第18話 最初の生贄
会場に響き渡る断末魔の叫び。
それは、音楽のようにリズミカルにループ再生され、華やかなイベントホールを不協和音で満たしていた。
ステージ中央、スポットライトを一身に浴びる薄汚れた作業着の男――甲斐芳正は、陶酔しきった表情で両手を広げていた。
「聞こえるか! これが命の音だ!」
彼の手にあるスマートフォンから、Bluetooth接続された会場のスピーカーへと、鏡浩司が死ぬ瞬間の絶叫が送り込まれている。
その特定の周波数を浴びた数百台のロボット『アイギス』たちは、一斉にカメラアイを深紅に染め上げ、駆動音を唸らせていた。
「さあ、開演の時間だ! 俺の可愛い子供たちよ!」
甲斐は、狂気に満ちた笑顔で客席を指差した。
「あそこで震えてる年寄りどもを抱きしめてやれ! その脆い骨を、最高の楽器に変えて奏でろ!」
彼は確信していた。
自分が「親」であり、この鉄の塊たちは忠実な「子供」であると。
彼らが自分の指示に従い、客席へと雪崩れ込んで虐殺を開始する光景を夢見ていた。
だが。
ロボットたちの赤い瞳は、客席の老人たちを見てはいなかった。
彼らの視線は一点に集中していた。
最も近く、最も大きく、あの「トリガーとなる悲鳴」を発している音源。
すなわち、スマホを握りしめ、マイクに向かって喚き散らしている甲斐芳正自身である。
『音源、直近ニテ検知』
甲斐の目の前にいた、一際大きな機体――最初に改造を施されたマスター機が、無機質に告げた。
甲斐の笑顔が凍りつく。
「……あ?」
ウィィィン!
人間の反射神経を凌駕する速度で、純白のアームが伸びた。
甲斐が反応する間もなかった。
太く改造され、黒いパイプが血管のように浮き出た剛腕が、左右から甲斐の胴体をガシッと挟み込んだ。
「お、おい……違う! 俺だ! パパだぞ!」
甲斐は慌ててスマホを持った手を振った。
「あっちだ! 客席に行け! 俺じゃねえ!」
だが、アイギスに「親」を判別する機能などない。
あるのは、「悲鳴の元を排除(抱擁)せよ」という、甲斐自身が書き込んだ単純かつ絶対的な命令だけだ。
『対象、ロック。……おくるみ・ハグ、開始シマス』
皮肉なほど優しく、慈愛に満ちた女性の合成音声。
次の瞬間、油圧シリンダーが限界を超えて作動した。
ガギィッ!!
「ぐげぇっ!?」
甲斐の口から、空気が強制的に絞り出された。
肋骨が一瞬にして悲鳴を上げる。
彼は以前、鏡浩司を殺す際に「圧縮率MAX」の設定を楽しんだ。今、その無限大の圧力が、自分自身の肉体に牙を剥いている。
「あ、あが……っ! ば、馬鹿な……俺は……パパ……」
甲斐の顔が鬱血し、紫色に変色していく。
目玉が飛び出しそうになるほどの激痛。
しかし、その極限の苦痛の中で、彼の歪んだ脳髄は、ある種の感動に震えていた。
(すげぇ……なんて力だ……。これが、俺が作ったアーム……)
ミチミチミチッ!
自分の胸郭がたわみ、限界を迎える音が、骨伝導で直接脳に響いてくる。
他人の死に様を見て興奮していた男が、最後に聞いたのは、自分自身の身体が楽器として破壊される音だった。
バキィッ!! グシャァァァッ!!
