「イェル・スュグ(風の護り)」
――パルス王国。
今、世界で最も強大で、最も繁栄している国だという。
東西交易路のど真ん中に広大な領地を有し、屈強な軍隊と高度な文明を持ち、そして聡明で偉大なる王が統治しているという。ここが世界の中心なのだ。
その都サマルクはこの世のありとあらゆる物資が集まり、およそ手に入らないものはないといわれている。毎年何百万という人間がこの街を訪れ、その全てが幾許かの金をこの街に落としていく。豊かにならないわけがない。
人口は30万とも40万ともいわれている。とにかく城郭内は全面舗装された石畳の道路が広がり、多くの建物が軒を連ねている。
最深部に位置する宮城はこの世の贅を尽くしたかのような壮大な建築で、巨大で青いドーム状の屋根に覆われていて、とてもこの世のものとは思えなかった。
街には神殿のような建物もいくつか存在する。宮城ほどでないにしても豪勢なつくりで庶民が住むような建物ではないことは一目でわかる。
街は常に多くの人で賑わい、常に喧騒にあふれている。
見たこともない肌の色をした人もいれば、見たこともない獣がつながれているのを見かけた。
――この世界にはこんな場所もあるのだ。世界は広い。
「どうだ、すげぇだろ。世界中の富がこの街に集まる。見たことねぇだろ。」
自慢げに後ろから首に手を回してきたのは、商人のマリシュだった。
「かくいう俺様もこの街に肆を持っている。カミさんも子供もいるぜ。お前、この街は当然はじめてだろう。俺様の肆に招待してやろう。」
「カラ・テュグル!」
横から声をかけてきたのは護衛頭のセーラムだった。
「俺の名前はカラ・テュグルじゃねぇよ、、、、」
一応答えたが、聞いちゃいない。
「ここが目的地だからな、護衛の仕事はひとまずここまでってことだ。今夜はまあ、打ち上げってことで、夜は付き合え。マリシュの旦那の家に行くのは明日以降にしてくれ。俺たちはしばらくこの街で滞在して、まだ別の隊商に付き添っていく予定だ。お前もどうすんのか早いうちに決めておけよ。」
そういって何かを書き付けたものを俺に渡した。
「俺たちは疲れたんですぐ宿にもどる。宿の場所はこれに書いてある。お前はここがはじめてだからいろいろ見て回りたいもんもあるだろ。夕刻にあの鐘がなるから、その頃にここの宿に戻ってこいよ。」
書付けを指さしながら一方的にまくしたてる。
「じゃあな。」
陽気に手を振りながらさっさと行ってしまった。
「じゃあまず俺の肆の場所だけ教えといてやるから先ず俺についてこい。」
マリシュはそう言って俺の背中を押す。
あんなふうに言われても、右も左もわからないのに行くあてなどあるものか。
と、いっても何しろすべてが珍しい。退屈などするべくもないことは容易に想像できる。
「・・・まあ、俺もそこそこの商人であるわけだが、実際のところ商人として成功したのは親父だ。俺様は二代目ってわけよ。」
マリシュはそう話して、がははと笑った。まあ久しぶりに家に帰り、家族に会えるわけだからうれしいに違いないのだろう。
通りをしばらく歩くと、女と小さな子供が二人、間口に立っている建物が目に入った。子供はこちらを向いて大きく手を振っている。
「おう、ここだ、ここだ。 ただいまー!愛しの我が子らよ!!」
マリシュは子供らに駆け寄り、二人一度に抱きかかえた。あんな笑顔、見たこともない。見ているこっちが恥ずかしくなるほどだった。
半ば呆れながら、俺もその建物に向かった。
多分、俺もにやついていたのだろう。夫人と思しき女が、俺を見て軽く会釈をした。
「よっしゃ。お前は今夜連中との付き合いがあるだろうから、明日またここへ来てくれ。晩飯をごちそうしてやろうじゃないか。」
マリシュは盛大に笑った。
正直、どこの馬の骨ともわからない、勝手に隊商についてきてそのまま居座ってしまったようなこんなガキに対して、よくもここまで親切にできるものだ。人がいいにも程がある。本当に商人としてやっていけるのだろうか。
そう思うと、何となく空を見上げずにはいられなくなった。
何かが零れ落ちてしまいそうだったから。
大きな鳥が一羽、ゆっくりと空を舞っていた。
「それじゃあ、せいぜいいい冒険をしてきてくれ。明日、話を聞かせろよ!」
そういって手を振って別れた。子供らも元気に手を振っていた。
親に似て人懐っこいのだろう。
「さて、、、」
行くあてはない。しかし気になる場所はある。――神殿である。
先ずこの国の神がいかなるものか知りたい。これほどの繁栄をもたらした神。
