3.湖のほとりで
翌朝グレン村を出発し、ヴェスパ湖に向う。
執事や警備隊員が同行を申し出たが、一人で行くことにした。
当然、私の専属執事であるマルスは反対し、強行についてこようとしたが留守番を申し付けた。
せっかく一人で出掛けられるチャンスだというのに、邪魔が入ってはかなわない。尾行されないように気をつけないとな、あいつ尾行上手いし。
「どこまで行くつもりなんですか? 道は分かりますか? 暗くなる前に帰ってこれます?」
「うるさい。いつまでも子供扱いするんじゃない。」
「子供の方が素直で扱いやすいですよ。無駄に行動力と権力のあるエヴァン様の方が始末が悪いです」
「いつも思うが、お前はもう少し言葉を選べ。一応、主君だぞ」
そう言うと、短髪に切れ長の目をした容姿端麗の執事はフッと軽く鼻で笑った。そして田舎の村には似つかわしくない執事服の襟を正す。
「正確ではありませんね。私がお仕えしておりますのはマルシェル子爵様。つまりエヴァン様のお父上です。エヴァン様のお世話と監視が私の仕事です」
監視と言い切ったな、この専属執事。
とはいえ、最終的に私の決めたことに従うところをみると、それなりに信用はされているのだろうか。職を失いたくないだけとかじゃないよな?
「何度も言いますが、エヴァン様はこのマルシェル子爵領の跡継ぎなのです。もう二十歳になられるのですから、もう少し自覚を持っていただかないと……」
「マルスは最近そればかり言うな」
「そりゃもう、エヴァン様に何かあったら私は職を追われますのでね」
「やっぱり自分の事しか考えてないじゃないか……」
私の身に何かあったら職を失う前に責任を問われそうだがな。ただマルスはその前に我が子爵家の追手から逃げ切るだろう。こいつはそういう奴だ。
「とりあえずどこに行くかだけは教えてください」
「後をつけないなら教えてやる」
「うーん、一時間遅れで私が追うという事でどうですか?」
「食い下がるな。三時間なら許してやる」
「では間を取って二時間ということで」
「分かった、それでいい。行先はヴェスパ湖だ」
「承知致しました。それでは気を付けて行ってらっしゃいませ」
あっさりと私を送り出すマルス。まあ二時間あればさすがに湖に着くまでは追いついてこれないだろう。
ヴェスパ湖に何が待っているかは分からないが、神託で呼ばれたからには理由があるのだろう。一人で行くことにこだわったのは、湖に何があるかわからない以上、あまり他の人間を巻き込みたくないというところが大きい。
もっとも、神殿の建設予定地を下見しておけってことだけかもしれないが。まあ何もないならちょっとした休暇だと思うことにしよう。
念のため、二日分の携帯食料を馬の鞍嚢に放り込んだ。武装はしていない。いつも身につけている短剣のみだ。ろくに使いこなせもしないが。
マルシェル領に盗賊は滅多に出ないし、モンスターも定期的に間引きされているので人の活動領域に現れることは稀だ。
万が一遭遇したら全力で逃げる。馬より足が速いモンスターなんてそうはいないからな。
馬でトコトコと移動すること約四時間。街道から外れてさほど険しくもない山道に入り、目指すヴェスパ湖に到着した。途中で盗賊と遭遇することもなく、天気も快晴で実に気持ちが良い。供の者がいないという解放感が何より良い。
道中、畑仕事をしている農夫達に声をかけようかと思ったが、執事のマルスが追ってくることを思い出してやめた。領民と話すのは帰り道でもできるしな。
「で、着いたはいいが、これはどうしたものか」
山道を抜けて湖が見えた時、まず目に入ったのは建造物だった。
小さいが石造りの建物。
入り口にはこの国の国教であるアルテス神教の印が掲げられている。
そして白壁とはいかないが、できるだけ白っぽい石を選んで使ったのであろう外装。
「これはどう見ても神殿だよな…」
少女天使のリアが『神殿を建てろ』といったから現場に来てみれば、既に神殿らしきものがあった。
なんだこれは。どういう詐欺だ? とりあえず調べてみるしかないか。
とりあえず神殿らしきものに近づく。
あー、すぐそこのヴェスパ湖が陽光に照らされて実に美しい。水が透明すぎて魚がほとんどいない湖として知られるヴェスパ湖だが、見る分には最高だな。泳ぐのも良いかもしれない。いやいや、遊びに来たわけじゃないんだった。
「すまない、誰かいないか?」
入り口の扉の前で声をかけてみるが誰も応答しない。そもそも人の気配がまるでないんだよなぁ。
仕方ない。中に入ってみるか。扉は開くようだし。
ギギッと音を立てる扉を開けてみると、中はおそろしく殺風景な部屋だった。祭壇があるでもなく、椅子や机があるわけでもない。これでは礼拝どころか、集会の一つもできまい。
山の中の建物にしては珍しく窓にガラスが嵌っているが、それ以外は本当に何もない。ただ、奥に扉があるところをみるともう一部屋あるようだな。
そして、その扉に近づいたとき、
ガタンッ
扉の奥で物音がした。
誰かいるのか?