マイクを通して、湿った破砕音が会場中に轟いた。
甲斐の背骨が逆方向にへし折れ、砕けた肋骨が肺と心臓を一斉に突き刺した。
「ごふっ……!」
口から大量の鮮血と内臓の破片が噴き出す。
握りしめていたスマホが手から滑り落ち、カランと乾いた音を立ててステージに転がった。
甲斐芳正は、白目を剥き、血の泡を吹きながら絶命した。
その顔には、苦悶と恍惚が入り混じった、見るもおぞましい笑みが張り付いていた。
プシュウゥゥ……。
排気音と共にアームが開く。
ドサリ。
ボロ雑巾のようにひしゃげた甲斐の死体が、ステージ上に投げ捨てられた。
静寂。
数百人の観客は、あまりにも唐突で、あまりにも残酷な光景に、声を出すことさえ忘れていた。
純白のステージに広がる、鮮やかな赤。
直前まで人間だったものが、一瞬でただの肉塊に変えられた現実。
「……ひっ」
客席の誰かが、息を飲んだ。
それが合図だった。
「ぎゃあああああああああああ!!」
「し、死んでる! 殺した! ロボットが人を殺したぞ!!」
「逃げろぉぉぉっ!!」
悲鳴が爆発した。
パニックに陥った群衆が、我先にと出口へ殺到する。
車椅子の老人が突き飛ばされ、ハイヒールの女性が転倒する。
怒号と絶叫が反響し、ホールは瞬く間に阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。
*
舞台袖。
宇治木政樹は、甲斐の死体を見ても、眉一つ動かさなかった。
血や内臓は見慣れている。あの湾岸の工場で、鏡がすり潰される様もつぶさに観察した。
彼が戦慄していたのは、目の前のグロテスクな光景に対してではない。
(制御不能……!)
その一点においてのみ、宇治木は恐怖していた。
彼は今、自分が作り上げたシステムが完全にコントロールを失い、あろうことか創造主である自分たちにも牙を剥こうとしている状況に、脂汗を流していた。
「馬鹿な……ターゲットは老人だけに設定したはずだ。なぜ指示に従わない!?」
宇治木は叫びながら、無意識に自分の首元を押さえていた。
あの剛腕が、自分の首を掴む想像が脳裏をよぎる。
自分の完璧な計画が、薄汚い工場長の暴走によって瓦解し、あまつさえ自分の命まで脅かされている。その屈辱と恐怖で、彼の膝は笑っていた。
隣にいた網代真里もまた、顔面蒼白で壁に張り付いていた。
彼女は賢い。
甲斐が殺された瞬間、即座に理解した。
(あのロボットたちは、もう誰の言うことも聞かない。……動くもの全てを壊すだけの怪物だわ)
彼女は宇治木を見捨て、そっと非常口の方へと後ずさりした。
だが、非常口のランプの下にも、赤い目をしたアイギスが仁王立ちしているのが見えた。
逃げ場はない。
*
甲斐の死は、破壊の序曲に過ぎなかった。
会場に満ちた観客たちの悲鳴。
それが、新たな「トリガー」となった。
『音源、多数検知。……排除シマス』
ステージ上に整列していた残りのロボットたちが、一斉に動き出した。
彼らはまだ、人間を直接襲う「個体識別」の段階には入っていないようだった。
しかし、興奮状態にある彼らにとって、目の前にある障害物はすべて破壊対象だった。
ガシャァァァン!!
一台のアイギスが、ステージ上の演台をアームでなぎ払った。
重厚な木製の演台が、マッチ箱のように空を飛び、客席の前列に落下して砕け散る。
別の一台は、空になった来賓用のパイプ椅子を拾い上げた。
グシャッ。
スチールのパイプが紙屑のように丸められる。
ロボットたちは、まるで力の使い道を覚えたばかりの幼児のように、手当たり次第に周囲の物を破壊し始めた。
バリバリバリッ!
照明機材が引きちぎられ、火花が散る。
高価な音響スピーカーが握りつぶされ、ハウリングのようなノイズを撒き散らす。
破壊音が響けば響くほど、ロボットたちのカメラアイはより鮮烈な赤に輝き、その動きは凶暴さを増していく。
「ひぃぃっ! こっちに来るぞ!」
「開けろ! ドアを開けろよ!!」
出口に殺到した人々は、絶望的な光景を目にしていた。
扉の前に立つ警備用アイギスたちが、逃げようとする人々の進路を塞ぎ、アームを広げて威嚇しているのだ。
まだ攻撃はしていない。
だが、その一撃が放たれれば、人間の体など容易く両断されることは、甲斐の死に様が証明していた。
前門の虎、後門の狼。
ホールは完全に密室の檻と化していた。
*
アリーナ席の最前列。
車椅子に乗った高齢者たちは、逃げることさえできずに取り残されていた。
彼らの背後には逃げ惑う群衆の壁があり、目の前には暴れ狂うロボットの群れがいる。
一台のアイギスが、ステージから降りてきた。
ドォォン!
