張り込みしてから尾行して、また張り込み
七月一四日。
今日のネタは『七月一四日だけに、それは無いよ』でいこう。
まるで昨日と同じじゃないかとも思うのだが、今の俺に余裕は無い。
多少の妥協は許される。
本日付けで更新された、俺ルールだ。
彼女はというと何もしてこなかった。
俺も何もしなかった。
何も無いまま、一日は過ぎ、後は帰りのホームルームを残すだけだ。
昨日の告白は夢だったかもしれないとも思った。
だけどチラリと彼女の様子を見れば、必ず目があう。
必ず微笑みかけられる。
必ず俺は照れる。
俺の反応を楽しんでるようにも見えた。
やっぱりイタズラなのだろう。
その割には感じる視線は少ない。
ほぼ彼女だけだと思う。
少数による犯行なのか、大規模な事件だけどみんなが必死に我慢しているのか。
面白くないな。
やられっぱなしってのは、気に入らない。
よし、決めた。
俺は告白の答えに、肯定も否定もしない。
あっちの尻尾を掴んで『ドッキリでしょ? 僕には分かってたんだ』と問い詰めてやる。
これなら、それ程馬鹿にもされずに角もたたんだろう。
そのためには、相手にとぼけられない程度の証拠が必要だ。
証拠が少ないうちに行動に出れば、それはそれで相手が有利だ。
日本人はうやむやに誤魔化すのが得意だからな。
それどころか、誤魔化すために攻勢に出てくることも少なくない。
俺は慎重な男だ。じっくり尻尾を掴んでやるさ。
仮に俺の勘違いだったとしても、徒労に終わることは無い。
彼女の気持ちが本当だったなら、嬉しいかもしれない。
いや、違うぞ。
そんなことはあり得ない。
冷静になれ。
騙されるな。
絶対にあり得ない。
まず手始めに、俺は彼女の尾行をしようと、計画した。
もしドッキリならば、必ず笑いあう場があるはずだ。
まぁ、インターネット上だけで馬鹿にされている可能性もあるが、やっぱり現場を押さえるのが一番有効かつ手っ取り早い気がした。
だけど、彼女の視線は基本的に俺を見ている。
作戦は困難を極めた。
もちろんスルーマンの俺にとっては、乗り越えられる障害に過ぎないのだが。
まずは男子トイレに行き、彼女の索敵レーダーから俺の存在を消す。
これは一瞬で良い。
後はこっそり抜け出て、駐輪場に急ぐ。
最後に校門近くの物陰に隠れ、自転車にまたがり彼女を待つ。
そんなわけで、校門近く、ポストの裏ナウ。
「何してるの?」
「尾行だよ。まだターゲットは現れてないから、張り込みかな」
「ふ~ん。相手は男の人? 女の人?」
「女の人だよ」
「へ~。今、あなたすっごい目立ってるわよ。変装用にアンパンと牛乳買って来てあげようか?」
「良いの? ありがとう。後でお金払うね」
「今の嫌味よ」
「そうなの?」
「当たり前でしょ。ちなみにあなたはストーカー規制法ってご存知?」
「名前だけなら。詳しくは分からないよ」
あ、彼女が出てきた。
俺はペダルに乗った足に力を入れる。
自転車はガチンと鈍い音をして、動かなかった。
おかしいなと思いつつも、何度か足に力を入れる。
「へぇへぇ。私じゃないのね。ターゲットは彼女なの?」
「うん」
「高望み、叶わぬ恋、無謀な挑戦」
「違うよ。あっちから告白してきたんだ」
「嘘でしょ?」
「僕もそう思った。だから、確かめたいの」
何度足に力を入れても、ガチン、ガチンと鈍い金属音がするだけで自転車は動かなかった。
再度足に力を入れてみた。
今度はバチンと言う音がした。
俺のほっぺが叩かれた音だった。
「いった~い」
突然のことに、俺は男らしい悲鳴を上げてしまう。
今度はクイッとあごを引っ張られた。
目の前には女がいた。
「ちゃんと起きてるのね。でも目を見せて。う~ん、意識はハッキリしてそうだけど……」
「痛いよ。ってか、何? 何でいるの? いつからいるの?」
女は知っている女だった。
石田 真知子。
俺と同じ中学校出身で、同じクラスに所属していて、学級委員長をしている。
高校一年生なのに就職活動してそうなオールバックポニーテールの髪型。
前から見ると長い髪は全然存在感がない。
逆三角形の顔が、シャープなあごがきつそうなイメージを与えるが、そのまま見た目の通りとっても怖い。
せっかく雄一優しそうに見える垂れ目が気に入らないのか、尖った三角形っぽい楕円のメガネをしている。
もしかしたら、彼女の中で『キツイ女』は一つのアイデンティティなのかもしれない。
「いつからいるのと聞かれたならば、あなたと会話し始めた頃からいるわ。と答えるしかないわよ」
「会話? なんてしてたかな」
「呆れた。無意識に答えてたの」
「いや、言われてみればしてた気もするよ」
「それで、夢から覚めたかしら? 彼女があなたを気にかけるはず無いじゃない。犯罪者になる前に妄想から目を覚ましなさい」
「僕は起きてるよ」
委員長は無言で手を上げた。
俺は必死になって止めた!
「待って! それ痛いよ。さっきのも、今だにヒリヒリと痛い」
「我慢なさい。男でしょ」
「男女差別反対」
「男女区別よ。そんなこと言うなんて男らしくないのね」
委員長は全然女らしくないよね、と口が裂けても言えないのは俺が弱いからだった。
それよりもどうも委員長を納得させないと先に進めないらしいので、俺は物的証拠のラブレターも見せた。
実は鞄に入れて持ち歩いているなんて、やっぱり俺はどこか女々しいのかもしれないと軽く落ち込んだ。
「コレ。鞄に入ってたんだ。この手紙を貰った次の日、つまりは昨日なんだけど、告白されたんだよ」
ラブレターを渡した後、ちょっと後悔した。
中身を見せてと言われたら俺はどうしたら良いのだろうか。
プライバシーの侵害、貰ったラブレターを回し読みするなんて良くないことに思えた。
だけど委員長はピンクの可愛らしい封筒を見ただけで納得してくれたらしい。
ポツリと「そんな……」と言ったかと思えば、そのまま絶句。
「信じてもらえたかな?」
委員長は無言。俺は封筒が破れないように注意しながら奪い取る。
「僕は行くね」
俺はまた足に力を入れるが、やっぱりガチンと音が鳴るだけで自転車は動かなかった。
「もう、彼女いないわよ」
委員長は復活。
俺が今度は無言になる番だった。
お前のせいで見失ったじゃないか、と言えないのは俺が弱いからだった。
「あとね。さっきから気になってたんだけど、鍵かかってるわよ。それ」
委員長に言われて後輪を確認すれば、確かに鍵がかかっていた。
俺はポケットを探すが鍵が無い。
鞄を探してみても無い。
「無くしちゃったかも……」
「あなたは凄いのね。どうやってここまで自転車を持ってきたの? 乗ってきたんでしょ? どうして気付かないのかしら?」
委員長は俺の目の前で手をぶらぶらと振っていた。
委員長が指で持っているのは俺の鍵だった。
「それ、もしかして僕の鍵?」
聞くまでもなく俺の鍵だ。
U字ロック三つの鍵と後輪のリング鍵、合わせて四つも鍵がついた迷彩服を着込んだブルドックキャラのキーホルダーは、絶対に俺の鍵だ。
「そっ。あなたの鍵。返して欲しい?」
「返してよ~」
「じゃあ、条件。今度尾行する時は私も呼ぶこと。良い? わかった?」
「なんで僕の物を返してもらうのに条件があるの?」
「細かいことにこだわるのね。男らしくない」
普通は文句言うだろ。
委員長にとっての男ってどんな生き物なのさ、と思ったが口に出せないのは俺が弱いからだった。
「分かった。だから、返してよ」
「はい。どうぞ。それで次はいつの予定?」
「明日だよ」
「その次は?」
