30.領主代行助役の特務
もしかして逃げたのではないかと思ったが、タバルはちゃんと馬車に乗って帰ってきた。
まあ、もし逃げたとしても私はタバルの奥さんまで知ってるわけで、逃げられるわけもないのだが。
「すいませんね、ちょっと調子に乗って飲んじまいました」
「ちょっとという金額ではなかったがな!」
よく勘違いされるが、我がマルシェル子爵家は貴族だといっても決して富豪とは言えない。
税は徴収するが、いかに領内に資金を循環させるかに腐心しているし、そもそも各種の税率も他の貴族領に比べれば安い。
おまけに安くはない中央への上納もあるしな。
アルバーナ神帝国の貴族には大きく分けて二種類の貴族がいると考えてよい。
一つは中央への志向が強い貴族。つまりはより強い権力を求める貴族だな。資金力にものを言わせたり、縁組などでより権力の中枢に近づいて自らの権勢を高めていく。私に言わせれば果てのない欲の地獄だ。頑張って上り詰めたとしても皇帝になれるわけでもないしな。
もう一つはとにかく自領の発展に尽力する貴族。我がマルシェル家はまさにこれだ。先祖から受け継いだ土地に住む民を飢えさせず、幸福に導こうという至ってまともな考え、だと私は思っているが、どうも帝国内でこの考えを持つ貴族は少数派らしく、しかもどこも権力があまり強くない。当然だな、義務付けられた上納金しか払わない貴族が権力を持てるはずもない。
マルシェル家は帝国の建国時代から続く家系で、一応名門とは言われているが四百年の間ずっと陞爵も加増もなかった事を考えると、中央からうちの領がどう思われているか推して知るべし、だな。
そんなわけで私にとって小金貨四枚はなかなかの大金だ。とはいえマリクリアに帰るだけの路銀なら十分に足りる。いざとなればゴルド山地でやたら集まった魔石を売却してもいい。
正直、タバルには大して怒りはない。強引な日程で無理もさせてるしな。タバルの奥さんにも内緒にしておいてもやってもいい。
しかし、気掛かりなのは……、
「アンナになんて言おうか、参ったな……」
路銀の準備をしてくれたのは他ならぬアンナだ。
ずいぶんと軽くなった財布を撫でつけながら、私は何とかうまく言い訳できないものか考えていた。
「そうですか、思ったより費用がかかってしまいましたか。十分な金額を用意できず申し訳ありませんでした」
マリクリアに帰りついたのは、ギルセアを出てから丸二日後の夕刻だった。
その日はさすがに早く休んでしまったが、その翌日に路銀が入っていた財布をアンナに渡したところ、返って来たのが上のセリフだ。
「いや、不足と言う事はなかったんだ。ただ、ギルセアでちょっと使う事があってだな」
別に悪事を働いたわけではないのだから堂々としていれば良いのだが、なにせ使い道がタバルの飲み代なので気まずい事この上ない。
「ドラゴン発見の一報からわずか十日ばかりで魔石を持ち帰ったんです。想像を絶する強行軍だったのは十分に理解しています。費用がかさむのは仕方が無いです」
「そ、そうか。アンナにそういってもらえると気持ちが楽になるな」
「ええ、タバルさんも休日返上で突然旅に連れ出されたのですから、いろいろと憂さ晴らしも必要だったでしょう」
すでにタバルの件を知っていた……。
「あー、あいつも悪気があった訳では無いと思うんだ。ちょっと調子に乗ってしまったらしくてな」
短い間とは言え、共に旅をした仲間だし、タバルの肩を持ってやろうと思って言い訳の一つも試みたのだが、
「承知しております。エヴァン様が気になさることではありません。今朝挨拶にいらしたタバルさんの奥様にもそう申し上げておきました」
あ、もう奥さんにまで伝わったのか……。すまんなタバル、私にはもうお前を庇ってやることができん。飲み代のツケだと思って奥さんにきつく絞められてくれ。
「それでエヴァン様、三つ目の魔石捜索はどのようにしますか?」
アンナの話し方から棘が取れた。怒った時のアンナは生真面目な文官のような話し方になるから怖いんだ。
アンナは執務室の椅子に座る私にお茶の用意を始めた。とりあえずギルセアでの無駄遣いの件はひと段落ということか。
「捜索と言ってもあてがない。そもそも二つ目の魔石を捜索しようとした矢先のドラゴン騒ぎだったからな」
そう、ゴルド山地の正体不明モンスター、つまりドラゴンのタマが発見された情報が入って来たのがそもそも僥倖だったのであって、もともとは時間をかけて情報を集めようとしていたのだ。
それが何か月かかるか何年かかるか分からないが、それしか方法が無いのだから。
マリクリアの冒険者ギルドや商業ギルドの情報網や、たまに顔を出す社交界での噂話などを根気よく集めるしかない。
あとは、上等な魔石を持っていそうな貴族や大富豪に頼んで譲ってもらうか。しかし、そもそも誰が一等級魔石を持っているかなど分からないし、譲ってもらうにも金がかかる。
タバルの件で再認識せざるを得なかったが、我がマルシェル子爵家に大金を用意することはできない。
昔からろくに貯蓄せずに人材と教育に投資し続けてきたからなぁ。おかげで辺境随一と言われる大学を今日まで維持できたわけだが。
ちなみにこのマリクリア大学の教授や職員たちの給与は、帝都にある最高学府アルテオン帝立大学と大差がない。そしてそれに加えて、子爵家の私財を惜しみなくつぎ込んで研究費に充てている。しかも帝立大学と違い研究内容はかなり自由。
辺境の大学ではあるのだが、この自由さに惹かれて各所から移籍してくる研究者が多い。
結果、マリクリア大学は帝国中から優秀ではあるがちょっと変わった研究者が数多く集まる場所となった。特に魔道具の研究では帝国でも最先端なのではないだろうか?
