46.レイチェルのお見合い(死闘編)
マルシェル家の誇る、オランド麾下の帝都諜報部隊。
通常は屋敷の使用人やメイドとして働いているが、その裏では日夜、帝都に流れる情報を集めるという裏の顔を持つ。
中央政府や社交界にほぼ関わらないマルシェル家が、帝都に構える屋敷の維持管理のためだけに人を雇うというのはいかにも無駄が大きい。
なので、いつからか帝都の情勢やらを調べて本領に知らせることが帝都屋敷の役目となった、らしい。
オランド曰く、「まあまあ使える者が揃っている」という部下たちは、裏オークションの開催や高級魔石の流通情報の調査について、その鍛え上げた諜報能力を遺憾なく発揮してくれた。
「結論としましては、オークションは五日後の夜に開催されますな。正直なところ会場の近所であれば子供でも知ってることでした。本当なら先月に開催される予定だったらしいですが、主催者側の事情により延期されていたようでございます」
問題は、鍛え上げた諜報能力を発揮する必要が無かったことだ。
どうやら裏オークションの情報は、公然の秘密というより、ほぼ通常の商店の売り出し並に誰でも知っている情報だったらしい。
帝都到着の翌日に情報収集を開始したが、その日の昼過ぎには大まかな情報が集まってしまった。
オランドの後ろに、メイドや料理人が消化不良のような顔をして整列している。どうやら私からの特別任務という事で、歯ごたえのある難しい内容を期待していたらしい。何というか申し訳ない。
埋め合わせといっては妙だが、彼らには別件で調査を依頼した。
我々を監視する謎の勢力について、だ。
何の手がかりもなく漠然とした話なのだが、状況を説明していくうちに諜報員たちはみるみるうちに生き生きとした顔つきになり、鼻息荒く調査に乗り出していった。
よほど普段の任務に飽きているのだろうか?
「五日後か。姉上のお見合いの翌日だな。オランド、そちらの準備は大丈夫か?」
「問題ございません。伝通鳥であらかじめお話を聞いておりましたので、準備は整っております」
「馬車も借りられたのか?」
「はい、乗り心地は悪くとも見た目が豪奢なものを用意しております。実に割安でございました」
「さすが、前執事長。良くわかっている」
帝都まで乗ってきた馬車は頑丈だが見るからに古いものだからな。一応、子爵家の令嬢がお見合いに乗るものなのだから派手な馬車を借りることにした。
質素なマルシェル家の家風とは真逆だが、時には見た目も重要なのだ。
そして、あっという間にお見合い当日がやって来た。
今日は朝から使用人たちがバタバタと忙しそうに走り回っている。普段は私に朝食後の茶を入れてくれるメイドたちもいないので、久しぶりに自分で淹れてみた。
レイチェル姉上は、朝食もそこそこに湯浴みをし、今は化粧をされている頃だろうか。
メイドたちによってドレッシングルームに引きずられていく姉上の顔は、何らかの刑罰を受ける囚人のそれだった。『お見合いを倒す』とか勇ましいことを言っていた気がするが、さすがに当日になって怖気付いたのだろうか。
レイチェル姉上の用意ができたのは、ちょうど昼になろうかという頃だった。
存分に磨きがかけられた姉上と私を乗せた馬車が、ガタガタガタガタと揺れながらお見合い相手の待つ邸宅へ向かう。
姉上はこわばった表情をしながら、膝の上で握りしめた自分の手を見つめていた。小刻みに震えているように見えるが、安く借りた馬車のせいだったかもしれない。
さて、相手はレイチェル姉上と会って何と言うかな?
