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HEAVEN CLAPPER  作者: Gilly
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BAR Water Dance

新上海(シャングリラ)城下、純真無垢(イノセントブルー)春華(チュンファ)の路地裏に、突如として一人の男が降り立った。

もしこの場面を見ていた者がいたならば、彼ないし彼女は男の登場場面を行く先々で一番の話題にしただろう。

『何もない空間に突然火の玉が現れた。かと思えば、次の瞬間それは男の姿に変わっていた』と。

だが生憎男の姿を目撃した者は誰もいない。

それが“地に足をつけるまで如何なる介入も許さない”彼の流儀だからだ。

蘭桂坊(ランカイフォン)無法地帯(ホワイトルーム)と並び新上海城下町として知られるこの純真無垢には大きく分けて四つのエリアがある。

一つ、中立通りを隔てて無法地帯と向かい合う“呑華(ドンファ)

昼から夜を跨ぎ朝まで口を開けた呑み屋に混ざり、加虐と被虐を売り物にした店が軒を連ねる変態街の入り口。

一つ、呑華に踏み込まずとも蘭桂坊から一歩陰に入れば“春華(チュンファ)

古今東西、可憐な少女から豪奢な美女まで選り取りみどりの女郎花街。

一つ、春華と並び呑華の裏に展開される“月華(ニュエファ)

古今東西、あらゆる美少年から美青年、果ては馬の骨まで選り取りみどりの男娼花街。

一つ、月華と並び呑華の裏に展開される“黒華(ヘイファ)