「明後日」
「毎日なのね?」
「飽きるまでは」
委員長は舌打ちをするように「ストーカー野郎。男らしくない」とぼやいて会話は終了し、俺はやっと解放された。
作戦に失敗した俺は、真直ぐ帰宅した。
集中力を欠きながらも、いつもの日課であるインターネット掲示板を眺めている時、変な事件が起きた。
『それは無いよ。七月一四日だけに』を使うチャンスをじっと待っていた午後八時。
良く考えてみれば、七月は『無い』ネタばっかりだけど、それは目を瞑る。季節を感じられて良いし。
とにかく、少し変なやつが掲示板に現れた。
夏休みの予定でみんなが楽しそうに盛り上がっていたのに、脈絡なくそいつは書き込んだ。
『あの、私サエズッターはじめました。ナウ! 良かったら見てください!! 以下がアドレスです! HTTP:~~~~』
サエズッターとは、シンプルな作りが売りのSNSサービスだ。
そして、ここは掲示板名に高校名が使われているぐらいだから、高校の関係者が集まりやすい。
だから、身近な友達が欲しいのなら、別にこの掲示板に書き込んでもおかしく無いかな。
その時俺はその程度の認識だった。
そいつがちょっと変なやつだとは気づいていなかった。
アドレスをコピーして検索してみる。
似ているアドレスでウイルスサイトやグロ画像サイトに飛ばされることはなさそうで、本物のサエズッターのアカウントだった。
始めたばかりと言うのも本当らしく、一時間前の『始めてみました! ナウ!』というのが最初のさえずりだった。
どうもそいつはテレビ実況をメインに使うつもりらしく、
『花火大会のニュースやってる! ナウ! 今年は見に行きたいな』
とか、
『えぇ~。今のは間違えないでしょ! わざと間違ったよね。あ、クイズに答えてポン見てるナウ!』
とさえずりは続いていた。
こういうのは、複数で実況するから楽しんだろうな。
俺には理解できないが、勝手に友達作ればいいさ。
程度にしかまだ思っていなかった。
掲示板の連中は割と興味津々らしく、
『ステマ乙』
とか、
『堂々としていたらステマじゃない』
とか、
『こいつリアルの友達いね~のか? 寂しいやつ』
とか言いながらも、とりあえずはサエズッターを見に行っているらしい。
『花火大会はいけね~よ。あれ、カップルだらけなんだぜ。花火とか集中できないぐらい落ち込むんだぜ』
とか、
『演出とやらせの違いも分からない素人乙』
とか、明らかにそいつのさえずりに反応している書き込みもあった。
掲示板は、テレビ実況をするそいつを実況する流れになっていた。
やっぱり俺は特に変人が来たという認識は少なく、いつも通りに『それは無いよ!』を使うチャンスを待っていた。
まず最初に、掲示板のみんなが異変に気がついたのは、午後八時半。
『おい! サエズッタ―の方でコメントしたのに無視されたぞ!』
と書き込んだやつがいた。
かと思えば、
『俺なんか友達登録送っちゃったもんね。本アカだよ。見る人が見れば余裕でリアル特定できるアカウントで送ったのに。無視された!』
とか書き込む者が現れ始めた。
少しぐらい反応が遅れても変じゃないだろ。
俺みたいに一つの書き込みに一日を費やす人だっているんだ。
程度の認識しか、まだ俺にはなかった。
十分後、そいつは、
『キャ~! ララC出た!! 桜君カッコイイ!!』
とさえずる。
テレビを見て無い俺は、あぁ、あの五人組の男性アイドルね。
程度にしか思ってなかったのだが、掲示板の様子がおかしい。
『おい。出て無いぞ。ララCなんて俺の見ているテレビには出てきて無いぞ』
『大丈夫だ。俺が見ているクイズに答えてポンにも出て無い』
『私のテレビには出てるよ。二チャンネルに。真夏の音楽フェス四時間スペシャルに出てる』
『うぉぉぉ! こいつチャンネル変えやがった!』
『いつからだ? 一体いつ変わったんだ?』
『私は知っていた。この人、十分前にはチャンネル変えてたよ』
流石の俺もテレビの実況をチャンネル変えながらやるなんて見る方が困るでしょうよと、そいつの変人具合に気がついてきた。
そしてそいつは俺たちに止めを刺しに来た。
『ごめんなさい。コメントに返信しません。友達登録しません。でも見てください!!』
これがそいつの掲示板最後の書き込みだった。
『一体、俺達に何をして欲しいんだ?』
『それは良い。でも、チャンネルは変えるな! せめて変える時に断れ!』
『あ、またチャンネル変えた。今度は九時からのドラマの実況してるね』
掲示板は混乱していた。
俺もガンコで変なやつが来たなと思った。
と同時に俺はチャンスと思い、そいつに返信した。
『七月一四日だけに、それは無いよ』
うまく早い流れに紛れたと思ったのだが……、
『お前が無いよ。注意されても意地でもオヤジギャグで攻めるのな。ガンコなやつ』
と負けてしまった。
どうも最近勝てなくなってきた。
だけど、やっぱりそんなにショックじゃなかった。
負けることに慣れてきたのかもしれない。
でも、今日は違う。
多分、変なそいつが気になっていた。
そいつの変な行動は、共感できないが理解できた。
人との微妙な距離を好む性質。
普通の人付き合いが苦手なタイプ。
俺に似ていると思った。
何故かこの時俺は、ラブレターを思い出し、次に彼女を思い浮かべ、そいつのサエズッターをインターネットブラウザのお気に入りに登録してしまった。
翌日一五日。
やっぱり、今日も彼女は俺を見てくるだけだった。
そんなわけで、一日遅れの尾行作戦は始まる。
「やっぱり遠くから見るととっても変よ。近くで見ても変だけど」
委員長は、遅れてきたくせに、校門近くのポスト裏で待機している俺に文句。
「目立つのは好きじゃないなぁ。
でも、ここで諦めるわけにもいかないんだよ」
「思ったんだけど、あなたの行動原理も変だわ。
告白されたのならイエスかノーを答えれば良いじゃない?
なんで嘘か本当かを調べる必要があるの?」
「信じられないから……、じゃ駄目かな?」
「だから、あなたから普通にイエスノーを言えば、真実かどうかも分かるのよ」
「ドッキリかもしれないから。
性質の悪いイタズラかもしれないから。
黙って笑われるのは嫌なんだよ。
負けるみたいじゃない。
こっちからドヤ顔で『全てお見通しさ』って言ってやりたい。
それなら勝ったみたいじゃない」
「考え方が暗いのね。
男らしくない。
あなたって、そういう人だったんだ。
人なんて見た目で分からないものね」
「委員長は見た目通りだよ」
彼女が校門から出てくるのを注意深く見ていたせいで、あまり会話には集中していなくて、つい口が滑った。
「そう。詳しくは聞かないであげる」
だけど委員長はスルーしてくれた。
委員長は意外とスルーウーマンだ。
反省する間もなく、彼女が校門から出てきた。
「あ、彼女だ」
三人グループで全員俺と同じクラスの女子だ。
俺は、……委員長もいたか。俺と委員長は彼女の尾行を開始した。
「良かったわね。二人で歩いていれば、とっさの時に誤魔化しやすいわ」
「でも僕らが二人で歩いてたら、変な噂にならないかな」
「変な噂?」
「いや、なんでもないよ」
委員長と話したことはあまり無かったのだけど、あまり緊張せずに会話できた。
昨日いきなり叩かれたこともあって正直凄く怖い人のイメージが出来上がっていたのだけど、思っていたより怖く無い人なのかなとも思った。
けどしばらくすると、
「ほら、キョロキョロしないの。怪しいでしょ!」
とか、
「彼女が横を向くたびに隠れていたら怪しいの!
