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狂人ドミノ ~ひとつ倒れれば、狂気が加速する。地獄のピタゴラスイッチ。~  作者: 団田図


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第7話 美しい国

 午前六時。

 カーテンの隙間から差し込む冷たい朝陽が、網代あじろ真里の部屋を青白く照らしている。

 彼女はウォークインクローゼットの中に立っていた。

 そこは彼女の精神世界の縮図であり、司令室だ。壁一面に貼られた盗撮写真の相関図。赤い毛糸で繋がれた人間関係の蜘蛛の巣。

 その中心には、昨日まで「中ボス」として君臨していた葉世はせ友和の写真があった。だが、その上にはすでに太いマジックで『済』という×印が書き殴られ、端へと追いやられている。


 網代は新しい写真を手に取っていた。

 会社のホームページから高解像度でプリントアウトした、宇治木政樹の顔写真だ。

 整えられた髪、感情のない瞳、彫像のような冷たい美貌。

 彼女は画鋲を手に取り、相関図の、これまでで最も高い位置――天井に近い場所へその写真を突き刺した。


「……さて」

 網代は腕組みをして、その写真を品定めする。

 (葉世課長はただの『ストレス発散用のサンドバッグ』だった。拓海は『使い捨ての爆弾』。じゃあ、この人は?)


 昨日、会議室で見せた宇治木の狂気は本物だった。

 自分と同じ匂いがする。けれど、ベクトルが違う。

 私は、個人の心を壊して遊ぶのが好きな「解体屋」。

 彼は、社会というシステムそのものを間引こうとする「粛清者」。

 スケールが違いすぎる。まともに戦えば、私でも火傷するかもしれない。


 網代は赤い毛糸を手に取り、自分の写真と宇治木の写真を繋いだ。

 そして、写真の横にあるラベルに、サラサラと文字を書き込む。


 『レイドボス兼メインウェポン』


 (倒すべき最強の敵であり、同時に、私が世界を壊すための最強の武器)

 網代の唇が三日月の形に歪む。

 彼を利用すれば、今まで見たこともないような大規模な「悲劇」が見られるはずだ。何百人、何千人が泣き叫ぶ地獄絵図。想像しただけでゾクゾクする。

 そして、彼が理想とする「美しい国」が完成する直前で、梯子を外してやるのだ。

 神を気取る男が、泥にまみれて絶望する顔。それはきっと、最高のデザートになるだろう。


「よろしくね、パートナー」

 彼女は宇治木の写真の瞳に、画鋲を突き刺すフリをしてから、優しく指で撫でた。

 クローゼットの扉を閉める。

 闇に沈んだ相関図を残し、網代真里は「従順で有能な社員」の仮面を被って朝の光の中へと出て行った。


          *


 午後二時。

 宇治木と網代を乗せた社用車は、郊外の丘陵地帯にある特別養護老人ホーム『サンシャイン・ヒルンズ』に到着した。

 「陽光」という名とは裏腹に、建物全体からは消毒液と、染み付いた排泄物、そして死を待つだけの淀んだ空気が漂っている。

 ライフ・アシスト・ロボティクス社の大口顧客であり、宇治木がコンサルティングを担当している施設だ。


「……臭うな」

 車を降りた瞬間、宇治木は白いハンカチで鼻と口を覆った。

 その眉間には深いシワが刻まれている。

 (敗北の匂いだ。生産性を失い、ただ時間を浪費するだけの有機物が発する腐臭)

 彼の特殊な潔癖症は、単なる生理的なものではない。「非効率」や「停滞」に対するアレルギー反応だ。


「行きましょう、宇治木さん。施設長がお待ちです」

 網代が車のドアを開け、恭しく頭を下げる。

 彼女もまた、心の中では舌打ちをしていた。

 (うわ、くっさ。服に匂いがつきそう。帰ったら即クリーニングだな)

