36.うちのタマ
『姐さん、呼びました?』
凶悪な威容のはずの赤鱗の竜は、あからさまに下っ端の態度で話しかけてきた。
高速で飛んできたところを湖岸で急停止したので、水しぶきが大量に舞う。マルスはかまどの種火を守るため、自らのマントで水しぶきを防いでいた。素晴らしい先読み能力だが、あの炊事に対する熱意はどこから来るんだろうか。
「タマ! ちゃんと引っ越しできてよかったわね!」
その様子は、まったくもって伝説の幻獣に対するものではなく、頼りない年下の従弟妹か何かと話しているようだった。
セルファスの小屋ごときであれば一撃で粉々に吹き飛ばせそうな尻尾をゆらゆらさせながら、タマがレイチェル姉上の近くに降りて来た。
姉上は何の警戒もなく近づいて、前足の鱗を撫でている。本当に猫か何かと思っているんじゃないだろうか。
しかし、タマが猫のようにじゃれつこうものならば、私の周囲の人間で無傷でいられるのは姉上、マルス、グラント、ロベルト、ガドム老師くらいのものだろう。意外と沢山いるな。
「これはぁ、さすがに驚きですねぇ」
間延びしてあまり驚いたように聞こえないが、セルファスは目を丸くしている。
「さすがにドラゴンを見るのは初めてか?」
「ドラゴンがいる事よりも、ドラゴンを猫のように扱っていることに驚いてますよぉ。これが先ほど仰っていた魔道具の力ですか?」
疑うように言うが、セルファスにしたところで何の確証もないはずだ。ここは嘘をつき通さなければならない。
私が力でタマを制圧したと悟られてはならないのだ。
「もちろんだ。ただ、強力な魔道具だったがタマを懐柔した時に壊れてしまってな」
「それは勿体ない。その魔導具があれば、強力な魔物の軍隊を作れたかもしれませんねぇ」
「神話にある悪の魔王のおとぎ話か? そんなことができるとは思えんが」
「それでもドラゴンを手懐ける事ができる魔道具が実在したのなら、警戒すべきですよぉ」
これはまだ魔道具の効果を疑っているな。まあこれ以上は何の証拠もないので放置しておくか。
「今回はタマが高い知能を持ったドラゴンだったことが良かったんだろうな。懐柔したというよりは敵ではないと理解させることができた」
当の本人であるタマはレイチェル姉上に翼の付け根を撫でられて、くすぐったそうにしている。
私はタマを呼んで、証言してもらう事にした。
「タマ、お前は魔道具の力で私たちが敵ではないと分かったんだよな?」
『え? えーと……』
「そうだよな?」
『あ、その通りです。良い人間もいるんだなぁって、はい』
「なんだか言わされてるように見えますねぇ」
「そんなわけないだろう、タマは若くてもドラゴンだぞ」
『若輩者ですいません』
必要以上にへりくだる火竜。うんうん、これもきっと魔道具の効果だな。そうに違いない。
「それで、どうしてドラゴンがヴェスパ湖にいるんです?」
セルファスがもっともな疑問を投げかけてくる。セルファスのくせに。
「ゴルド山地では冒険者ギルドの調査が行われる寸前だったからな。放っておいたら帝国中の冒険者に狙われていずれ狩られていただろう」
『危ない所を助けてもらいました』
「で、匿うなら子爵領の中でも人口が少なく、周囲を山に囲まれ、万が一の時にはすぐ海上に逃げられるこの場所に引っ越してくるように言ったんだ」
『いやぁ、さすが慧眼で』
「ホントに聖地をなんだと思ってんですか……。合理的なのは認めますがねぇ」
実際問題、ドラゴンが秘密裏に生息できるところなんてそうそうあるもんじゃない。ヴェスパ湖の湖畔はたまたま良い条件が揃っていただけだ。セルファスに対する嫌がらせでは決してない。……多分ない。
「でも引っ越してきたからにはご近所さんですねぇ。よろしくお願いしますね、タマさん」