人間では物足りない変態の面倒を一手に引き受ける動物・亜人種専門市場。


純真無垢という街を大雑把に分けるとしたら、この四等分で間違いはない。

春華の外れ、通りの明かりが辛うじて滲む袋小路に降り立った男は、霧吹く雨に小さく舌打ちをすると、

路地裏からもその繁盛が伺える賑やかな花街へと真っ直ぐに向かって行った。




純真無垢・呑華「BAR Water Dance」

夜はこれから、という時間帯にこの店も例外でなく酔客の訪れを待つ。

しかし、生憎の雨に重ね、そもそも看板を出してすらいない店に新規客の訪れなどあるはずもなく、開店休業状態と言うほかない。

おまけに店の主は不在、小柄な従業員二人がカウンター席で暇を持て余していた。

控えめな照明の下に取り敢えず広げたタブロイド紙を読むでもなく覗き、黒髪にゴーグルという出で立ちの従業員が茶髪の方に話しかける。

「暇だね、お店潰れたりしないかな」

「あっちの稼ぎがあるから大丈夫でしょ」

「テチ、オーナーどこ行くって言ってた?」

「さあ?あなた聞いてないの」

「聞いてない。今日雨だよね」

「オーナーの髪、大惨事だね」

「ね。あの人よく出掛けたね」

「何かあったのかな」

「俺たちも行ったほうがよかったんじゃない」

「ケイリンもそう思う?」

「荒事だとね、困るよ」

「ちょっと見て回ろうか」

「そうだね」

言うなりカウンターを越えた小部屋へ向かい、いそいそとよそ行きのマントを羽織るとフードをすっぽりと被る。

「鍵はいいかな」

「いいよいいよ」

店の扉に閉店の札をかけた背後で二人を呼び止める声。

「あら、お店はよろしくて?」

「オーナーはご不在かしら」

振り返ると、豪華な白毛皮のショールとそれぞれ赤と黒のドレスに身を包んだ女が二人。

彼女たちは春華で商売をする娼婦を束ねる区画統括、最高級娼婦(ロイヤルクラスコールガール)の姉妹だ。

「こんばんは、今日は早いんだね」

「オーナーが出てったきり戻らないから、探しに行こうと思って」

「あらあんたたち、私が頼んだのは人探しじゃなくて店番よ」

姉妹の向こうから投げ掛けられたのはよく通る男の声。

そちらを見やると階段の入り口から扉前の一団をにまにまと見上げる店主の姿があった。

「上得意様を締め出すなんて店の沽券にかかわるわ、勘弁して頂戴」

傘を持たずに出掛けたのか、ずぶ濡れの足元には小さな水溜りさえ出来ている。

「ボロ雑巾にしか見えなくってよ、オーナー」

「うるさいわね、言われなくたってわかってるわよ。ほっときなさい」

濡れて張り付いた前髪を無理やり掻き揚げるとその下の見慣れた歪み笑いと軽口をからかう娼婦へ投げ返し、

未だ滴の垂れるコートを肩にかけ一団を追い越すように店内へ入る。

「いらっしゃい、用件はわかってるわ。札はかけたままにしておいて」

従業員へ一言鋭い目で告げると、姉妹にはカウンター席を示し自身は奥へ消える。

「厄介ごと?」

カウンター内へ回ったテチがシェイカーを振りながら姉妹へ尋ねる。

「それはどうかしら」

ケイが差し出すカクテルグラスを目で追いながら赤いドレスの唇が弧を描く。

「これから厄介ごとに発展する可能性は大いにあるわね」

濡れた髪の世話はそこそこに、黒いジャケットを羽織ったオーナーがカウンター内へと姿を現す。

情熱の赤(リズムレッド)思慮の黒(ビートブラック)、春華統括のロイヤルクラスがここへ来るのなんて“ガムを踏んだ時”だけよ」

面倒ごとは御免だとばかりに吊り上げた上唇に不満と灰柄を噛んだまま火をつける。

「それで?用件はわかってるけど私から切り出すのはナンセンスだわ。話して」

「余所者よ」

グラスに口をつけた赤いドレスのリズレに代わり、煙草に口をつけた黒いドレスのビブラが切り出す。

「ただの余所者なら取るに足らない話だけれど。そもそも余所者しか来ない街でもあるし。だからこそ、今回私たちが警戒している理由はそこじゃない」

あなたよ。

グラスを手にしたリズレがカウンター内中央の人物を指さす。

「その余所者は男。街の客なら性別なんてどうでもいいけれど、その男はあなたを探し回っていてよ、統轄」

「もっとも、まだあなた個人には辿り着いていないわ。春華で足止めしてるから。ただ、純真無垢統轄(イノセントブルー)を探しているのは事実。そしてその類は。必ず面倒ごとを持ち込むものと相場は決まっているでしょう?」

姉・リズレの言葉を補足するように妹、ビブラが続ける。

普段表に出ることはなく、大々的に立場を名乗ることもない街の統轄を嗅ぎ回る余所者。

初めての出来事ではないが頻繁にあることでもなく、娼婦の言うようにその時には必ず面倒ごとが巻き起こっている。

今回の余所者が何のために街の統轄との接触を望んでいるのか、その理由は見えていないが

過去の経験から花街統括の姉妹は男を警戒し、自らのテリトリー内で足止めをしていた。

「そこまでは私も知ってる。そこまでしか、知らないのだけどね。さっき出て行ったのは、あんたたちのお店の子に話を聞こうと思ったのよ、余所者が最初に出たのはあんたのお店なんでしょ」

「そうね、今は姉様のお店に突っ込んであるけど。でも、最初に私のところへ来たお陰で拗れることも騒ぎが広まることもなくあなたに話を繋げてよかった。それで、今後私たちはどう動けばよろしくて?」