 だが、顔には慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべている。


 施設内を巡回する二人。

 案内する施設長は、宇治木の顔色を伺いながら脂汗を流している。

「ええ、こちらが重度の認知症の方々のフロアでして……人手が足りず、どうしてもケアが行き届かない部分が……」

 宇治木は施設長の話を聞いていなかった。

 彼の手には銀色のストップウォッチが握られている。


 廊下の奥で、職員二人がかりで入居者のオムツ交換をしている光景が見えた。

 宇治木は無言で計測を開始する。

 カチッ。

 一分、二分、三分……。

 カチッ。

「四分三〇秒」

 宇治木は冷徹に呟いた。

「遅い。マニュアルでは三分以内のはずだ。一回につき一分三〇秒のロス。この施設には一〇〇人の要介護者がおり、一日に平均五回の交換を行う。計算してみたまえ」

 彼は網代に視線を向ける。

 網代は即座に答える。

「一日あたり七五〇分、つまり一二・五時間分の人件費が無駄になっています。年間で約四五〇〇時間。時給換算で約六〇〇万円の損失です」


「その通りだ」

 宇治木は冷ややかな目で職員たちを見やった。

「君たちは排泄物を処理するために、年間六〇〇万をドブに捨てている。その金があれば、最新の自律型ロボットを二台導入できる」

 施設長がタオルで汗を拭う。

「し、しかし……入居者様への声掛けや、肌の確認もしなければなりませんし……」

「いいわけじみた感情論はいい。結果(数字)だけを見ろ」

 宇治木は吐き捨てるように言い、歩き出した。


 (すごい徹底ぶり。人間を完全に「コスト」としか見てない)

 網代はその背中を見ながら、感心と嘲笑の入り混じった感情を抱く。

 ふと、談話室のソファに座っていた小柄な老女が、網代の手を掴んだ。

「あぁ……孫の、花子かい? 来てくれたのかい?」

 認知症のようだ。白濁した瞳で網代を見つめ、骨と皮だけになった震える手でしがみついてくる。


 網代は一瞬も表情を曇らせなかった。

 すぐさま屈み込み、老女の手を両手で優しく包み込む。

「ふふ、おばあちゃん。私、花子じゃないけど……お話しましょうか?」

「ああ、ああ……嬉しいよぉ……」

 老女は涙を流して喜んだ。

 美しい光景だ。若き女性が、孤独な老人に寄り添う優しさ。

 だが、網代の脳内で処理されていたのは、まったく別のデータだった。


 (手首の太さ、約四センチ。骨密度スカスカ。枯れ木みたい)

 彼女は老女の手を撫でながら、指先で関節の可動域と骨の脆さを確認していた。

 (これなら、『アイギス』のアーム出力を30%にするだけでポッキリいける。いや、抱きしめる角度によっては脊椎ごと粉砕できるかも。……最高のテスト検体)


 網代は笑顔のまま、背後に立つ宇治木に視線を送った。

 宇治木もまた、冷たい目で老女を見下ろしている。

 網代は老女に気付かれないよう、目の視線移動だけで宇治木に合図を送る。

 『処分対象ターゲット、確認』


 宇治木はわずかに頷いた。

 彼は近づき、老女のカルテを無造作に手に取ると、パラパラとめくった。

「要介護4。心疾患あり。……月額維持費五〇万」

 彼は網代の耳元で、死刑宣告のように囁いた。

「見てみたまえ。呼吸をして、排泄をするだけで、若者の税金を毎月五〇万食いつぶす装置だ。……美しくない」


 網代はゾクリとした快感を覚えた。

 (この人はお金の話。私は壊し方の話。見ている世界は違うのに、結論だけは完璧に一致してる)