『あ、ご丁寧にどうも』
「タマ、こいつは別に身内じゃないから下手に出る必要はないぞ」
『え、そうなんですか。なんだぁ、それを早く言ってくださいよ』
強気に出ても良い相手だと聞かされて、途端に大きく胸を反らして居丈高な姿勢になるタマ。ドラゴンブレスでも吐き出しそうな気配だな。
『マスターの知り合いとはいえ人間風情と付き合ってやる事に感謝するがいい』
お、初対面の時のような喋り方になったな。凄まじい殺気と威圧感だ。これだけで普通の人間ならとても立っていられないだろうな。
「はい、よろしくお願いしますねぇ。いやぁ、頼りがいのある人で嬉しいですねぇ」
だが目の前にいる眠たい目の男は、到底普通ではなかったようだ。
『……。あ、こちらこそよろしくお願いします』
タマは何かを悟ったらしい。口調が元に戻った。うん、それが正解だと思うぞ。
「先ほどの魔石は、このタマ殿のものだったんですかぁ。ドラゴンが光り物が好きと言うのは本当だったんですねぇ」
『あ、いや、あれは元々は長老のクソジジイの物で……』
「そうだな、偶然出会えたドラゴンがタマだったのは幸運だった。あそこにいたのが好戦的なモンスターだったら我々も無事だったかどうか」
タマが何か言いたそうにしているが私は無視する。セルファスに余計な情報を与えたくないからな。
とりあえず、話題をタマから逸らしておくか。というか、まだセルファスへの用は済んでいない。
「タマ、とりあえず姉上が退屈しないように相手しておいてくれ」
レイチェル姉上は込み入った話になると途端に退屈するからな。
『ええと、何をすればいいんでしょう?』
「心配するな、遊びの方法は必ず姉上が決めてくれる」
自信満々で答えると、早速レイチェル姉上から声がかかる。
「タマー! 見て見て、タマにもらった魔剣に鞘が付いたのよ。たまたま武器屋さんに合う鞘があってね」
『そんなの着けたらキラキラしないじゃないですか、姐さん』
ずれたやり取りをしているがまあ、あっちはタマに任せておくか。
それよりもこっちの話だ。
「それで、必要な魔石は残り一つになったわけだが」
「そうですねぇ。エヴァン様の活躍に神もきっとお喜びでしょう」
「エヴァン様、今の言葉は嘘です」
いつの間にか近くに来ていたマルスが会話に割って入ってきた。
「大丈夫だ。こいつが神官っぽいことを言うときは、たいてい嘘、というより本心じゃないのは分かっている」
「ちょっと評価がひどすぎませんかねぇ? 否定はしませんけど」
「さすが神託の偽神官だな」
すごいのかすごくないのか分からんな。
「それで、次はどこを探すんですかぁ?」
そう、問題はそこだ。
「そのことを聞きたかったんだ。なにせお前は独力で一等級魔石を見つけた前例があるからな。だが……」
セルファスが何か情報を持っている可能性を多少は期待をしていたんだが……。
「はい、先ほど言った通り、神託にしたがって行動した結果で拾っただけですので、他の魔石のありかは分かりませんねぇ」
「次の神託はないのか?」
「そう都合のいいものでもないでしょうねぇ」
やはり地道に情報を集めるしかないのか? 今度こそ何年かかるか分からんな。
情報集めは今のところ、冒険者ギルドの力に依存してしまっている。つまりグラントの親父さんとリッツの担当だな。しかし、二人が頑張れば魔石やドラゴン級のモンスターの情報が集まるというわけではない。そもそもが入手不可能に近い宝物なのだ。
となると、私にできることはより多くの情報を冒険者ギルドに頼らずに集める事だろうな。
「効率よく情報を集める必要がある、か」
「仰る通りですねぇ。そうなるとこの辺境の地ではなく……」
「帝都に行くべき、という事になるな」
