたし、今も目じりをピクピクさせながら不自然に笑ってまで褒めてくれたし、でもあんまりお礼をちゃんと言ってなかった気がするんだ」


 お礼すると怒るから、ということは飲み込んで、


「だから、ありがとう」


「やっぱり、あなたはバカよ……」


 委員長はやっぱりバカと言った。

 手だけの力を使い、座ったまま、レジャーシートの隅までズルズルと移動し、ほつれたビニールの糸をいじりだした。


 怒られても褒め続けると、いじけてしまうのか。

 と一瞬思った。だけど、そうじゃないような。

 俺は何かを間違ってしまったかのような気分になる。

 なんだろう。

 お礼を言うべきことを忘れてしまったかな。

 いっぱいお世話になってるものな。

 えっと、なんだろう。


 考ええてみるけれど、答えは出ないまま、俺は委員長の横顔を見つめていた。

 委員長は声に出しているのか口だけを動かしているのか分からないけれど、聞こえぬ声で、ずっと『バカ』と言っている。


 えぇい! 言いすぎだよ! 

 と俺が心の中で逆切れした時だった。


 委員長は両手を高く上げ、地面を強く叩いた。

 そのまま、手で軽くジャンプ。

 座ったまま方向転換。俺を見つめてきた。

 あの目は睨んでいるから、睨んできたか。


「どうして、気付いてくれないのよ」


「ゴメン……。僕なりに考えてみたけど、分からなかったよ」


「嘘! 全然考えてなんかいないわよ!!

 ……、いいえ、全く別のことを考えてそうね。

 バカだから」


 別のこと?

