Lotus eater
純真無垢・春華
蜘蛛の巣のように入り組んだ道を確認もせずにすらすらと曲がりながら、
春華統括の片割れ、ビブラがオーナーを務める大遊郭『青龍』へと四人は先を急ぐ。
「さっきのカオ・メイの店はね、ロイドのとこに比べるとそりゃあ劣る劣る。玉石混淆がこの街であるのは確かだけど」
先ほどの電話でのやりとりをカマエルに説明する前に、黒華について触れておかなければならない。
天使はオーナーが話し出した内容にじっと耳を傾ける。
「あのエリアはね、純真無垢という変態街の中でもあっちに越えた連中を引き受ける区画なの。フェザーズのように作り替えられた人間や、動物が主な商品。犬としかやれない女や豚にしか勃たない野郎がごまんと居るの。ロイドの店はあの区画じゃ最高級、フェザーズはきちんと扱われ、食事も服も、教育さえ受けてる。でもそれは、あの店だからなのよ。他の店じゃあね、ペットショップの猫の方がまだましな売られ方をしてるくらいよ。当然買い手もアレ・ソレ目的の連中ばかり。まあ間違ってるとは言わないわ、それがこの街のあの区画、そして私はそこに根を張る住人だから。あんたは言いたいこともあるでしょうけどね」
そこまで一気に話すと、それでも足を止めることはなく、冷え込む通りを行き交う人々を巧みにかわしながら短くなった灰柄を溝に投げ捨てる。
「この世界の全ては他人事さ、用事があったから立ち寄ったまでで深く関わる気はない。何より天使は人を救えない、同情は共倒れを誘うだけだ。そう割り切ってる俺は何に口出しする気もない。続けてくれ」
「良い言葉ね。カオ・メイの店はつまり、そっち側の客を相手にしてるの。マズいことにね、あんたの部下は売り切れだそうよ。面倒ね、裏道入るわ」
新しい煙草に火を付けながら何度目で何処なのかも天使にはわからない角をひょいと曲がると、申し訳程度の非常灯が点在する裏道から、聳える城壁の向こうで遠く光る新上海を示す。
「ちょうど見えるわね、わかる?あれは新上海城市。あんたの部下が買われていったところよ」
闇に浮く無数の明かりが示された先にあるものの大きさを物語っている。
「凄いな、砦みたいだ」
「砦。間違ってないわ。ここはその昔、上海城砦なんて地名だったから。あの中にはミリオンダラーの楽園が広がってる。日々華々しい発展を遂げるまさにシャングリラ。あそこから見た私たちは地べたを這いずる虫か何かにしか見えないそうよ。私たちを虫や野良犬だという人間様がこのクソ溜まりで享楽を買って快楽に札束を燃やすの。私にはそれが愉快でたまらない」
「部下は無事なのか」
「四分六ね。とにかく喧嘩の相手はあの中よ、さあ着いた」
何処をどう歩いたのか、話しながら連れ回されただけの天使には皆目見当もつかないが、裏道から一歩開けた先に一際明るく賑やかな一画が現れた。
朱塗りの太鼓橋で双方を繋いだ大遊郭『青龍』と『白虎』
龍虎が睨み合う豪華な扉絵の前で、黒服を従えた姉妹娼婦が一行を待ち構えていた。
「ちょっと、また派手になってない?」
いつ見てもとんでもない建物へ苦笑いを隠しもせず、姉妹に片手をあげて歩み寄る。
「以前のままよ、記憶力が心配だわ、おじさま」
「これでも私たちにはまだ地味だと思うの」
てんでに悪戯っぽく笑いながら、扉絵を左右に開かせると、二店が一体となったロビーへ一行を招き入れる。
「用事はさっきの通り、この兄ちゃんを一晩預かって欲しいの。物置で良いわ。で、悪いんだけど明日……もう今日ね、無法地帯の『ノーマンズランド』に届けてもらえるかしら」
「あら余所者。……ちょっと待ってオーナー、無法地帯ですって?」
突然浮上した隣街の名前に、ロイドからの連絡を受けて事態の解決を予想していた姉妹の表情が硬くなる。
「そうよ。明らかになったのは余所者の身元と目的だけ。惜しいところまではいけたけど黒華で打ち止め、彼の目的は純真無垢の手を離れた。色々あって私も話から降りられなくてね、まぁ、なあんにも解決してないわ」
「なるほど、なるほど」
それぞれ赤と黒のドレスを纏う唇が楽しそうに弧を描く。
「取り敢えず17時、兄ちゃんの配達が終わったら純真無垢は完全に手を引いて、私個人が無法地帯に持ち込むわ。あと少し、頼んだわよ」