それどころか、隠れている所を見つけられたら、かえって言い訳できないわよ」
とか、とっても口うるさかった。
少し歩くと、バス停で彼女は友達一人と別れた。
その後駅でも友達一人と別れた。
彼女は一人になった。
「へぇ~。彼女遊ばないのね。結構遊び歩いているイメージだったわ」
と委員長は感想。
「今日はたまたまじゃない? 彼女か彼女の友達がバイト入ってるとか」
と僕は意見。
「まぁ、後をつければ分かるわよ」
と委員長は結論。
だけど、その後十分程歩いて、彼女は自宅っぽい一軒家に入っていく。
俺達も通り過ぎるフリをして表札を確認すれば、やっぱり彼女の家だった。
「大きい家ね。全体的に長方形っぽいし。遠くから見るとアパートみたいだわ」
「でも驚く程でも無いよ。この辺じゃ、さり気なくあのぐらいの家があるし」
「そうね。でも苛立つわ。あなたはいつも人の話を否定したがる癖があるんじゃない?」
「そんなこと無いよ。多分……。あんまり人と話さないから知らないけど」
「悲しいこと言わないでよ。ちなみに今のも否定だったわ」
「別にどうでも良いでしょ」
俺は不貞腐れつつも、彼女の家の門を見張りながら隠れられそうなポイントを探す。
高校から二十五分程離れたこの場所は、一軒家ばかりが並ぶ住宅街。
あまり良いポイントはなかった。
彼女の家の前に公園でもあれば、ベンチに腰掛けながら見張れたのだけどあいにく見渡す限り住宅ばかりだ。
コンビニも見当たらない。
「またキョロキョロして、何探してるのよ?」
「隠れられる場所」
委員長は沈黙。なんとなくジト目で見られてる気もしたが、俺は好ポイント探すのに手一杯だったので無視した。
委員長は静かに聞いてきた。
「隠れて何するつもり?」
「門を見張るつもり」
「最低な男ね。男らしくない男ね。犯罪よ」
「だって、私服に着替えてから出かけるかもしれないじゃないか」
「それと、彼女の告白が真実か嘘かという問題とどう絡んでるのよ」
「なんかそれ言うとさ、実はあんまり尾行自体に意味が無い気がしてきたよ。
友達と僕を馬鹿にするかなぁと思ったんだけど、良く考えたら彼女の会話が聞こえる距離じゃないと意味無いよね」
「じゃあ、帰りましょう」
「いや、駄目だ。四日間はやるよ。三日坊主以下なんてカッコ悪いでしょ」
「ストーカよりカッコ悪くなる方法では無いわね」
「別に良いじゃん。
やると言ったらやるの!
それに僕、彼女のことよく知らないんだ。返事のしようが無いよ。
好きか嫌いかも分からない。
だから意味はあると思うんだ」
「告白してくれた人の身辺調査?
あなたは何様のつもり?
最低だわ。男らしく無いわ!」
「委員長。もしかして、怒ってる?」
「もちろんよ。あなたは犯罪を犯そうとしてる人を目の前に怒らないのかしら?」
「怒らないよ。
だって、僕、関係ないもん」
「本当、男らしくない男……」
委員長は怒るのを諦めたみたいで、俺も好ポイントを探すのを諦めた。
電柱の裏に隠れることにした。
自転車は隠れられて無い。
「ポストの次は電柱なのね。
そこじゃ隠れられて無いのよ。
あなたはどこまでお馬鹿なの?
学校の時と違うのよ。
ここで見つけられたら言い訳しようが無いのよ。
っていうか、その内通報されるのよ」
「のよ、のよ、のよ、ウルサイな。委員長は帰れば良いじゃない」
委員長は無言で自転車の前輪を軽く蹴ってきた。
ビンタされなくて良かった。
俺はちょっと委員長に対して油断していたことに気が付いた。
「ゴメン……」
おっかないから素直に謝った。
すると委員長は大きなため息。
そして、すっと俺の後ろ上方を指差した。
委員長が何を指差しているのかを見るため、俺は首をねじった。
「あそこ、丘の上に神社が見えるわね? ここから見えるってことは、神社からもここが見えると思うのよ」
「委員長。ありがとう!」
確かにあの神社からなら、この門が良く見えそうだった。
俺は素直にお礼を言った。
「べ、別にあんたのためじゃないんだからねっ!
クラスメイトが犯罪者として逮捕されると私の管理責任能力が問われるんだから!
そう。私のためなの!」
委員長はいつもクラスメイトに小うるさく注意しているせいで、あまりお礼を言われることには慣れてないのか、分かりやすく顔色を変えて照れていた。
顔をプイッと横に向け、口を尖らせ、拗ねる。
とりあえず俺は、
「委員長はそういう役職じゃないと思うよ」
と無理のある誤魔化しにツッコム。
ボケリストしてちょっと屈辱だ。
「良いの! ありがとうなんて言わないでよ! 困るの。とっても困るのよ!」
「ふ~ん。じゃあ、ありがとう!」
「ちょ、ちょっと! あんたって男らしく無い男は!」
喋る時は律儀に顔を俺に向けるのに、喋り終わると右へ左へ首を振る委員長が面白くて、俺は神社に着くまでの会話中に何度もお礼を言ってみた。
楽しかった~。
「まだ日は明るいのにちょっと怖いね」
鳥居をくぐり、結構長めの石階段を登った先にあったのは、小さな神社だった。
あたりに人の気配はなく、常駐する神主さんもいない様子だ。
人の気配が無い神社は人間以上の存在から来る威圧感なのか、どこか怖く感じる。
「怖いのはやましいことがあるからじゃないの?」
と言った委員長は平気そうだ。
確かに俺にはやましいことがあるけれど、
「委員長はやましいことないの?」
「あるわよ。人間だもの」
「でも、怖くないの?」
「怖くないわよ。それ以上に良い行いしてるもの」
「僕にビンタしたり?」
「あれは……、違うのよ。本来手を上げないわ。初めてのビンタよ」
「僕の自転車蹴ったり?」
「あれも違うのよ。って、蹴ったなんて大げさな。軽く蹴ったんじゃない」
「蹴ってるじゃん」
「蹴ったわね。でも、違うのよ」
委員長はもしかしたらボケ希望なのかもしれない。
俺にツッコミさせるとはな。恐ろしいやつ。
その後、委員長とお喋りしながら彼女の家の門を見張った。
一九時くらいまで見張っていたが、彼女は家から出てこなかった。
尾行二日目。神社ナウ。
今日は土曜日なので、学校が休みだ。
そんなわけで、とりあえず俺は七時から神社に来たのだが、律儀に委員長も同じ時間に来た。
「あなたは一人っ子なのね。納得よ。
凄く一人っ子っぽいもの。
お菓子戦争とかおかず戦争とか経験してなさそうなマイペース君だわ」
「別にそれは悪いことじゃないと思うよ。委員長は?」
「私は中学生の妹と小学生の弟がいるわ」
「へぇ~。委員長はお姉さんなんだ。
凄く納得だよ。
それにしても、委員長とは中学の時も一度同じクラスだったのにね。
意外とクラスメイトの情報って知らないもんだ」
「あなたは特別なのよ。
みんなのことを知らなさすぎだわ。
下手したら苗字しか覚えてないクラスメイトが沢山いるんじゃないの?」
「普通じゃない?