「そうですね。……早く『楽』にして差し上げないと」

 網代は言葉に二重の意味を込め、老女の手を握り返した。

「おばあちゃん、よかったですね。もうすぐ、素敵なロボットが来ますよ。天国に行けるほど気持ちいいやつが」

「ありがたいねぇ、ありがたいねぇ……」

 老女は何も知らずに拝んでいる。


 視察を終え、施設を出た瞬間。

 網代は笑顔を消し、ポケットから除菌ジェルを取り出した。

 老女に触れられた両手にたっぷりと垂らし、皮膚が赤くなるほど強く擦り合わせる。

 アルコールのツンとする匂いが鼻をつく。

「……あー、汚い」

 彼女は無表情で呟き、乾いた手をひらひらと振った。

 宇治木はそれを見ても何も言わない。ただ、自身の革靴についた塵をハンカチで払っているだけだった。


          *


 午後七時。

 二人は場所を移し、都心にある会員制フレンチレストラン『ラ・セーヌ』へ来た。

 照明を落とした店内には静かなクラシック音楽が流れ、カトラリーが触れ合う微かな音だけが響いている。

 昼間の老人ホームの腐臭とは対極にある、洗練された富と権力の匂い。


 宇治木と網代は、個室のテーブルに向かい合っていた。

 目の前には、メインディッシュの鴨肉のロースト。ベリーのソースが、まるで血のように赤く皿を彩っている。

 宇治木はナイフを繊細に動かし、肉を一口大に切り分けた。

 口に運び、優雅に咀嚼する。


「君のレポートは読んだ」

 ワイングラスを揺らしながら、宇治木が口を開いた。

「『アイギス』の致死率調整、および事故に見せかけるためのプログラム改変。……完璧だ。私の期待以上の仕事だよ」

「光栄です」

 網代もまた、肉を頬張りながら微笑む。

「でも、少し疑問が。……宇治木さご自身は、なぜそこまで『排除』にこだわるのですか? 単なるコスト削減以上の……執念のようなものを感じます」


 網代は探りを入れた。

 この男の原動力は何なのか。それを知れば、もっと上手に操れると感じての事だ。

 宇治木はグラスを置き、遠くを見るような目をした。

「……私は元々、医師だった。知っていたか?」

「いえ、初耳です」

「実家は地方の総合病院だ。父が急死し、私が継いだ時……病院は死にかけていた。赤字垂れ流しの終末期病棟が経営を圧迫していたからだ」


 宇治木は淡々と語り始めた。

 まるで、庭の雑草を抜いた話でもするかのように。

「意識もなく、回復の見込みもない老人たちが、数十台の生命維持装置に繋がれて生きている。家族も面会に来ない。ただ機械が呼吸させ、心臓を動かしているだけの『肉の塊』。……私は計算した。彼らを生かし続ける電気代と人件費がなければ、小児科と救急医療を充実させられると」


 網代の手が止まる。

 (来る。この男の『武勇伝』が)


「ある嵐の夜だ。私は病院の電気系統盤を操作した。自家発電装置への切り替え回路を、ほんの少し『接触不良』にしたのだ」

 宇治木は薄い唇を吊り上げ、恍惚とした表情を浮かべた。

「停電が起きた。人工呼吸器が一斉に停止した。警告音が鳴り響いたが、嵐のせいで復旧は遅れた。……朝が来る頃には、一二名の患者が『自然な形』で淘汰されていたよ」


 網代は背筋が粟立つのを感じた。

 直接手を下さず、システムを利用して大量殺人を行う。しかも、そこに罪悪感など微塵もない。

 (本物だ。この人は、自分を神様だとでも思ってる)


「事故として処理された。保険金が入り、赤字部門は閉鎖され、病院はV字回復した。……私は多くの命を救ったのだよ、網代くん。腐った枝を切り落とすことで、幹を生かしたのだ」

 宇治木は両手を広げた。

「誰も私を責めなかった。むしろ、激務から解放された看護師たちは、私の前で安堵の涙を流していた。その時、私は確信した。……この国には『勇気ある執刀医』が必要なのだと」


 宇治木は、自分が行おうとしていることを「虐殺」ではなく「手術」だと信じている。

 狂気じみた選民思想。

 けれど、網代にとっては最高に都合の良い物語だった。


「素晴らしい……」

 網代は演技たっぷりに感嘆の声を漏らした。

「宇治木先生は、本当の意味での救世主だったんですね。誰もやりたがらない汚れ役を引き受け、未来を守った……」

 彼女はテーブル越しに身を乗り出し、宇治木の目を見つめる。

「今回のロボット計画も、その大規模な『手術』なんですね?」


「その通りだ」

 宇治木は満足げに頷いた。

「この国は老いている。血管は詰まり、壊死しかけている。私が『アイギス』というメスを使って、社会の循環を良くしてやる」


 (傑作だ。メスじゃなくてギロチンだけどね。うふふ)