さっきまでなかった何かの気配がする。短剣の束に手をやり様子をうかがう。そして、中でガサガサと音がしたかと思うと扉がゆっくりと開いた。
「はぁい、礼拝の方ですかぁ?」
寝ぼけたような声をした、一人の男が現れた。
「礼拝ではないが旅の者だ。あなたはここの司祭か?」
灰色で立襟とは、あまり見かけない型の祭服だな。都の神殿で見た装飾過多のローブよりは好感が持てるが。
男は痩身でやたら白い肌をしていた。身長は私と同じくらいか。
顔は整っているようだが、すごく眠そうな顔をしている。実際、寝起きなのかも知れない。
「司祭というほど立派ではないですねぇ。修行中の神官だと思ってくだされば結構です」
なにかうさん臭いな。もしかしてアルテス神教から正式な位をもらっていないんじゃなかろうか? 世間にはそういう浮浪者と変わらないモグリの僧がいると聞くしな。そしてアルテス神の名のもとに金銭等を他人にたかるらしい。
しかし、目の前の自称神官は小奇麗な服装をしていたし、なんというか他人を食い物にしようとする覇気を感じなかった。第一印象はやる気なしダメ美男子だ。
「そうか。私の名はエヴァンという。あなたは?」
「申し遅れました。セルファスと申します。そうですか、エヴァン様ですか…。エヴァン、エヴァン…」
セルファスと名乗った男は相変わらず眠そうにしながら、なぜか私の名を繰り返した。
そして、半分閉じたような目をまっすぐこちらに向けて言った。
「アルバーナ神帝国、アラニア・マルシェル子爵の御長男のエヴァン・マルシェル様で間違いないですか?」
「! 何者だ?」
手を放していた短剣の束を握りなおして問いただす。
私がここに来ることを知らなければ、エヴァンなんてありふれた名前だけを聞いて私の身分を見破るのは不可能だ。
何らかの方法で私の行先を知り先回りしたか。
だとすれば十中八九、間者か刺客。
「いや、だから神官のセルファスというものです」
「本物の神官か? 証明するものは? いや、その前になぜ私を知っている?」
間合いをとり、さらにセルファスに質問を浴びせる。武器らしいものは持っていないが油断はできない。魔法を使うかもしれないし、下手をすると床が抜ける落とし穴があるかもしれない。
靴底で床板を踏みつけて強度を確認しながら、セルファスの返答を待つ。
だがこちらの緊張感に対してセルファスは頭をポリポリと掻いて言った。
「そりゃあ知ってますとも、だって神託を受けて来たんでしょう?」
神託の事を知っているだと? だとしたらこいつは……。と、普通は戸惑うところだろうが、そうはいかない。私を舐めるなよ。
「それだけでは信用できんな。なにせ私が神託の夢の話をした者は、家臣や使用人、知人友人を含めれば五十人を超えている」
「どんだけおしゃべりなんですか、あなた…」
正体も身分も不明な怪しい男に呆れられてしまった。不愉快な。
「あー、じゃあまず敵ではないことを証明します」
「証明? どうやって?」
「簡単です。共通の知人がいますからね」
「共通の知人だと?」
この眠たげな不審者と私に共通の知り合いがいるのか? 誰だ? 裏路地酒場のイーサンか? 冒険者ギルドの鑑定係のグレッグ? それとも地下賭場支配人のヴィンスか?
まずいな、どいつもこいつも怪しい。
「天使を名乗る黒髪の娘で、名前はリア。これでどうです?」
「ああ…、そうか、なるほどな」
どうやら私が湖まで来た理由、それがこの男のようだ。