 お礼を言うべきことを忘れているのではなく、謝らなくちゃいけないことを忘れているのかな。


 俺は必死に考える。


 睨んでくる委員長が怖いのか、胸の鼓動は速い。


 委員長は俺の答えを待っているみたいで、黙って見つめてくる。


 それが催促されているみたいで、余計に焦る。


 俺は委員長の目を見れなくなって、無意識的にレジャーシートを見つめる。


 絶対に意味はないはずなのに、集中しなきゃいけない場面なのに、レジャーシートの苺さんの黒粒を数え始めていた。


 全部の苺は同じに見えて、黒粒の数には結構ばらつきがあった。


「バ~カ。本当バカね。

 あなたには一生考えても分からないでしょうね。

 バカ」


 俺は謝ろうと、顔を上げた。


 睨んでいるはずの委員長は、微妙にだけど、ちょっと自信ないけれど、でも多分微笑んでいた。


 想定外の出来事にビックリして、謝ることができなかった。


「バカは私ね。あなたがバカなことを、誰よりも知っているはずなのに」


 委員長は自分を責めるフリをしながら、更に俺を責める。

 だけど、委員長の顔の筋肉はちょっとずつ緩んできていて、笑っていると表現するには遠いにしても、もう迷うこと無く微笑んでいるといえる表情だった。


 委員長は大きく息を吸い込みながら、せっかく緩んできていた顔の筋肉を緊張させ、


「わたしは……」


 何か言おうとした。


 だけど、誰かの携帯電話が鳴った。

 委員長のだった。


「えぇ、大丈夫よ。そうね、大丈夫。だから、大丈夫って言ってるでしょ。それじゃ、三丁目橋についたら電話して頂戴」


「彼女から?」


 俺は電話を終えた委員長に聞いた。

 三丁目橋って単語のせいか、何となく彼女だと思った。


「えぇ。今から来るそうよ」


「そっか」


 話の腰を折られ、気まずい雰囲気のまま、やたらと長い五秒。


「それで、わたしは、どうしたの?」


 俺は委員長に聞きなおした。


 委員長は、なんでだろう、怒っていた。


「だから、わたしは!」


「お~! お待たせ!」、「遅いよ~」、「こいつがさ、お節介焼きやがって」、「お前だって見過ごせないよなって言ってただろ!」

 委員長の話を遮るように、隣のシートの大学生っぽい三人組が、十人組みに増えた。


 俺はもう一度言ってと委員長にお願いしようと思った。


 どうしても聞かなくちゃいけない気がした。


 だけど、言葉より先にお腹が音を出した。


 今度は俺のお腹の音が話の邪魔をした。


「そう言えば、あなた制服で来てるけど、家には帰ったの?」


「ううん。直接来たよ」


「お昼ご飯は?」


「食べたかも」


「嘘おっしゃい。食べてないんでしょう?」


「実は、食べてないかも」


「そろそろ、人が増えてくるわよ」

 委員長は隣の大学生っぽい連中を軽く睨み、

「今のうちに、食べてくるなり、買ってくるなりしなさい。お店の場所は分かるわね?」


「分かるよ。って言うか、中学校から同じ学校に通ってるじゃない。この辺、地元なの分かるでしょ?」


「あなたは特別なの。家と学校の往復しかしてなさそう。休みの日も、どうせ外に出ないんでしょ?」


「聞きもしないで決め付けるのは、偏見だよ」


 大体当たっているけどね。

 いつも通る場所の、酒井商店の存在に気がついたのも今日が初めてだったし。

 俺の不満を代弁するように、またお腹が鳴った。


「ほら、ボーっとしてないの。お金はあるの? 忘れ物ない? 良い? 食べ物をあげるって言われても、知らない人について行っちゃ駄目よ」


 どこまで本気で冗談なのか、過剰に心配された。


「委員長って、お姉ちゃんっぽいっと思ったけど、お母さんっぽいよね」


 俺は嫌味を言った。


「駄目?」


 委員長は気にするでもなく、というか『良くバカにされてるって気付いたわね』とでも言いたそうな、人を小馬鹿にした微笑で聞いてきた。

 駄目に決まってるじゃないか。

 俺は男の中の男のつもりなんだぞ。

 子ども扱いするなよ。せめて、チョイ歳下程度に留めろよ。

 と思ってはいても、


「良く考えたら、僕お姉ちゃんって存在を知らないや。一人っ子だし」


 無難に流すことしかできなかった。


「そう。それじゃ、気をつけて行くのよ。迷子になっても泣かないで電話しなさいね」


 委員長は不満だったのか、赤ん坊をあやす時のような優しい声色で追い討ち。

 やっぱり、お母さんみたいは、年頃の女性を怒らせてしまうのかなと反省した。


 フォローするべきか、フォローすれば余計に深みにはまるか、悩んでいると、第三の答えが見えてきた。

 もしかしたら、話の途中だったことを怒っているのかもしれない。


「僕のお腹は大丈夫だよ。さっきの続きを聞かせて欲しいな」


「バカ……。もう、言えないわよ。タイミングを逃すと、駄目なのよ」


「そうなの? 僕は大丈夫だよ」


 ぐ~~~~。


 空気を読まない、俺のお腹はさっきより大きな音を出して鳴った。

 まるで、どこかの誰かの強い念波が委員長の話を邪魔しているかのように、凄くタイミングが悪かった。

 さり気なく自分のお腹のことを、誰かのせいにしても意味はなく、


「大丈夫じゃないでしょ。ほら、早くしないとこの辺も混んでくるし、お店も混んで来るわよ。良いから、行ってらっしゃい」


 委員長は話そうとはしなかった。

 俺のお腹の馬鹿、と俺は思った。


「良いの?」


「えぇ。早く行きなさい」


「分かったよ。なるべく、直ぐに戻ってくるね」


 俺が立ち上がり歩き出そうとした時、


「後悔するなぁ……」


 委員長の声が聞こえた気がした。


 もし、空耳でないのなら、委員長は素直じゃないし、俺は男らしくなかった。


 振り返り強引に話を聞きだすこともできなかった。


 言い出しにくいことを無理にでも聞くのは正しい対応なのかの答えも決められず、聞こえなかったフリをしてご飯を買いに行くしかできなかった。



 

 それが何の意味も持たないと知りつつも、罪悪感が俺を急がせ、お昼兼夜ご飯は食べ物屋さんではなく、コンビニで済ますことにした。

 だけど予想以上に混雑していて、おにぎり三つとメロンソーダ三缶を買うのにも、十分はかかった。

 まだ一六時半だと言うのに、俺の知っているコンビニとは雰囲気が違っていて、この花火大会をみんなが楽しみにしてるんだなと思った。


 思ってる場合じゃなかった。


 どうしてそうなったのか、皆目見当もつかないけれど、俺が三丁目橋に戻った時には、委員長は喧嘩してた。

 ここからだと距離があるのに本当に喧嘩なのか? と問われたとしても、あれは絶対に喧嘩だと分かる。

 周りのシートの連中は興味の視線を向けていたし、遠くからでも表情は結構分かったし、相手の連中の殆どは背中しか見せてなかったけれどあたふたと手をバタつかせている大学生っぽい女は喧嘩の仲裁をしているようにしか見えなかった。


 相手は先程三倍以上に数を増やした、大学生グループだった。

 男九人、女一人のグループ。

 女は仲裁している様子だから、男九人か。

 俺が相手できる人数じゃないな。

 一人でも無理だ。

 交番まで、走って三分。

 人目も多いし、女相手に手を上げはしないだろう。


 レジ袋を落としながらも、冷静に考えてるつもりだった。


 大丈夫なはずだ、と自分に言い聞かせるも、いち早く走り出さなくちゃいけない、と自分を奮い立たせせるも、ここから動きたくない、と駄々をこねる自分がいた。

 それが大半だった。

 何もしないくせに、何もできないくせに、それでも一歩を踏み出せなかった。


 大分人が増えてきたとはいえ、制服姿は目立つのだろうか、委員長が俺を見つけた。

 委員長は、突っ立てる俺に、助けを呼ぼうとも、意気地なしと睨むでも、今はそれどころじゃないと無視するでもなかった。


 委員長は微笑んだ。


 年上の男九人に凄まれているだろう状況で、俺を見つけた委員長は確かに微笑んだ。


「止めろ~!」


 突発的にそう叫んだ俺に言いたい。

俺が止めろ。それでどうなる。

 ここから、聞こえるか?

 聞こえたとして、俺に何ができる?


