「カル・サグリ(黒き鷹の民)」
この草原では強き者が正義。弱き者は淘汰される。
この真理は痛いほど理解している。
弱い者が強い者に喰われる様はいくらでも見てきた。
実際、自分自身が喰われる側を経験しているのだから。
カラ=サグは今、カルナト族の族長ハル=カルナトに謁見するためにミルガシュから1アルグ(約5㎞)ほど離れたカルナト本陣にいた。
もちろん傭兵としての報酬を受け取るためだ。
「しばらく待て。」
ハル=カルナトの側近に言われ、彼が現れるのを待っている。
彼の属する傭兵団ボズ・アスカリは今回のミルガシュ攻略戦である程度の戦績を挙げている。カルナト軍直属の軍に編成される話も出ているが、カラ=サグはその話を受けるつもりはない。部下の中にはそれを望む者もいるようだ。
「待たせたな。」
族長のハル=カルナトが姿を現した。声が若い。
実際に年齢も若い。自分より一回りは年下だろう。カラ=サグは頭を下げたまま、その声だけを聴いていた。
「此度の戦で、ボズ・アスカリは相応の戦果をあげましたので、約束の報酬を与えます。」
側近が声を上げた。
「ありがたき幸せ。」
カラ=サグは顔を伏せたまま応答した。
「カラ=サグよ。我らの部族に編入される気はないか。」
ハル=カルナトが声を発した。全く感情のない、平坦で機械的な声に聞こえた。
「畏れながら王よ、今アフラトを滅ぼしたばかり、しばらくはカルナトに弓を弾く勢力はありますまい。都ミルガシュは東西交易の要衝。カルナトにとっても重要な拠点となりましょう。ここの再興も考えると今は我等のような傭兵ではなく、技術者が必要なのでは?私も実のところ土木工事はあまり好みません。」
「戦のないところには用はないというか。」
「なにしろそれしか取り柄がないものですから。しかし我が隊の中にはカルナトへの帰属を望む者もおります。王よ、もし我儘をきいていただけるなら、クズル・アイ(赤き月の夜)をもってボズ・アスカリは解散といたしますので、この中で望む者を王の民としていただけませんか。」
「お前はこれからどうする。」
「私はもともとこの世界を放浪していた者。また隊商の護衛などをしながら、絹の道を往来し、ゆくゆくは商人にでもなろうかと。」
「下らん。・・・・お前、サグル族だろう?」
「申し訳ございません。私には出自の記憶がありません。気が付けば隊商のあとをついて歩いていたものですから。名前も商人に適当につけられたものです。」
「ふん。・・・・わかった。お前の望むようにしよう。報酬はミスラから受け取ってくれ。あと我が族に帰属を望む者もミスラに伝えてくれ。悪いようにはせん。約束しよう。」
側近のミスラは目を閉じていたが、このとき眼だけを動かしてちらっと王を見た。
「ありがたきお言葉、感謝いたします。」
「下がれ。ご苦労であった。」
カラ=サグは王の前を退いた。あえて王の顔を一度も見なかった。
―怖ろしい。
正直にいえば、この若き王の眼が怖ろしかった。冷たく、鋭く、すべてを見通しているかのような碧い眼。声にも感情が感じられない。
先代のカルナト族長は、豪快を絵にかいたような熱血漢で、それまで小さな一部族に過ぎなかったカルナト族を、そこそこの勢力にのし上げた強者だった。自ら率先して敵中に突っ込んでいくタイプなので、脂の乗り切った壮年期に戦で命を落とした。
そのあとを継いだ今の族長は父親とは正反対の性格だった。
そもそも火の神「カル」を信仰するこの部族は火のように情熱的であることが特徴だったが、ハル=カルナトは火の神をあがめながら、その性は氷のような男であった。
一切の感情を表に出さず、冷酷かつ徹底的だった。
そして今、この草原に於ける覇権を間違いなく手にしたのだった。
「隊長!」
声のする方を見ると、ボズ・アスカリの面々が盃を傾けている。
「首尾よく褒美はいただけましたかい?」
「まあとりあえず、飲んで、飲んで!」
連中はすっかり出来上がっているようで、陽気な声を響かせた。
「・・・お前らにちょっと話があるんだが、、、」
とりあえず渡された盃をあおってから、おもむろにそう切り出した。
「今日でボズ・アスカリは解散だ。このままカルナト族に帰属してここで生きていくのもよし、ボズ・アスカリを名乗ってまた傭兵稼業を続けるもよし。カルナト族には話は通してある。・・・俺はしばらくここを離れて旅に出たいと思う。」