街を見渡して、神殿らしき建物があるところは見当がついている。
道すがら市のような場所を通った。たくさんの物とたくさんの人であふれている。
俺は見たこともない果物のようなものを一つ買った。
――なんという甘さとみずみずしさ。涙がでそうになった。何故かはわからない。
やがて神殿らしき建物にたどり着いた。入り口は開け放されている。
勝手に中に入ってもいいのだろうか。恐る恐る中に入った。
床は大理石を敷き詰めて湖のように光っている。周りには石造りの柱がそびえたち、すべての柱に松明がつけられ、火が灯っている。割と大きな火だ。
奥をうかがうと黒い布で全身を覆い、顔にも黒い布で覆面をしている女がいた。
額と眼だけが露出している。額には何か石のようなものが光を放っている。そして
先ほどから俺を手招きしているようだった。
女に導かれるままそちらに向かった。女はさらに奥に向かい祭壇のようなものがある部屋へはいった。祭壇らしき場所では大きな火が燃えている。
ここの神は火が好きなようだ。
「そうではありません。火こそが神なのです。」
女は突然声を発した。心臓が飛び出るほど驚いた。人の心が読めるのか。
「お待ちしていました。風の眷属よ。風の加護を受ける者よ。」
何を言っているのかわからない。風がなんだって?
「あなたは風の加護を受けるもの。覚えがあるはず。」
「あなたを守護するものは風を司る神。あなたはその眷属です。覚えがあるはず。」
「あなたがここに来るのは決まっていたこと。偶然ではありません。」
「待ってください。ここの神は火の神様なのでしょう?関係ないのでは?」
「ここの人たちには火の神を信仰する人がたまたま多いだけ。風の神を祀る人はそもそも少ない。しかし本来神は同格です。火の神だけが特別であるわけではないのです。」
「ではなぜ俺がここにくることは決まっていたと、、、」
「風の眷属である証を授けなければなりません。それは必要なことなのです。」
――なぜ、、、
「同じ印を持つ者を探さなければならないからです。当然あちらもあなたを探しています。しかしあなたにはまだ印がない。それを今ここで受けていただきます。
さあ、左腕をお出しなさい。」
――どうすれば、、、
「祭壇の火の中にあなたの左腕を入れてください。さあ、早く。」
そんなことをすれば、左腕が焼け落ちてしまう、、、
「大丈夫です。あなたの左腕はあなたのものであって、あなたのものではありません。いずれわかる時が来ます。」
何もわからないが、とにかく覚悟を決めて左腕を火に突っ込んだ。女の言葉は到底信じられなかったが、しかしもうそうしなければいけない雰囲気だった。
「・・・熱い!」
熱いが、それは一か所だけだ。他に熱さは感じない。ただしその一か所は猛烈に熱かった。何しろ焼かれているのだ。
「はい。もう結構です。確認してください。」
女は淡々と話した。こちらは死ぬほど熱かったのに、いい気なものだと思った。
左腕を見ると、鳥の翼のような形のやけどの跡があった。
「あなたはこれから同じような印をもつ者を探さなくてはなりません。同じ印を持つ者はあなたの他に3人います。それぞれ火の眷属、水の眷属、地の眷属です。そして先ほども申し上げましたが、向こうもあなたを探しています。ただし、その者が己の命を自覚していればの話です。自覚していなければ印も見えません。先ほどまでのあなたがそれでした。」
それが爺様の言っていた俺の宿命というやつなのか。しかし、そいつらを探し出して、それからどうしろというのか。
「それはいずれわかります。」 、、、、またそれか。
「あと、ひとつ訂正しなければなりません。」
「ここの人たちは火の神を信仰するといいましたが、正確ではありません。火の神とは火を司る神です。あなたの風を司る神と同じように。」
「でもここの人たちは火そのものを神として信仰しています。信仰の形が少し違うのです。したがって、火の神の眷属はこの地にはいません。私がお伝えできるのはここまでです。」
結局、よくわからない。わからないが何か旅の目的のようなものができた。要は俺と似た宿命を背負うやつってのを探せばいいわけだ。
「さあ、そろそろお行きなさい。もうしばらくすれば夕刻の鐘が鳴りますよ。」
・・・この女はどこまで、、、
覆面の下で、女が笑っているような気がした。
とにかくこれからどうするか、行くあてがないのは変わらないが、少なくとも何かがひとつ、動き出したような気がしていた。




