最終話 狂人ドミノ
巨大な油圧ショベルが、純白の残骸を無慈悲に押し潰した。
グシャリ、バキバキッ。
プラスチックの装甲が砕け、精密な基盤がひしゃげる音が、埋立地の空に寒々しく響き渡る。
かつて「日本の未来」と謳われた介護ロボット『アイギス』。
数百台に及ぶその機体は、今やただの産業廃棄物として、スクラップ工場の山となっていた。
テレビのニュースキャスターが、沈痛な面持ちで原稿を読み上げている。
「……先日のイベントホールでの暴走事故を受け、ライフ・アシスト・ロボティクス社は本日、すべてのロボットの廃棄処分を完了したと発表しました。警察は、製造を主導した元コンサルタント、宇治木政樹容疑者と、元社員の網代真里容疑者を、殺人予備および威力業務妨害の疑いで追送検する方針です……」
葉世友和は、オフィスの片隅にある段ボール箱の前で、そのニュースを聞いていた。
窓の外は、数日前と同じように晴れ渡っている。
だが、このオフィスの風景は一変していた。
白いデスクの列は半分以上が空席になっている。
会社は事実上の解体。社会的信用は地に落ち、多くの社員が去っていった。
「……残念だ」
葉世はリモコンでテレビを消した。
画面の中の騒動は終わったが、残された者の「後始末」は、これからが本番だった。
*
湾岸警察署。
留置場で、宇治木政樹はやつれ果てていた。
かつての完璧なスーツ姿はない。グレーのスウェットを着せられ、整えられていた髪は乱れ、無精髭が伸びている。
彼にとって、留置場という「不衛生な環境」は、死刑判決以上の拷問だったのだろう。
「……美しくない」
宇治木は、汚れた指先を震わせながら、うわ言のように繰り返していた。
「あの工場長が……あんな野蛮な改造さえしなければ、私の計画は完璧だった。社会の膿を出し、効率化された美しい国になるはずだったのに……」
彼はまだ、自分の罪を理解していなかった。
彼にとって人間は「数字」であり、自分が裁かれている現実こそが「計算間違い」なのだ。
葉世は、そんな元支配者を冷ややかに見つめ、何も言わずに席を立った。
かける言葉などない。彼は一生、自分の作り上げた妄想の檻の中で、世界の汚れに怯えながら腐っていけばいい。
*
別の取調室では、網代真里が刑事と対峙していた。
彼女の態度は、宇治木とは対照的だった。
化粧を落とした素顔。だが、その瞳の奥にある不気味な光は、少しも衰えていない。
「だから、言ってるじゃないですか」
網代は退屈そうにアクビをした。
「私はボタンを押しただけ。拓海くんが勝手に舞い上がって自爆したのも、鏡さんが欲を出してミンチになったのも、全部彼ら自身の選択でしょ? 私はただ、その背中をちょっと押してただけ」
刑事かドンと机を叩く。
「反省の色はないのか! お前のせいで何人の人生が狂ったと思ってるんだ!」
「狂ったんじゃないわ。……壊れたの」
網代はクスクスと笑った。
「人間なんて脆いおもちゃなんだから、壊れる時は壊れるのよ。キャハハ! あーあ、つまんない。次はもっと頑丈なおもちゃで遊びたい。君、立候補してみる? 素質あるよ」
彼女の精神鑑定の結果は「責任能力あり」。
極刑、あるいは無期懲役は免れないだろう。
だが、彼女は最期まで「悲劇のヒロイン」を演じることも、「改心した罪人」になることも拒絶した。
ただの「怪物」として、社会から隔離されることを選んだのだ。
*
一ヶ月後。
縮小移転した新しいオフィス。
看板は書き換えられ、従業員は十分の一に減った。
残ったのは、メンテナンス部門と、葉世が率いる品質管理部門だけだ。
華やかな開発計画も、利益率の高い販売網もない。あるのは、過去に販売した旧型製品の保守点検という、地味で泥臭い仕事だけ。
葉世は、狭くなったデスクで書類の山と格闘していた。
以前のように怒号が飛び交うことはない。静かで、少し寂しいオフィス。
「課長、お願いします」
若い男性社員が、決裁書類を持ってくる。
かつて葉世を「パワハラ上司」と恐れ、陰口を叩いていた部下の一人だ。