足を組み替えながら楽しげに行方を見守るリズレの横でフッと紫煙を吐きながらビブラが問う。

対するオーナーはグラス棚に背を預け、腕を組み暫し考えた後で銜え煙草のまま口を開いた。

「いいわ、ここへ繋いで頂戴。他の街にでも踏み込まれたら面倒極まりないわ。ここで片をつけましょう。“ガム剥がし”も私の役目ね」

「そのようね」

クスリと笑むと、姉妹は席を立つ。

「もっとゆっくりしたいけど」

「私たちは常に時間がない。そうね、片付いたら知らせるわ。呑み直しにでも来て」

「そうするわ。余所者を繋いだら私たちは手を引くけど、用があったらいつでも。大仰なイベントでないことを祈ってるわ」

一つ頷くオーナーの横で小さく手を振るテチとケイに投げキスを送ると春華統括の姉妹は店を後にする。

ガランと一つから始まったドアベルの輪唱と彼女たちを迎えに来た車の音が遠ざかると、静まり返った店内でガツンと大きな靴音を響かせ、天に吼える。

「めんどくさッ!ああ面倒くさい!本当に面倒くさい……これでつまんない用事だったら生きて帰さないわよ余所者め!」

「命狙われてるのかもよ」

薔薇の残り香が揺らめく姉妹の席からグラスを下げながら、テチがぼそりと呟く。

「望むところよ、骨も残さず返り討ちにしてやるわ」

苛立ちに歯を剥いてぶっきらぼうに紫煙を吐く。

「でも、花街に行ってオーナー探すって何だろうね」

グラスを磨きながらキネが首を捻る。

余所者がこの街を知らないのは当然だが、情報収集なら女郎屋敷より酒場の方が長けているのはどんな街でも同じことだろう。

中立通りから入ればまず呑華に行き当たる立地において酒場を無視して花街へ行くのはそこを目的とした客のみ。

呑華を通らずに春華へ行くには蘭桂坊の横道からいきなり現地へ入るしかない。

ここを知らない人間ならなおさら、大通りから薄暗い横道へ入るだろうか?

普通なら不安な横道は避けて大通りを真っ直ぐ進むだろう。

となると、統轄を嗅ぎ回る余所者は建物の隙間としか言いようのない横道に不安を覚えることなく踏み込める日陰者という可能性が浮かび上がる。

「接触してみないことには何とも言えないわね。既に面倒だけど、面倒でないことを祈るわ」

やれやれと肩を竦めると、閉店の札がかかっているはずの扉が軽いベルの音と共に開く。

「お出ましね」

細めたのは黄金色の蛇の目。

にまりと笑む歪み顔は真っ直ぐ、陰のように佇む余所者へと向けられている。

「あんたたちは裏に」

扉の前から動かない余所者を訝しむ二人を小声で追いやると、余所者にカウンター席を示す。

「ずいぶん早い登場ね、酒場は初めてってわけでもないでしょうに、そんな所で呑むつもり?いらっしゃい。サシで話しましょう」

フードを深く被った余所者の赤い目がその影の奥から覗く。

「あんたがここのアタマか」

カウンターへ歩み寄る男の声は低く厳しい。

首領(ドン)だの老大(ラオダイ)だのとは違うけど。私がこの街よ。その前にこの店のオーナーだけどね。座りなさい、話はそれから」

男が示された席へ座るのを見届けると酒を注いだグラスを差し出す。

「あからさまな足止めを貰った。この街は余所者に厳しいな」

フードを下ろすと肩を超えた黒髪が流れる。

にっと笑った顔の中で、異質な目が光った。

男の右目はあるのかないのかわからないほど眼球の全てが黒く、左目は鮮やかな赤色をしていた。

「あんたが私を嗅ぎ回るからいけないのよ。面白い目をしてるのね、嫌いじゃないわ」

「俺にそっちの趣味はない」

「こういう街なのよ」

「ああまるでソドムとゴモラだ。背徳が膿んで腐ったような街だ」

「聖職者みたいな言い分ね。残念だけどここにとって“クソ溜まり”は褒め言葉でしかないわ」

「聖職者ね……遠からず近からず、微妙なところだ」

「神父にも牧師にも見えないわよ」

男は懐から煙草を取り出し火をつける。

ただしライターではなく指先に小さな炎を灯して。

「聖なるかな、聖なるかな。今昔在りし、やがて来るべき者」

「聖書ね」

御名答、とばかりに再び炎を灯した人差し指を立てて見せる。

「それで、クリスチャンのマジシャンが何の用かしら。オン・ステージは頼んでないわ。……つまんない用事だったら、殺すわよ」

「なに、俺に協力してほしいんだ」

「見返りは」

「さあね、約束は出来ないししたくない。俺がミリオンダラーに見えるか、見えないね。だが、あんたは断れない。“天は望むものに与えられん。”俺はあんたの協力を望んだ、それは与えられて然るべきものだ」

