第17話 檻の中の祝祭
午後一時。
都心の巨大イベントホール『グランド・ミレニアーム』は、静謐な狂気に包まれていた。
天井からはシャンデリアが下がり、磨き上げられた大理石のフロアには、政財界の重鎮、メディア関係者、そして招待された多くの高齢者たちが集まっている。
彼らの視線の先にあるのは、漆黒のステージ。
そこに、数百台の純白のロボット『アイギス』が、軍隊の閲兵式のように整然と並んでいた。
無機質な白い肌。顔のない黒いバイザー。
その光景は、一見すると未来のテクノロジーを称える輝かしいものに見えたが、どこか墓標の列を思わせる不気味な威圧感を放っていた。
「……素晴らしい眺めだ」
舞台袖の暗がりで、宇治木政樹は呟いた。
仕立ての良いタキシードに身を包み、胸元には深紅のポケットチーフ。
彼は純白のハンカチを取り出すと、眼鏡のレンズを丁寧に拭った。
隣に控える網代真里が、冷ややかな笑みを浮かべて同意する。
「ええ。壮観ですね。これだけの数が全国に散らばれば、日本の高齢化率は劇的に改善されるでしょう」
「あくまで自然な形での『淘汰』だ」
宇治木は眼鏡をかけ直し、中指でブリッジを押し上げた。
「今日、ここで信頼と称賛を勝ち取り、全国の施設へと送り込む。……本当の『手術』が始まるのは、それぞれの施設に届いてからだ。半年後には、国の代謝機能は正常化している」
彼らにとって、今日の発表会は単なる通過点に過ぎない。
ここで華々しいデビューを飾り、その後に全国各地の密室で、自然死に見せかけた間引き作業を淡々と進める。それが宇治木の描いた「美しい改革」のシナリオだった。
まさか、この会場そのものが、数分後に巨大な処刑場になるとは、二人の天才的な知能をもってしても予測できていなかった。
「行きましょう、宇治木さん。出番です」
「ああ」
宇治木は背筋を伸ばし、光の中へと歩み出した。
網代は一歩下がってそれを見送る。
彼女の視線が、会場の隅に向けられた。
(……さて。高木さん、ちゃんと仕事してるかしら)
*
客席の後方。
営業部の高木えりは、同僚たちに囲まれて、ひそひそ話を続けていた。
彼女の顔色は青ざめ、手は小刻みに震えている。
「ねえ、見て。……ドアのところ」
高木が顎でしゃくった先。
ホールの四方にある巨大な防音扉の前には、警備スタッフではなく、二体ずつの『アイギス』が仁王立ちしていた。
微動だにせず、出口を塞ぐように立ちはだかる白い巨体。
「なんでロボットが警備してるの? 普通、スタッフがやるでしょ」
同僚の一人が不安そうに言う。
高木は声を潜め、決定的な「噂」を口にした。
「聞いたのよ、網代さんから。……宇治木さん、最近様子がおかしいって。夜中に『粛清を始める』とか、『日本が生まれ変わる』とかブツブツ言ってたって」
「えっ、嘘でしょ……?」
「本当だよ! 網代さん、殺されるかもしれないって震えてた。……ねえ、やっぱり異常だよこの雰囲気。あの人、薬でもやってるんじゃない?」
不安はウイルスのように伝染する。
華やかな会場の底流に、ざわざわとした恐怖のさざ波が広がり始めていた。
何も知らない招待客の老人たちが、「便利な世の中になるのねぇ」と無邪気に笑っている姿だけが、残酷なほどのコントラストを描き出していた。
*
その頃。
ホールの天井裏にあるキャットウォーク。
埃と油の匂いがする狭い通路を、葉世友和は這いつくばって進んでいた。
背中には、重いアルミケース。
額から汗が滴り落ち、目に入るが、拭う余裕はない。
彼は金網の隙間から、眼下の会場を覗き込んだ。
数百台のロボットの整列。
そして、出口を塞ぐ配置。
「……最悪だ」
葉世は呻いた。
現場の配置は明らかに「ここを檻にする」ための布陣だ。
これは宇治木の指示ではない。もっと短絡的で、もっと凶暴な意志が働いている。
誰か他にいる。葉世は、宇治木と網代以外の悪意を敏感に察知していた。
「あいつら……ここでやる気か」
葉世はスマホを取り出し、会場のWi-Fi電波状況を確認した。
異常な強度のセキュリティロックがかかっている。
外部への通信は遮断され、内部のシステムは完全に独立したイントラネットで制御されていた。
つまり、一度事が起きれば、助けを呼ぶことも逃げることもできない。
「急げ……! 間に合えッ!」
