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灰狼の王  作者: 葛ノ葉イナリ 


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8/11

「クズル・カラ・タマン(血と闇の檻)」

――俄かに上の方が喧ましくなった。

その音で目が覚めた。そのうちに船がゆっくりと動きを止めたようだった。


どうやら港についたようだ。

サルのいうことが確かならば、ここはコンスタンスの港であるはずだ。

実際にあれから一晩で到着したのだから、おそらく彼のいうことに間違いはなかったのだろう。外の喧騒からも前に着いた港よりもかなり大きな港のように感じる。


「立て!」

前の港と同じように、また男が叫んだ。叫びながら奴隷たちを縄でつないでいく。

「お前は待て。」

俺だけは繋ぐのを後回しにされた。

やはりサルのいったことは嘘ではなかったのか。俺の前を次々につながれた奴隷たちが通り過ぎていく。

やがてサルが俺の前を通り過ぎた。やつはちらっと目くばせをした。

(俺のいったとおりだったろ。)とでも言っているようだった。


「お前はこっちだ。」

全員が繋がれて船を出ていったあと、俺は一人残された。

両腕を拘束されなおして、胴と腕が離れないように縛られた。


彼らが船を降りてしばらくたってから、俺は船を降りることになった。降りた先に小さな馬車が一台停まっていた。荷台に格子が嵌っている。

「――俺がいったい何をしたっていうんだ。まるで罪人だな。」


港の市場の方に連れていかれた彼らの方を眺めつつ船を降りていると、そっちの方がにわかに騒がしくなった。

「ひとり逃げたぞ!」

「捕らえろ!無理なら殺してもかまわん!見せしめだ!」

確かにそう聞こえた。――やりやがった。本当に。

彼は逃げ切れるだろうか。

なんとなく妙な安堵感を感じた。あいつならちゃんと逃げ切れそうな気がする。

――縁があれば、、、またな。


そんなふうにひとりごちてみたが、ふと冷静になった。

人のことよりも自分がどうなるかだ。問題はむしろ俺の方だった。

格子のついた馬車に載せられて、その馬車は市場とは別の方角へ向かった。



このコンスタンスという街は確かに大きい。

大きさはサマルクの街の方が大きいが、少し変わっている。

コンスタンスは街が大きく二つに分かれているようだ。

港がある港町と内陸側にもう一つ街がある。

この街の間に細い海峡が走っていて、二つの街は海峡に分断されている。


海峡には大きな橋が架かっている。海峡は断崖になっているので船は停泊できない。

二つともコンスタンスというのだが、人は港側を旧都、内陸側を新都と呼ぶそうだ。橋で通行が制限されているため、全く違う二つの街が並んであるように見える。

大きさは圧倒的に旧都の方が大きい。ただ、東西交易が盛んになってきて陸路が整備されてきたため、新都の方を拡大しようとしているようだ。


――東側から陸路で来れば新都の方に入るだろうか。

ふとそのようなことを思った。

俺を乗せた馬車は橋を渡り、新都の方へ向かっているようだった。

格子が嵌っているが景色は見ることができる。港のある旧都の喧騒に比べると、新都の方は若干落ち着いているように感じた。


やがて馬車が止まった。高い壁に囲まれている大きな円形の建物の前。

そこで降ろされ、鉄製の門扉をくぐり、中に連れていかれた。

長い石の階段が地下へと続いている。

細く長い階段だった。どこまでも下へ続いているように感じた。

下へ降りるにつれ、空気は湿気を含んできた。

カビの匂いと、そして、血の匂い。

下へ下へと向かうごとに、空気は重くなり、どす黒い匂いを強くしていく。

まるで地獄の底へにでも向かっているかのようだった。


やがて洞窟のような開けた場所へたどり着いた。どこまでも続く石畳の廊下。

一定の距離を置いて松明が灯っている。まだ昼間だというのに、とても薄暗い。

壁も石造りだが、ところどころに格子の嵌った部屋がいくつもあった。

空の部屋もあったが、人がいる気配のする部屋もあった。


「入れ。」

その空の部屋のひとつに入れられた。

汗と血とそしてカビの匂い。廊下の松明の明かりが届く程度の光しかない。

中には石造りの寝台のようなものがあり、薄汚い毛織の布がおいてあった。

どうやらここがこれからの俺の寝ぐら、というより牢獄か。


俺を連れてきた男は、ここで俺の足の拘束を解いて、代わりに鉄製の枷をそれぞれの足に嵌めた。鎖が付いてその先に鉄製のおもりが付いている。

そして上半身の拘束を解いた。ようやく手が自由になった。

男は手の拘束を解くとさっさと部屋を出る。そして格子になった扉に錠を掛けた。


それとほぼ同じぐらいに一人の老人が近づいてきた。

「新しい寝ぐらは気に入ってもらえたか、カラ・ティグル。」

「――なぜ、その名前を?」

「そりゃお前さんを売ったやつからちゃんと聞いてるよ。威勢のいい出物があったらこっちへ回してくれと頼んでいたからな。ここではそういう二つ名のようなものがあったほうが都合がいい。」

