「カラ・ティグル(黒き刃)」
ただ生きるために生きる。
そのためだけに旅をした。旅とよべるようなものではない。今日食べるものを求め、ひたすら此処ではない何処かへ歩を進める。それだけのことだった。
しばらく西に歩いてから南へ向かった。南へ行けば絹の道にでるはずだった。
やがて小さなオアシスの町ナフラに到着し、そこにいた隊商に加わった。
護衛として雇ってほしい、そう交渉した。
「ガキじゃねえか。」
と相手にされなかった。
勝手についていくことを認めてもらい、ある日、実際に野盗を斬った。それから食料を分けてもらえるようになった。
ついていった隊商はソルグ人だった。ソルグ人はオアシスに来る商人に多かった。もともと西の方に住んでいる民族だ。東方での物資を仕入れ、西にあるパルス王国の首都サマルクに向かうという。
隊商の長であるヴァリグはさすが商人だけあっていろんなことを知っていた。
実際に腹を満たすことができるようになって、ようやくいろいろなことを考えることができるようになった。
先ず一番に興味があるもの、実際に自分が手にしているこの武器だ。
戦場で拾ってきたもの。しかしこれはこれまでに自分が手にしたものとは違った。
「あの夜」に実際に目にした。
我が部族の戦士たちの武器はことごとく撃ち負けた。
圧倒的強度。剣や矛だけではない。矢の威力も強かったように思う。
鉄・・・・実際に自分で使ってみて分かった。威力が違う。
ヴァリグは鉄のことをよく知っていた。
西方の国では、我々と同じ遊牧民でさえもかなり前から鉄は使われていたらしい。
鉄を作る技術は難しくもともと祭祀につかう祭具としてしか使われていなかった。
精強な国や部族はたいがい鉄の武器を手にしているという。
それは、知っている、、、
西の方が鉄を作る技術は進んでいたが、ヴァリグたちソルグ人は商品として鉄も扱う。東方のハン族の国でも鉄製の武器は今や当たり前のように作られているそうだ。
鉄を作るためには、強い火の力が必要なのだという。したがって火の力を制御し、強い火力を扱う技術を持つ者だけが鉄を作ることができる。鉄はまだ高価な物らしい。
ヴァリグははじめ俺のようなボロボロの子供が鉄を手にしていたので相当いぶかしかったそうだ。のちにそう打ち明けてくれた。
彼は俺に鉄を鍛える方法、鉄の刃を研ぐ方法を教えてくれた。
まがりなりにも護衛の一人なのだから、武器は手入れしておけということだろう。
火の神をあがめるカナルト族が力をつけてきたのも、どうやら鉄の武器を作る技術を手にしたからのようだ。――カナルト族。俺の部族を滅ぼした部族だ。
復讐。・・・・俺は彼らに復讐をしたいのだろうか。
確かにはじめは彼らのことが頭から離れなかった。父や母や爺様、部族の仲間のことを想い無茶苦茶に泣いた。この恨みを晴らしてやりたい、こればかりを考えた。
やがて自分が生きることに必死になった。
生きる、生きたい、死にたくない、生きる、、、、でも、、、何故、、、?
居る場所がない。帰る場所もない。何もかもを失った。行くあてすらもない。
なぜ生きる?理由なんかない。生きるのに理由などないのだ。その時はそう思った。
隊商に加わり、少しだけ生きるのに余裕ができた。そうなるとまた考える。
何故生きている?俺が生きる理由は何だ?
復讐?部族を滅ぼされた恨みを晴らすため?
世界は強い者が弱い者を喰うのが理ではなかったか。
全ての生き物は須らくそうして生きているのではなかったか。
全ての生き物の営みが、あるようにしてあるように、
彼らの部族もまた、あるようにしてあっただけではなかったか。
爺様はなんといった? 恨みを晴らせ、か? ――違う。
宿命を忘れるな、といった。そのために俺は生かされた。部族の中で、俺だけ。
俺には生きてやらなければならないことがある。――でもそれは何だ?
宿命って何だ、、、いったい何を、、、何のために、、、
隊商との旅は俺にとって楽しいものだった。今まで知らなかったものを知った。
いろいろなオアシスの町を訪れ、いろいろな人に会った。いろいろな物を知った。
わからないことはヴァリグやほかの商人たちに聞けば教えてくれた。
聞くことはすべて興味深かった。――羊を追って、馬を駆る。
この生き方しか知らなかった俺には、何もかもが新鮮だった。
盗賊はあまり出ない、が、もちろん出るときもあった。
――なぜ盗賊は隊商を襲うのか?