だって、名前なんて使わないよ」
「赤木武。石田義弘。岩城騎士。……、和田亜季」
突然委員長はクラスメイトの名前をお経のように唱え始めた。
この数日で分かったことだが、委員長は直ぐムキになる。
そして気になるのは、これで俺を試したつもりなのだろうか?
委員長は軽い罠をしかけていた。
あまり俺を舐めるなよ。
クラスメイトの苗字ぐらいは覚えてるんだ。
「凄いね。でも、なんか知らない人も混じってたけど」
「混じって無いわ。全部クラスメイトよ。あなた苗字も覚えてないのね」
「委員長が本当のことを言ってるなら、そうなのかも」
委員長は罠なんか仕掛けていなかった。
この日、彼女は休日なのに一歩も外に出なかった。
尾行三日目。神社ナウ。
「あなたは本当に何も知らないのね。テレビとか見ないの?」
「あんまり見ないよ」
「それなら、いっつも何してるのよ?」
「パソコン」
「具体的に」
「インターネット」
「もっと具体的に」
まさか、スルーされるために同じ画面を見続け更新ボタンを何度も押しているなんて言えないのだが、女相手ならうやむやにする方法は心得ている。
「男のインターネットは人に言えないものなの」
「スケベなのね。変なところは男っぽい」
「良いでしょ。思春期だもの。
そういえば、委員長は部活やってないよね。
ってか尾行三日目だけど毎日ついてくるし、割と暇そうだ。
普段は何してるの?」
「勉強よ」
「それだけ? ず~っと勉強してるの?」
「勉強一時間。テレビ沢山よ」
「じゃあ、テレビが主役じゃん。最初にテレビって答えなよ」
見栄っ張りと続けたかったが、ちょっと怖いので止めといた。
「勉強が主役よ。
多ければ主役とは限らないわ。
むしろ逆なの。
その他大勢には無い輝きを持ったオンリーワンミニッツが、勉強なのよ。
それだけじゃないんだから。
テスト前には強くなるの。
やる時はやる人なのよ。勉強は」
「ふ~ん」
やる時はやるって、やる時がくるまではやら無い人なんだね、勉強は。
それに、別にやる時はやるの良し悪しについてはどうでも良いのだけど……、
『やる時しかやらない勉強』の響きは、酷くかっこ悪い。
と思ったけれど、委員長は絶対に引かないだろうから適当に流した。
この日彼女は一度外に出た。
父親らしきおじさんと母親らしきおばさんと共に車に乗り込み、二時間程で戻ってきた。
戻ってきた時にはデパートの紙袋を持っていたので買い物に行ったのだろう。
それっきり、彼女は外に出てこなかった。
尾行四日目。神社ナウ。
三日も尾行してると、特に昨日と一昨日は一日中お喋りしていたので、なんだか委員長について詳しくなってきた。
と同時に会話もなくなってきた。
委員長は沈黙を嫌う人じゃなさそうなのでこの間も苦痛では無いけど、俺には試したいことがあった。
インターネット掲示板で負けが続いていたんだ。
ここ何日間は全く勝ててない。
彼女のことが気になって一つの負けのショックは緩和されるとはいえ、連日連敗だと流石にへこむ。
俺なりに敗因を考えてみた所、日付ネタが宜しくないのではないだろうかという結論に至った。
とはいえ、いきなり実践に新兵器を使うのは危険すぎるので、まずは委員長で試そうと思っていたのだ。
「委員長。突然だけど応援してるよ!」
「本当に突然ね。どうしたの?」
俺は準備していたアイテムを鞄から取り出し、委員長に手渡す。
「神社でエール。ジンジャエール。いつもお疲れ様。はい、どうぞ」
委員長は眉をひそめてジンジャエールを受け取った。
「ゴメンなさい。こういう時なんて言えば良いか分からないの」
「気付かないフリすれば良いと思うよ」
「そう。ゴメンなさいね。ありがとう、だけ言っとくわね」
委員長がそれっぽいことを言ったので、さり気なく名作アニメのパロディもやってみたのに、良いスルーされ具合だと思った。
顔を見合わせてのコミニケーションでこの反応なら、ネット上なら絶対にスルーされる。
「温い……」
と委員長は不満を漏らしていた。
結局彼女は家から出てこないまま、時刻は十九時近くになった。
「彼女はあんまり出かけない。調査終了。今日で終わりにしよう」
「あら。もう良いの?」
「そろそろ飽きたんだよ」
「飽きるの早いわね」
「言ったでしょ。四日は頑張るの。本当は初日に飽きてたんだから、頑張った方だよ」
「根性が無いのね」
「男らしくない?」
「えぇ」
「委員長は続けたいの?」
「……、今日で終わりにしましょう」
委員長は何故か答える前に変な間があったけど、こうして俺らの四日間尾行は終わった。
この四日間で分かったのは、彼女はあんまり外に出ない人だということだけだった。
あと、委員長の家族構成とか趣味とか血液型とか誕生日とか仲の良い友人とか嫌いな教科とか今期見てるドラマとか好きな映画とか、四日も神社で大量の時間を潰すぐらい暇人ってことだけだった。
晩御飯も食べ終え、風呂も入った。
準備万端で俺はパソコンの前に座る。
今日俺が待つのは、応援されたがってる人だ。
誰でもいいから弱音を吐け。
となんともネガティブな願いを放ちながら、インターネットブラウザを立ち上げ、お気に入りに登録してある匿名掲示板を開いた。
今のところ弱ってるやつはいないみたいだ。
なんとなく変なやつのサエズッターを見てみる。
今日もテレビの実況をしているらしい。
らしいと言ってしまうのは、確定できる情報が足りないからだ。
『私もあのケーキ食べた~い!』
とか、
『この歌好きなの!!』
とか、
短いさえずりばかりでどのチャンネルを見ているかを宣言することは稀なので、見てる側が偶然にも同じチャンネルを見て無い限り、『あのケーキ』とか『この歌』の具体的情報を得られないシステムになっている。
もしかしたら、雑誌を読んでるのかもしれないし、映画を見ている可能性も否定できない。
それでも何故か俺はそいつのサエズッターを見るのが日課になりつつあった。なんか気になった。
掲示板とサエズッターを交互に更新しながら、俺はじっとチャンスを待った。
チャンスが訪れたのは、二一時をちょっと過ぎた頃だった。
『誰か私を慰めて。
あのね、今週末に花火大会あるでしょ?
でもね、みんな彼氏と行くの。
私、一緒に行く人いないの!!
