美人
『弟くんの方が美人ね』
小学生の時、弟の担任からいきなりそんなことを言われた記憶がある。
自分がいい歳になってみて、中年女性が小学校低学年男児相手に美人という表現を使うことの異常性に今ようやく気づいたわけだが、もしかしたらうちの弟はその担任のオバハンに何か良からぬことでもされていたのだろうか。
今となっては真相は藪の中である。
そもそも美人ってなんだろう。
毎日見慣れていたから、自分の弟が美人だと思ったことはない。
お互い離れて暮らすようになって、盆と正月程度に顔を合わせても、やっぱりその顔を見て美人だと思ったことはない。
つーか実の弟を見て美人だとか思ったら、そっちのほうがやばくないか?
それ以前に、他人の顔を見たときに、この人は美人だなぁ、などと思ったようなことは一度もない。
はてさて美人ってなんだろう。
職業柄、職場には女性が多く、全体的に職員の清潔感は高い。
資格商売だから見た目で採用しているとは思いたくないが、今の子たちは男の子も女の子も、顔がきれいな人の割合が増えたと思う。
昔の方が愛嬌のある顔が多かったような気がするのは気のせいだろうか。
だがしかし、その人たちにいちいち美人だなあとか思ったりすることはない。
多いがゆえに薄まるのかもしれない。
さあ美人ってなんだろう。
美人という表現は、どちらかといえば表層だけの賛辞に聞こえる。
『あの人は美人だ』という表現は、その人の内面はとりあえず脇に置いといて、目で見たままの評価をしているように思う。
以前、職場の先輩で超絶どちゃくそ可愛い人がいた。
本気でマジでガチですんごい可愛い先輩だった。
あきらかに容姿の勝ち組。その勝ち組クラスの中でもカースト上位間違いなし。なんだったら王冠かぶって玉座へどうぞな人だった。
でもその人のことを私は美人な人だとは思わなかった。
その人は可愛かった。ハイパーどちゃくそスーペリア可愛かった。
女性の多い業種なため、大学時代も含めていろんな女性を見てきた。
女同士のよく分からんけど、はたで聞いてるこっちの方が背筋が寒くなるような日常会話を耳にしていて『怖えなあ女って』と思ったことは一度や二度じゃない。(今思うとあれはマウンティングバトルをしていたんだと思う)
でもその先輩はそういうのじゃなかった。驚くくらい自然体だった。そしてすでに仕上がっていた。そして真の強者は争いを好まなかった。
『本物ってこんなに違うんだ……』
その輝きの違いに、心の底から感嘆したのを覚えている。
でも決して先輩の歩んで来た道が、赤絨毯の敷かれたお花畑だったわけではない。
容姿が人より優れているがゆえに、その人にしか分からない苦労があった。
そしてその人にしか分からない恐怖と、その人にしか分からない身の危険もあった。
でもその人はまっすぐで明るい人だった。
作り物の明るさじゃなくて、内側から自然に出てくる明るさだった。
太陽のようにいつもキラキラ光る笑顔でいっぱいの人だった。
今まで出会った最も容姿の美しい人で思い浮かぶのは、今のところその先輩だ。
でも私はその先輩を美人だとは思わない。
どんな苦労があっても、柔らかであたたかい笑顔で吹き飛ばせる強さを持つ女性。
そんな強い輝きを持っている、その人の心がなにより美しいと思うし素敵だと思うから。
だからその先輩のことは美人だとは言わない。
ただただ、スーパーどちゃくそスパーキング可愛い先輩だったと言い続けたい。