「正気ですか?」
「冗談にしてはあまり面白くないんですけど。」
ボズ・アスカリはカラ=サグ同様、故郷を失ったもの、訳あって部族を出奔したものが集まっている。カラ=サグが作ったわけではない。前の隊長がそういう者たちを集めて立ち上げた。前の隊長は戦で命を落として、カラ=サグが二代目の隊長となっている。
「俺の我儘で申し訳ない。カルナト族は強い。しばらく戦は起こらないだろう。戦がなければ俺たちは食い扶持がなくなる。カルナトは急速に拡大したのでよその族もたくさんいる。お前らもここでならそこそこいい身分で暮らしていけるだろうよ。」
確かにカルナト族は他の部族を下に見たりすることはあまりない。だからこそ急速に拡大したのだろう。正直居心地はよい。冗談ながら、このままカルナト族になろうかと口にしたこともある。しかし。
「じゃあ、俺たちみんなでカルナト族に入ろう。カルナトはまだまだ拡大する。そうすれば俺らの出番もすぐに出てくるだろうし、、、」
「すまん、俺は、、、俺だけはカルナトに帰属するわけにはいかない。」
「どうして、、、」
「それは言えない。」
「俺も旅にでる。隊長、俺を連れて行ってくれ。」
トゥグリルという若者が声を上げた。
「それもできない。俺は一人で旅に出る。旅に出るならお前も一人で行け。」
「・・・・」
話にならない。もう決まったことなのだ。
しばらくやりあってみたが、隊長の意思が固いことは皆が理解した。
結局、トゥグリルともう一人カラトという若者がそれぞれ旅に出る、残りの者は皆カルナト族に帰属し、そこの集落で暮らすということで落ち着いた。
そしてこの夜がボズ・アスカリの最後の夜となった。
最後の宴は特にどうということもなく、いつも通りの宴だった。・・・表向きは。
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また旅に出る。
カラ=サグは西へと歩を進めながら、感慨深く思った。
西へ行くのも、東へ行くのも初めてではない。ただ、あの時の旅は宛てがなかった。
ただ生きるためだけの旅。
今度の旅は宛てがある、、、かもしれない。
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前の旅は「あの夜」から始まった。
サグリ族は小さな部族だった。
俺の父は族長だった。父は誰よりも強く、大きな男だった。
こんな男になりたい。父は憧れであり、目標だった。
俺は祖父と過ごすことが多かった。
祖父は前の族長で、老いたりといえど眼光が鋭く、言葉が力強い男だった。
俺は祖父といることが好きだった。大抵のことは祖父から教わった。
俺の部族の部落は「トゥルグ渓谷」という、山脈の西方にある小さな渓谷にあった。「カル・サグリ(黒き鷹の民)」という狼王を守護する誓いを持つ誇り高い一族であった。小さいといえども誰もが誇りを持ち、幸せに暮らしていた。
あの夜、一つの部族が集落を襲った。
この世界は強き者が奪い、弱き者は奪われる。それが理であると解っていた。・・・つもりだった。
弱者は徹底的に蹂躙される。当時13歳だった俺は、いきなり火のように襲ってきた敵が信じられない強度の武器を持ち、部族の戦士たちの武器がことごとく破壊され、討ち果たされるのを目の当たりにした。
祖父がいきなり俺の襟首をつかみ、断崖にある竪穴に突き落とした。何か叫んでいたようだったがその時は聞こえなかった。
竪穴のスロープを滑り落ちながら、体中のあちこちをしたたか打った。そのうちに気を失った。
気が付いた時は、あれから数日が経っていたのだろう。歩けるようになって、もう何もかもを失ったのだということを理解した。
もう行く宛てもない。家族もいない。戦場跡らしき場所で1振りの剣を拾い、それを持ってただ西に向かった。
生きるために歩き、生きるために殺した。
その過程で、自分の部族を襲った部族が解った。・・・カルナト族。
さらに彼らが手にしていた武器、-今自分が手にしている武器、これが「鉄」というものだと解った。
そして、あの時聞こえなかった祖父の声、-聞こえなかったのではない、忘れていたのだ- が、今になって蘇った。
「生きろ。お前の宿命を忘れるな。」
、、、、宿命、、、俺の宿命って何だ、、、、