 橋の上の人たちの視線は集まることができても、大学生集団や委員長には届いてなかった。 


 俺は息を可能な限り肺にため、

「止めろ~!」

 もう一度叫んだ。

 

 もう、何がしたいのか分からない。


 それでも今度は届けることができた。

 委員長たちを見ていた連中の視線も、委員長や大学生達の視線も、俺に集まっていた。


「よってたかって女の子を絡んで楽しいか? 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿~!!」


 多分、全部が聞こえはしないだろう。

 それでも、指を刺したり指を突き立てたり、身振り手振りで、挑発する。


「俺が相手だ! この馬鹿! お前達だよ! 馬鹿!」


 さっき、バカバカ言われたせいか、馬鹿って単語ばかりが出てくる。

 どこまで伝わったのかは分からない。

 だけど、大学生達が俺に標的を変えたのは間違いなかった。

 九人全員が、掻き分けなくちゃ進み難い程度には増えた人ごみの中、こちらに向かってくる。


「そうだ! こいよ! 馬鹿共が!」


 あぁ、何やってんだろうな。

 こんなことしてどうなっちゃうんだろうな。

 無我夢中で叫んでいたけれど、標的が俺になり委員長の無事が確定したからか、なんか余計なことを考えられるようになった。

 多分、いわゆる現実逃避だ。

 迫り来る絶望に、耐え切れるだけのストレス耐性を俺の脳みそは持ってなかったらしい。


「馬鹿! 馬鹿ども! ば~か!」


 もう、まともに言葉も出てこない。

 近づいてくる大学生達に、ひたすら馬鹿と言い続けることしかできない。


「馬鹿、ばっかだな!」


 ばかだけに、ばかばっか。

 なんてスルーマンが「何か用?」と顔を出してくる程度に、まともにものを考えられなくなってきた。

 超怖い。

 ちなみに、スルーマン。今、君にできることはほぼゼロだ。


「てめぇ! 何のつもりだよ! みんな見てるだろ!」


 ついに俺のところまで辿り着いた一人が、胸倉を掴んできた。


「僕の友達に手をだすな!」


「はぁ? 手なんか出してねぇよ。話し合いしてただけだし」


 ごもっともだ。

 あれは多分口喧嘩だった。

 もっと、腰低く仲裁すれば良かった。


「うるさいよ! 馬鹿!」


 馬鹿は俺だ。

 何言ってんだ。


「黙らないと、……殴るぞ?」


「ゴメンなさい……」


 何で謝るんだ俺は。

 もう、何がしたいんだよ。

 胸倉を掴んでいた男は舌打ちをして手を離した。

 続々と、人ごみの中から大学生が現れ、九人全員が揃った。


「どうする? こいつ?」

「あれじゃね? 俺ら喧嘩売られたんじゃね?」

「弱いものイジメ、賛成ー」

「いやいや、ここは俺一人が相手するよ。正々堂々とな」

「良いね~。それでいこうか」


 大学生達は、ニヤニヤ笑いながら俺の処遇について話していた。

 なんか、良く分からないけれど、やばそうだった。

 多分、俺、今、凄くピンチ。


「あの~。どうしたんですか?」


 俺の後ろから声が聞こえた。

 振り向かなくても、その大好きな声は誰のものか分かった。

 彼女の声だ。


「あ? 別に……。捨て猫がいたから、保健所に電話しようとしたら、変な女に絡まれて、変な男に絡まれた」


「そうなんですか~」


 彼女は俺の隣に立ち、


「変な女って、委員長さん?」


 俺に小声で聞いてきた。


「僕も良く分からないけど、多分」


「ふ~ん」

 と彼女は辺りを見回す。


「それでは、その猫は私が預かります。お譲り頂けないでしょうか?」


 大学生達は俺の処遇を決めた時とは違って、こちらに聞こえないようにヒソヒソと相談し始めた。


 気付かなくて良かったのに、俺は見つけてしまった。

 大学生の一人のポケットから、タバコを短くしたような丸い紙筒がいくつも連なったものが、はみ出ている。

 実物を見るのは初めてだったけど、直ぐに分かった。

 あれは爆竹だ。


 花火大会の日に、花火をするのが不自然かと問われるなら、俺は分からないとしか答えられない。

 もしかしたら、あの爆竹は別に深い意味はないのかもしれない。


 でも、良く考えてみれば、おかしいんだ。

 俺はこいつらが三人から十人に増えた瞬間を目撃している。

 その時、こいつらは子猫を抱えていた。

 ペット同伴で花火大会を見に行くのがおかしいとは言い切れなくても、花火大会の日に爆竹で遊ぶのがおかしいとは言い切れなくても、保健所に電話する目的の猫を、ここまで連れて来るのは変だ。


 こいつらは、嘘つきだ。


「あんたが猫を引き取るなら、それで良いよ。ただ、ワビぐらい入れろよな」


 一際背の大きい男、さっき俺の胸倉を掴んできた胸倉男が言った。俺に謝れってことなんだろうな。


 簡単なことだ。

 ことなきを得たんだ。

 気付かないフリをして、謝れば全て終わる。

 だけど、声が出なかった。


「もう良いよ~。止めなよ~」


 大学生グループの女が、遅れてやってきた。

 その声の方を見れば、女より少し遅れて委員長も現れた。

 委員長は子猫を抱えていた。

 特徴のない猫らしいその顔は、というか俺はペルシャ猫ぐらいしか猫の種類を見分けられないけど、多分雑種なのだろう。

 白いだろう毛は薄汚れていて灰色になっていた。

 その汚れ方を見るに、こいつは確かに捨て猫なんだろう。

 軽く見たところ、傷もないようだ。

 