俺はマリシュという商人にそう尋ねた。
マリシュは隊商の中でヴァリグの次に大きな商人のようだった。
「なんだお前、変なこと聞くなあ。」と驚いたように目を丸くして答えた後、
「お前、考えることが逆なんだよ。盗賊だから隊商を襲うんじゃない、隊商を襲うから盗賊ってよばれるのさ。」
「なるほど。」
「自分で稼ぐより、力づくで奪った方が楽だろ。ただしその力があればだが。」
「ただ、やる方も結構大変だと思うんだよ。なんの恨みもない、見ず知らずのもんを殺すわけだし、自分が殺されるかもしれないし、俺ならできればそんなことやりたくないもんな。うまくいったとしても、あんまり気分のいいもんじゃねぇ。でもそれをやれるってことは、どっかその辺の感覚がぶっ飛んでしまってんだよ。それか、、、、」
「それか?」
「よっぽど腹が減ってるってことなんだろうよ。」
なるほど、その理由ならば少しはわからないでもない。
「どっちにしても大変なら、まっとうにやる方がいいに決まってるよ。お天道さまにはずかしくないようにさ。」
「お天道さまって?」
「神様のことだよ。神様はずっと俺たちを見てる。・・・だからって何かしてくれるわけでもねぇがな。でも確かに見守ってはくれているな。盗賊みたいな輩はさ、自分の神様とはぐれちまった連中なんだよ。誰にも見守ってもらってない。お前は大丈夫か?」
「・・・まあ、なぜ盗賊は隊商を襲うかなんて、そんな質問するぐらいなんだから、お前はどうしようもない善人だってことだよ。」
かれは笑って去っていった。
・・・神。部族は普通神を祀る。俺の部族の神は鷹だ。
ふと空を見上げた。一羽の大きな鳥が宙を舞っている。しばらくその姿を見つめた。
見守っているのか、、、? 俺みたいなのを。なんのために?
そんな話をした夜、俺たちの隊商は盗賊に襲われた。
焚き火の傍で剣を研いでいた。風が変わったような気がした。
時を同じくして護衛の頭であるセーラムがこちらに話しかけるでもなくつぶやいた。
「風が、、おかしいな、、、来るぞ。」
風の匂いが明らかに変わった。焦げた油、獣の脂、そして血のような金属臭。
次の瞬間、空気が避けるような音がした。
――矢だ。
ラクダが大きくいななき、悲鳴とともに焚き火が吹き消される。
砂の中から這い出した影の群れ。
顔を布で覆い、弯刀を逆手に構え、無言で突進してくる。
なぜかはわからないが、俺は妙に落ち着いていた。
自分の鼓動さえ遠くから聞こえた。あたりは妙に静かに思えた。
剣をふるうたびに、あの夜の光景が眼の前に映った。
燃える集落、襲ってくる騎馬の群れ、そして爺様の声。
あちこちで戦闘がおこっているようだったが、相変わらず音は聞こえなかった。
時折聞こえるのは風の音だけ。俺の耳は風の音しか拾っていない。
そう感じた。
盗賊の首領が俺の背後に迫った。
長柄の斧が振り下ろされる。
その刹那、風が吹いた。砂塵が炎を包み、世界が赤く染まる。
振り返って見上げた空に、一瞬大きな鷹の影が見えた。
鷹の影を追うように剣を突き上げた。
その瞬間、俺の剣は首領の首を貫いていた。ゆっくりと剣を引くと
首領の首が地を転がり、続けて鈍い音とともに巨体がゆっくり崩れ落ちた。
風が去ると周囲は静まり返っていた。あちこちに転がる盗賊の死体。
「いやぁ、正直やられたかと思ったよ。」
明るい声がこちらに近づいてくる。セーラムだった。
「後ろから見てたんだ。やばい、やられた、と思った。」
彼は首領の死体から大斧を拾い上げ、その刃をこっちに向けて言った。
「お前、何をした。見えなかったぜ。」
顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「わからない。必死だったから。」
「・・・そうか。こいつはこの辺りではちょっとした名のある盗賊だ。たいしたもんだ。見直したぜ。」
セーラムは大斧を担いで
「こいつの得物は俺が貰ってもいいか?もっとも、お前じゃこれはデカすぎて振れないだろう。」
そういって笑いながら背を向けて去っていった。
「・・・カラ・ティグル(黒き刃)」 そうつぶやいた。・・・そう聞こえた。
俺は天を見上げた。漆黒の空に降るような星空が広がるばかり。鷹の影などない。
見守っている、、、か。俺に何をさせたい。俺は何をすればいい。
その日から護衛の連中は俺のことを「カラ・ティグル」と呼ぶようになった。
もう10日ほどでサマルクに着く。――隊商の誰かがそういっているのが聞こえた。