話に入れないカマエルを文字通り置き去りにして、三人は大遊郭を後にする。向かう先はオーナーと同じく街を知る者のもと。
蘭桂坊『Lotus eater』
表向きは観光客で賑わう屋台や雑貨屋が居並ぶ下町に店を構えた漢方薬店。
通りに軒を連ねる雑貨屋と同じく既に閉店を迎え静まり返ってはいるが、それは漢方薬店としての営業時間を終えただけに過ぎない。
心細いガス燈の下、冷え込んだ白い息を紫煙と共に吐きながら一見堅く閉ざされた扉を開く。
入り口から見える奥のカウンターに、来客を予期していたかのように悠然と構えた店主の姿を見つけると、怪しげな商品が所狭しと並ぶ高い商品棚の隙間をするりと抜け、ぼんやりとした明かりに浮かぶ店主とカウンターを挟み対峙する。
「久しいわね、Mr.ブラインド」
「顔を合わせずとも連携は保たれているからね、僕の役も、君の役も」
穏やかな笑みと意味深な言葉を挨拶と換えた『Lotus eater』店主Mr.ブラインド。
目元を隠した大きなサングラスと、僅かに灯された灯籠の明かりに上品な黒を反射する中華服は、如何にも怪しげな漢方薬店主と言った風体を演出している。
「あんたまだそんな胡散臭い格好してるの」
「正面が無法地帯とは言え昼間のうちは観光客も多く立ち寄る店でね、こういう“如何にも”な出で立ちはウケがいいんだよ。おまけに品物もいいとなれば宣伝費をかけずに人気者、美味いだろ?粗悪品なんかハナから売らないがそれだけじゃ駄目、演出も大事なんだよ」
黒華のロイドもそうだが、この街の人間は意外としたたかに商売に勤しんでいる。
暇を持て余した道楽飲み屋とは違う、商売人としての矜持があるのだろう。
「見習いたい意見ね。さて、ビジネスの話をしに来たわ」
「君が直々にか、これは面白い展開だ。件の余所者が持ち込んだトラブルに純真無垢はどう動く?」
さすがに情報が早い。
オーナーはハッと一つ笑うと話を続ける。
「どう動くか?答えはノーよ。純真無垢は不可侵を貫き通す、街が動くのならここへは来ない。その件はもう、街の手を離れた、今一度だけ私たちは無法地帯へと戻る」
「おや、おや、おや。これはどうにも面白い。君のオーダーは何だ、望むものを揃えよう」
サングラスの下で、見えない展開を想像するように笑みを浮かべる。
「ジョブキラーに繋いで。活きの良い連中を知ってるわ。“花火師”JINと周りの連中よ。彼らにはDOGがついてるでしょう、私の名前で奴に」
「捨てた名を拾うか、イノセントブルー。一大事だね、敵は誰だい」
問い掛けに漏れる歪み笑いを隠しもせず、にまりと歯を剥く。
「シャングリラ」
敵は新上海、その返事に口元でのみ感嘆の溜息をつくと、店主は腰掛けていたロッキンチェアから立ち上がる。
「そうか、ついに動くかイノセントブルー」
ごそごそ椅子の周囲を漁りながら噛みしめるように呟く。
そして古ぼけた木箱を抱えてカウンターへ戻ると、それをオーナーへ寄越す。
「君から預かったものだ、あの時は売るなり捨てるなり、と言われたがいつか返す時が、いや、君が取りに来る時が来ると思ってね」
手放さずにいたんだ、という言葉を聞きながら無言で木箱を開ける。
古ぼけた外見とは裏腹に、黒い別珍張りの内装はチープな宝箱を連想させた。
その宝箱の中身は幾重にも巻かれたしなやかな白い編み革と巻き付く蛇を模した金装飾の柄をもつ鞭。
懐かしむ風でもなく目を細めるとその柄を握り締め、一気に木箱から引き出す。
「未だに手に馴染むとはね」
白い長鞭をしならせると、感覚を確かめるように手首を返す。その軽い一振りでさえ、鋭く風を切る音が狭い店内に木霊した。
「おお、いつ聞いてもおっかない音だ。本気で打たれたら店が半分になってしまいそうだね」
それまでオーナーが携えていた黒い鞭を木箱に仕舞うと元の位置に箱を置き、ロッキンチェアに再び腰を据える。
「やっぱり君たちはその出で立ちでこそ君たちだ。DOGは驚くだろうね、何しろ突然消えた同期が雇い主になるんだ。彼らを使うと言うことはノーマンズランドで良いんだね。楽しませてもらうよ“天国の戦争屋”……君の因縁も解いてしまうと良い」
「元よりそのつもりよ。これは天使がくれたチャンスだもの、無駄にはしない」
「ロマンチックだね、いいクリスマスを」