「ラーエ・ダリヤ(海への道)」
夕焼けが朱く街を染めている。
街の喧騒も幾分おだやかになったように感じられたが、それでも人の往来は多い。
俺は夕日に左腕をかざして、その左腕を眺めた。
正しくはその左腕に刻まれた印を。
──印、ねぇ、、、
気のせいか、さっきより輪郭がはっきりしているように思える。
それは確かに猛禽類の翼のような形で、背後に矢のようなものが重なっているようにも見える。
俺の出自である黒鷹の民と何か関係があるのだろうか。少なくともこのような印は見たことがない。
記憶にあるのは、『狼王の印』だ。
──爺様から何度も聞いた。
狼の頭に交差する二本の槍の紋章。
「印」と聞いて、にわかに思い出したのがそれだ。
それまで何故かすっかりと忘れていた。大切なことではなかったか。
爺様はそれを持つ者を守れといった。
俺が探さなければならないのはその印をもつ者なのか。
しかしあの女の口からは狼とかそういう言葉はでなかった。
しかも何人もいるという。何人も守るのか?──どうも爺様の話とは別の話っぽい。
「・・・自分自身を守ることだけでせいいっぱいだっての、、、」
と、そうひとりごちて、目的の宿へと歩を進めた。
夕刻の鐘とやらが鳴り始めた。
夕焼けの街の景色と相まって、荘厳な雰囲気をかもしだしていた。
「おう!こっちだ!」
宿にはいるとやたらとデカい声が飛んできた。セーラムの声だ。
宿屋の一階は大きな広間になっていて、どうやら客が食事をするところになっているようだ。結構な人でにぎわっており、厨房らしきところから料理を運ぶ給仕の者がせわしなく動いていた。
セーラムたちはもうすでに何杯か片付けているようだった。
結構な料理と酒杯がテーブルに並んでいた。
「お、なんだそれ?お前、格好つけてタトゥーでも入れてきたのか?他にすることなかったのか。ヒマな奴だな。」
セーラムが俺の左腕に気づいてさっそく突っ込んできた。
俺は慌てて左腕を隠した。なんというか、いちいち鋭いやつだ。
「いいだろ、別に、、、」
「ガハハハハ、いい、いい。若いんだから好きなようにしろ!とりあえず、まあ座れ!そして飲め!」
そう笑いながら、俺を隣に座らせ、酒杯に酒を注いだ。
「さあ、本題に入ろう。とりあえず皆、今回の長旅ご苦労だった。今回も一人も欠けることなく無事に一仕事終えて本当に良かった。」
「次の仕事は5日後だ。今度のキャラバンは西へ行く。目的地はコンスタンスだ。まあ、今度もちょっとばかり長くなるが、今回ほどではないな。」
「コンスタンスって?」
「西の端だよ。古い都だ。旧都ってやつだな。ここほどではないが、それでもでかい街だぞ。街の様子もこことは全然違う。もっと西の方の色が強いんだ。」
なるほど、世界は広い。こんな街がまだほかにもあるのだ。
「お前は、正式にはまだ俺たち護衛団の一員ではない。なにしろ勝手についてきただけだからな。・・・そこで、どうする?正式に俺たちの仲間に加わるか、もしそうしたいんなら、それは構わない。ある程度一緒に旅をしてきてお前の力量ってやつもわかってる。・・・反対の者はいるか?」
「いねぇよ!」
「歓迎するぜ!」
「また一緒にやろうや!」
あちこちで声が上がる。どうやら受け入れてもらっているらしい。少し驚いた。
なんか変な気分がした。
「ただお前にはお前の事情ってもんもあるんだろう。別にやりたいことがあるんなら、それはそれで構わねえ。お前が仲間に入ることを無理強いはしねぇ。お前はまだ若いんだしな。護衛をやる以外にも、やれることはいくらでもある。」
しばらく俺はうつむいて、そして思い切って言ってみた。
「・・・俺、東へ行きたいんだ。」
「東?・・・ついさっき東からこっちへ来て、また東へ行きたいって、なんだよ。おうちが恋しくなったか?」
笑い声がおこった。
「ちがう、ちがう。もっと東だ。俺、ハン族の国を見てみたいんだ。」
「シーナ国だな。しかしなんだ、街でハン族のきれいな姉ちゃんでも見かけたか。」
──確かに、見かけた。着ているものも全然違う。雰囲気がここの人たちとは全然違っていた。
「なるほど。だがな、シーナ国へ行くキャラバンなぞ、そうめったに出るもんじゃねぇ。そもそも俺たちが今、そのシーナ国から帰ってきたんじゃねぇか。しばらくはそういうのは出ねぇぞ。」
「そんなもん、年に1回でればいい方だぜ。なにしろめちゃくちゃ遠いからな。」
「遠いって、どのくらい遠いんだ?」
「お前が隊商にころがりこんできたところがあるだろ。あそこがシーナの都からちょうど半分ぐらいのところだ。ここからだと600から700パルサングほどだな。さらにシーナの都チャンアンまでは700から800パルサングはある。ざっと1500パルサングだぜ。」