 良し。もう悩むことはない。

 謝って終わりにしよう。


 でも、やっぱり声は出なかった。

 出るはずもなかった。

 気付けいてしまった。

 大学生達は、嘘つきだ。

 最低の嘘つきだ。

 委員長の頬は赤くなっていた。

 良く怒る委員長の赤い顔は、割と珍しくないけれど、片方の頬だけ器用に赤くするのは、初めて見た。


 手、出してるじゃん。


「お前が謝れよ! 馬鹿やろう!」


 叫んだ直後、胸倉男は振りかぶって、拳を真直ぐ突き出してくる。

 ゆっくりに見えるそれは、多分ストレートパンチだ。

 どうして、ゆっくりに見える程集中しているのに、こんなに色々考えられる程集中してるのに、身体は身動き一つとれずに強張るんだろう。


 目の下に強い衝撃。

 頭が後ろに吹き飛んだような錯覚。

 だけど、感覚とは逆に前のめりにうずくまる身体。

 こんなの痛くない。

 田中君のパンチに比べたら! 

 あれよりもっといた~い!


「うぐぉぉ。かふはぁぁ」


 変な声が自分から出た。

 声を出すと楽になれる気がした。

 でも、痛みは全然引かない。

 殴られた頬に手を当ててみると、骨がある感触はあるのに、骨が砕けたんじゃないかと思うような痛さだった。

 実は、田中君は手加減してくれてたんだと、今更分かった。


 誰かの悲鳴が聞こえた。


 どよめく声が聞こえた。


 はやし立てる声が聞こえた。

 