「おお! これは何という美しさだ! ダルフェール山脈の輝きの花でもこの美しさには敵うまい」
「その通りですわね、あなた」
お見合い会場である邸宅に到着し、我々を出迎えてくれたのは、ジョフィス伯爵本人とその夫人だった。
馬車から降りてきたレイチェル姉上をみての第一声が先ほどのセリフだ。伯爵が自己紹介する前に言い放ったことからも、姉上の容姿が想像以上だったのが分かる。
姉上は淡い青色のドレスを身にまとい、栗色の髪を結いあげていた。金銭的な諸々の事情で、アクセサリーの類は控えめだが、それが逆に本人の美しさを引き立てている。
時間をかけたはずの化粧は結果的にやや薄めのものとなった。
化粧したメイドが言うには、『濃い化粧がどうしても似合わない』らしい。飛び抜けた美人にはそういう現象が起こるらしい。
実際、弟である私の目から見ても今日の姉上には隙が無いように見える。女性としての美しさと生来の意志の強さを感じさせる雰囲気が相まって、社交界でもめったにいないような美貌と存在感を併せ持つ貴族令嬢に仕上がっている。
ただし、中身を知らなければ、だ。
「お久しぶりです、ジョフィス伯爵、伯爵夫人。今日は無理なお願いを聞いて頂いて感謝しております」
「ああ、久しぶりだ、エヴァン殿。うちのカイランの卒業式典の時以来か?」
「はい、カイランには……、失礼、カイラン様には大変お世話になりました」
「いやいや、こちらこそずいぶんよくしてもらったと聞いているよ。それで、そちらが姉君の?」
「はい、マルシェル家の長女、レイチェル・マルシェルです。姉上、こちらがジョフィス伯爵ご夫妻ですよ」
見目好く立っていたレイチェル姉上が、優雅にお辞儀をする。しかし、黙ったままだ。
これは……。
「失礼、姉はこういう席には不慣れでございまして」
「ああ、そんなに畏まらなくても良い。早速、屋敷を案内しよう。カイランを気に入ってくれればよいのだがね」
「あなた、レイチェル様は武芸も御達者だそうで」
「それはなおさら良いな。是非うちの男どもを鍛えてもらいたいものだ」
「あらあら、とても良い考えですね。みんな計算ばかり上手になってしまいましたものね」
伯爵たちは黙ったままの姉上を咎めず、上機嫌で話しながら我々を邸宅に招く。
一方の姉上はというと、
「レイチェル様、大丈夫ですか?!」
「レイチェル~、今からそんなに固くなっちゃだめよ」
付き添いのリセリエとフィロメナに励まされながら、何とか姿勢よく私の後を付いてきていた。
「リセ、メナ、大丈夫よ。私は伝説の冒険者なんだから」
「レイチェル様ぁ、何が大丈夫かわからないです」
思いのほか緊張しているようだ。フィロメナが私を見て、小さく首を横に振る。
しかし、姉上の状態とは全く関係なくお見合いは進んでいくのである。
次はもちろんお見合い相手との対面だ。
「本日はお越しいただきありがとうございます。ジョフィス伯爵家の次男、カイラン・ジョフィスです。実はマリクリア大学に留学中に一度だけ御挨拶させていただきましたが、いや、今日は驚くほどの美しさですね。ミリス神殿の天使像もかくやという程です」
姉上の前に現れたのは、長身で眉目秀麗な黒髪の青年。
名をカイランといい、何を隠そう私の学生時代の一年先輩の友人だ。姉上の三歳年下という事になるかな。
ジョフィス家は、アルバーナ神帝国の北端部に位置する海に面した地域を領している。長年、海運で栄えてきた領地なこともあり、伯爵家の者は経営能力高い人材を多く輩出している。
カイランはその中でも、より学術的な方面について学ぶべく、マリクリア大学に留学していた経歴を持っている。
領地経営を学んでいた私とは話がよく合い、よく一緒に勉学に励んだり、勉学以外も……。まあ今はそんな話は関係ないな。
というわけで、帝都における魔石捜索活動を円滑にするために仕組んだお見合いの相手役を引き受けてもらったというわけだ。カイランは「大切な学友の頼みなら喜んで」と言っていた。上級貴族とは思えない人の好さだ。
さあさ姉上、御挨拶をお願いしますよ。
「おはちゅに、お、お、お初にお目にかかります。レイチェル・マルシェルでございます」
噛んだな。思い切り噛んだ。
しかも、相手が初対面じゃないと言った直後に、お初にって言ったな。
どうやら姉上の緊張は、相手のカイランを目の当たりにしてとんでもないことになっているらしい。
部屋の隅に目をやると、控えているリセリエがあからさまに焦り、フィロメナがにこにこと微笑んでいる。フィロメナのやつ、早々に諦めたな。
すでにレイチェル姉上は目が泳いでしまっている。そこにはもう、ドラゴン相手にも怯まない勇敢な戦士の面影は全くなかった。
