26.由緒正しく、誇り高く
マルスが朝食の準備を整えた頃、レイチェル姉上が目を覚ました。
ドラゴンの背の上であくびをしながら大きく伸びをする姿は、さながらモンスターの女王という風格すら漂わせていた。
ドラゴンが姉上を相手に縮こまっていただけかもしれないが。
「おはようございます、お嬢様。遊び疲れていませんか? 朝食を用意いたしましたので召し上がってください」
マルスが、今日も乱れ一つない執事服を身にまとい、レイチェル姉上に朝の挨拶をする。
姉上は何かもごもご言いながら、マットの上に用意された朝食に向かってふらふらと歩く。
早朝にマルスがドラゴンのねぐらにいなかったのは、やはり朝食の食材を探しに行っていたからだった。
結果は上々だったようで、果物に山菜、野鳥の卵まで見つけてきたようだ。おかげで野営の食事にも関わらず、オムレツにフルーツサラダという豪華メニューになっている。普通の食堂でもこんな朝食はなかなか食べられない。
「おいしー、まるす、ありがとー」
寝ぼけて幼児化している姉上。
そして、
「冒険者として、こんな野営に慣れてはだめなんすけど……」
などと言いながら、しっかり食べているリッツ。
彼にしてみてもマルスの食事は常識の範疇を越えているらしい。気を確かに持って欲しいと思う。
「良かったな、マルス。お前の料理はベテラン冒険者をも唸らせるものらしいぞ」
「ここは料理がしやすいですからね。水場もありますし、峡道の外には実りも多い。それに薪が無くても火が使えますし」
「私が先にやって見せたとはいえ、よくドラゴンのブレスで料理する気になるな」
私はドラゴンが従順であることを証明するために薬缶で湯沸かしをさせたが、マルスは完全に調理器具としてドラゴンを使っていた。
豪胆というか、常識外れというか、怪物に対する畏怖というものをマルスは持ち合わせていないようだ。
「伝説の幻獣を手懐けたエヴァン様の手腕を信じておりますので」
「手腕、か。魔道具の効果だけどな」
「はい、心得ております」
恭しく礼をするマルス。
私が強力な魔法を使えることを知っているのは、魔法の師匠とマルスだけだ。師匠は行方不明なので、実質はマルス一人だけという事になる。
レイチェル姉上はもちろん、父上やアンナも知らない。
知られると色々と不都合が出てしまうからな。
今までマルスが助けてくれたおかげで、秘密が保たれていると言ってもいい。
口うるさいのと金にこだわるところを除けば、実に頼れる奴だ。
「ところでマルス」
「なんでしょう?」
「さすがに野営続きでズボンに皺ひとつ無いのは不自然だと思うんだが、どうやって身支度しているんだ?」
「ああ、それでしたら、あれを」
マルスは寝そべるドラゴンの横に置かれたナイフを指差した。
「ナイフを熱してアイロン代わりにしております」
「アイロン……。熱源は?」
「火加減が得意なドラゴン殿に協力していただきました」
私の知らないところで、アイロン代わりにまでされていたドラゴン。
マルスが図々しいのか、ドラゴンの聞き分けがいいのか。意外と仲よくやれるものなのかも知れないな。
目的であった魔石は手に入った。
もはやこのゴルド山地には用が無いので、マルシェル子爵領に帰ることになる。
出発の準備を整える我々をドラゴンが見守っていた。
「姉上の相手どころか、うちの執事がアイロンにまで使って悪かったな」
私が声をかけると、ドラゴンがぷふぅと鼻から白い煙を少し吹き出した。
『いえいえ、お安い御用です。それでは道中お気をつけて……』
やっぱり少し老けたような気がする。性格まで変わってしまったのではないだろうか。
あ、そうだ、この後のことを教えておいてやらないとな。
「ところで、言い忘れていたんだが」
『なんですか……?』
「お前、このままだと狩られるぞ」
『はい?』
私の言ったことが理解できない様子のドラゴン。
とりあえず、このドラゴンが置かれている状況を教えてやるとするか。
「まず、お前がここに、つまりゴルド山地の奥にいることは、ギルドの連絡網で帝国中の冒険者が知るところになる。もちろん帝国政府や各地の貴族達にもすぐに伝わるだろう。
今のところドラゴンらしきモンスターがいるらしい、という確度の情報だが、それは状況を変える要因にはならない。
すぐに皇帝や貴族たちがドラゴンの調査と討伐の特別依頼を冒険者ギルドに出す。場合によっては軍が動くかもしれん。
すると帝国中の名うての冒険者たちがこの山を目指してやってくるぞ。それこそレイチェル姉上のような規格外の戦士が大勢な。それに腕利きの魔法使いたちが、数に物を言わせて多重結界とかを使ってくるだろうな。飛んで逃げる事もできなくなる」
『その結界とか、自分に破れませんかね?』
「難しいと思うぞ。大火力のブレスを連発できるなら可能性はあるかもしれないが、お前が火竜だと分かれば対極の属性で結界を張られるだろうしな」