我がマルシェル領の領都マリクリアも小さい町ではないが、所詮は一介の地方都市だ。しかもヴェルデンシア大陸の東の端に位置し、情報が届くにも時間がかかる。ドラゴン発見の報に際して他に先んじて行動できたのは、単純にゴルド山地がベリア伯爵領でマルシェル領から距離的に近かったからだ。だが、そんな幸運に毎回頼ってはいられない。
「私が一つ目の魔石を手に入れたのも帝都ですからねぇ。この大陸のどこかで一等級魔石が発見されたとして……」
「最も高値で売りさばこうとするなら、場所は帝都アルテオンしかないな」
アルバーナ神帝国の帝都アルテオン。四百年前の帝国が建国されたときから変わらずこの国の中心であり続ける都市。帝国建国以前はとある王国の王都だったらしいが、アルテス神教を国教として以降、帝都は大きく姿を変え、かつての王国の名残はほとんど残っていない、らしい。実際の所はよく知らないんだがな。
だがヴェルデンシア大陸の中央部に位置し、国中の街道が集まる都市、そして人口は百万にも及ぶと言われる大都会だ。実にマリクリアの二十倍といったところか。住民の顔を覚えるのも骨が折れそうだ。
確かに帝都であれば、マリクリアよりも圧倒的に多くの情報に触れられるし、現物が流れてくる可能性もあるかもしれない。
しかし、いくら実質無役になった私でも、アンナに全て領主代行の仕事を押し付けて帝都に居を移すわけにもいかない。そんなことをすれば、アンナが付いてくると言って聞かないだろうし、領内の仕事が父上に集中することになる。……んん? 別に普通の事のような気がする。
「帝都か。マルシェル家の屋敷もあるから拠点は作れるな。情報がマリクリアに素早く流れるような体制を整えなければならないか」
ある程度以上の領地を持つ貴族は、帝都に屋敷を構えているのが普通だ。中級以上の貴族ともなると、そこらの宿屋で一泊というわけにもいかない。身分違い、恐れ多いという理由でお断りされてしまう。大きな都市には貴族も泊まれる高級宿もあるにはあるが、上級貴族は使わないだろうな。領主の館に泊まるか、迎賓館を使うのが普通だろう。マルシェル子爵領に迎賓館など無いがな。
「マルス、マリクリアに戻ったら旅の準備を始めるぞ。向かう先は帝都だ」
遅かれ早かれ行くのなら、さっさと行って用を済ませてしまおう。というか、この件については早ければ早いほど良い。
「承知いたしました。帝都屋敷には伝通鳥で先触れを出しておきます」
人間であれば、西のゴルド山地を北に大きくう回して街道を進むのだが、魔力で飛ぶ魔道具である伝通鳥なら山地をまっすぐ超えて帝都に向かえる。二日もあれば十分帝都に到着できるだろう。
と、ここまで話したところで我々に近づいてくる気配があった。
「聞こえたわよ、エヴァン! 次は帝都に行くのね!?」
まあこんな面白そうな話をレイチェル姉上が見逃すはずもない。もし仮に姉上をマリクリアに置いて帝都に行こうものなら、すぐさま気付かれて恐ろしい速度で追いつかれ、「私も連れていけ」と壮絶な駄々をこねるに違いない。想像するだけで恐ろしい。
「そうですね、どうしても一度帝都に行く必要があるようです、同行をお願いできますか、姉上」
帝都行きが姉上に知られた以上、素直に連れて行くのが無難だ。それに都合の良い点もあるしな。
「任せなさい! 神託の探求団の冒険は常に私が先頭を行くのよ!」
予想通りやる気に満ちた宣言をするレイチェル姉上。実際、パーティで行動するときは姉上が先頭だしな。
「あ、それならタマも一緒に……」
「行けるわけないでしょうが」
あんまりにもあんまりな発言。
私に叱られて姉上はちょっと涙目になってしまったが、私はたぶん悪くない。