「あはは、確かに初対面なようなものですね。レイチェルさんは大学ではいつもお忙しそうにしていましたから」
それは学長のガドム老師の所に遊びに行くために走っていただけだ。
「どうぞお座りください。今日は我がジョフィス領の伝統菓子と南方のグランデル領から取り寄せた茶を用意しました」
「お気遣いありがとうございますゅ」
また微妙に噛んだな。いや、もう気にしないようにしよう。
お見合いの場として、伯爵は中庭のテーブルに豪華なティーセットを用意してくれていた。
おや、椅子が三人分しかないな。
「年寄りはこの辺りで失礼させてもらうよ。その方がレイチェル殿も話しやすいだろう」
「そうですわね、あなた。じゃあカイラン、しっかりね」
気を遣ってジョフィス伯爵夫妻が席を外してくれた。本当に偉ぶらない良い人たちだな。
こうして実に和やかに始まったお見合いだが、あまりにも状況に慣れない姉上は、雑談ひとつとっても大いに苦戦をすることになるのだった。
「それで、ですね、操作魔法は得意でしたので、試験場にあった甲冑を操り人形のように二つ同時に操作したら、すぐに合格しちゃいましたの」
学生時代の魔法試験の話題になって、姉上が披露した話がこれだ。
重い金属甲冑を動かすだけでも大変なのだが、それを二体同時にとなると普通は至難の業だ。相手次第では自慢話になってしまう。少なくともお見合いで披露する話ではないな。
「普段は訓練をしたり、子供たちと遊んだり、街道のモンスターを駆除したり、村で果物を食べたりしておりますわ」
「モンスターですか、それは大変ですね」
「い、いえ、大変だなんてことはありませんわ。弱いのばかりで退屈なくらいですわ。たまにはエンペラータイガーでも出てくればいいのに、ですわ」
次に普段の様子を聞かれて答えた内容がこれだ。
語尾もおかしいが、話してる内容はもっとおかしい。
エンペラータイガーとか討伐隊が編成されるレベルのモンスターだぞ。深山の皇帝の異名を持つ怪物が街道に現れてたまるか。
カイランもカイランで、楽しそうにレイチェル姉上の話を聞いてる。意外と動じない男だ。
そこに、ひょっこりと屋敷の飼い猫が現れようものなら、
「あ、猫! じゃなくて可愛いお猫さんですわね」
とうとう、怪しげなお嬢様言葉すらままならなくなってきたな。
「やはりレイチェルさんはとても楽しい人ですね。とても楽しい時間を過ごしてしまいましたよ」
歓談もひと段落したところで、カイランがまとめるように言った。
流れとしては、この後に当人たちだけで話す時間を作るところだが、姉上がこのありさまではな。
元々、監視の目をごまかすためのお見合いだ。カイランもそれを理解したうえで相手役を引き受けてくれたのだから、これ以上付き合わせるのは気が引ける。
適当にまとめて帰るとするか。
「姉上、それではここらへんで……」
「えっ、もう?! でも、でも、本当は、私は結婚は……!」
ん? 姉上の様子がおかしいな。私は帰るつもりだったのだが……。
「いやしかし姉上、時間的にもですね……」
「待って! え、今決めるの?!」
明らかに何か勘違いしているようだな。
どうやら、縁談を受けるか断るか今すぐ決めないといけないと思っているようだ。
これは、もしかするともしかするか……?
私はまた部屋の隅に控えた二人を見た。
リセリエは「レイチェル様頑張って!」とか言ってるので放置だ。
対してフィロメナは、私に向かって大きく頷いた。『進めろ』ということだな。
であれば駄目で元々。やるだけやってみるか。
「おや、姉上はなにかご不満が?」
「え! いや、不満とかじゃなくて! 私は!」
言葉遣いを完全に忘れるほど動揺するレイチェル姉上。ここまでくるとちょっと面白くなってきたな。
「私ではレイチェルさんの相手として不足なのは分かっております」
おっと、カイランも乗ってきたな。彼の事なので悪意はないのだろうが。
「違うの! 不足とかじゃなくて! だってあなたはすごく優しいし、素敵な人だとは思うし、家柄もすごいし、理想的な結婚相手だとは思うし!」
「さすが姉上、カイランの事をずいぶんとお気に召したようで。それではこの話、お受けして構いませんね?」
「っ!?」
固まった。
姉上が立ったまま完全に固まった。
結婚する、そして自分の目の前にいる男が生涯の伴侶になる、貴族の跡継ぎを産む、という事実に思考が追い付かなくなったのだろう。
石化してしまったかのように動かなくなってしまった。
ふーむ、こうなってしまってはこれ以上話が進まないな。
助けてあげるとするか。
「姉上、何か勘違いされているようですね。前にも言いましたが、このお見合いはそもそもが茶番です」
姉上の顔がギギギ……と音を立てそうにぎこちない動きでこちらを向いた。