「核心を、述べなさい」

カウンターから這い出すように肘をつき、先を促す。

その黄金色の目は、依然鋭い。

「オーライ、ここからここまでは信じようと信じまいと構わない、俺ならきっと信じないね。だがここからそっちまでは信じて貰わないと困る。それだけは念頭においてくれ、“蛇の王(アスタロト)”」

ここからここまで、ここからそっちまで、男はまるで、彼にしか見えない目盛りでもあるかのようにジェスチャーで空間を区切る。

「誰が蛇の王よ」

「違ったか、俺の仕事場によく似た目の悪魔が来ることが度々あってね。つい思い出した」

「悪くないわね、それで?」

さらに先を促すと男はグラスを傾けて唇を湿らせる。そうして一つ目線を投げ掛けると、薄笑いを浮かべ言葉を繋げる。

「まず俺の話をしよう。いい関係を築くには信頼を得るところからだ。今から話す俺については、そうだな、余りにもファンタジックだ。だが、俺たちは嘘をつけない。あんたが信じようと信じまいと俺たちは真実しか言わない。これは誓いだ、オーライ?」

「御託はいいわ。全てを聞いた上で私が判断する」

「それは名案だ、なら話そう。ここからここまでの話だ、信じるか信じないかはあなた次第ってね。俺はカマエル。職業はぶっちゃけ、天使だ」

「ああ、お気の毒に」

「全くだ。好きでこんな仕事してるわけじゃないんだ。ついでに一つ言っておきたいが俺はジャンキーじゃない、葉っぱを齧ってここへ来たのならこう言う。“俺はオビ=ワン・ケノービだ。”知ってるか、スター・ウォーズ。まぁいいさ、とにかく俺は事実しか言ってない、百聞は一見に如かずって便利な言葉がある、面倒だ、見てくれ」

意外と饒舌な男の指を鳴らす動作が空を切り、次の瞬間カウンターの端から端まで届くほどに大きな黒翼が男の背で羽ばたく。

それを面白そうに眺めるオーナーにニヤリと笑い、再び軽く腕を振るうと視界を埋め尽くさんばかりの翼はその背に吸い込まれるように姿を消した。

「ギミックでもトリックでもなさそうね。白い羽じゃないのはガッカリだけど」

「話が早くて助かる。羽が黒いのは俺が“天国の戦争屋(ヘブンクラッパー)”だからさ」

天国の戦争屋(ヘブンクラッパー)

その単語に眉尻を上げるオーナーは、カウンターに抜け落ちた黒い羽根を拾い上げる。

「本物みたいね、本物なのね。ダーティーフェザーなんて格好いいじゃない」

鑑定するかのような目を羽根に向けた後、それをヒラヒラさせながら愉快そうに返す。

「ああ何てこった、暫く天使やってる間に地上はずいぶん歪んじまったらしいな」

「ここだけよ、他は真っ当にクリスマスやってるわ。まぁうちの男娼(チキン)はいつでも大売れだけどね。取り敢えずあんたについては納得するわ。覗き込むのも野暮ってもんでしょ。次よ、本題よこしなさい、“黒鴉(レイヴン)”」

煙草は吸うし酒は呑む、ただの兄ちゃんにしか見えない不良天使は本題の要求に一つ笑うと唇を舐める。

「黒鴉ね、確かにそうだ。悪くない。だが待ってくれ、実のところ俺は本題を最後まであんたに話せず縊り殺される、どうもそんな気がしてならない。あんたは通じる冗談ですら気まぐれに嫌う節がある、違うか?」

