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32.ヴェスパ湖、再び

 普段、領地内を視察するときはマルシェル家専用の馬車に乗って移動する。

 専用とはいっても家紋が入っているだけで、別に豪華なものでもないし、ずいぶんと古い型の普通の馬車だ。以前に聞いた話では、父のアラニアが子供の頃にはすでに年季が入っていたというから、もしかしたら逆に骨董的な価値があるんじゃないかと思う。

 しかし、今回のヴェスパ湖行きは急ぎの旅だ。馬車を使わず、馬に乗って行くことになった。

 私、レイチェル姉上、マルスの乗った馬が、一列になって早足で進んでいく。

 この馬たちは、領兵団で使っている軍馬なので良く鍛えられており、速度も持久力も普通の馬より優れている。休憩も少なめで問題なさそうだし、昼過ぎにはグレン村に到着しそうだな。無理を言って借りて来た甲斐があった。

 どちらかというと人間の方に多く休憩が必要なくらいだ。

 主に私の乗馬技術のせいで。


「エヴァンはお父様の仕事を手伝ってばかりで、訓練を怠けてるからいけないのよ」


 二度目の休憩を申し入れた時に、レイチェル姉上に文句を言われてしまった。ついこの間まで領主代行として懸命に働いていたのにひどい言われようだ。

 マルスは何も言わず、いつものように微笑を浮かべて私と姉上に水筒と酸味の強い柑橘を差し出した。

 ドラゴン捜索の旅の時から、私はマルスの鞄から何が出てきてもあまり気にしないようにする習慣ができてしまった。

 受け取った柑橘が心なしか少し冷えていたが、それも気にしない。

 街道で休憩していると、旅人や行商人たちが通り過ぎていく。

 軽装とはいえ、出で立ちで貴族だと分かるのか皆が一礼していく。中には私や姉上の顔を見てびっくりしている者もいた。領主の令息や令嬢が道端で座って休憩してるとは思わないだろうから仕方ない。

 何人か行商人に話しかけて商売の調子を聞いてみると、「子爵様の領地では安心して商売ができる」とか「他の領地よりは物が売れる」など、割と好意的な意見が聞けた。

 私がマルシェル家の者だという事で気を使っているのではないかと思うのだが、本人たちが言うには実際のところ他の領地では不景気なところもあるらしい。

 おそらく原因は税の取りすぎだろうな。懐事情が厳しいのは我が子爵家だけではないという事だ。

 安心して商売ができるという点については、日々治安維持に奮闘している警備隊の努力の賜物だな。あとは街道周辺でモンスターの討伐に積極的な領兵団の功績もあるか。

 冒険者たちはダンジョンや山地、森林といったモンスターが多数生息しているところへ踏み入って狩りをすることが多い。

 街道沿いでも遭遇すれば当然モンスターを狩るが、それはあくまで移動のついでの事だ。

 やはり街道の安全を守るには、定期的なモンスター討伐が必要になる。

 軍事に力を入れている貴族領では、演習代わりに街道沿いのモンスター討伐を行う事が多く、旅人は割と安心して移動ができるのだが、あまり討伐に力を入れていない領地だと街道でも普通にモンスターに襲われたりする。

 先日、ベリア伯爵領内のノイルの街の近くでブラックウルフに遭遇したことなどは、正にその典型的な例と言える。

 ちなみに我がマルシェル家の領内では、経済的な問題もあって大貴族が領地で行うような大規模なモンスター討伐はあまり行われていない。しかし、領兵団内のある部隊がモンスター討伐に非常に積極的であるため、街道警備隊が巻き込まれる形で少人数での掃討作戦が頻繁に実施されている。

 その部隊は名称を『マルシェル子爵家領兵団特別遊撃隊』と言い、隊長はいま私の隣で柑橘を頬張って酸っぱい顔をしているレイチェル姉上だ。そしてその特別遊撃隊には、まだ隊員が一人もいないらしい。