 網代は心の中で腹を抱えて笑いながら、真剣な顔で頷いてみせた。

「微力ながら、私が助手の役目を務めさせていただきます。……先生のメスが、最も切れ味鋭くなるように」


 二人はグラスを合わせた。

 チン、と澄んだ音が響く。

 それは、これから始まる大量殺戮への乾杯だった。


          *


 食事を終え、二人がレストランのエントランスを出た時だった。

 夜風が冷たい。

 バレーパーキングの係員が、宇治木の黒塗りの社用車を回してくるのを待っていると、一台の派手な赤いスポーツカーが猛スピードで滑り込んできた。

 タイヤがアスファルトを削る不快な音が響く。


「……チッ」

 宇治木が初めて、露骨に不快そうな舌打ちをした。

 スポーツカーのドアが跳ね上がり、中から一人の女が降りてきた。

 全身を海外ブランドのロゴが入った服で固め、ジャラジャラと宝石をつけた中年女性。

 厚化粧の下の顔は、怒りで歪んでいる。

 宇治木の妻、栄子だった。


「まさきッ!!」

 栄子はヒールの音を響かせて詰め寄ってくる。

「あんた、またこんな店で食事してたのね! 私とのディナーは『忙しい』って断ったくせに!」

 彼女の視線が、隣に立つ網代に向けられた。

 途端に、その目が値踏みするように細められる。


「……あら。誰なのよこの子?」

 栄子は網代の爪先から頭のてっぺんまでをジロジロと舐め回し、鼻で笑った。

「貧相な体。服も安っぽいオフィスカジュアル。……あんた、こんなのが趣味になったの? 眼力が落ちたんじゃない?」


 網代は無表情のまま、心の中で冷静に分析した。

 (出た。マウントおばさん。宇治木の奥さんか。……夫に相手にされない寂しさを、ブランド品と他人への攻撃で埋めてるタイプ。わかりやすくて退屈)

 網代は怯えたフリをして、宇治木の後ろに半歩下がった。

「あ、あの……私は先生にコンサルを受けている会社の網代と申しまして……仕事の打ち合わせで……」


「仕事ぉ? こんな高級店で?」

 栄子はわざとらしく網代の方へ歩み寄り、すれ違いざまに高級バッグの金具を網代の腕にぶつけた。

 ガツッ。

「痛っ……」

「あらごめんなさい。存在感が薄くて気づかなかったわ」

 栄子は扇子で口元を隠し、「オホホ」と笑う。目は笑っていない。

「ねえ政樹。こんな泥棒猫、さっさと捨てて帰りましょうよ。新しい時計が欲しいの」


 栄子が宇治木の腕に抱きつこうとする。

 だが、宇治木はそれをスッとかわした。

 まるで、汚いものを避けるような動きだった。


「……不快な騒音だ」

 宇治木は妻を見もせずに言った。

「栄子。君の声は、この店の品位を下げている。帰りなさい」

「なっ……!?」

 栄子の顔が屈辱で真っ赤になる。

「何よそれ! 私はあんたの妻よ! こんな小娘より私の方が……!」


 ちょうど社用車が到着した。

 宇治木はさっさと後部座席に乗り込むと、呆然とする網代に向かって短く告げた。

「乗れ。時間の無駄だ」

「は、はい……」


 網代は車に乗り込む直前、一度だけ振り返った。

 取り残された栄子は、握りしめた拳で震えている。

 網代は、栄子と目が合った瞬間、ニコリと微笑んだ。

 それは、「会社員の愛想笑い」ではない。

 「可哀想なおばさん」と見下す、完全な勝利者の嘲笑だった。


「――ッ!!」

 栄子が何かわめこうとした瞬間、網代はドアを閉めた。

 車が滑らかに走り出す。

 車窓の後ろで、栄子がハンドバッグを地面に叩きつけ、鬼のような形相で叫んでいるのが見えた。


 (あー、面白い。火がついた)

 網代はシートに身を沈め、窓の外を流れる夜景を眺めた。

 隣の宇治木は、タブレットを取り出し、もう妻のことなど忘れたかのように仕事のメールをチェックしている。

 この夫婦関係もまた、壊れかけの玩具だ。

 栄子のあの嫉妬心。あれは使える。


 網代はスマホを取り出し、スケジュールアプリにメモを入力した。

 『お助けカード:栄子のヒステリーを誘導し、宇治木の栄冠に箔をつける』


 地獄への配役が、着々と整っていく。

 網代は暗い車内で、誰にも聞こえないように小さくハミングした。

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