 指笛が聞こえた。


 そのどれもが、ぼやけて聞こえた。


「何するんですか!」、「何てことするのよ!」


 その中でも、彼女と委員長の声はハッキリと聞こえた。


「今度騒いだら、殴るってちゃんと言ってある」


 胸倉男の声も、ハッキリ聞こえた。

 お前が言うべきは委員長への謝罪だろうが。

 俺はゆっくり立ち上がり、強烈な立ちくらみに襲われ、頬を押さえていた手をよけ、腫れてるのか痛いだけか右目を開けられないことに気がつき、それでも力の限り左目で睨み、


「謝れ」


 か弱いかすれ声で、それでも精一杯の大きな声のつもりで言った。

 喋ると今度は吐き気にも気がついた。

 でも、そんなことは全部無視だ。

 俺は痛みに気付かないフリして、もう一度言った。


「謝れよ!」


 今度はちゃんと叫ぶことができた。


「駄目だこいつ。全然反省してない」

「もっとやっちゃえ~!」

「やれ! やれ!」

「もっとやれ~!」


 大学生達は騒ぎ始めた。

 いや、周りの人間にも騒いでいるやつらがいた。

 胸倉男は右腕を高く突き上げ、アピールした。

 どよめき多数、歓声少数のその他大勢。

 彼女と委員長が俺の目の前に立った。

 俺は、彼女と委員長の目の前に立とうと歩く。

 無視したはずの痛みはしぶとく、思うように身体が動かなかった。

 それでもゆっくりと歩く。


「こっちもやる気だ!」

「良いぞ! やれやれ!」

「もっとやれ!」


 やれやれやれやれと、うるさい連中だ。

 そういえば、掲示板で誰かが言ってたな。

『最近流行のやれやれ系は好かん』とか。

 これが、噂のやれやれ系か。

 やれやれ、どうしてこんなのが流行るんだろうな。

 とどうでも良い疑問を解決しながらも、彼女の肩に手を置き、委員長の肩にも手を置き、二人が作った壁を引き剥がし壊そうとした時、


「知らない人。殴られるのが趣味?」


 俺達を取り囲む群衆の中から、知ってる声が聞こえた。

 声の主の姿が見えなくても、太陽君の姿は見えた。


「良い加減名前ぐらい覚えてやれよ。

 こいつはな、えっと、わ……なんとかなんだよ」


 お前も覚えてないのか。

 ちょっとショックだぞ、太陽君。


「何だよ。お前?」


 興奮してる胸倉男は、最初から臨戦態度で聞く。


「こいつの、友達」


 太陽君は楽しそうに言った。


「はいはい、ゴメンなさいね」


 と人ごみを掻き分け、俺たちの傍まで来て、


「今、どんな状況?」


 目を輝かせながら言った。


「とりあえず、友達が殴られててムカつくことしか、俺には分からないんだけど」


 と一瞬だけ胸倉男を睨むも、


「どうしてこうなったんだよ~?」


 嬉しそうに言った。


 胸倉男は「関係ないだろ!」と怒鳴るけど、仲間の大学生の一人が説明した。


「捨て猫がいたから、保健所に電話しようとしたら、そこの女に絡まれて、そこの男に絡まれて、話し合いになったけど決着がつかずに喧嘩になった」


 だけどその説明が嘘なのを、俺は知っている。


「嘘つけよ! お前らが爆竹で子猫を苛めて、委員長が止めたら、委員長を殴ったんじゃないか!」


 すると、委員長はため息をつき、


「それは、違うわよ。

 本当、あなたは馬鹿ね。

 私のコレは、自分でやったの。

 ちょっと、悔しいことがあったから、自分で叩いたの」


 大学生の女を皮切りに、


「あの。彼が捨て猫拾って、私たちの中で飼える人がいないかって聞くためにここにつれてきたけど、みんな飼えない環境だから……。保健所に電話することになったんです。

 そしたら、彼女が命の問題を簡単に諦めるなって割り込んできて……」


「おぉ。それでこの女さ『私に預けろ』って言うんだよ。

 お、飼い主発見? とか思ったら、私が飼い主を探すとか騒ぎ出してさ」


「なぁ。流石に子供に押し付けられないし、もしこの女が見つけられなかったら、どうするのよ。

 保健所に連絡するのって凄く辛いんだぜ?」


「だから、駄目だって言ってるのにしつこくてさ」


「そしたら、この男が騒ぎ始めたんだよ!」


 詳しい説明を聞けた。

 なんか、俺が思ってたのと、ちょっと、違う。


「それじゃ、その爆竹は?」


 俺は胸倉男のポケットを指差す。


「爆竹? これがか?」


 ポケットから出てきたのは、爆竹のストラップつきのスマートフォンだった。


「知らない人の勘違い」


 月子さんもいつの間にか太陽君の隣まで来ていた。

 少し面白いのか、太陽君のお尻を何度か叩いていた。


「なるほどね。つまり、お前が難癖つけて九人の男に喧嘩を売ったってところだな」


 俺の勘違いがおかしいのか、喧嘩の雰囲気が好きなのか、太陽君はニコヤカに笑っていた。


「多分、そうみたい、なのかも?」


「そうなんだよ!」

 と胸倉男。


「ゴメンなさい」

 と俺。


「気がすまないなら、俺が相手になるぜ!」

 と太陽君。


 だけど胸倉男は、

「いや、謝ってくれたから、もう良いけど。勘違いされたのはウゼーけど、まぁ、連れの女が殴られたって勘違いしたんなら、仕方ないよな。そういうの嫌いじゃないぜ。それに、今度こそ飼い主見つかったしな」


