23.ドラゴンズネスト
「いるな」
ゴルド山地に入って三日目。昼食を取ってからしばらく進んだ頃、切り立った崖に突き当たった。
マリクリア屋敷の屋根の上より高そうな崖だったが、一か所だけ人がすれ違うのがやっとという程度の峡道があった。さながら分厚い木の板に付けた刀痕の様だ。
例の魔力探知の杖を手に付近を探ってみると、この峡道の奥に巨大な魔力の反応があった。
というか、探知の魔法などなくても肌で凶暴な気配を感じる。目当てのモンスターはもう目と鼻の先という事だ。
昨日探知した時から何度か探っていたが、結局移動した形跡は無かった。本当にずっと眠っているのかもしれないな。ここが謎のモンスターのねぐらなんだろう。
今のところ、相変わらず動きはないが、さすがにこれ以上接近したら気付かれるのではないだろうか。
「どんなやつ? 強そう?」
レイチェル姉上は目を輝かせているが、ここは慎重にならなくてはいけない場面だ。
「姉上、まずは相手の正体を確かめるのが先決です。本当にドラゴンなのか、それとも別のモンスターなのか」
「エヴァン様、私が見て参ります。ここでお待ちを」
マルスが珍しく自分から名乗りを上げた。さすがに危険を感じたようだ。自分の荷物を置いて偵察に向かうマルスを私は黙って見送る。
姉上は「ドラゴンだったらいいなぁ」とか暢気な事を言っているが、私とリッツは押し黙ったままだ。特にリッツは、ここに来るまでの道中では努めて明るく振舞っていたが、実際はこの未知のモンスターに対してずっと恐怖を感じていたことだろう。よく文句も言わずに付き合ってくれていると思う。
私が心の中でリッツに謝罪していると、マルスが峡道の奥から戻ってきた。
「エヴァン様、戻りました」
「どうだった?」
私の問いに対し、マルスはきっぱりと答える。
「ドラゴンですね。四肢と翼を持った、おそらくは炎を操る個体です」
「自信のある物言いだな。まさかドラゴンを見たことがあるのか?」
「マリクリアを出発する前に、大学で少し文献を調べておきましたので。少なくともワイバーンではありません」
急ぎの旅支度だったのに、大学まで行って調べていたか。さすが抜け目の無いことだ。
「マルスさん、大きさはどんなもんっすか?」
リッツが答えを聞きたくなさそうに尋ねる。
「寝そべっていたので正確には分かりませんが、頭から尻尾までは二十メトルというところでしょうか」
「大型の火炎竜……。坊ちゃん、やめときませんか?」
リッツが退却を提案するが、ここまで来て何もせずに帰るわけには行かない。
「エヴァン、早く行きましょうよ!」
「いやいや、街にサーカスが来たみたいに言われましても」
リッツとは反対に無謀無策の人もいる。
もしかして姉上の中では正面から戦って勝算があるのか?
「姉上、負ければ確実に死にますよ?」
「負ける気は無いわ!」
それはそうでしょうね。
「レイチェル様、正直なところドラゴン相手に勝てるっすか?」
「え、そんなの分かんないわよ」
「分かんないんすね……。嘘でも勝てるって言ってほしかったっす」
リッツはがっくりと肩を落とす。気持ちは分かるぞ、リッツ。
だが、我々は何もドラゴン退治に来たわけではない。
目的はあくまで魔石なのだ。
「とりあえず予定通りに行動だ。まずドラゴンが眠っている間に、体表に魔石が露出していないか確認する」
大きな魔石を持ってる魔物は、体表に魔石が露出している事がある。一説にはマナを外から取り込む為らしいが、詳しい事は知らない。
「あ、エヴァン様、それは無理です」
しかし、マルスから制止がかかった。
「無理? 何故だ?」
「ドラゴンは眠っていませんので」
はい? あ、いや、確かにマルスはドラゴンが眠ってるとは言ってなかったな。
「そうなのか。起きているドラゴンに接近してよく気付かれなかったな」
「いえ、気付かれましたよ」
は? 気付かれた? 何言ってんだこの専属執事。
「可能な限り気配消して、抜かりなく偵察したつもりなんですが、見事に目が合いました。いやはや、生きた心地がしなかったですね」
「お前、それは最初に言えよ」
のんびり話してる間に襲われたらどうするつもりだったんだ。
「なんと言いますか、向こうから襲ってくる気配を感じなかったんですよね。襲う気なら私は今死んでます」
ふふふ、と笑うマルスだが、リッツはすでに顔面蒼白だ。強大なモンスターというものの脅威を一番よく知っている男だからな。
こんなところに連れてきて本当に申し訳ない。
心の中でリッツへの謝罪を済ませると、マルスに尋ねる。
「ドラゴンが見逃してくれたってことか? つまり知性がある?」
「私にはそう見えましたね。人間を小馬鹿にしてるというような感じを受けました」
「相手にとって不足はないわね!」
「落ち着いてください姉上。言ってる意味が分かりません」
今にも突撃しそうなレイチェル姉上をなだめながら、私は一つ決断した。
「交渉してみよう」
「え、交渉? ドラゴンと話し合いっすか?」
リッツは驚いて声を上げる。それはまあそうだろうな。普通に聞いたらただの自殺宣言だ。
しかし、私には策がある。
「実は以前に手に入れた魔道具を持ってきている。それはモンスターを手懐けることができるとても希少なものだ」
自信満々で宣言すると、案の定、リッツからの疑惑の眼差しを受けた。
明らかに信じられないという顔をしてる。
「坊ちゃん、それはさすがに偽物かと思うっすよ。試したことあるんすか?」
「牙ウサギには効いた」
リッツの疑惑の眼差しはますます強くなった。なんだ、牙ウサギでは不満か?
