「ルィエ・ダリヤ(海の上)」
地面が大きく揺れた。
それによってようやく目が覚めた。
地面、というよりもどうやら板張りの上のようだ。
手足は拘束はされたままだったが、手も足もそれぞれある程度の間隔はあけられていて、少しだけなら動かせるようになっていた。猿轡のほうは完全に外されていた。
――暗い。
ここはどこだろうか。
見回すと俺と同じように拘束されている人が何人もいた。
ざっと3~40人はいる。皆一様に覇気はなく、ぐったりとしていた。
後頭部に痛みを感じた。殴られたときのだろうか、それとも気を失っている間になにかあったのか、今となってはどうでもよかったが。
「ここはどこなんだ?」
近くにいる男に聞いてみた。
男はちらっとこちらを見て、しばらくは聞かなかったことにするかのように黙っていたが、やがて面倒くさそうに口を開いた。
「・・・船の中だよ。」
「船?」
これ以上聞くなよ、といわんばかりに露骨に嫌な表情をして男は答える。
「どこに行くのかは知らん。どこかの町だ。その先で俺らは売り飛ばされる。」
残念だが、気を失う前にディミトリが言ったとおりのようだ。
俺は不思議にすんなりと今の状況を受け入れた。
それよりも、エルデンら護衛の連中はかなり腕がたつほうだと思った。
それがこうもあっさり全滅させられるとは、寝込みを襲ったにしても不自然だ。
俺自身も、自分が縛られていることすら気が付いていなかった。
何か毒か薬でも盛られたのだろうか。
と、なるとエルデンたちは自分が殺されたことも知らないまま死んだってことか。
とにかく周到に計画されていたことなのだろう。
そんなことを今さら考えても仕方がない。これからどうするか。
――と、いってもどうすることもできない。
とにかく今はなるべく体力を温存し、流されるまま様子を伺い続けるしかない。
そのようにとりあえずの行動の方針を定めた。
今は昼か夜かもわからない。周りは常に揺れていて、下は安定していないが、とにかく寝るに限る。自分たちはどうやら商品なのだから、無下に危害を加えられることはないだろう。かといって丁重に扱うつもりもないようだが。
――どれぐらい経ったか。
かすかに天井の隙間から光がもれてくることがある。その間を昼間と考えると、もう5回ぐらいはそれを繰り返している。
水と食事はこれまでに3回でた。あれが食事と呼べるのかは別の話だが、まず口に入れれるものはなるべく口に入れておこうと決めていた。
今、船はどうやら動いていない。どこかに停まったようだった。
「立て!」
俺たちは縄で一つにつながれた。どうやら船の外に出されるようだ。目的地に着いたのだろうか。
「さっさと歩け!」
縄に引かれて歩かせられるが、足にも縄があるんだからそんなに早く歩けるはずはない。転ばぬように慎重に小幅で足を進めるしかない。
船から降ろされるときに海を見てやろうと、外に出た瞬間に後ろを振り返った。
空の青の下に、空よりも濃い青色が広がっていた。
何のことはない、湖と同じではないか。ただ風の匂いが違った。
「よそ見するな!さっさと歩け!」
すぐに怒鳴られて、結局一瞬だけしか見ることができなかった。
ただ俺は単に海を見ることが目的だったわけじゃない。その先にあるシーナ国、違う世界へつながる場所に行きたかったはずだった。
拘束されていることは余計だが、自分の望んでいたこととそれほどかけ離れているわけでもない、という風に思うことにした。
俺たちはすぐに荷馬車に載せられた。どうやら陸路で何処かへ移動するらしい。
荷馬車には幌がかけてあって、景色も見ることもできず、また暗い中の移動だった。
一昼夜馬車で移動すると、また海の匂いがした。
もう一度船に載せられるようだった。
また同じように船の底に押し込められ、光のない時を過ごすことになった。
やるべきことは、これまでと同じだ。
なるべく動かず、寝る。そして体力をできるだけ温存する。水や食事は必ず摂る。
これからどうなるのかは全くわからないが、動くべき時に動けるようにだけはしておかなければならない。
「おい、あんた。」
前の船の中と同じように過ごしてしばらくしたとき、声をかけてくる男がいた。
少し小柄の男。年のころはそれほど年かさではない。俺よりも少し上ぐらいか。つまり、割と年は若い方かもしれない。他の連中は皆同じようにぐったりとして、まるで死者のようだったが、この男はそうではなかった。
「よかったらちょっと話さねぇか。」
なれなれしく声をかけてくる。俺はかなり面倒だったが、
「なぜ俺に、、、」 話しかけてくる、何の得がある、そういいかけたが、