葉世はアルミケースを引きずり、音響調整室の真上にあたる位置を目指して匍匐前進を再開した。
胃が焼けつくように痛む。
だが、今の彼にとって、その痛みは「まだ生きている」という証でしかなかった。
*
ステージ上では、ライフ・アシスト・ロボティクス社の社長による開会の挨拶が終わり、いよいよ主役が登場しようとしていた。
「――では、この画期的なプロジェクトを牽引し、今日の成功を導いた立役者をご紹介します。株式会社フューチャー・ケア・ストラテジー代表、宇治木政樹様!」
万雷の拍手。
スポットライトが一点に集中し、宇治木が優雅な歩調でセンターマイクへと進み出た。
彼は会場全体を見渡し、深く一礼した。
その姿は、知性と誠実さの象徴のように見えた。
「皆様、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
よく通るバリトンボイスが、会場の隅々まで響き渡る。
「我が国は今、未曾有の超高齢化社会を迎えています。介護現場は疲弊し、若者たちはその重荷に喘いでいる。……美しい光景とは言えません」
宇治木は言葉を選びながらも、その端々に自身の選民思想を忍ばせていた。
「介護とは『支え合い』だと言われます。しかし、支える側の背骨が折れてしまっては、共倒れになるだけだ。必要なのは精神論ではない。物理的な『解決』です」
彼は背後に並ぶロボット軍団を振り返り、手を広げた。
「アイギスは、その重荷をすべて肩代わりします。人間が人間らしく生きるために、不要な『コスト』と『労力』をゼロにする……それこそが、私が提案する真のバリアフリーなのです」
会場からは感嘆の声が漏れる。
「コストをゼロにする」という言葉が、「コストとなる人間(高齢者)を消滅させる」という意味を含んでいることに気づく者はいない。
最前列の車椅子の老人たちも、涙ぐんで拍手を送っている。
舞台袖で、網代真里は腕を組んでそれを見つめていた。
(うまい言い回し。自分を正義だと信じ込んでいる詐欺師ほど、タチの悪いものはないわね)
彼女はスマホを取り出し、時間を確認した。
予定通りなら、あと十分でプレゼンは終わり、試運転へと移る。
そして明日の朝には、第一便のトラックが全国へ向けて出発するはずだ。
だが。
そのシナリオを、根本から破壊しようとしている男が、すぐ近くにいた。
*
ステージの下手側。
巨大なスピーカーの影、暗幕の裏側に、その男は潜んでいた。
甲斐芳正。
彼は場違いなほど薄汚れた作業着を着て、油にまみれた帽子を目深に被っていた。
警備員の目は節穴だ。搬入業者のフリをして紛れ込むことなど、造作もなかった。
甲斐は、隙間からステージ上の宇治木を見上げ、鼻で笑った。
「ケッ……気取ったこと言ってやがる。配送だぁ? 全国展開だぁ?」
彼は懐から、画面のひび割れたスマートフォンを取り出した。
画面には、怪しげな音声再生アプリが表示されている。
「わかってねえなぁ、旦那は。……音ってのはな、『鮮度』が命なんだよ」
甲斐は舌なめずりをした。
全国に散らばったロボットが、それぞれの場所で骨を折る音。
そんな録音データや報告書が送られてきたところで、何が面白い?
俺が聴きたいのは、ライブだ。
数百本の骨が同時に砕け、数百人の喉が同時に絶叫する、この世の終わりのような大合唱だ。
「俺はな、お前の命令でロボットを作ったんじゃねえ。……この瞬間のために、俺の子供たちを育てたんだ」
甲斐は、ステージ上のロボットたちを見つめた。
彼らが搭載しているプログラムは、宇治木の承認したものとは違う。
甲斐が密かに書き換えた『狂気の種』が埋め込まれている。
トリガーは、たった一つの「音」。
彼はスマホの画面をタップした。
再生リストのファイル名は『Kagami_Last_Cry.wav』。
あの夜、工場ですり潰された記者・鏡浩司の、脊椎が砕ける瞬間の断末魔。
「さあ、始めようぜ。……檻の中のオーケストラだ」
甲斐の親指が、再生ボタンに触れた。
*
宇治木のスピーチが、クライマックスに差し掛かっていた。
「さあ、ご覧ください。これが日本の未来です。誰もが負担から解放され、美しく生きられる世界――」
その時だった。
ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!