聞くや否やオーナーは眉間の縦皺を一層深く、威圧感たっぷりに眉尻を上げて天使を見やる。受けた男は些かバツが悪そうに前髪を揺らした。

「怖い顔はナシだ、蛇の王。あんた本当にあの糞悪魔そっくりだ、俺をハメようとしてるんじゃないのか」

「あっちの意味でならいくらでもハメてやるわよ。鳥籠で飼い殺すのも悪くないわね」

「勘弁してくれ、俺は根っからのストレートだ。背徳はあんたの十八番だろ、クソ溜まりに住む気はねぇよ」

天使はうんざりした様子で手を払い、それは揺れる紫煙を蹴散らした。

「大層な言い分だけど。行き先がクソ溜まりだと知ってて来たんでしょう、失策ね。戦争屋ではなく外交官を寄越すべきだったわ」

「ここの連中と渡り合うのに顔色伺いや聖歌隊が上策か?違うね。それはあんたらが最も嫌う手だろう。目には目を、といきたいがこちらは清廉潔白、つまんねぇ奴しかいねえ。そこで俺が汚れ役を一手に引き受けてはるばるやって来たのさ」

「そりゃご苦労様。聞くだけなら聞いてやらないこともないわ。最も、私が巻き込まれることは初めから決まっている。面倒にしろつまらない用にしろ、この街で起こったことを把握し、元の鞘に戻す責任が私にはある。あんたはそれを知っているからこそハナっから私に狙いを絞った。望むものに与えられん、ですって、全くよく言ってくれるわ」

面倒なことね、誰にともなく口元で呟くに留め、グラスを傾ける。

「あんたは実に話が早い」

大袈裟に腕を広げる天使に対し、銜え煙草のまま溜息をつく。

「世辞にもなってないわよ。いいわ、元よりクソ溜まりで生きる身だもの、泥船だろうが棺桶だろうが楽しめるなら乗ろうじゃない」

「オーライ、じゃあ始めよう、こっからそっちまでの話だ。今日はクリスマス・イブ、絵本の話のようだが現実にヒラ天使共が大活躍する日だ。この残念な世界にも例外なく奴らは派遣される、クリスマスは平等だ、どの年だろうと12月24日25日は勝手にくる、カレンダーがなくてもな」

天使は空のグラスに注がれた琥珀色を舐める。オーナーは腕を組んでグラス棚に寄りかかり、聞き役に徹している。

「今日が雨なのは、何でだと思う」

不意に投げられた質問。

「天気予報は雨のち雪だわ。面倒ね、そのうち雪になるんじゃない」

シンクの脇に投げられていたタブロイド紙を掴み取ると、隅に印刷された天気予報をどうでも良さそうに読み上げる。

「残念ながら雪は降らずにあがっちまうよ」

カウンター席から身を乗り出した天使もタブロイド紙を覗き込む。

「天気もあんたたちが決めるの?」

「今日と明日のはね。持ち回り制でホワイトクリスマスに選ばれた街には容赦なく雪を降らせる決まりなのさ。それがヒラ共の年に一度の大仕事だからな」

「夢のない話だこと」

呆れたように紫煙を吐くと、用のなくなったタブロイド紙を元の位置に投げ返す。

「俺も知りたくなかった舞台裏だよ。で、いつも通りなら仕事を終えたヒラ共は一杯引っ掛けるなり何なり地上のクリスマスを遊んだあと天界に戻るんだが、この街へ派遣された奴が戻らない」

戻らない、その言葉でオーナーの目と天使の黒い目がぶつかる。

「どういうこと」

「俺はそれを聞きに来たんだ。が、取り敢えず先ずはこっちの話を聞いてくれ、順を追って話す」

派遣組の天使は23日から地上へ向かい、その日の深夜から担当地区に雪を降らせ始める。

その作業自体は時間がかかることではなく、24日の夜には一通り遊んだ者も含め全員が天界へ戻っているはずだった。

「そして25日の夜、クリスマスももう終わりだな。派手に降りまくってる雪を何とかして天気をもとに戻すのさ。ところがこの街は一向に雪が降る気配がない、国単位で見りゃ大騒ぎだぜ、異常気象もいいとこだ。まぁ、この街に派遣されたヒラは俺の部下にあたる奴だが、俺と違ってサボり癖も逃走癖もない、よく言えば真面目な奴だ。仕事を放り出して上から追えない程行方を眩ます度胸なんかありゃしねえ。この街へ降りる前に上からも行方を捜したんだ、あれだな、一ヵ所におう。羽根持ちを囲ってる区画が、ここにはあるだろ」