 これにて、一件落着だった。

 ところが、


「俺はお前を知っている。さぁ、だから勝負だ!」


 と太陽君は爽やかを装って勝負を挑んでいた。

 俺に劣らずとも勝らない難癖でしかないくせに。


 太陽君と胸倉男の話を外から聞いているイメージだと、胸倉男たちは予想通りに大学生で、男女比の偏った構成の理由は、ボクシングサークルの集まりだかららしい。

 胸倉男はそれなりに有名な、どこで有名なのかは知らないけど太陽君たちの世界では有名な男なのだそうだ。


「違う。ちゃんと有名人。全日本大学生チャンピオン」


 月子さんは自分の彼氏が喧嘩しそうな危ない状況なのに、冷静に教えてくれた。

 いや、多分、感情が読みにくい月子さんだけど怒っているのではないだろうか。

 俺の足をぐりぐりと踏んでくるのは、きっとわざとだ。


 胸倉男は興味なさげに受け流していた。

 あぁ~、どうせ無理なんだから早く諦めれば良いのに、と俺も多分回りの関係者も思っていたのに、

 どういうことか、なんでか、

 気がついたら俺が胸倉男のお腹を一発殴ることになっていた。

 断れる雰囲気ではなかったし、断らなければこれで今度こそこの話は終わる雰囲気だったので、失礼させて頂いた。


 初めて殴る人の感触は、本当に痛かった。

 手首の間接も指の骨も痛かった。

 何より、明るい雰囲気だったとしても、心が痛かった。

 そして思う。

 太陽君や田中君の過去の台詞は嘘ばかりだ。


 拳はコミニケーションツールとして成り立たない。


 殴るより殴られる方が、やっぱり痛いじゃん。


 太陽君の住んでいる世界は、きっと俺にはいつまでも理解できない世界だ。

 できれば、ずっと俺の知らない世界でいて欲しかったものだ。


「怒るなよ。まぁ、お前はそれで良いと思うよ」

 と太陽君は全然反省していなかった。


 太陽君と月子さんは花火大会デートだったけれど、特に行く場所があったわけでもなく、さまよってたらしいので、俺達と一緒に見ることなった。

 委員長の用意してくれた場所、シートは、五人座るとちょっと狭い。


 前列に太陽君と月子さん、後列に委員長と俺と彼女、の二列構成で座った。

 俺は何故に自分が真ん中に陣取り、女子二人に挟まれているのか不思議でならなかったが、極々自然な流れでこのポジショニングになった。

 彼女と委員長の仲が悪いのかもしれないし、あるいは子猫が原因だったのかもしれない。

 今だけは子猫を独り占めしたかったのかもしれなかった。


 子猫は委員長の腕の中にいる。

 彼女に「今日一日だけ、花火大会が終わるまでは傍にいさせて……」とお願いする委員長は、今日の委員長らしからぬ格好と相まって、女の子っぽかった。


「知らない人。多すぎ。みんな、名前教えて」


 と月子さんの言葉を聞き、そうか、俺はみんなと顔見知りだけど、彼女と委員長グループと、太陽君と月子さんグループは初対面だったなと、お互い自己紹介した。

 ちなみに、俺は全員と顔見知りでも自己紹介する必要があった。

 変な話だ。

 もっと変なのは、月子さんは、結局全員の名前を覚えなかったことだ。『いいんちょう』と『びじん』ってあだ名をつけて終わり。

 俺のあだ名は『知らない人』のままだった。


 初対面の多いこの組み合わせは、直ぐに打ち解けていた。

 思えば、彼女を除いて、太陽君も、月子さんも、委員長も、遠慮を知らない初対面でもアクセル全開な連中ばかりだ。


「きっと、君もそうだよ。実は初対面に強いよね」


 雄一遠慮してしまう彼女は、ここでも演技のようなオーバーアクションでぎこちない笑顔に見えたけれど、学校のそれより無理してる感じはないように見えた。


「いや……」と太陽君は苦笑い。

「ふ~ん……」と委員長は不満そうな相槌。

 何か言いたそうで、でも言えないようだ。


 意外だけど、二人にとって俺はシャイボーイと認識されているのかもしれない。


 それよりも、さっきの喧嘩騒動の緊張からくる、吊り橋効果も相まって、浴衣姿の彼女は反則だった。

 白い浴衣は彼女の純粋さを際立たせていたし、薄ピンクの花は彼女の優しさを強調しているようだった。

 