「なんにせよ、領地内が平和でよかった」


 こうしていると世界が滅びの道を歩みつつあるというのが信じられない気がしてくる。

 全てセルファスの妄言ならどれほどいいか。

 しかし、実際に体験した不思議な事や帝国内の情勢を知れば、やはりセルファスの話には説得力を感じてしまう。

 人間社会が関知している事象など、世界のごく一部である事も紛れもない事実だ。

 強力な魔力を持つに至ってしまった私自身が、その証明の一端でもある。

 せめて未来の子孫たちに希望を持たせてやりたいところだ。

 この神託の意味を再認識し、つかの間の休憩を終えた我々は、グレン村に向けてまた走り始めた。




 大方の予定通り、グレン村に到着したのは昼を少し過ぎた頃だった。

 もっと早く着けたのに、とレイチェル姉上は何やらおかんむりだったが、本気を出したら馬より早く走れる人に言われても悔しさも何も感じない。


「すまんな、ロルフ。前触れもなく来てしまって」


 グレン村の村長、ロルフに突然の来訪を詫びる。

 ロルフとは割と気安い付き合いができているつもりだが、何の用意もなく貴族を迎える領民の気持ちは、さすがに察するものがある。


「いえ、びっくりはしましたが、もちろん歓迎しますよ。それに、うちの息子たちも……」


 ロルフは居間の窓から外を指差した。

 そこでは、ロルフの二人の息子達がレイチェル姉上と話をしていた。

 何やらわいわいと賑やかだ。

 普段はどうしても子供っぽさが目立つ姉上だが、十歳と八歳の子供が相手だとさすがに大人として接するのだろう。


「レイチェルがなかなか来ないからさー、もう村の子供みんなで森の水玉ベリー獲っちゃったよ」

「え! 一緒に行くから待っててって言ったじゃない! 獲れたてが一番甘いって言ってたから楽しみにしてたのに!」

「だって、レイチェルおねーちゃんいなかったもん。水玉ベリーはおいしい時期が短いんだよ」

「村になかなか来ないのが悪いんだよ」

「やだやだ、おいしい水玉ベリーが食べたい、食べたーい!」

「おねーちゃん、わがまま言っちゃだめだよー」

「ああもう、しかたねーな。水玉ベリーのジャムならいっぱい作ったからそれで我慢しろよ」

「ヨーグルトもあるんだよー」

「え、ジャムとヨーグルト!? 食べる!」


 うん、ロルフの息子たちの方がよっぽど大人だった。何か、すごく申し訳ない。


「うちの姉上がすまない。面倒をかける」

「いえいえ、レイチェル様は普段はあんな様子ですが、森から出てきたモンスターを退治してくれた恩人ですから。この村の子供達はみんなレイチェル様に憧れているんですよ。もちろんうちの息子たちも、です」


 ロルフはそういって、居間の隅を指差した。見ると子供用の短い木剣が二本、壁に立て掛けられていた。


「そうか、この間来たときは気付かなかったが、剣の練習を始めたか」


 農村の子供が剣の練習をするかどうかは、本人の自主性によるところが大きい。家畜を害獣から守る為なら剣よりも槍や弓を練習した方が実用的だからな。

 それでも、ロルフの息子たちが剣を選んだのなら、彼らにそうさせる理由があったのだろう。その理由が満面の笑みでジャム入りヨーグルトを頬張る剣士だとしても、それは大した問題では無いに違いない。


「もし、息子が剣で身を立てたいと言ったらどうするんだ?」


 他意はなく、何となくそんな質問が口をついて出た。

 するとロルフは笑って答える。


「そりゃ困りますね、跡継ぎがいなくなってしまいます。でも……」

「でも?」

「もし剣なり魔法なり、なにか才能がありそうなら、マリクリアで学ばせますよ」

「そうか。それはいいな」


 才能か。私にもそんなものがあれば良かったんだがな。


「エヴァン様、急げば今日中にヴェスパ湖に着きますが、いかがしますか?」


 押し黙った私にマルスが尋ねてきた。何か私の心情を察したか。マルスらしい気の使い方だ。


「マルスに言うだけ無駄のような気もするが、今からヴェスパ湖に向かうなら野営になる。準備はあるか?」

「もちろんです」

「お前は用意が良すぎてたまに怖くなるな」

「お褒めにあずかりまして恐悦です。つきましては……」

「給料はもちろん据え置きだ」


 いつもの調子が戻ってきた。これもマルスの気遣いか? いや、給料に関してはマルスはいつも本気だ。油断してはいけない。


「ええっ、お泊りにはならないんですか?」

「すまんなロルフ。急ぎの用なんだ。今日は村の皆の顔を見に寄った、という所だな。長老にもよろしく伝えておいてくれ」


 コートラックに掛けていた上着を取って羽織ると、ロルフに礼を言って外に出た。

 そして、ヨーグルトを食べ終わって御満悦のレイチェル姉上に出発を告げに行く。


「えー、まだ全然みんなと遊んでないんだけど……」


 やはりそうくるか。私は内心で溜息をつきながらレイチェル姉上を説得しにかかる。


「それでは姉上はここに留まりますか? 私は神託の探求団としてヴェスパ湖に向かいます。明日にまた迎えに来ますので」

「え、それは嫌! わたしも神託の探求団なんだから!」


 傍らに置いていた長剣を手に取り、勢いよく立ち上がる姉上。やはりレイチェル姉上を動かすにはこの手に限るな。


「おねーちゃん、行っちゃうの?」


 ロルフの下の子が言うと、レイチェル姉上はにっこり笑って頭を撫でる。


「お姉ちゃんはね、伝説の冒険者になるために頑張ってるのよ。あなたも早く大きくなって強くなりなさい」


 八歳の子供にはなかなか厳しい励ましだが、撫でられた弟は嬉しそうに笑う。


「わかった、兄ちゃんと一緒に強くなったら、おねーちゃんも助けてあげる」

「レイチェルは腹が減るとすぐ泣くからなー」


 兄の方がレイチェル姉上をからかうと、怒った姉上と追いかけっこが始まる。

 しかし、姉上は身体強化を使ってあっという間に兄を捕まえてしまい、「魔法はずるい」と実にもっともな抗議を受けていた。

 そんなことをしていたら出発が遅れ、結局ヴェスパ湖の湖畔に到着したのは夕方になる頃だった。




「姉上、到着しました。あれが例の小屋です」


 夕刻の日に照らされて、赤く見える石造りの小屋。

 入口の扉には初めて来た時と変わらず、アルテス神教の印が掲げられている。


「さて、あの胡散臭い神官はいるか?」


 馬から降りて、小屋の様子を慎重に伺う。しかし変わった様子はない。

 というよりも人の気配がしない。

 もしかして留守かと思い、マルスの方を向き直ってみた。マルスは私の視線に気付くと、小さく首を横に振った。どうやらマルスでも気配を感じ取れないようだ。


「どうしたの、エヴァン? 入らないの?」


 レイチェル姉上が何も警戒していない様子で小屋入り口に向かってすたすたと歩いていく。


「あ、待ってください、姉上。相手は何せ怪しい男でして……」


 そこまで言ったところで、小屋の扉がギギィと軋む音を立てながら開いた。

 そしてそこには、前に会った時と全く同じ灰色の祭服を身に着けた痩せた男が立っていた。


「怪しい男とはひどいですねぇ。これでも神に仕える身ですよぉ」


 国宝の魔石『陽光の霊石』を盗んだかもしれない男、自称神官セルファスとの二度目の対面だった。


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