だが今、彼を見る目は、畏敬と信頼に満ちている。
「……ここ、数値の根拠が甘いな。再計算だ」
葉世が指摘すると、部下は背筋を伸ばして「はい!」と答えた。
「でも、課長。……本当によかったんですか? 会社に残って」
部下が遠慮がちに尋ねる。
「あの事件の後、他社からのヘッドハンティングもあったって聞きましたけど……。英雄として、もっといい待遇で迎え入れてくれるところがあったんじゃ……」
葉世はペンを置き、苦笑した。
「英雄? 馬鹿を言うな」
彼は内ポケットから、いつもの白い粉薬を取り出した。
「俺は、部下の暴走を見抜けず、テロの片棒を担がされそうになった無能な管理職だ。……その責任を取るまでは、ここから逃げるわけにはいかないだろう」
そう言って、胃薬を口に放り込む。
苦い。相変わらずの不味さだ。
だが、以前のように胃が焼けつくような痛みはなかった。
これは罰だ。
磯野拓海という若者を救えず、鏡浩司という男を見殺しにし、多くの人々を恐怖の底に突き落とした、その「後始末」をするための苦い薬。
「それに……」
葉世は窓の外を見た。
「誰かが泥をかぶって、二度とあんなふざけた機械が世に出ないように見張らなきゃいけないんだよ。……それが、生き残った大人の義務だ」
*
夕暮れ時。
社員たちが帰り支度を始める中、来客があった。
営業部の高木えりだった。
彼女もまた、事件のショックで退職を選んだ一人だ。今日は荷物の整理に来たらしい。
「葉世課長……」
高木は、葉世のデスクの前に立つと、深々と頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした。私、網代さんの嘘を信じて……課長の悪口を言いふらして……」
彼女の声は震えていた。
網代の「スピーカー」として利用され、結果的に宇治木たちの計画を隠蔽する手助けをしてしまった罪悪感。
彼女もまた、網代という悪意の被害者であり、同時に加害者でもあった。
葉世はパソコンから目を離し、彼女を見た。
「顔を上げろ、高木」
「でも……」
「お前は信じたかっただけだろ。友達を」
葉世の声は穏やかだった。
「利用する奴が得をして、信じた奴が馬鹿を見る。……そんな世の中だからこそ、君みたいな正直な人間が俺に謝りに来て立ち上がり前を向いて歩きだす姿が、救いになることもあるんだ」
高木の目から涙が溢れた。
彼女はバッグから、一輪の花を取り出した。
鮮やかなオレンジ色のガーベラ。
小さなガラス瓶に挿して、葉世のデスクの隅に置く。
「……これ、お詫びとお礼です。私たちを守ってくれて、ありがとうございました」
高木は涙を拭い、無理に作った笑顔でお辞儀をした。
「私、実家に帰ってもう一度やり直します。……課長も、お体に気をつけて」
彼女は逃げるように去っていった。
葉世は、残されたガーベラを見つめた。
殺風景な、書類とパソコンだけの灰色のデスクに、ポツンと灯ったオレンジ色の光。
花言葉は確か、「忍耐」そして「希望」。
*
夜八時。
オフィスには葉世一人だけが残っていた。
窓の外には、東京の夜景が広がっている。
無数の光の粒。その一つ一つに、人々の生活があり、命がある。
あの時、彼がアルミケースに詰められた機械のスイッチを押さなければ、この光のいくつかは永遠に消えていたかもしれない。
葉世は回転椅子に深く体を預け、天井を見上げた。
脳裏に浮かぶのは、この数ヶ月の出来事だ。
網代真里という歪んだ起点。
それに共鳴した宇治木政樹。
さらに増幅させた甲斐芳正。
そして、彼らに利用され、押し潰されていった拓海や鏡、栄子といった人々。
一人の悪意が隣の人間を倒し、それが勢いをつけて次の人間を倒す。
倒れるたびに狂気は加速し、最後には巨大な惨劇となって雪崩れ込む。
「……狂人ドミノ、か」
葉世は誰に聞かせるでもなく、ポツリと呟いた。
それは、誰かが止めなければ、永遠に続き、世界中を壊し尽くすまで止まらない連鎖だった。