 俺は自然を装うも、明らかにデレデレしてしまったと思う。


 当初の目的を忘れ、ピクニック気分でシートの上でお菓子をつまみ、大好きな彼女を含むグループでお喋りするのは悪くなかった。

 いや、凄く楽しかった。


 俺に当初の目的を思い出させたのは数度の爆発音だった。

 空を見れば、フラッシュに似た数個の閃光が見えた。


「始まりの合図よ」


 委員長は子猫をしっかりホールドしながらも、話しかけるなオーラを全開に真剣な顔で空を見つめていた。


 そのオーラに当てられたわけじゃないけど、俺達も空を見て主役を待つ。

 程なくして、花火は打ちあがった。

 本当はあんまり興味なかった。

 ずっとこの近所に住んでいるのに、花火大会は家の窓から見るものだったし、ここ五年ぐらいは音だけを聞くものだった。

 花より団子的なノリで、花火より彼女的な考えだった。

 だけど、初めて近くで見る花火大会の花火は、俺の心を簡単に奪い去った。

 肌に響く爆発音、瞬きを忘れる光の花、人々から漏れる感嘆の声、そして最後に訪れる余韻のこもった無音の世界。


 俺はこっそりかつ自然に彼女の手の上に自分の手を重ね、

 花火より綺麗な彼女の横顔は花火の光に照らされると薄く赤くなっているのが見えた、

 なんて主役ごっこする準備万端だったのに、そんな心の隙間はなかった。


 最初の合図の閃光の花火と同じ、終わりの合図の閃光の花火が上がるまで、心も目も耳も、夏の夜空に、花火に奪われっぱなしだった。


 静かだった観衆は途端に騒ぎ始め、俺は東京を知らないけど、東京の満員電車みたいな過密度の中、それぞれの家路を目指す。


 俺達は家も近いし、明日から夏休みだし、特に急ぐ必要はなかったので、しばらくこの場で過ごすことにした。


 数十分後、俺は満員電車を経験したことがないけれど、地元の満員電車ってこんな感じかなぐらいの過密度になると、太陽君と月子さんは、

「それじゃ、俺らは電車の時間もあるし、先に帰るわ」、「終電はまだまだ。でも二二時に間に合わなくなる」

 と人ごみの中に溶け込んでいった。

 月子さんは直ぐに見えなくなったけど、頭一つ飛び出る長身は、ナチュラルな金髪な太陽君は、結構長い間その存在を確認できた。


 更に数十分後、ウザイけれどある程度自由に動ける過密度になると、


「私もそろそろ帰るね。今日は楽しかったよ!」


 彼女が言った。

 でも、立ち上がろうとしなかった。


「どうしたの?」

 と俺が聞けば、


「ゴメンね。夜道って怖いね」

 と彼女は答える。


 そうか。そうだよな。俺が送って行かなくちゃ。


「委員長も帰ろう? ちょっと寄り道しながらさ」


 そして、委員長も一人で夜道を歩かせるわけにはいかないと思った。


「私は良いわよ。用もあるし」


 委員長は不機嫌だった。

 理由は直ぐに分かる。

 渋々、とても嫌そうに、


「変な真似、しないでよ」


 と彼女に子猫を渡していた。

 今にも泣いてしまいそうだった。


「うん。もちろんよ!」


 もちろん、彼女はそう答えた。

 一体、委員長は子猫に何をされると思っているのか。

 それでも不安そうな委員長を元気付けるためか、


「でも……、今日はやってくれたわね! 見直しちゃった!」


 と別れ際に、らしくないピンクの浴衣を褒めていた。


「私だって、頑張ってるのよ」


 委員長は、メイドカチューシャ? を撫でながら、怒らず素直に認めていた。

 そうか、別れ際に褒めれば良いのか、と俺は思い、


「女の子らしいよね。不思議だけど、似合ってるよ」


 褒めてみた。


「良いから、さっさと帰りなさいよ! バカ!!」


 俺だけ怒鳴られた。


 彼女は「天然って怖いね」と微笑んでいた。

 俺に言ったのかと思ったけど、委員長の方を見ていた。


「ほら! 帰れ! バカ! バカバカ! バカ~!」


 と怒鳴られ続けるので、俺は渋々この場を離れた。


「ちゃんと、気をつけて帰るんだよ」


 と委員長に言ってみるも、帰ってきたのは「バカ!」だった。


 そんなこんなで二人と一匹きりで歩くことになったのだが、打ち解けられたように思えてたけど、やっぱり気まずかった。

 まだまだ、彼女は重い女だった。


「花火綺麗だったね~!」


「うん。綺麗だった」


「ね~!」


 基本、花火を語る知識もない俺たちは、それ以上言うこともなくなる。

 あんなにも素晴らしい物を、『綺麗だった』以外の言葉で表すことができなかった。


 そして、無言。

 時々ニャー。


「大人しいね。その猫。僕、猫とか詳しくないけど」


「うん。大人しいよね。私も飼ったことないけど」


「大丈夫? お家の人に聞かないで決めちゃって」


「大丈夫だよ。きっと。ママはペット飼いたいねっていっつも言ってるし、それに私、そろそろ誕生日だから、ワガママ言い易い時期なんだ」


「そうなんだ。誕生日っていつなの?」


「八月一日。覚えてくれると嬉しいな」


「うん!」


 俺はハイテンションで答えた。

 八月一日だけに、ハイに。


「ありがとう。でも今、ハイって答えれば良かったって思ってない?」


「思ってないよ」


「そっか」

 と彼女は信用してないクスリ笑いの後、


「君はいつなの?」


「四月十日。結構ギリギリ今の学年なんだ」


「そうなの? じゃあ、もう十六歳なの?」


「うん」


「変なの。君は年下だと思ってたよ」


「そうなの?」


「そうだよ~」


「誕生日が意外だって、そんなこと言われたの初めてだよ。

 同級生に誕生日を教えるのも初めてな気もするけど」


「君は、さらりと悲しいこと言うね」


「そうかな?」


「そうだよ!」


 俺は特に悲しいことを言ったつもりはないけれど、彼女が笑っていたからそれで良いかと思った。


 そして、また無言。

 時々ニャー。

 そのまま、彼女の家まで無言だった。

 気まずくても幸せな、無言だった。




 彼女と別れた後、三丁目橋を通るとまだ委員長はいた。

 俺が川原に降り、声をかけると、帰ってきたのは「バカ」だった。


「どうして、帰ってないのよ」


「委員長こそ、どうして帰らないの?」


「ゴミを持ち帰らない人がいるからよ。

 誰かが拾わなくちゃいけないでしょ?」


「何でそういうこと、言わないのさ」


「私がやりたいからやるの。強制することじゃないわ」


「委員長の方が、僕より馬鹿じゃん」


「……、あなたの方がバカよ」


 こうして、俺もゴミ拾いを手伝うことになった。

 他にも数人が拾っていたのが見えたけど、とても数人程度で拾いきれる量じゃなかった。


 二一時四五分には、諦めることになった。

 二二時以降の外出は、校則で禁止されているからだ。


「今日は帰りましょう。高校生は校則に勝てないわね」


「うん……。ゴメンね」


「あなたが謝ることじゃないでしょ。本当、バカな男ね」


 拾ったゴミはゴミ袋六袋にもなり、持ち帰るのは難儀だったので、運営委員会の人に預けることになった。

 委員長も俺も持ち帰らないことを謝ったけど、拾ってくれるだけでも有難いよと感謝された。


「それじゃ、送るよ。夜中に女の子を一人で歩かせられないからね!」


 俺は胸を張る。


 でも委員長は素直じゃなくて、

「いらないわよ。あなたといても、安全じゃないじゃない」


 俺も譲れなくて、

「じゃあ、勝手についてくよ」 


「勝手にしてくれれば良いわ! バカ!」


 委員長はまたバカと言った。

 ありがとうの代わりにスミマセンと言ってしまう人はいるけれど、もし俺の自惚れじゃなく、このバカがありがとうの代わりで、委員長がありがとうの代わりにバカと言ってしまうのならば、とても迷惑な人だと思った。