会場のスピーカーから、鼓膜を引き裂くような絶叫が轟いた。
マイクのハウリングではない。
人間の、死に瀕した本物の悲鳴。
ホール内の空気が一瞬で凍りつき、びりびりと振動する。
「な、なんだ!?」
宇治木が驚愕し、マイクを握りしめたまま周囲を見回した。
「音響! 何をしている! すぐに止めろ!」
客席も騒然となる。
「この声、なに……?」
「演出? にしては悪趣味すぎるぞ!」
だが、音は止まらない。
甲斐はスマホを会場のワイヤレスマイク回線に割り込ませ、最大音量でループ再生させていた。
断末魔の残響が、ホールを不協和音で満たしていく。
そして。
その特定の周波数を浴びた瞬間。
ステージ上に整列していた数百台の『アイギス』が、一斉に反応した。
ガション。
ガション。
一糸乱れぬ動きで、ロボットたちが首を上げた。
黒いバイザーの奥にあるカメラアイが、明滅を始める。
最初は白。次に黄色。
そして――
ブゥゥゥン……!!
地響きのような駆動音と共に、すべてのアイギスの目が、鮮血のような「深紅」に染まった。
『音源、検知。……リミッター、全解除』
『モード:強制保護』
無機質な合成音声が、数百台分の合唱となって響き渡る。
宇治木は後ずさりした。
「な……なんだ、その目は。私はそんな設定など承認していないぞ!」
彼は叫んだ。
「停止しろ! アイギス、スタンバイモードへ戻れ!」
だが、ロボットたちは創造主の命令を無視した。
彼らの制御権は、すでに「音」へと移譲されている。
彼らはゆっくりと、しかし確実に、保護対象者(人間)のいる方向へと顔を向けた。
舞台袖の網代真里は、血の気が引くのを感じていた。
彼女の完璧な計算が、崩れ去っていく音が聞こえる。
「まさか……あいつ……!」
彼女は客席の暗がりを見つめた。
どこかにいるはずだ。この狂ったシナリオを書き換えた、薄汚れた工場長が。
*
ドォォォン!!
突然、会場の四方にある扉から、重い衝撃音が響いた。
出口の前に立っていた警備用のアイギスたちが、扉のロックハンドルを強引に破壊し、物理的に開閉不能にしたのだ。
さらに、彼らは仁王立ちになり、その長いアームを広げて通路を封鎖した。
「ど、ドアが開かないぞ!」
「ロボットが邪魔で出られない!」
後方の客席から悲鳴が上がる。
密室。
ここはもう、華やかなイベントホールではない。
逃げ場のない、巨大な檻だ。
ステージ上のロボットたちが、一斉に動き出した。
移動用のタイヤが金切り声を上げ、純白の群れがステージの端へと殺到する。
その先にあるのは、最前列のアリーナ席。
逃げることもできず、恐怖に震える車椅子の老人たちの群れだ。
「ひっ……いや、来ないで……!」
老人の一人が叫ぶ。
宇治木は壇上でへたり込んだ。
彼の「美しい計画」は、今、もっとも醜悪な形で瓦解しようとしていた。
網代は壁に背中を預け、ガタガタと震えながら、自分の作った怪物を見つめていた。
そして、暗幕の裏側で。
甲斐芳正は、スマホを握りしめたまま、ステージへと躍り出た。
彼の顔には、この世のすべての狂気を煮詰めたような、満面の笑みが張り付いていた。
「さあ、開演の時間だ! 俺の可愛い子供たち!」
甲斐は両手を広げ、迫りくる赤い目のロボットたちに向かって叫んだ。
彼は、ただ目前に迫る「最高の音」への渇望に身を震わせていた。
ロボットのアームが振り上げられる。
最初の骨が砕けるまで、あと数秒。
地獄のシンフォニーが、今まさに幕を開けようとしていた。