「あんただけは他の連中と違って目が死んでねぇからな。俺はずっと観察してきたんだ。まあ、そういう性分なもんでね。それでちょっと気になってたんでな。」
「そうか、、、物好きなことだな。」
「まあ、そういうなって。――俺様の得た情報だと、この船が向かってる先はコンスタンスだ。特別に教えておいてやるよ。なに、礼にはおよばねぇ。挨拶代わりだ。」
――コンスタンス。
セーラム達が向かうといっていた。しかし陸路でだ。海から行く方法もあったのか。
少しうれしくなった。場合によったらセーラム達と出会えるかもしれない。そんな期待をするのはバカげたことかもしれないが、そう思わずにはいられなかった。
「なぜそれを?」
「だから性分っていうか、まあそういうことが得意なんだよ。俺様にしてみれば、正直こんな拘束なんか屁でもねぇ。ただ、船ん中じゃどうにも逃げ場がねぇからな。海に飛び込んだところで助かる見込みは少ねぇだろう。一度陸に上がったときに、そこでコンスタンスへ行くって情報を仕入れたんだ。そん時逃げてやってもよかったんだが、せっかくコンスタンスへ行くっていうんなら、このまま連れて行ってもらおうと思ってよ。」
随分お気楽なやつだなあと思った。あの中にこんな奴がいるとは気が付かなかった。
「まあ、お互い奴隷の身分に落ちちまっているんで、名乗ったところで意味はねぇからな、俺のことはまあミームーン(サル)とでも呼んでくれ。・・・あんたはなんて呼んだらいい?」
「――サグルだ。・・・でも、なんでわざわざ俺にそんなこと教えてくれるんだ?」
「だから挨拶代わりっていったろ。特に理由はねぇよ。こんなところで会ったのも、まあ何かの縁だろ。縁ってもんは大事にした方がいい。」
「あんた、、、ミームーンか。あんたは妙に気楽だな。こんな状況だっていうのに。」
「だからいったろう。俺にとっちゃこんなもん屁でもねぇ。どうにでもなるってな。まあ、ちょっと下手打ってこんなところに落ちてきちまったけど、、、」
「――逃げられる算段があるってことか?」
「しっ!バカ!あんまりはっきり口にするんじゃねぇよ!まあ、そんなところだ。」
「だったら俺も、、、」
「アホ。甘えるんじゃねぇ。っていうか、実はお前に声をかけたのも、ちょっと気になることを聞いちまってね。――どうやらここにいる連中で、お前だけは別口に売り飛ばされるようだぞ。」
「――別口ってなんだよ。」
「わからん。わからねぇが、多分それはお前のことなんじゃねぇかなと思ってね。一応、老婆心ながら教えといてやろうかと。まあ何事も心の準備ってもんがあったほうがいいだろ。というわけで、別口ってことはお前だけ単独なわけだから、仮に逃げるって話になったとしても当然難しくなるというわけだ。だからもし何とかしたいんだったらお前はお前で何とかしろ。俺は知らない。」
「その別口は俺じゃないかもしれないじゃないか。」
「それはそうだけど、、、まあでも、俺の見立てだと間違いないな。他にそれらしいのがいないからな。」
「・・・」
「――サグルよ。さっきもいったように、まあ何かの縁だ。今後一生会うことはない可能性の方が高いが、一応お前のことは覚えておくよ。お前もよかったら俺のこと覚えておいてくれ。縁があったらどっかで出くわすこともあるかもな。じゃあ、俺はあまり目立ちたくないんで、特別待遇のサグルさんとは少し距離を置くことにするわ。――行き先がコンスタンスなら多分明日ぐらいにはつくだろう。まあ、お互いうまくやろうぜ。またな。」
そんなふうに一方的に近づいてきて、一方的に去ってしまった。
確かにあの格好で器用に動けるものだ。なるほど自らをサルと名乗るわけだ。
とはいえ、サルの言うことはやはり気になった。
普通に奴隷として売られるわけではない。どういうことだろう。
なんとか逃げ出す方法はないだろうか。あれこれ考えてみたがいい考えは思い浮かばない。
サルはどうするつもりなんだろう。本当に逃げる算段があるんだろうか。
見渡して彼の姿を探したが、もうどこへ行ったのかわからない。不思議なやつだ。
いろいろ思案をしてみたが、やはり良い考えなど浮かびもしない。ない知恵をしぼったところで疲れるだけかもしれない。なるようになるしかならないか。
――コンスタンスか。
セーラムたちとなんとか接触できないか。しかし彼らがいつ到着するとか、いつ出発するとかすらもわからない。砂漠の中で宝石を探すようなものか。
ただ、例えそんなに薄い可能性でも、ゼロではないのではないか。
いや、勝手に彼らと離れることを選んだのに、まだ彼らを宛てにするのか。
――いろいろとそんなことを考えているうちに、すっかり眠りに落ちていた。