──1500パルサング。ここまでの道中でだいたい彼らの使う距離の単位は把握した。
1パルサングはほぼ1アルグだ。確かに遠い。
「しかも行きと帰りではふつうは違う道を通る。こっちからシーナに行く場合、お前とあったナフラの町は通らない。もっと南側の道を通る。南側の道を通って行って、北側の道で帰ってくるっていうのがふつうだな。」
「なんで?」
「そりゃ明日、マリシュにでも聞いてみたらどうだ?・・・北側の道を通ると遊牧民が毛皮や毛織物を持ってくる。奴らから直接仕入れる方が安く買えるんだよ。行きはこっちからの荷でいっぱいだからな。少しは軽くなったところにそういったものを仕入れて帰ってくるのさ。」
なるほど。商売というのはそうなっているのか。手に入りやすいところで安く仕入れて、手に入りにくい所で高く売る。
しばらく何かを考えているふうだったバルトが声を上げた。
「じゃあよ、南へ行くっていうのはどうだ?」
「南?」
「こっから南に200パルサングほどにホランっていう町がある。港町だよ。」
「サマルクからホランへの荷車はしょっちゅう往復してるぜ。当然護衛もつける。」
「シーナとの交易は陸路ばかりではない。奴らは海からもやってくるんだ。たまにシーナからの船がホランに着くこともある。うまくすれば船に乗せてもらえるかもだぜ。」
「なるほどな。ここからホランへの荷の護衛をして、何度か往来してれば、そのうちにそういう機会もあるかもな。・・・どうする?もしそうするっていうんなら、俺がその護衛の連中に口をきいてやる。」
セーラムがそう提案した。
「5日以内に決めろ。でないと俺たちはいなくなるからな。ってか今決めろ。」
「海、、、」
「そうだ、お前、海なんか見たことないだろ。一回見ておいたらどうだ。」
「そうだそうだ。ここで何もしないで、ぼさっとシーナ行きのキャラバンなんか待っていてもいつになるかわかんねーぞ。働け、働け!」
やたらと嬉しそうに、みんな騒ぎ立てた。この俺のこれからの身の振り方が決まったことを、自分のことのように喜んでいる。まだ行くといったわけでもないのに、、、、
「わかった。そうさせてもらうよ。皆ありがとう。」
おれはそう答えていた。
「よっしゃ、話は決まった。さっそく連中にいっておいてやる。お前も明日マリシュに会うんなら、そのことを言っておいた方がいい。奴のところもホランとの取引はしている。きっと悪いようにはしないと思うぜ。」
「さあ、そうと決まったら改めて飲みなおしだ!」
その夜はかなり遅くまでどんちゃんとやっていたような気がする。途中で意識がなくなっていた。彼らにきちんと礼も言えなかった。
──翌日。
改めて礼を言おうとセーラムたちを訪ねたが、彼らはみな出かけているようだった。
彼らが出立するまでにはまだ日がある。また改めてお礼をしよう。
今日はマリシュの家に行かなければ。
全くマリシュといい、セーラムたちといい、本当にいいやつばかりだ。
マリシュの家を訪れた。
彼の家族は俺を歓迎してくれた。
彼の奥さんの料理はうまかった。子供たちとも大いに遊び倒した。
子供らは疲れるということを知らない。ものすごい生命力だ。
子供と遊ぶなんて、いつぶりだろうか。
故郷の草原を思い出した。
マリシュに今後のことを打ち明けた。
「おう!うちからの荷車も往復している。お前が護衛についてくれるんなら心強いぜ。俺からも護衛に話しておくよ。こっちから荷がでるのは3日後だ。それまでせいぜいのんびりしておくんだな。」
セーラム達にも改めて礼をいった。これまで面倒を見てくれてありがとう、と。非常に感謝している、この恩は忘れないと。
「バカ野郎、何も今生の別れじゃねぇよ。俺たちだってここに帰ってくるんだ。そう遠くないうちにまた顔も合わすだろうが。また皆で一杯やろうぜ。」
そうして出立の日が来た。
「よう、カラ・ティグル!セーラムさんから話はきいてる。若いのに相当やるって聞いてるよ。頼りにしてるぜ。」
ここの護衛頭はエルデンという。セーラムとは親しいらしい。
「いや、俺の名前は、、、」
「まあ、まあ、まあ、まあ、よろしく頼むわ!」 ・・・聞いちゃいない、、、
──海、、、。どんなところだろうか。期待しかない。
世界は広い。いろんな人がいる。とても温かく、いいやつばかりだ。
家族を失い、部族を失い、放浪の果てにここまでたどり着いたが、ここまでの旅路はとても恵まれていた。
──そう、ここまでは。