着地の衝撃で床が揺れる。
その機体は、転倒して主を失った無人の車椅子を拾い上げた。
金属フレームの車椅子。
アイギスはそれを胸に抱き、ゆっくりとアームを閉じた。
キィィィィン……グシャァッ!
耳障りな金属音と共に、車椅子が鉄屑の塊へと変貌する。
タイヤが弾け飛び、フレームがひしゃげる。
ロボットは、圧縮された鉄塊を無造作に床へ投げ捨てた。
カラン、と乾いた音が響く。
そして。
ロボットはゆっくりと首を巡らせた。
その視線の先に、一人の老婦人がいた。
腰を抜かし、床にへたり込んでいる小柄な女性だ。
彼女は震える手で天を仰ぎ、涙を流して祈っていた。
ロボットのカメラアイが、老婦人を認識し、明滅する。
『対象、検知。……ハグ、シマショ』
合成音声が流れた。
ロボットは、先ほど車椅子を鉄屑に変えたのと同じ動作で、ゆっくりとアームを広げた。
その白い装甲には、甲斐の返り血が点々と付着している。
「い、いやぁ……助けてぇ……」
老婦人が悲鳴を上げる。
「来ないで……お願いだから……!」
その声に反応するように、ロボットの駆動音が一段階高くなった。
ウィィィン……!
逃げ場はない。
鋼鉄の腕が振り下ろされ、老婦人の細い体を万力のように締め上げようとした――
その刹那。
「伏せろぉぉぉっ!!!」
会場の天井付近から、裂帛の気合いが轟いた。
その声のあまりの大きさに、ロボットが一瞬動きを止める。
老婦人が、宇治木が、網代が、そして逃げ惑う群衆が、一斉に上を見上げた。
天井のキャットウォークから、一本のロープが垂れ下がっている。
そこを、一人の男が滑り降りてきた。
まるでアクション映画のスタントのように――しかし、その姿はあまりにも不格好だった。
薄汚れた作業着。乱れた髪。必死の形相。
そして背中には、場違いなほど無骨で巨大なアルミケースを背負っている。
ドォォン!
男はステージと客席の間、老婦人の目の前に着地した。
衝撃で膝をつくが、すぐに立ち上がる。
葉世友和だった。
彼は着地するなり、ロボットと老婦人の間に割って入った。
直後、足を高く上げて前蹴りをはなった。吹き飛ばされるアイギス。
「この人に触るな、ガラクタ野郎!」
葉世は吠えた。
かつて社内で「空気」と呼ばれ、部下に舐められ、上司に利用されてきた、冴えない中年男。
だが今、その背中は、どんな鋼鉄のロボットよりも大きく、頼もしく見えた。
アイギスの赤い目が、新たな障害物(葉世)を認識する。
葉世は一歩も引かず、背中のアルミケースを下ろした。
カチリ、とロックを外す。
中には、配線がむき出しになった無骨な機械――手製のジャミング装置が鎮座していた。
葉世は、ステージの上で呆然としている宇治木と網代を睨み上げた。
その目は、かつてパワハラ上司を演じていた時の濁った目ではない。
真実を見据える、静かで熱い光を宿していた。
「……葉世、……?」
網代が信じられないものを見る目で呟く。
「な、なぜ君がここに……! 君は懲戒休職中のはずだぞ!」
宇治木が叫んだ。
葉世はフンと鼻を鳴らし、いつもの癖で胃のあたりを手で押さえた。
そして、アルミケースのスイッチに手をかけ、静かに告げた。
「ああ、休職中の身だ。……だが、こんな特級の『不良品』、見過ごすわけにはいかないんでな」
葉世の声が、静まり返ったホールに響く。
「品質管理課長として命令する。
――ただちに出荷停止だ。全機、リコール(回収)する」
彼の手が、スイッチを押し込んだ。




