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灰狼の王  作者: 葛ノ葉イナリ 


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「ゥムグ・オトゥ(希望の火)」

暗く、冷たい石造りの天井から、時折小さな雫がポタリと落ちてくる。

パチパチという静かな音とともに、遠慮がちに差し込む松明のわずかな光以外は、この薄暗い穴倉の中で、もはや俺に声をかけてくる者もいない。


ポタリ、という水の音、パチパチという篝火の燃える音、どこか遠くの方から聞こえてくる誰かの咳き込む音、呻き声ともため息ともつかないかすかな声。

それらの音を聞きながら、ただ茫然と天井を見つめるだけ。


ここから抜け出す方法を考えることも止めて久しい。


ただ漫然と天井を眺める日々が続いていた。

ただし7日に一度は必ず殺し合いの日がやってくる。

これだけが、ここでの日常の中での唯一の変化であった。

見世物としてのこの殺し合いだけが、ただ一つ俺の命をつないでいるものだった。



しかし、――ある時、大きな変化があらわれた。



いつもの殺し合いを終え、また穴倉に戻ってきた。看守が俺の房の格子扉の鍵を開けようとしているそのとき、かすかに気配を感じた。


――誰か中にいる。


看守はその気配を感じていないようで、黙々と自分の仕事をしている。

一瞬、中に入るのをためらったが、入らないことには看守の仕事が終わらない。

看守は俺が入るのを確認すると、さっさと鍵をかけて何も言わずに去っていった。


看守の足音が完全に消えるのを待って、俺は一度大きく息を吐いて剣に手をかけた。

「誰だ。なぜここにいる。」


一瞬の沈黙のあと、一つの影が暗がりから姿を現した。


「よお。随分久しぶりなもんで、お前さんが俺を覚えているかどうかちょっと心配になって出るのをためらってしまったよ。元気にしてたか、兄弟。」


――あまりにも意外な言葉を聞いたので、驚きのあまり呆然するだけだった。


「おいおい、勘弁してくれよ。まさか本当に忘れてしまったんかよ。感動の再会場面だろうがよ。」

「――お、お前は、、、サル、、、」


「お、覚えててくれたか。安心したぜ。」

「なんで、お前がこんなとこに。まさか、お前もここに堕とされたのか?」

「お前の良くないところは、この俺様をとことん舐めくさってるところだな。」

「なぜこんなところに?」

「仕事だよ。前にいっただろ、こういうことが得意なんだって。――つまるところ、あるお方より依頼を受けて、それで今ここにいる。ただ懐かしくなって会いに来た、っていうにはちょっと辺鄙すぎるだろ、ここは。」


――驚いた。確かに彼のことを舐めていたようだ。

「潜入してきたってことか?ここに?どうやって?そんな抜け道があるのか?いったいどこに?」

「あー、あー、うるさい、うるさい。ちょっと落ち着け。」

「ああ、すまん、つい、、、ちょっと興奮してしまって、、、」


「まあ、順に話そう。さっきも言ったように、ここに来たのは仕事だ。そして依頼内容は、お前さんをここから出すことだ。」

「本当か?できるのか、そんなことが?――っていうか、一体誰が?」

「だから落ち着けって。順番に話すって言っただろ。」

「ああ、、」


「ただ、まだ正式に仕事を受けたわけじゃない。勘違いすんな。今日ここへ来たのは要するに下調べだ。できるかできないかを見極めるってことだな。できないと判断したなら、俺はこのまま帰って、この仕事を断ることになる。」

「で、どうなんだ。できそうなのか。」


「俺様一人ならば、出るのも入るのもできる。ここの警備は俺様に言わせればザルもいいとこだよ。随分と堅固さに自信があるようだがな。」

「じゃあ、、、」

「まあ、要するにお前さん次第ってことだよ。お前のやる気次第だ。潜入して、もしお前さんにここから出る気力もなくなっていたら、俺はすぐ断るつもりだが、、、」

「やる。やるに決まってるだろ。ここから出れるなら何だってやるさ。」


俺は自分でも驚いていた。正直いって、結構な時間、無気力な状態で過ごしていた。本当に、ついさっきまではどうにでもなればいいと思っていた。――しかし。


希望だ。

希望さえあれば、人はまた火が付く。

自分一人ではもう詰んでいた状況でも、自分とは違う能力を持つ別の人間が現れれば、状況は打開できるのだ。


故郷を失って以来、自分はつくづく他人に助けられてきた。

人は一人では、必ずどこかで行き詰ってしまう。人とは、一人では生きられない生物なのだ。


「――それで、一体誰がこの依頼を?」

「隊商の護衛をやってるセーラムって旦那とやり取りはしているがな、実際の依頼主はサマルクの豪商のようだ。金もそこから出てる。」


「――マリシュか、、、それにセーラムも。やはり気づいてくれたんだ、、、」

もはや彼らのことも忘れかけてしまうほどに気力が失せていたが、覚えていてくれたんだ、俺のことを。

体全体が温かく熱を帯びていくのを感じた。


「まあ、感動して浮かれているところをなんだがな、あまりそういうのは態度に出すなよ。ここらの悪党ってのはそういうのを敏感に察するもんだ。――決行は今すぐってわけじゃない。俺はこれから一旦戻って、正式に依頼を受けることを伝えて、あと他にも準備をしなければならない。出る方法もまだ決めているわけじゃないんだ。」


「なるほど、そうか。――具体的にはどうやってここから出るんだ?」

「いくつか方法はある。排水溝を使って下水道へぬけるとか、あるいは死体を装ってでていくとかな。死体の方があとくされがなくていいんだが、いろいろと準備や根回しに手間がかかる。今回は普通に下水道でいいと思うが、その辺も含めて相談してくるわ。決行日になったらまた来る。次の次の安息日と思っておいてくれ。」


「ちょっと待て、安息日って?」

「なんだ知らなかったのか。ここの闘技はいつも安息日にやってるだろうが。つまり、次の次の闘技の日ってことだ。お前、それまでに死ぬなよ。お前が死んだら元も子もないからな。」

「――あと、くれぐれも浮かれるな。今まで通りに無気力を装え。」


俺は黙ってうなづいた。


「じゃあ、帰るわ。――あ、あとここの錠はお前が閉めといてくれ。できるんだろ?そのくらいは。」

彼は格子扉の錠前を外しながら、そう言い捨ててさっさと何処かへ消えてしまった。


それにしても、興奮が収まらない。

平静を装うのも困難なのに、今まで通りの無気力を装わなければならない。

――できるだろうか。

彼のいうように、ここの連中に何かを気づかれてしまったら確かにうまくいくこともうまくいかなくなるだろう。


――今は、何も考えるまい。

そう自分に言い聞かせるが、マリシュ、セーラム、それから他の皆んな。

彼らのことがにわかに思い出されて仕方がない。


久しぶりに人間にもどった、、、そんな気がした。

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