一人じゃ行けないよぉ。
見たいよ!』
という書き込みがあった。
なんとなく女だと推測されるその書き込みには、沢山の返信が来る。
まず早すぎるレスポンスで『俺が一緒に行くよ!』みたいな飢えた男共が食いつくが、多くは冗談なのだろう。
自分の情報も明かさないし具体的に待ち合わせる方法も書き込まれない。
あっちもそれが分かっているのか、『気持ちだけ受け取っとくよ!』と適当に流していた。
次に『まだ間に合う。諦めるな。お前も彼氏作ればいいじゃん!』的な返信がついた。
チャンスだと思った。
すかさず俺はキーボドを叩き、返信する。
『俺も神社から応援してるよ。ジンジャエール飲みながら。神社でエールだけに、ジンジャエール』
すかさず返信の返信が帰ってきた。
『あなたも、あなたも、ありがとう! 私頑張ってみるね』
俺は今日も負けた。
今日のは負けても仕方なかった。
俺のミスだ。
勇み足だった。
良く見たら、こいつ適当に流してるくせに律儀に全部に返信していやがる。
返信するだけして、ボケには触れもしていない。
そうか。
ボケに触れられて無いのならスルーされたも同然じゃないか?
うん。セーフだな。
大丈夫だ。
この技を『お前が切ったのは服だけだ』と名づけよう。
あるいは『ノーダメージ』だ。
同時に俺ルール更新。
よし。
今日は久しぶりに勝てたぞ。
と俺は自分を騙した。
その直後だった。
俺が書き込んでから二十分ぐらいが経った頃だった。
『お前さ。オヤジギャグを言いたいならもう何も言わないけど、解説がくどいよ』
俺ルールを更新した意味もなく、言い訳のしようもなく、完全に、今日も負けた。
更にその直後だった。
『あの、私はちょっと面白かったです!』
と花火大会のやつも返信してきた。
絶対に嘘だ。
本当に楽しかったなら直後に触れるはずだろう。
それよりも、一つの戦いで二回負けた。
こんなの……、初めてだぞ……。
我が家にパソコンが初めて来たのは、俺が小学三年生の時だった。
最初は使い方も分からず、使うことはできなかった。親も壊れることを心配してか俺に触らせてくれなかった。
それでも学校の授業でパソコンの特にウインドウズの基礎知識を身につけ、熱意ある交渉の結果、俺が初めて家のパソコンを使うことを許されたのは小学六年生の時だ。
噂には聞いていたし、授業中も少しだけ触れていたので、知ってはいたけれど、初めてサーフィンするインターネットという巨大な海はたちまち俺をとりこにした。
アニメとかゲームとかサッカーとかそういった今までの趣味を極限まで切り捨て、俺はネットサファーになってしまった。
匿名掲示板の存在を知ったのは、中学一年生の時だった。
我が家にもう一台のパソコンが家族になったことによって、古株のパソコンが俺の部屋に来た時だ。
出会いは偶然だった。
何かを検索していた時、偶然見つけた。
もう何を検索していたのかも忘れてしまったが、出会った時の衝撃は忘れられない。
そこにしかない情報に溢れていた。後に分かるのだがデマもいっぱいだった。
他じゃ見れない建前なしの本音っぽい言動に溢れていた。
後に分かるのだが人の本音なんて汚いものも多くて見ていて楽しいことばかりとは限らない。
何より俺を魅了したのは、コピペと呼ばれる代々受け継がれる小話だった。
怖い話だったり、泣ける話だったり、笑える話だったり、様々な話が色々な場所で語りつがれていく。
誰が作ったかも分からない小話で、誰かも分からないやつらが怯えたり泣いたり笑ったりする。
自分もそんな小話を作りたいと、その時は思った。
最初はただ笑って欲しかった。
スルーされることを目的になんかしていなかった。
だけど現実は甘くなかった。
俺が最初に作った小話は、確か夢から覚めるための紅茶の話。
バリバリのコメディで、題名はリアリティだったかな。
見事なまでに誰も何の反応も示さなかった。
その後も、俺の小話は見向きもされなかった。
笑ったと言う感想は一つも無い。
つまらないと言う感想も一つも無い。
ただ流れ行く書き込みたちに埋れていった。
誰にも気付かれてないような気分になった。
俺自身がこの世界に存在していないのではないだろうか、とまでは思いつめなかった。
もっと面白い話を作ってやると意気込めたのは最初の一年だけだった。
全く人から相手にされない状態が続き、俺はついにコピペ界に自分の小話を残すのを諦めた。
中学二年生という若い年齢を考えれば、一年って期間は諦めるには早すぎたかもしれない。
でも、違うんだ。
俺は気付いてしまった。
分からないやつには一生かけても分からないかもしれないが、スルーされることは快感だった。
そしてその後、俺は自分の才能を生かし、スルーマンとしての地位を確立していった。
ほぼ負けなしの無敵のスルーマンへと成長していった。
いや、俺は初めからほぼ負けなしのスルーマンだった。
そのはずだった……。
でも最近ずっと負けてる。
今日はズルしてでも勝とうとして、惨めに負けた。
しかも一つの書き込みに二人の人間から返信された。
初めての大敗。
「こんなの俺じゃねぇ……」
俺は頭を抱え込み、うずくまった。
机が頭にぶつかって痛かった。
ちょっと、アニメの登場人物みたいに悲劇の主役を気取ったつもりだったのだけど、やるんじゃなかった。
思った以上に俺は落ち込んでいるらしい。頭を抱えるのは演技だったのに、本当に泣きそうだ。
こんな所を人に見られたら、それこそ笑われるかも知れないが、スルーマンは俺の青春そのものだった。
ガムシャラに多くの時間と情熱をつぎ込んだ、俺の誇りだった。
俺は身体を起こし、ブラウザの更新ボタンを押してみた。
まさか、三人目の返信は無いよな。
返信はあった。
『あの、本当に面白かったです! それに応援してくれるって書き込んでくれて嬉しかったです!』
でも、花火のやつだった。
四つ目の返信だけど、人数で言えば二人だ。
落ち込むな。
まだ大丈夫。
俺はまだ終わってない。
クソ。
「夜風が涙にしみるぜ」
窓は開けてないのでこの部屋に夜風は吹き込まないのだが、確かに風を作ってくれているエアコンに向かって言ってみた。
あ、駄目だ。
主役ゴッコ止めよう。
本当泣きそう。
気を紛らわせるために、またブラウザの更新ボタンを押してみた。
『実は笑いすぎて、おなか痛くなっちゃいました!』
また返信されていた。
花火のやつだ。
こいつ、しつこいな。
もしかして、俺は心配されてるのか。
やめろ。お前のその返信は俺を追い込むだけだ。
俺は花火のやつに返信した。
このまま放置してたら、何度でも書き込まれそうだ。
『面白いって言ってくれてありがとう。君も一緒に花火大会行く人が見つかるといいね』
五分後、更新ボタンを押してみると花火のやつからまた返信があった。
『ありがとうございます!』
十分後、更新ボタンを押してみるともう返信はなかった。
「何だったんだよ。あいつ。変なやつだ」
一人きりの部屋で独り言を言うスルーマンの俺も相当の変人だが、変なやつだったなと思った。
さっきまでの絶望感は和らぎ、俺は少し笑った。
たまには、スルーされずに会話するのも悪く無いかもなと思った。
この時俺は、何故か一人テレビ実況するサエズッターを思い出した。
続けて彼女の顔が浮かんできた。
一瞬のひらめきは、無関係に思えたバラバラの出来事をパズルのピースにしていく。
最初から全ては一つのパズルだったのだ。
俺がスルーマンだと知りえる人物が一人だけいた。
俺の携帯電話を覗きこんでいた彼女だ。
その日、差出人不明のラブレターが俺の鞄に忍び込んでいた。ラブレターには『私とあなたは似ている』と書いてあった。
何故だ?