「なるほど。はじめから売約済みだったってわけか。で、ここは一体何なんだ?」

「ここはまあ簡単に言えば殺し合いをするところだ。見世物だよ。」


「まあどうせそんなところだと思っていたけどな。」

「旧都の方では競馬が盛んでな。馬に戦車を引かせて競争する。えらい人気なもんで莫大な金が動く。新都の方でもそういうもんがあったほうがいいって話で、それで闘技場をこしらえたのさ。人は娯楽に飢えているし、より刺激があったほうがいい。だから殺し合いを見せて新都の方にも大枚をはたいてもらおうっていうことよ。お前らはその駒ってことになる。なに、それ自体は大昔からやっていたことだ。何も珍しいもんじゃねぇ。」


「・・・」

「ここじゃ死合は7日に1度だ。負ければすぐにここから出られる。ただし死体としてだがな。勝てば一応報奨金はでる。生きて出たいんならお前さんを買い取った金額分の報奨金を貯めて自分で自分を買い戻せばいい。何年かかるか知らねぇけどな。

それと飯は別だ。こっちがちゃんと用意する。」


「随分親切なことだな。」

「飢え死にでもされちゃ大損だからな。死ぬんならちゃんと客の前で死んでもらわないと。飯付き昼寝付きで他の奴隷たちに比べたら破格の待遇だろう。それに死合のない日は何をしても自由だ。ただしそこからは出られないが。」


「ふん。」

「それと得物はどうする。お前は両刃の剣を使うと聞いている。いくつか持ってきたから好きなのを選ぶがいい。」

「なんでもいいが、そっちのそれを貰おう。」

「ほれ、こっちだな。」

老人は俺が指さした方の剣を牢の中に投げてよこした。前に使っていた剣は拾い物で特にこだわりがあったわけではないが、できれば似ているほうが使いやすいだろう。


――それよりも。

「おい、こんなもん今渡しておいて大丈夫なのか。」

「得物があったところでここで何かできるわけでもねぇ。俺や看守を斬ったところでどうなるもんでもないんだ。いくら腕が立ってもここからは絶対に出られねぇ。それがすぐにわかるからな。それがすぐにわからねぇようなバカは大抵さっさと闘技場で死ぬことになってる。だから大丈夫だ。」


「ああ、言い忘れたが。」

老人は立ち去ろうとして振り返った。

「その剣はタダじゃねぇ。報奨金で代金は払ってもらう。まあ後払いだな。また新しいのが入用になれば相談してくれ。鎧だの盾だのの防具も必要なら用意する。タダじゃねぇけどな。ではな。」


――クソが。

俺は心の中で悪態をついた。

結局のところ俺は剣奴、つまり闘技奴隷として売り飛ばされたわけだ。

もちろん興行するたびに人が減るのだから、常に需要がある、ということだろう。

そしてここを出るためには勝ち続けなければならない。

ただ、勝ち続けるために装備を固めようとすればその分を余計に稼ぐ必要がある。

長くやっていれば得物も劣化する。

そして買い替えようとすれば、さらにその分を稼がなければならない。

そうやって体よく飼い殺しにするっていうことか。うまくできてやがる。


あの老人はまあ剣奴の世話役みたいなもんだろう。

看守は特にうろうろしているわけでもない。ただ牢を開け閉めするだけのようだ。

わざわざ地下深くに作っているのは出入口を相当に制限して、脱走ができないように作っているということか。

ここから抜け出すのはちょっと簡単な話ではなさそうだ。


機会があるとすれば、奴らがいう死合、つまり興行があるときぐらいだろう。

しかしどうやればよいか具体的には全く見当がつかない。しばらくは様子をうかがって、ここの事情をできるだけ把握することだ。


となれば、当面は先ず死なないこと。これが最優先するべき課題か。


ただ、もしセーラム達が闘技場に見物に来たら、俺がここにいることが彼らの知るところとなるだろう。意外と早いうちに何とかなるかもしれない。


――このときは愚かにもそんな風に、ひどく楽観的に考えていた。

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