「必死の思いで、なんとか最後の一個手前で止めることができた……」
彼は自分の手を見た。
油と半田ごての火傷の痕が残る、無骨な中年男の手。
特別な力などない。ただ、目の前の仕事を投げ出さなかっただけの手。
だが、この手がドミノの列に割り込み、その重みを受け止めたのだ。
葉世は、デスクの隅にあるガーベラに指先で触れた。
柔らかな花弁の感触。
高木が置いていったこの花もまた、小さなドミノの一つかもしれない。
悪意の連鎖ではなく、善意の連鎖。
誰かが誰かを想い、誰かのために頭を下げる。
そんな当たり前の優しさが、次の誰かへと伝わっていく。
「次は……そっち(善人)で倒していこう」
葉世は微かに笑った。
胃の痛みはもう消えた。
彼は新しい決裁書類の束を引き寄せ、ボールペンを握り直した。
善意のドミノが、どこまでも繋がっていくことを願って。
オフィスの明かりは、夜明けまで消えることはなかった。
了
登場人物ファイル
1.網代真里
【操作型サイコパス(Manipulator)】
「悲劇のヒロイン」を演じ、他人を自壊させる人形遣い
一見すると、パワハラ上司に怯える清楚で可憐な部下。しかしその本性は、罪悪感が欠落した冷徹な捕食者である。
彼女にとって他人は感情を持った人間ではなく、使い捨ての「おもちゃ」に過ぎない。同情、承認欲求、正義感――相手の心の隙間に入り込み、意のままに操っては破滅させ、その様を特等席で眺めることを至上の愉悦とする。
特徴:ターゲットの写真を赤い毛糸で繋いだ「相関図」をクローゼットに隠し持ち、ゲーム感覚で人間関係を破壊する。潔癖症で、他人に触れた箇所を執拗に消毒する。
2.宇治木政樹
【支配型サイコパス(Dominator)】
「効率」の名の下に命を選別する、冷血なる粛清者
経営コンサルタントとして会社に乗り込んできた、完璧な身なりのエリート。
「美しさ」と「合理性」を異常なまでに崇拝し、生産性のない高齢者を「コスト」「不良在庫」と断じて排除しようとする選民思想の持ち主。
自らの手を無意味に汚すことを嫌い、システムや制度を利用して合法的に、かつ大量に弱者を切り捨てることに陶酔する。彼にとって殺人は罪ではなく、社会という病巣を切除する「外科手術」である。
特徴:常に白いハンカチで口元や指先を拭う。妻の指をロボットに折らせている最中も、眉一つ動かさずデータの数値を観察する。
3.甲斐芳正
【快楽殺人型サイコパス(Sadist)】
鉄と肉の断末魔に興奮する、狂気の職人
湾岸の工場に潜む、油と煤にまみれた工場長。
機械に対して性的な執着を持ち、人間の骨が砕ける音や悲鳴を「シンフォニー」と呼んで愛でる異常性愛者。
宇治木の計画する「効率的な事故」では満足できず、ロボットのリミッターを全解除し、暴走させて人間をミンチにする虐殺ショーを夢見ている。理屈も損得も通用しない、純粋な暴力装置。
特徴:ロボットを「俺の子供」と呼び、愛撫するように触れる。過去にプレス機での死亡事故を意図的に見殺しにし、その「音」の再現に取り憑かれている。
4.葉世友和
【英雄型逆サイコパス(DarkHero)】
怪物を狩るために怪物になった、不屈の守護者
品質管理課の万年課長。くたびれた安物のスーツに猫背、常に胃薬を手放せない、一見すると冴えない中年男。
しかしその実態は、社内に巣食う悪意を誰よりも早く察知し、たった一人で巨悪に立ち向かう孤高の策士である。
網代の悪意に気づいてあえて「パワハラ上司」という悪役を完璧に演じきる演技力。
文系出身でありながら、独学で対ロボット用兵器(ジャミング装置)を開発する執念。
そして、どんな脅しや絶望的な状況にも屈せず、淡々と職務(正義)を遂行する鋼のメンタル。
彼は常人離れした精神力で「狂人ドミノ」の連鎖を断ち切る、“こちらの側”にいてくれることが何よりも心強い、最強の番人である。
決め台詞:「不良品の回収、完了だ」
最後までお読みいただきありがとうございました。感想や評価いただけると励みになります。続きを思案中です。