その時は分からなかった。
だけど、俺はその直ぐ後に自分に似ていると思う人物と出会う。
テレビ実況をするサエズッターだ。
サエズッターと出会ったのは、ラブレターを貰った次の日だった。
彼女に告白された日でもある。
スルーされるチャンスを待っていた夜に、一人テレビ実況するサエズッターが掲示板に現れた。
そいつは一切コメントを返さないし友達登録もしないが、自分のサエズッターを見て欲しいと掲示板に書き込んだ。
何故だ?
俺に見て欲しかったんじゃないのか?
今日、掲示板に花火大会に一緒に行く人がいないってやつが現れた。
そいつは俺に返信した。
過剰なまでに俺に返信した。
まるで俺を心配しているようだった。
何故だ?
スルーマンが俺だと知っているからでは無いだろうか?
あるいは、俺と思わしき人物の返信に喜んでくれたのでは無いだろうか?
つまり、花火大会のやつがサエズッターで、サエズッターが彼女で、彼女が花火大会のやつなんじゃないだろうか?
トラップ仕掛けのイタズラなんかじゃなくて、彼女の気持ちは本物なのかもしれない。
おかしい。
今、俺の身体がおかしい。
鏡を見なくたって今の俺の顔はにやけているって分かる。
胸に手を当てなくたって心臓が激しく脈打ってるのが分かる。
なんだ。コレはなんだ。
胸が痛い。
顔が熱い。
苦しい。
辛い。
でも、なんか、凄くうれしい。
意味が分からないけれど、この時俺は丸くなりたくなった。
丸くならなきゃ、爆発してしまいそうな抑えきれないこの気持ちに、身体が吹き飛ばされてしまう気がした。
ベッドに倒れこみ、掛け布団の中に潜り込み、丸くなった。
横向きに体育座りしているような姿勢で、丸くなった。
気がつけば、今日スルーマンとして大敗したショックは消し飛んでいた。
あぁ、俺の青春や誇りが安っぽいなんて思われるかもしれないけど、違う。
きっとこの気持ちが大きすぎるんだ。
このドキドキが強すぎるんだ。
なんだよ。
なんなんだよ。
本当は分かっていた。
俺は何故サエズッターをお気に入りに登録した?
多分、俺はその変なやつが気になっていた。
そして、今、自分がなんとなく好意を寄せつつあった相手が、実は既に自分に好意を持ってることを打ち明けてくれている事実に気がついたから、ドキドキしているんだ。
彼女もこんな気持ちで毎日を過ごしてるのかな。
ふと、俺は思った。
嬉しいけど辛い。
辛いけど嬉しい。
こんな状態で放置されているのか、と思った。
真相を確かめようなんて疑って、答えをうやむやにしたまま待たせてしまって申し訳ない気持ちになった。
今の自分の気持ちは恋なんて呼べる代物じゃないかもしれない。
まだ、そんなハッキリとした形になってなくて、もっとフワフワとグニャグニャと良く分からない不定形で、だけどこんなにも強い力で俺の感情を揺さぶっていて、とにかく彼女と話がしたいと思った。
一人でいることを愛し、人にボケを無視されることを愛した俺が、彼女とは是非話したいと思った。
明日。彼女に声をかけよう。
告白の返事は何て答えるかは、まだ分からない。
でも、声をかけよう。
まだ時刻は二二時前。
寝るには早いのかもしれないけれど、今日は何もできそうに無い。
頭が真っ白で、顔は真っ赤で、とても活動できる状態に無い。
特に頭が使い物にならなさそうだ。
だから、寝よう。
俺は布団から這い出て、付けっぱなしのパソコンの電源を切ろうと机に向かって、その前にサエズッターを更新して見て、なんかまた何をさえずってるのか分からないけど楽しそうだなぁ良かったなぁ、とか思ったりしながら謎の幸せパワーが俺を照らして、ポカポカ気分でパソコンの電源と照明を消して、布団にもぐるのだけど、寝られるわけなかった。
これは温度とか気温とか体温とかの話じゃなくて、何かが全体的に熱い。
寝返りを打つようにベッドの中で身悶え、やっぱり寝られないやと諦めたのは二二時半だった。
クールダウンのために散歩でも行こう。
寝巻きのまま薄手の春用コートだけを羽織り、玄関に向かった。
俺に気付いた母親が聞いてくるのだけど、
「こんな時間にどこ行くの?」
「涼しい夜の街、クールタウンさ。クールダウンだけに」
「そう。帰りにアイス買ってきて。私はバニラ、お父さんはチョコでしょ。あんたの分も買ってきて良いわよ。後でお金払うわ」
何故かアイスのお使いを頼まれた。
七月中旬となればそれは真夏と表現しても良い季節なのだから、当然なのかもしれないけど、夜の街は思ったより寒くはなかった。
家から出た瞬間『暑い』と独り言を漏らすような気温ではなかったけれど、薄手のコートを羽織ながら歩いていると、クールダウンが目的だったはずなのに背中からじんわりと汗がにじむ。
途中通った橋は人の気配が少なく、夜はちょっと怖い。
でも川原からは、ここら辺じゃ珍しく野生の鈴虫の声が聞こえてきて、ちょっと気分は涼しくなった気がする。
鈴虫や風鈴の音に清涼感があるのは何故だろうか後で調べてみよう、と多分家につく頃には忘れるだろうどうでも良いことを考えながら、目的地も決めずに夜の街を歩いた。
目的地は定めていなかったはずだった。
気がつけば、馴染みの無いはずなのに、やたらと見覚えのある場所を歩いていた。
俺の足は無意識に彼女の家を目指していた。
待て、待つんだ俺。
夜中に彼女の家に行ってどうするつもりだ。
本当にストーカーみたいじゃないか。
俺は意識的に目的地を定めることにした。
良し、神社に行こう。
彼女のことを考えてたせいかもしれない。
今日掲示板に現れた彼女に、神社から応援すると書き込んだことを思い出した。
丁度この近くに神社はある。
ここ四日間大変お世話になった神社があるな。
宣言したのだから、やっぱり応援もといお参りししようかな。
と思ったのだ。
神社近くは、彼女の家近くで、つまりは一軒家ばかりが並ぶ閑静な住宅街。
なんていうか、昼間は気付かなかったけど、人通りが少なくお店の自己主張の強い光も無いので、夜歩くには滅茶苦茶怖い。
やっぱり、昼間にでも行こう。夕方に行こう。明日の放課後があるじゃないか!
と俺の心がポキリと情け無い音をたて折れた時、前方に人影が見えた。
古着っぽいジーンズにダボダボの黒のロングTシャツを着たその女性は、明るいブラウンカラーのロングヘアーで、ポケットに手を突っ込んで歩いていたから、パッと見ヤンキーだと思った。
言い訳すると、夜が怖いのはお化けだけじゃなくてヤンキーに出くわす可能性もあるからだと思うんだ。
それにちゃんと直ぐに気付いたさ。
その女性が彼女だってことには後姿を見ただけで分かったさ。
一体こんな時間に何をしてるんだろう。
コンビニにお使いを頼まれたのかな。
高校生の立場は世間が思っているよりずっと弱く、パシリなのは我が家だけじゃなかったのかな。
でも一番近くのコンビニまでも結構距離あるぞ。
女の子をこんな時間に出すなんて、非常識な親だな。
おまわりさんに見つかったら補導されちゃう時間だろ。
とか色々考えながら、何故か俺は彼女の後をつけていた。
明日彼女と話すことを考えるだけで浮かれちゃって恥ずかしくなっていたのに、いざ話しかけるチャンスが来るとそれはそれでとても恥ずかしいのだった。
でもここはお店も近くに無い彼女の家近く、閑静過ぎる住宅街で、時刻は夜中なわけで、偶然出会ったと言っても信用してもらえない気もした。
今回本当に偶然、とは言い切れ無い気もするけどやっぱり偶然なのだから、さっさと声をかけてしまえば良いか。
と思うのだけど、やっぱり恥ずかしかった。
じゃあ、後をつけなければ良いのに。
これじゃ、本当にストーカーだ。
でも、こんな夜中なんだから、何か事件に巻き込まれるかもしれない。
俺が見送らなきゃ。
そして思考はループする。
じゃあ、話しかけなよ!
