第3話「霧の中へ」
残された二人の追手は、壁に叩きつけられ動かなくなった仲間を見て、言葉を失った。
そして次の瞬間、二人は同時に剣先を上げる。
霧の中に“突然現れた男”へ、反射で警戒態勢を取った。
「貴様、何をした……!」
男たちの声には、隠しきれない恐怖が混じっている。
男の身長は180cmほどで、非常に整った顔は中性的である。
髪が長ければ美女に見えたかも知れない。
しかし七分丈の長さにまくり上げられた袖からのぞく腕や、第3ボタンまで開けられたシャツの上からでも分かる強靭な胸筋はその圧倒的な力を予感させる。
「さて、、、」
腰に差した一本の筆が、異様に目を引いた。
漆黒に金の線。世界に二本とない高級品だと、見ただけでわかる“格”。
黒髪の男は、不敵な笑みを浮かべたまま、その筆――〈雲断〉に指をかけた。
触れた瞬間、
その筆に指が触れた瞬間、
空気が、変質する。
重力が瞬間的に10倍になったかのような、異常な重圧が全員に襲い掛かる。
喉が鳴り、汗が噴き出し、膝が笑う。冷汗が止まらない。
男だけが平静で、何事もないかのようにたたずんでいた。
「一筆入魂:止」
男が空中に筆を走らせると、黒い本体に刻まれた金色の線が赤く脈動し、空中に漆黒の文字を刻んでいく。
「止」
空中に書かれたその一字より、黒く、赤い閃光がほとばしり男たちを貫いた。
その瞬間、剣を構え直そうとした二人の騎士の動きが、まるで時間が凍りついたかのように完全に停止した。
指一本、瞬き一つ。
首から下は、ぴくりとも動かない。
「さて、聞かせてもらうで。なんでこんないたいけな子供らを追い回しとるんや?」
男の問いかけに、首から下をピクリとも動かせない騎士の一人が、引き攣った顔で声を絞り出した。
「その……ガキどもは……違法薬物売買の疑いがある……! 公務の邪魔をするな!」
「嘘だ! 俺たちはそんなことやってない! 」
「俺たちは、ただ……シンを……!」
黒髪の少年、レンが激しく叫ぶ。
少女アイの眼には大粒の涙が溜まっていた。
男は筆を指先で回し、面白そうに目を細めた。
「違法薬物なぁ……。まぁ、こんな綺麗な目をした子らが、ホンマかぁ?」
霧の向こう側から、さらに別の追っ手たちの激しい足音が近づいてくる。
男は一度空を仰ぎ、重い扉のような、冷たくて深い霧を見つめた。
「んーここでやり合っても埒が明かんな。……しゃあない、一旦逃げるか」
「えっ?」
レンの間抜けな声が出た瞬間、男は笑った。
「お嬢ちゃん、坊主、俺の名前はソラや。ほな、しっかりついてきや。」
ソラは静止した騎士たちの横を悠然と通り抜け、困惑する二人の手首を掴む。
温かい。
けれど、その温度が逆に怖いくらい落ち着いていた。
二人に迷う暇はない。
先の見えない霧の迷路へ、足を踏み出すしかなかった。
――背後で、追っ手の足音が“倍”に増えた。