おかげで色々と変わった発明品が大学には転がっている。危ない事この上ない。
「しばらくは地道にやるさ。領主代行としてどうしても私が出席しなければならないところがあれば言ってくれ」
「今のところは特にありません。式典などもアラニア様に出ていただいておりますし」
「書類仕事は……?」
「決裁権限を預けていただいているので、特に溜まっておりません。お茶をどうぞ、エヴァン様」
アンナがお茶のカップを渡してくれた。すこし柑橘の香りがする。とてもいい香りだが、私は少し気分が沈んでいた。
「なんだかまるで私が要らない人間のように聞こえるな」
権限をアンナに移した途端にこれだ。アンナの文官としての能力が高いのは分かってはいたが、なんの問題もないと言われるとさすがに落ち込む。
しかし、アンナは目を丸くして声を上げた。
「とんでもないですよ、エヴァン様。エヴァン様にしかできない重要な事があります」
アンナが机の上に身を乗り出してくる。顔が近い。ふわっと石鹸のいい香りがする。
「私にしかできない事?」
「はい、エヴァン様でなければ不可能です」
アンナはパタパタと早足で歩き、執務室の窓を開け放った。
ここは二階だが、屋敷の塀は大して高くないのでマリクリアの街がよく見える。
「窓がどうしたんだ、アンナ」
「違いますよ、街です。領地全体ともいえますけど」
「うん? 街がどうした?」
特にいつもと変化があるようには見えない。屋敷のすぐ目の前は広場になっている為、出店や楽器を奏でる芸人がいたりするが、別にいつもの事だ。
今日はリュート弾きの芸人がいるな。楽器だけ弾いて歌が無いところを見ると、メイクスの奴かな。あいつはいつになったら歌を歌うんだろうか。
「エヴァン様がもう十日も街に姿を現さないので、街のみんなが寂しがっています。顔を見せてあげてください」
アンナはにっこりと笑いかける。
おお……、まさか出かけてこいと言われる日が来るとは思わなかった。私が街に出るには執事長のロベルトの目を盗むしかないと思っていたのに。
「街に、遊びに行っていいのか?」
「いいんです。マリクリアはやっぱりエヴァン様がいないとダメです」
優しく微笑むアンナがまるで天使のように感じる。いや、天使を名乗る少女は夢で会ったがそういうことではない。
「ま、まあ、仕事みたいなものだな。ちょっと街のみんなに挨拶してくるか!」
「はい、でもあまり遅くならないようにお願いしますね。あとお小遣いは少ししかお渡しできませんので」
「あ、うん、無駄遣いはしないようにする」
アンナに銀貨を数枚もらうと私は執務室から出ていった。
途中で執事長ロベルトと会ったが、「仕事だ、出てくる」の一言であしらった。ロベルトは何か言いかけたようだが、領主代行助役が出かけてこいというのだから仕方が無いのだ。
それから私は、屋敷前の広場にやっぱりいたリュート弾きのメイクスに歌の練習を促し、屋台で串焼きをもらって食べ、買い物に来ていた東通り長屋の婆さんと立ち話をし、大通りの酒場で女将のフロミナに新作料理の試食を頼まれ、アンナの実家の仕立て屋で店主の娘自慢を聞き、パン屋がまた変な味の新作を作ったと聞いて笑い、洗濯物が乾かなくて困っているピケ通りの宿屋の店主の為に魔法で温風を作ってやり、獲物を売りに来ていた狩人に森の様子を聞き、薬師のレミーア婆さんに規則正しく生活しろと説教され、石大工の親方に外壁補修の工事が終わった祝いだと葡萄酒を飲まされ、孤児院に焼き菓子を持って訪ねて子供たちの遊び相手というかおもちゃにされ、裏路地酒場のイーサンに客が少ないから一杯飲んでいけと言われ、共同井戸の横でおしゃべりに花を咲かせている奥方達の輪に入り、タバルの奥さんにばったり出会ってギルセアで飲んだくれていたことを謝られたり、南門の詰所で暇そうにしていた兵長と盤上戦図をして負けたり、商業ギルドの前で番犬に吠えられたり、地下賭場の支配人に子供の小遣いみたいな所持金で賭場に来るなと怒られたりした。
「ただいま、アンナ。言われた通り街を巡回してきたよ」
日が沈みかけたころに屋敷に戻った私は、アンナ領主代行助役に本日の業務内容を報告した。
アンナはにこにこと嬉しそうだ。
「ありがとうございます、エヴァン様。みんな喜んだと思います」
そんなアンナの指先はインクで少し汚れていた。私が街に出歩いている間、彼女はずっと書類仕事をしていたのだろう。
「すまないな、アンナには世話になってばかりだ」
「エヴァン様……」
感謝の気持ちからアンナの手を握ろうかと思ったその時、
「エヴァン様、お帰りですね? 報告がございます」
執事長ロベルトが執務室に現れたのだった。