恥ずかしいの!
そうこうしているうちに、結構な時間と結構な距離、俺は彼女を尾行した。
言い訳しておこう。
結局グダグダとここまで彼女の後をつけてしまったのは、彼女の目的地も俺の目的地も同じだったからで、違和感なく尾行できたからだ。
彼女の目的地も神社だった。
彼女は鳥居をくぐり、神社へと続く石階段を登っていった。
その歩には一切の躊躇もなかった。
俺は彼女を尊敬せざるを得なかった。
神社の前、石階段の横には木がいっぱいあって、小さな森林になっていた。
丘だから小さな山と呼ぶべきかな。
それは重要じゃなくて、何故木がいっぱい生えているかというと魔除けの効果があるかららしい。
実は俺にとってそれもそんなに重要な事実じゃなくて、木々の中に電灯が無いのが大きな問題だ。
凄く暗い。
夕方なら階段の下から階段の上まで見えるぐらい小さな丘なのに、今は全然先が見えない。
ちょっと前に登り始めた彼女の姿も、もう見えない。
とにかく、暗い。
とっても、怖い。
「誰かいますか~?」
俺は階段の上の方に向かって言ってみた。
情けないことに、お化けの恐怖によって俺はやっと彼女に声をかけることができた。
でも、返答はなかった。
「誰かいますよね~?」
もう一度聞いてみた。
静かすぎる闇を見つめながら、彼女以外の声で返事があったらどうしよう、と思った。
姿の見えない遠くの車のエンジン音がやたらと大きく聞こえた。
風の音は女の人の声のようだった。
俺の足は効果音があってもおかしく無いぐらい激しく震えていた。
いくら待っても返事はなかった。
とりあえず、鳥居だけはくぐり、でも石階段は登らずに、遠くからお参りした。
彼女が誰かと花火大会に行けますように、できれば俺と?
なのかはまだ良く分からないけど、彼女が花火を見れますように。
パン、パン、と手を二回合わせる。
控えめに叩いたはずなのに、随分と音が響き渡る。
もう帰りたい。
今ここで俺が逃げ帰っても、その事実を知るのは俺一人のはずだ。
良し。帰ろう。
きびすを返し、ふと思う。
何故、彼女は夜の神社に行った?
俺は色々考えてみる。
そして、その色々の中に、嫌な想像がいくつかあった。
例えば、実は悪いやつらに脅されて人目のつかない神社に呼び出されたりしたのかもしれないとか、彼女は特撮ヒロインのように人知れず魔界の者と戦う孤独な少女で実は俺が主人公で今助けに行かないと死亡フラグが立ってしまうのかもしれないとか、実は彼女はかぐや姫で今日月に帰るから今ここで会いに行かないと二度と会えないかもしれないとか、妄想は止まらない。
とりあえず俺に分かるのは、あんまり俺が冷静じゃないってことだけだった。
流石に自分の妄想『実は』が『実話』である確率は非常に少ないだろうけど、多分普段の俺ならその少ない確率をゼロと判断したに違いないんだけど、でもでも、このまま帰るのは宜しくない気がしてきた。
なんだか不安になってきた。
石段を一つ、また一つと、俺は登り始めた。
震える足で歩くのは、中々に難儀だった。
森が街の音を吸収しているのか、少しずつ無音の世界に近づいているように感じた。
だけど、それは気分的な話で、実際には虫の音は大きくなり、鳥の音も大きくなり、人がいない世界に迷い込んでしまった気分だ。
前を見て歩くととっても怖いので、自分の足元を見て歩くことにした。
靴は確かに俺の物なんだけど、人工物の存在が非常に有難かった。
現代人は自然の驚異に弱いのだと思った。
ちょっとだけ、俺が特別に弱いのかもしれないとも思った。
階段で怪談を聞くのも面白そうですね。
かいだん、だけに。
ちょっと、自分を奮い立たせようと思ってボケてみた。
自分の好みじゃないボケに真剣に怒れる人の不思議なエネルギーの出所が分かった気がした。
どこかで猫が鳴いた。
猫のはずだった。
女の人の悲鳴にも聞こえたけど、絶対に猫だ。
物事には必ず終わりがある。
例外はない。
どんな苦境も、乗り越えられるものだ。
気がつけば、あと三段。
あと三段登れば俺は救われる。
石階段の頂上は直ぐそこだった。
一気に駆け上がる。
でも残念ながら、頂上で待ってたのも、一つの提灯型電灯に照らされただけのほぼ真っ暗な闇だった。
提灯型電灯が照らしているのは、お賽銭箱だった。
無心。無心。無心。
と俺は心の中で唱えつつ、お賽銭箱を目指す。
急ぎ財布の中からお賽銭を取り出し、お参りした。
怯えてゴメンなさい。
でも、怖いんです。
彼女は無関係です。
花火お願いします。
ぶしつけにお願いをして、帰ろうとしたのだが、思い出してしまった。
そうだった。
俺は彼女の後を追ってきたんだった。
闇が怖いからあまり見たくないけど、俺は辺りを見回した。
人影はなかった。
何故だ?
いくら下を向いて歩いていたとしても、すれ違った人に気付かないはずが無い。
石階段はそんなに幅が広くない。
何故いない?
