第1話「開く扉」
昔々、ある所で、一人の冒険者が言った。
「大空の深さの先に、夕焼けを越えた彼方に、夜明けの広がりの果てに、未知の輝きがある。」
言葉は火種になった。
足跡は地図になった。
世界中の冒険者が宝を求めて踏み出し、国々は道を整え、港は膨らみ、交易は熱を帯びた。
発見が積み重なるほど世界は眩しくなり、いつしか“永遠に続く平和”さえ見えた。
だが、輝きが極まるとき、影もまた濃くなる。
時は流れ、世界は再び、変革の入口に立っている。
この物語は、ある街から始まる。
◇
霧が視界を曖昧に溶かしている。
中央大陸の東端、貿易国家ベルナードの隅にへばりつく断崖の街
クリフヘイヴン
海と寒気が呼び込む深い白が、常に街を覆い、石畳も家々の輪郭も、夢の中みたいに滲ませてしまう。
街灯の光は、遠くまで届かない。
薄く引き伸ばされた線のように霧へ吸われ、地面に落ちる前に溶けていく。
その幻想を切り裂くように、石畳を叩く足音が響いた。
「逃がすな! そいつらを捕らえろ!」
霧の奥から現れたのは、胸に“剣と霧”の紋章を刻んだ騎士が三人。
甲冑が霧を弾き、息が白い煙になって広がる。
逃げるのは、少年と少女だった。
黒髪の少年――レンは、肩で息をしながらも前へ前へと走る。
少し後ろを走る少女――アイは、転びそうになりながら必死に足を動かしていた。
レンが振り返る。
霧越しに、剣の冷たい光がちらつく。
「……っ、来るぞ」
声が震えないように、レンは唇を噛んだ。
怖い。
それでも止まれない。止まったら終わる。
二人は迷路のような裏路地へ飛び込んだ。
レンは道端の木箱の山を蹴り崩す。
乾いた音。板が割れる。箱が転がる。
映画のワンシーンのように、崩れる荷物は男たちの足を止めた。
崩れる荷物が追手の足を止め、距離が少しだけ開く。
レンはアイの手首を強く引いた。
「こっちだ!」
右へ、左へ。
霧の路地は同じ景色を繰り返し、方向感覚を奪ってくる。
なのに――騎士たちは迷わない。
まるで、霧の向こうに“目印”でもあるみたいに。
◇
前方に鉄格子の門が見えた。
レンが門を押し開け、二人で滑り込む。
アイが入ったのを確かめると、レンは門を静かに閉め、落とし棒をかけた。
息を殺す。
耳が痛いほどの静けさ。
――通り過ぎてくれ。
そこは、かつて塀付きの一軒家があったらしい場所だった。
だが堅牢だったはずの石壁は崩れ、骨だけを残した廃墟になっている。玄関だっただろう壁の陰に、二人は身を寄せた。
霧で覆われた空の下、呼吸が白く浮かぶ。
アイの肩が小刻みに揺れている。
レンは、彼女を抱きしめるようにして隠した。
温度を分けるみたいに、腕に力を込める。
――どうか、そのまま。
祈りは、霧に吸われていった。
そして、
重い足音が、門の前で止まる気配。
レンの背筋が、凍った。