「何の理由もなく帝都でウロウロするわけにはいかないので、カイランに協力してもらってお見合いごっこをしてもらっただけです。さすがに伯爵御夫妻にはそこまで言ってませんが」
「お見合い……ごっこ?」
「姉上が張り切っていたので止めませんでしたが、カイランもまだ結婚する気はないので緊張する必要は無いんですよ」
「私は少し気が変わりそうになったけどね」
「カイランは優しいからな」
「いや、レイチェルさんの魅力だよ」
私とカイランが和やかに笑い合う声が中庭に響く。
「というわけで姉上、ご安心ください。お見合いはこれで終了で……」
言いながらレイチェル姉上に向き直った、その時、私は恐ろしいものを見た。
完全な無表情。
心を無くしたかの如く佇む姉上が、空虚な瞳でこちらを見ていたのだ。
そして何かを考える暇もなく、姉上が私に向かって空間が歪みそうな勢いで踏み込んだ。
重く、しかし神速。重さと速さが攻撃の力に変換されていく。
そして目的は、ただ私に鉄拳を叩き込むこと。
敵意など無い。もちろん殺気も無い。ただ本能に従って目の前の標的を撃ち抜く拳。
『あ、これは死ぬ』
その刹那、私が考えたのはこれだけだ。物理障壁。間に合うか? ダメかも。
しかし、次の瞬間、レイチェル姉上の体が丸ごと沈んだ。
何事かと思ったが、姉上は二歩目を踏み込むときにドレスの裾を踏みつけて転んでしまったのだった。
勢いがついていたこともあり、姉上は中庭の芝生の上で綺麗に前回りで一回転してしまった。
そのまま両足を投げ出した状態で、座り込んだ姉上は放心状態だ。何が起こったのか自分でもよくわかっていないようだった。
「レイチェルさん、大丈夫ですか?! 怪我はありませんか?」
真っ先に動いたのはカイランだった。
転んでしまったレイチェル姉上に駆け寄り、怪我の心配をしていた。
そして怪我は無さそうだと分かると、姉上に手を差し伸べる。
「立てますか? レイチェルさん」
「~~~っ!!」
完璧な貴公子ぶりを見せるカイランに対し、声にならない声を上げて顔を真っ赤に染める姉上。
そして、
「帰る!」
叫ぶや否や、魔力を集中させたかと思うととんでもない速さで走り、そして跳び、魔法で空中に足場を作り、跳躍してジョフィス家の屋敷の塀を簡単に越えて帝都の空に消えていった。あの滞空時間はほとんど飛翔だ。
例によって人間とは思えないような速度だった。帝都で妙な噂が立たなければいいんだがな。空飛ぶ貴族令嬢。
リセリエが慌てて姉上の後を追って走り出す。私はフィロメナにも合図を送って姉上の後を追わせることにした。フィロメナは私に小さく手を振って出て行った。
もう色々と滅茶苦茶だな。
「カイラン、すまない。恥ずかしいところを見せてしまった。というか、死ぬかと思った」
「私には正直言って何が起こったのかもよく分からなかったよ」
「まあ予定調和の破談でけが人が出なくて良かった、といったところかな」
カイランは椅子に座り直して、騒動を思い出したのかふふっと笑った。
「それにしても、相変わらず型破りな姉君だね。僕が留学していた時から何も変わっていない」
「お見合いの席がここまで荒れるとはさすがに思わなかったがな」
私がカップに残っていた茶を飲んで一息ついていると、カイランはそっと目を閉じて言う。
「でもドレス姿は本当に美しかった。そう遠くないうちに良い縁があるんじゃないかな?」
「そう思うならもらってやってくれないか?」
「それは遠慮させてもらおうかな。姉君が僕の器に納まるとはとても思えないよ」
カイランはそう言って静かに微笑んだ。
レイチェル姉上は文字通り真っ直ぐに、マルシェル家の帝都屋敷に帰ってきていたようだ。
もう夕刻だが、ずっと部屋に閉じこもったままらしい。
「姉上、申し訳ありませんでした。機嫌を直していただけませんか?」
返事はない。
「まもなく夕食ですよ。昼もまともに召し上がってませんし、お腹がすいたのでは?」
返事はない。
うーん。仕方が無いな。
「マルス、頼んでおいたものは?」
「こちらに」
マルスが私に片手に少し余る大きさの紙箱を渡してくる。ふたを開けると、確かに注文通りの物が入っていた。
「姉上、お詫びと言っては何ですが、帝都で評判の菓子屋で果物のケーキをお持ちしました」
途端にガチャリと小さな音を立てて扉がほんの少し開いた。
「姉上のお好きな黄金ブドウのケーキです」
しばらくの沈黙の後、ドアの隙間から手が伸びてきて私から紙箱をひったくったかと思うと、またドアが閉まった。
今はこれで良し。
明日にはきっと機嫌を直してくれることだろう。
そうでなくては困る、なにせ明日は裏オークションの開催日だからな。