「誰かいますか~?」
俺は聞いた。
声が震えていた。
俺の質問に答えたのは葉っぱがこすれる音だけだった。
まるで小馬鹿にするようにクスクスと笑っているみたいだった。
クスッ。
葉っぱの音に混じって、確かに誰かが笑った。
さっきと違う。
好意的に解釈して猫の鳴き声だったかも、とは思えない程に確かな女性の声だった。
「ぼ、ぼくはいます~!」
俺は笑い声の主に話しかけてみた。
クスッ。
クスクス。
まるで声を押し殺すように相手は笑うだけだった。
小さすぎる声からは上手く方向を特定できない。
いや、全方向から聞こえてくる気がした。
いくら探しても声の主は見つけられない。
探すといっても俺は一歩も動けて無い。
怪しそうなところをジッと見つめる。
不意に後ろに気配を感じる。
慌てて振り向く。
怪しいところを探す。
そこを見つめる。
涙目になってくる。
横から気配を感じる。
そっちを見る。
怪しい所を探してそこを見つめる。
おしっこしたい。
「誰もいないな~。僕は何にも見えて無いな~。帰ろうかな~」
お化けは見える人を頼ると聞いたことがあるので、アピールしてから帰ろうと思った。
できるだけ自然に、何にも気づいて無いつもりで歩き出すが、明らかにぎこちない。
それでも、なんとか歩ける事実に安堵しながら、こんな状況で腰を抜かさない度胸ある俺で良かったと思いながら、石階段を転げ落ちるように駆け下りた。
十段ぐらい本当に転げ落ちた。
全身打撲。
階段を走ってはいけません。
でも、骨折はしてないみたいで、酷く痛むが動けそうだった。
俺は少し歩き、明かりの強い門の家を見つけ、その前に座り込んだ。
自分の来た道を見つめるも、奇声を上げブリッジしながらも凄い速度で四足歩行しつつ後を追いかけて来る人物はいないみたいだ。
情けないことに安心した今になって、またまた気がついた。
思い出した。俺は彼女の後を追っていたんだった。
ちなみに彼女のことを忘れてのは、この短い間に二回目だが、それだけ怖かったんだよぉ。
などと自分に言い訳しても仕方ないので、といっても俺は彼女と連絡とる方法も無いので、委員長に電話した。
委員長は四コール目で電話に出た。
「どうしたの? こんな時間に?」
第一声から、声色的に怒っているのが分かった。
時間も時間で、そりゃそうかなと思いつつ、今は空気を読んでいられない。
緊急事態だ。
「大変なんだ! 彼女が行方不明なんだよ!!」
「……。大丈夫だから落ち着きなさい。まず、深呼吸。ハイ!」
委員長に言われて、俺は深呼吸する。
委員長は吸って~吐いて~と電話越しに言うが、俺とリズムが合って無いので自分のタイミングで深呼吸した。
「落ち着いたかしら?」
「ちょっとは」
「それじゃ、詳しく聞かせてちょうだい」
「えっと、神社に行こうとしたら彼女を見つけたんだ。
こんな夜中に何してるんだろうと考えていたら無意識に彼女の後をつけてしまったんだよ。
でも、彼女の目的地も神社だったんだ。
僕も神社に行くつもりだったから、遅れて石階段を登ったんだけど、丘の上の神社付近には彼女の姿はなかったんだ」
「そう」
委員長は考えているのか少し無言で、でも今の『そう』って言葉は落ち着いていて、というかどこか嬉しそうで、この緊急事態にあまり焦ってはいないみたいだ。
俺の心臓はバクバクと鳴っているのに。
「大体の事情は理解したわ。あなたは彼女の安否が気になるのよね?」
「うん」
「良いわ。私、彼女の電話番号を知ってるから、電話してみる。一度切るわよ」
「うん! 頼むよ!」
「えぇ。きっと大丈夫だから、安心して待ってなさい」
委員長の声はやっぱり嬉しそうだった。
こうして俺は委員長の電話を待つことになった。
座り込んだまま、その場から動けなかった。
今、この明るい照明装備の門を建ててくれた家主が出てきたら、面倒なことになりそうだが、生憎俺の目の前を一人も通らなかった。
できれば、誰か一人ぐらいは姿を見せて欲しかった。
委員長からの電話があったのは、五分後だった。
「あの、もしもし。委員長?」
「どうして携帯電話で聞くのよ。
ディスプレイに発信者の名前が表示されてるはずでしょ?
私の名前登録してあるんでしょ?」
「え、電話は『もしもし』から始めるでしょ?」
「別に、良いけど……。
それより、彼女は無事よ。
何の心配もいらないわ」
「本当に? 良かったよ!」
「喜ぶ必要も無いのよ」
委員長はあまり機嫌が良くないみたいだった。
「委員長、もしかして怒ってる?」
「そうね。怒ってるかもしれないわ」
もう時刻は二三時半。
真面目そうな委員長は寝ている時間だったのかもしれない。
「ゴメン……」
「良いのよ。
どうして夜中に出歩くのとか、
偶然出会ったにしてもどうして無言で後をつけちゃうのよとか、
文句は色々あるけど、
クラスメイトを心配するその姿勢は良いことよ。
だから今日は全部見逃してあげる」
「うん。ゴメンね」
素直に謝ったからか、委員長の機嫌は少しずつ直っていったのが分かった。
委員長は声に出るタイプなのかもしれない。
「でも、一つだけ良いかしら。
あなたは知らない可能性もあるから……。
帰ったら、直ぐに生徒手帳の二十五ページを読みなさい。
二二時以降の外出は校則違反よ」
「うん。絶対読むよ。委員長、今日はありがと!」
委員長の機嫌は直ったのだと思ったけれど、乱暴に電話を切られた。
さよならを言ってもらえなかったし、言えなかった。
怒ってるけど、怒ってないフリをしてただけなのかもしれない。
実は聞き流していたけれど、ちょっと本気で反省した。
その後、俺は真直ぐ家に帰り、アイスを忘れたことをクドクド母親に責められ、部屋に戻りちゃんと生徒手帳の二十五ページを読んでから、彼女が無事で良かったと思いながら寝ようとした。
気持ち良く寝れそうだった。
彼女が無事で良かった。
何の危険から無事だったのかも分からないし、そもそも何の危険もなかったのかもしれないけど、彼女が無事だと言う事実は俺を安心させた。
思いがけない長距離ウォーキングと想定外の恐怖体験から、心身ともに疲労していた俺は、順調に夢の世界へと旅立とうとしていた。
意識がボヤケてきて、
もう俺が俺じゃなくなってきて、
エッチな夢を見れたら良いなぁなんて思考も曖昧で、
本当にそんなことを思っていたのかも疑問だったけれど、
きっと俺は紳士な男なはずだからそれは勘違いだと思うんだけど……、
とにかく俺はハッと気がつき飛び起きた。
さっきまでの眠気はなく、頭はクリアだ。
一瞬で目が覚めた。
おかしい。
彼女は無事だった。
それは確かな事実だ。
でも、おかしい。
それは一切の説明になってない。
彼女が消えた理由の説明になってない。
彼女は石階段を登った後、どこへ消えた?
何をしていた?
まず頭の中に浮かんだのは、今日のことも含め全部がドッキリなのではないだろうか?
という推測だった。
特定不可能の名無しが俺の掲示板でのステータスだし、
あれは誰が見てもボケだと分かるものだったが、
それでも確かに俺は掲示板で『神社エール』と神社に行くと宣言した。
時間の指定はしなかったにしろ、念のため張り込むことは可能だっただろうし、
もしかしたら俺はとてつもない巨大イタズラネットワークに見張られているのかもしれない。
家から出たことを、彼女に報告する役がこの近辺に住んでいるのかもしれない。
流石に、それはないか。
でも、絶対に無いとも言い切れないぞ。
俺は確かめる方法を知っていたことに気がついた。
彼女のサエズッターだ。
神社に俺と彼女がいた時間、彼女がサエズッターで何かさえずってるかもしれない。
そこには俺の推測を決定付ける、あるいは否定する情報があるかもしれない。
パソコンの電源を入れるけれど、いつも長い起動時間は、いつもよりもっと長く感じた。
やっと立ち上がったパソコンでインターネットブラウザをクリックし、彼女のサエズッターを見てみる。
彼女は、俺が家を出る直前にチェックした時からずっとさえずっていた。
サエズッターにはさえずった時刻と端末の種類が表示される仕組みになっている。
彼女はずっとパソコンからさえずっていた。
良く分からないさえずりから、なんとか特定できそうなさえずりを選び、インターネットで調べてみる。
そのさえずりたちは、確かに今日テレビでやっていた内容みたいだった。
彼女はパソコンの使える場所から、テレビの実況をしていた。
つまり、彼女は家にいた。
でも、俺は彼女を見た。
後姿だけだったが、時折横顔も見れた。
あれは絶対に彼女だ。
生霊。
ドッペルゲンガー。
化け狐。
いくつかの可能性が浮かんでくるが、俺は慌てて否定した。
怖い!
お化けなんていないさ。
いないでほしい。
明日彼女に声をかけるという決意が、明日みんなに彼女について聞いてみるという決意に変わっていくのを感じながらも、それを止められなかった。
止めようとも思わなかった。
この日もなかなか寝付けず、布団にもぐったままハッキリとした意識で長い時間を過ごした。