 思ったので、言ってみた。


「あ、有難いなんてこれっぽちも思ってないわよ! バ……、アホ!」


 余計なことを言ったので、俺はバカからアホになることができた。

 でも直ぐに、


「それにあなたは、勝手についてくるんでしょ? それって、ストーカーじゃないの! バカ!」


 バカに戻れた。

 どっちが幸せだったのかは、俺には分からない。

 多分、どっちも幸せじゃない。


「ねえ、早く歩いてよ。

 委員長が止まっていると、勝手についていく僕は歩けないし、運営委員会の人も迷惑そうに大笑いしてるよ」


 委員長はわざわざ鞄からめがねを取り出し、いつものキツイ顔に戻してから、じっくり二十秒程無言で俺を睨み、無言のまま歩き始めた。


 彼女に感じる重いとは別種類の、重たい沈黙なはずなんだけど、委員長と共有する空間は軽く感じられた。

 だから、俺は、もっともっと気まずくしてやろうと、とりあえず褒めた。

 多分、その方がもっと空気が軽くなる気がしたし、そのうち我慢しきれなくなった委員長も口をきいてくれると思った。


「ギャップっていうのかな。メガネのない委員長は素敵だったよ」


 返事はない。


「浴衣も驚いたなぁ。ほら、委員長って制服のイメージしかないからさ」


 無言。


「その頭のやつ。女の子っぽいよね。ヒラヒラしてるのって、なんか女の子っぽいよ」


 早歩きになった。

 でも、無言。


「苺のシートも意外だった。意外だったから、良いと思ったよ」


 遂に委員長は走り出した。

 ちょっと、読み間違ったかもしれない。

 走ってる女の子を走って追いかける俺は、きっと多分とても怪しい。

 だけど、男の中の男として、家まで送らなくちゃいけないし、一度決めたことはやり遂げないことも多いけどやり遂げる努力しなくちゃいけないのだ。

 

「そういえばさ!」


 ぜぇぜぇ。


「彼女もさ」


 走りながら喋るのはトレーニングになるらしい。

 これ、実体験ナウ。


「ラブレターくれたでしょ?」


 委員長は急停止した。

 やっぱり、女の子は恋話が好きなんだな。

 今度こそ、俺の読みは当たった。

 もう一押しで、機嫌直るぞ。


「あのラブレターも、今日の委員長みたいに、ピンク尽くしだったんだよ!

 女の子っぽいよね。

 女の子っぽい女の子って、良いよね」


 秘技、それは彼女です。あなたではありません。

 別名、イット イズ シー。 


 日本人は得意だからな。他人の話をするフリして、目の前の人に意見するの。

 だから、なんか意地でも褒めてることを認めさせたい俺は、女の子が好きそうな恋話を交えて、彼女を褒めてるフリしながら、委員長を褒めた。


 委員長は振り返った。


 委員長はバカとは言わなかった。


 アホとも言わなかった。


 何も言わなかった。


 ただ、黙って、懐かしいなぁ、フルスイングビンタ。


「いった~い!」


 まだ、委員長は何も言ってくれない。

 殴ったんなら、責任もって何か言ってよね。

 と俺が発言しようか少し迷ってると、


「人間慣れるものね。一度目より、二度目の痛みは少ないわ」


 手の平を見つめながら、委員長は言った。


 俺はここ最近、やたらと殴られるけれど、全然慣れないのだけど、と抗議しようと思ったけれど、できなかった。


 一度目のビンタより痛くないと言った委員長は、泣いていた。


 三粒、いや四粒の涙を、手の平に落としていた。


 不意に委員長は涙の面影のない目で、俺を見る。


 ビビッた俺は、右足、左足、と二歩のバックステップ。


「二度あることは、三度ある? ですか?」


「ないわよ。バカ。……もう二度と、ないわよ」


 委員長は一瞬だけ微笑み「馬鹿は私か……」、

 二歩俺へ歩み寄り「聞いても良い?」


「うん」


「あなた、彼女のことどう想ってるの?」


「好きだよ。愛してる」


「いつから?」


「昨日から」


「何よそれ。それじゃ、気付けないじゃない」


「ゴメン?」


「謝らなくて良いわよ……。

 どうせ、何も分かってないだろうし、やっぱり馬鹿は私だから」


「ゴメン」


「あなたは意外と天邪鬼なのね。

 謝らないでって言ったでしょ?」


「ゴ……」


 ゴメンと言いそうになったけれど、なんとか両手で口を塞ぐことに成功した。


「私の家、直ぐそこだから。

 もう良いわよ。

 お願いだから、もうついてこないで」


 ゴメンを封じられ何も言えない俺の返事を待たずに、委員長は振り返る。

 

 そのままゆっくりと歩き出す。


 その委員長の背中はさっきまで見続けていた背中で、歩行の振動以上に震えていなくても、泣いている気がした。


 何の根拠もないのに、そう思った。


「分かった! 僕はここにいる。

 もう追いかけない。

 でもちゃんと、家まで見送るよ!」


 泣いているからこそ安心して家まで歩いて欲しかった。


「最低な男。バカは罪ね」


 多分、委員長はそう言った。

 距離もあるし、正反対を向いている口からの声は聞き取り難いは、そもそも小さい声だったけれど、俺にはそう聞こえた。

 意味は不明だった。

 でも俺が余計に傷付けてしまったみたいだった。


 委員長はその場で方向転換して、こちらを向いた。


 二度あることは三度あった。


「ありがとう」


 それは涙色をしていても、大きな笑顔だった。

 

 一度目はいつだったかも思い出せないぐらいに貴重な三度目の、委員長の笑顔だった。


 何も分からない、何も言えない俺に、


「さようなら!」


 委員長は最後に泣いたまま笑って、そう言った。




 終業式の日のこの会話が、俺と委員長の夏休み最後の会話だった。

 愚かな俺が、委員長の涙と笑顔の意味を理解し、同じ想いの涙を流したのは、夏休み三日目の夜だった。

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