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回復しかできない私は、 魔王継承権三位を選んで穏やかに生きたい  作者: 谷口 由紀
第二章 立場と矜持

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第十四話  再生

シグルドが綾香を伴って転移した先は、先程までいた場所より、はるかに酷かった。



鼻腔を刺す腐敗臭。

途絶えることのないうめき声。


家から追い出されたのか、道端には生者と死者が混在し、まともな隔離すらなされていない。


あまりの情景に視界が揺れる。


だが、隣に立つシグルドの存在が、それを強引に現実へと引き戻した。



「処理が遅れている、どころではないだろう」

低く熱のない声。


その声を聴いた瞬間、綾香は理解した。

この街はーー不要なのだと。


緊張でのどが渇く。

この街は、私と同じ。


綾香は凄惨な光景に真っ青な顔で小刻みに震える。

それでも、シグルドの前で立ち尽くすことは許されない。



「綾香、これを受け止める必要はない」


淡々と告げる声。


「お前の力は何のためにある?」


その言葉が、迷いを照らす光に思えた。


受け止めなくていい。

何も感じなくていい。

考えなくてもいい。


ただ、彼の役に立てばいいーー。




シグルドの指先が、病院らしき建物を示す。


「まずは、そこを処理しよう」


中にいるものごと消せ、と。


綾香の足がすくんだ。

震える声で訴える。


「だめです……あそこには治療している人がーー」


くだらない、とでも言うように、シグルドの視線が鋭く制した。



「ーー綾香」


名前を呼ばれる。


それだけで、全ての雑音が遠のく。



「感染源があるから、民は命を落とすのだろう?」

落ち着いた低い声。


これは救済だ、と。




救済。


その言葉が、罪悪感の輪郭を曖昧にする。



「大丈夫、お前の力をみせろ。これ以上苦しめることはない」



シグルドの手が、綾香の背に触れる。

魔力が押し込まれ、引き出される。


溢れてしまう。

「あ……」


自分のものとは思えない膨大な魔力が、制御することもできず外へと放たれる。



「さあ、慈悲をみせろ」




建物が崩壊する。


その光景は、綾香の喉の奥を裂けるように軋ませる。

気づけば悲鳴をあげていた。


だが、轟音にかき消され、すぐに消えた。



静寂。


その光景を民が見ている。

絶望的な恐怖に、貌をゆがめて。



「素晴らしい」

シグルドの声に熱が戻る。


「これで苦しむものが消えた」

「お前の力は有能だな」


有能。


ーー認められた。



崩れ落ちそうだった感情が、代わりに甘い充足感で満たされる。


視界の端に崩壊する何か。

でも、ぼやけて見えない。



はっきり見えるのは、シグルドだけだ。

彼の声だけが鮮明に耳に届く。



完璧でなければ価値はない。


かつてはそう教えられてきた。


努力しても、足りないと怒られた。



けれど今はーー。



「お前を選択して正解だった」



その言葉に頬が熱くなる。

役に立てた。

選ばれた。


それだけで、十分だった。



シグルドの指示は続く。



学校。

教会。

商会。



建物を潰すたび、胸を刺す痛みが薄れていく。


代わりに、彼の声が近くなる。


「シグルドさん……私は、お役に立てますか?」

自分から尋ねていた。



もっと欲しい。

彼の賛辞が。



「そうだ、消せば早い」

ただの整地だ、と。



煙幕の中、子どもが一人逃げ惑う姿が見えた。

「ネズミを一匹逃したか……」


何の感情もない低い声。

その言葉に、何も感じなかった。

それが少しだけ、怖かった。


シグルドはその「一匹」を追う事はせず、次々と視界にうつる建物を指さす。



綾香はもう迷わなかった。


街区ごと圧縮する。

地面が沈む。



そして、音が消える。



感情も、少しずつ削れていく。

何を失ったのか、もう思い出せない。



心が軽い。

使ってもらえることが、こんなにも安らぐなんて。



「これで、終わりますよね」

「まだだ」



即答。

残る魔力で見える範囲を更地にしろ、と。



綾香は笑って頷いた。


枯渇ぎりぎりまで魔力を注ぐ。



強い地響き。

黒煙が立ち上る。



シグルドが無駄のない動きで手を払う。


二人の周辺に透明な保護膜が張られた。


煙が晴れると、そこには何もない。



ーー綺麗な土地。



綾香は穏やかな達成感に満たされた。


「帰るぞ」


シグルドが手を差し出す。

その手を見つめる。



救われたのは、この土地か。

それとも――自分か。



そっと手を重ねる。


(必要としてもらえた)


胸の奥が満たされる。


ーーけれど。


触れた指先から、彼の温度は分からなかった。


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