天使の前髪が揺れ、そこから覗く赤い目がオーナーに迫る。

「この街へ来たところまでは間違いないのね。ところが天気は雨のまま、着いてすぐ何かあったのかしらね。羽根持ちの居る区画は黒華よ。確かにあそこでは天使(フェザーズ)と呼ばれる人工の有翼亜人種が売りに出されてるわ。けど見た?あれは人間に鳥の羽根を植えただけの代物よ、天使(エンジェル)と呼ぶには些かお粗末ね」

それでも、その手のマニアには観賞用や愛玩用としての人気が高く、特に見目麗しい少年や少女の天使は驚く程の高値で取引されている。

「あんたの部下が黒華に迷い込んだなら大惨事ね。その子もあんたみたいに立派な羽根を持ってるんでしょ。それを隠しもせずうろついていたら」

バカだわ。

紫煙の向こう、カウンターに座る男はまるで我がことのように頭を抱え

かと思えば天を仰ぎ、天使にあるまじき悪態を次から次へと放つ。

「ああ、帰りたい」

遂に椅子から立ち上がってまで悪態の限りを出し尽くした天使は、フラフラと椅子に戻りながら最後にそう呟いた。

「ふふ、うちへ来る客はみんなそう言うわ。カマエルと言ったわね天使様。この街のクリスマスキャロルを楽しみなさい、ここにはちょうど三人の亡霊もいるわ」

言い切るオーナーは自身の手元にあったグラスを一息に煽ると靴音も高らかに奥の小部屋へと入る。

カツカツと小気味よく、踊るようなステップで響く踵の音は彼がこの状況を愉快に思っていることを分かり易く代弁していた。

「さぁあんたたち、仕事よ!」

パンと手を叩く乾いた音が響いたのち、幾重にも巻かれた黒い鞭を携えたオーナーがコートを羽織り現れた。

その背後には、マントを羽織った小柄な影が二人ついている。

影を従えた長身の男はカウンターの天使ににまりと一つ笑んでみせると、足取りも軽く席側へ回り込む。

「さて、言った通り望むものは与えられたわね。愉快なパーティーを期待してるわ。まずは黒華、天使の元締めからよ」

「恩に着る、“蛇の王”」

「違うってば。恩を感じる必要もないわ。第三者が絡むトラブルは大小を問わず街のツラに関わる、この街がこの街である為に統轄として見過ごすわけにはいかないだけよ。ああでも、天使助けておけば後でイイコトあるかも知れないわね」

「アスタロトだって、かっこういいね」

「ね」

襟の高いロングコートに身を包んだオーナーの背後に控える黒い影がこそこそと言葉を交わす。

「こいつらは何だ?」

「うちの荒事担当よ。あら、顔が見えないわね。半ズボンがテチ、長い方がケイリン」

フードを下ろすことはなく、それぞれが名を呼ばれたタイミングで天使に向かいお辞儀をした。

「こんにちは、ってガキじゃねえか。大丈夫なのか」

「大丈夫よ、あんたたち大体聞こえてたでしょ。私たちの仕事はこの兄ちゃんの部下を捜し出しておうちに帰すこと。いいわね」

「報酬は?」

半ズボンのテチが抜け目なく問い掛ける。

にまりと笑んだオーナーが天使を窺うが、当の男は彼方に目を逸らしていた。

「あんたたちへの報酬はいつも通り出来高で私が払うわよ。孔雀亭のケーキ端から端まででも、ルビー・ヤーのチョコレートタワーでも任せなさい。私はこの人を貰うわ」

にまりと笑んで天使の肩へ腕をかけると、そっぽを向いたままの男は派手に酒を噴き出した。

「嘘だろ」


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