無様な自立
依存心の強い人が苦手だ。
依存心の強い人に特有の、独特の光り方をする目が特に嫌だ。
媚びるような、へつらうような、嫌な笑みを浮かべて見上げてくる。
あの目で近寄られると、すごく不快になる。
自立している人は近くにいても不快に感じない。そもそも自立している人は他者に強く執着しない。だから不快に感じないのかもしれない。
自立している人は判断や行動が早くて的確だ。先輩後輩関係なく、自立している人からは学ぶべきものが多い。
依存する人と自立する人であれば、間違いなく自分は自立する人でありたいと思うし、自分はそういう生き方をしていると思っていた。
自分の判断に責任を持って行動してきたし、人に頼ることなく自分の力で解決を試みてきた。
でも時折、何かの拍子に自分の理想とするレールから足を踏み外してしまうことがある。
年齢による限界なのか、疲労による思考低下によるものなのか、そういうときは無性に不安に苛まれる。
今までの自分は、ただのまやかしや偽物であって、今レールから足を踏み外したダメだと感じている自分が本来の自分そのものなのではないか。
いよいよ化けの皮が剥がれて年貢を納めるときが来たのではないか。
そんな不安にかられることがある。
自分の理想とする自分は、判断が早く的確で、ミスなく冷静。感情的にならず、常に余裕を持った振る舞いをする自分だ。
これができない自分を、私は受け入れられないし、受け入れたくないと感じている。
『それさあ、何に怯えてんの?』と、家族に聞かれる。
怯えている。
今までできていたことができなくなった自分に失望されること。
能力が低いと侮られること。
それが怖くて必死に自立した人間のふりをする。
それが私の自立の正体。
なんて無様な自立だろう。
ちっとも美しくない。
他人と馴れ合うことを嫌い、一人が平気だとうそぶいているくせに、実際は他者からの評価に怯え、無理やり嘘の自分を演じている。
助けてほしいのに助けてと言えない。
助けてと声に出したとき、誰も助けてくれなかったときに、傷つきたくないから。
だから誰も頼らず自分の力だけで解決する。
弱い自分は見せたくない。
隙を見せたらつけ込まれる。
たしかに怯えているのかもしれない。
自分以外の人間すべてに対して。
なんて無様な自立だろう。
全然美しくない。