ドラゴンががっくりと首を垂れる。
『やっと自由になれたと思ったのに……』
なにかこのドラゴンにも事情があるのかもしれない。モンスターとは思えないほど社会性があるしな。
脅かすだけではかわいそうなので、助け舟を出してやるか。
「避難するなら匿ってやってもいいぞ」
『え!? 本当に?』
「ああ、これでも貴族だからな、領地もそれなりにあるぞ」
実際、子爵家としては割と広い領地を有するのが我がマルシェル家だ。アルバーナ神帝国の建国時から四百年続く由緒正しい家系。もっとも、四百年前からずっと子爵らしいから、無駄に古いだけの家というのが社交界からの評価だ。色々といいところはあると思うんだがな。
「ここから東に飛んで海の近くまで行けば、山に囲まれた湖がある。湖畔に小さな建物が建ってるから、その対岸辺りを住処にするといい」
もちろん湖とはヴェスパ湖で、小さな建物とはセルファスの小屋、もとい仮設の神殿だ。
『そこなら人間は来ないんですかね?』
「絶対に来ないとは言えんが、少なくとも冒険者が来るようなところじゃない。食い物は海に行って獲ってもらうしかないかもしれんが」
『いや、食べ物はあんまり必要ないんで……』
「じゃあ問題ないな」
頻繁に獲物を狩らねばならないとか、海の生物は食べられないとかだったら窮したかもしれないが、驚いたことにドラゴンはあまり食事が必要ないらしい。ワイバーンは家畜を襲って被害を出すと文献に載っていたが、ドラゴンはもっと、いやかなり魔法生物に近いのかもしれないな。
『あのぅ、匿ってもらえるのは嬉しいんですけど、自分は何をすればいいんでしょうか?』
「ん? 何のことを言っている?」
ドラゴンが意味がよく分からない事を言い出した。
なんだ? なにか仕事をする気なのか?
『いや、前に里のジジイやババアが、人間はモンスターを捕まえて戦争の道具にするとか言ってたんで』
モンスターを使役して軍事利用か? あまり聞いたことが無いな。物好きがペットにするとかは聞いたことあるが。
いずれにせよ、ドラゴンに要求するようなことは無いな。
「別に何もしなくていいぞ」
『え、何も無し!?』
「なんだ、暴れたかったのか? 悪いが我が領は平和でな」
仮に紛争があってもドラゴンを参加させたりはしないがな。そんなことをしたら帝室や大貴族たちを敵に回してしまう。過剰な戦力は戦乱を招くものだ。私自身もそうだがな。
『いえいえ、自分はのんびりと暮らしたいだけなんで。でも、それならなんで助けてくれるんです?』
どうやら人間が信用できない、というか人間の悪評を聞いたことがあるようだな。人とドラゴンの歴史もいろいろとあったのだろうか。
「なんでって、放っておくと狩られてしまうだろ」
「エヴァンは優しいのよ!」
荷物をまとめ終えたレイチェル姉上が会話に割って入ってくる。
「ねえ、エヴァン。この子はうちの子になるのよね?」
姉上にとっては、ドラゴンも犬猫も同じような扱いになるらしい。
「別にうちで飼おうというわけではありませんが、まあ領内で生活してもらうことになりますね」
『あ、はい、お世話になります』
ドラゴンが姉上にペコペコしているのがすごく不思議だ。戦えばドラゴンの方が強いだろうに、なんというか生物としての存在感というか、圧力の差だろうか。
「だったら名前を付けてあげないとね!」
『え!?』
やはりペットにする感覚だったか。とはいえ、ドラゴンの住処にしようとしてるのは、領都マリクリアから少し離れたヴェスパ湖だ。愛称くらいつけてやっても別に困らないだろう。ずっとドラゴンと呼ぶのもなんだしな。
「姉上のお好きに決めてくだされば」
「可愛いのがいいわよね。何にしようかなー」
ドラゴンの見た目は赤い鱗なども相まって、まさに暴力の化身のような印象を与えるのだが、レイチェル姉上には可愛い生き物に見えているらしい。
もう姉上の気が済むようにしてくれればいいや。下手に反対して機嫌を損ねる方が下策と言うものだろう。
『いやいや、ちょっと待ってください。ドラゴンの名前ってのは……』
ドラゴンがなにか言いかけたその時、
「じゃあ、タマにするわ!」
「良かったな、今日からお前はタマだ」
姉上がとてもかわいらしい名前に決定した。どうでもいいですが、それ猫の名前ですよね、姉上。
『ぎゃあああ、やめてぇ! 真名がぁああ!』
ん? ドラゴンがなにか念話で叫んでるな。真名ってなんだ? タマという愛称を付けただけなんだが。
「気に入った? 気に入ってくれたわね! タマ!」
残念ながら、ドラゴン改めタマの念話の叫びはレイチェル姉上には正しく伝わらなかったようだ。とてもうれしそうにタマの首の付け根辺りを撫でている。
良かったですね、姉上。新しい遊び相手はとても頑丈そうですよ。
「どういう会話してるのかはわかんないっすけど、すごく非常識な瞬間に立ち会ってしまったのは分かったっす……」
お前も気苦労が絶えないな、リッツ。




