大人になること
大人になることは、醜くなることだろうか。
子供でいることは、美しいことだろうか。
久しぶりにスカイ・クロラを読んでいる。
大好きな物語で、とても美しい物語だ。
この連載を書こうと思ったきっかけも、スカイ・クロラを読み返し始めたからだ。
美しさと醜さを明確に分けるものって、一体なんだろうと考えるようになったのが理由だ。
美しいものは、悲しい気がする。
それとも、悲しいから美しいと感じるのかもしれない。
なぜだか、この物語を読んでいるとそう思うのだ。
子供は大人になるのではなくて、子供である自分を殺されて、その後大人として生き返させられるのではないだろうか。
そんなことを思った。
私は、何回殺されたんだろう。
みんなも殺されたのだから、お前も同じように殺されなければならない。
そんな同調圧力で、子供である私は何度も何度も殺されたのだろうか。
そんなふうに殺された恨みがあるから、大人の心は醜く汚れているのだろうか。
まだ、私の中のどこか奥深くに、かろうじて生きている子供の私はいるのだろうか。
それとももう、文字通り全て皆殺しにされてしまったのだろうか。
せっかく今はお盆だし、殺された子供の自分のために、線香をあげるのも悪くないのかもしれない。
安らかに、眠れていればいいと思う。
たまに、昔に戻りたいと言う人がいる。
また子供に戻りたいかと聞かれたら、私は絶対に戻りたくはない。
昨日ですら戻りたいとは思わない。
いつだって、過去よりも今が一番マシだと思っている。
自分が大嫌いだから、嫌な自分を殺して、新しい自分に生まれ変わらせる。
昨日の自分は、嫌いで殺した過去の自分だ。そんな自分にはもう会いたくない。
だから、過去になんか、二度と戻りたくはない。
ただの記憶として、思い出すだけで十分だ。
大人になってから振り返る、子供の頃の世界。
それは別に、思い出したところで、美しかったような記憶は何もない。
小さくて無力だった自分の弱さが、何よりも嫌いだった。
殺されるたびに、心が死ぬたびに、強さは得られた気がしていた。
あの頃より、強くなれていると思ってる。
でもそれは、大人になることで汚れてしまった心が見せているただの幻影なのかもしれない。
ああ、そうか。
子供の頃の自分を殺していたのは、誰でもない、私自身だったのか。