「まあ危なくなったら逃げるさ。いきなり熱ブレスでもしてこない限り簡単には死なんよ」
「その時は私が逃がしてあげるわよ」
姉上がえへんと胸を張る。いや、ブレスを食らったらさすがに姉上でも無事では済まないですよ。
「姉上、ここは敵意がないことを伝えるために私一人で行きます。魔導具を扱えるのも私だけですし、交渉に適しているのも私でしょう」
姉上はむむむ、と考え込む仕草をする。私を一人で行かせるのは反対なのだろうが、上手い反論が思いつかないのだろう。
なんだかんだと我儘放題に見える姉上だが、いや実際我儘放題なんだが、ここぞという時、特に私が反論を許さない態度に出た時は、割と素直に言うことを聞いてくれる。内心はどうか分からないが。
「すいません姉上、その魔導具は人間にも悪影響を与えかねないものなのです」
「うー……、分かったわ。危ないと思ったらすぐに逃げてきなさい。死んだらダメよ」
「はい、姉上。大丈夫、全力で逃げてきますから」
素直な弟としてはこういう返事を返しておくべきだな。
「では行ってきます。マルス途中までで構わん、案内してくれ」
「心得ました」
マルスが先頭に立って峡道を歩き始める。
リッツが後ろから声をかけてくる。
「坊ちゃん、ドラゴンには風下から近づくんすよ」
風下も何ももう気付かれているというのに。
動揺しているのであろうリッツに苦笑しつつ、私は片手を上げて応えた。
すでに二刀を抜いて臨戦態勢に入っているリッツを茶化す気にはなれなかった。
くだらないやり取りも多かったが、この旅の本質はまごうことなく命がけなのだ。道中のモンスターこそ大した障害にならなかったが、この先に待ち構えるドラゴンは文字通り格が違う。リッツは今、とにかく逃げ切る事を全力で考えているのだろう。もちろん四人全員で、だ。
「エヴァン様、ところどころ切り立っておりますので、足元に御注意を」
「分かった」
マルスが実にまともな事を言っている。こういう時は何か他に言いたい事がある場合が多い。
「何か言いたいことがあるんだろう?」
面倒なのでこっちから聞いてやることにする。
するとマルスは、いえ些末なことですが、と前置きして話し始めた。
「モンスターを手懐ける魔導具とは、よくそんな希少なものをお持ちだな、と思いまして」
まあそう思うよな。だがこれに対する返答は簡単だ。
「そんな都合のいい物があるわけ無いだろう」
「ふふ、そうだと思いました」
私の答えが予想通りで満足したのかマルスは小さく笑う。そんなマルスに、厳しい口調で意志を伝える。
「マルス、命令だ。私が戻るまで、姉上とリッツをドラゴンのねぐらに近付けるな」
「はい、心得ております。それでは、ドラゴンはこの先すぐのところでございますので、失礼します」
そういうとマルスは一礼し、来た道を引き返して行った。
さあ、ここからは一人だ。やるだけやってみようか。
マルスの言った通り、そこから少し歩くと峡道を抜けた。
そこは岩壁に四方を囲まれた広場になっていた。広さはマルシェル家の二つある練兵場のうち、小さい方と同じくらいか。小さい方と言っても五十人からの兵士が一度に訓練できる広さはあるが。
空は曇天だ。そのせいか広場は薄暗く感じた。
そして、その生物は広場の中心にいた。
「なるほど、ドラゴンだな……」
そう、書物でしか存在を知らない幻のモンスター、ドラゴンだ。
光沢のある赤い鱗、折りたたまれた大きな翼、太く頑丈そうで大きな爪がある四肢、流麗ともいえる長い尾、凶悪な牙と顎、爛々とした眼。
絵物語に描かれていた姿そのままだ。寝そべった姿も美しいとさえ言える。
しかし、人間を丸呑みにできてしまいそうな程の巨大な体躯は、まさに恐怖の象徴でしかない。
本当にこの怪物に知性があるのか?
いや、マルスの直感を信じよう。少なくともあいつは襲われなかったんだ。少なくとも、いきなりブレスは勘弁してほしい。
ドラゴンはこちらを一瞥したかと思うと、ぶふぅと鼻息を吹き出し、首を持ち上げた。それだけで私の身長の二倍くらいの高さはありそうだ。
『人間か。先程とは違うものだな』
正直驚いた。人語を解するだけではなく、念話を飛ばしてくるとは。つまりドラゴンの声帯で発せられた言葉は人間には聞き取れないことを理解しているという事だな。知性は高いとみて間違いないだろう。
「ドラゴンよ、私の話を聞く気はあるか?」
私は普通に話しかけた。するとドラゴンが嘲笑するかのように念話を返す。
『一匹で我の前に現れたかと思えば、話だと? お前にできることはせいぜい我に命を捧げる事だけだろう』
腹ばいの姿勢だったドラゴンが、四本の足で立ちあがった。そして私の方に向かって一歩踏み出した。
それだけでずいぶんと距離が縮まる。私とドラゴンの距離はもう十歩もない。
問答無用で襲い掛かってくるような様子はないが、とにかく人間を見下しているようだ。おもちゃが自分からやって来た、という感覚だろうか。あとは壊れるまで適当に遊んで終わり、か。
「生贄になりに来た覚えはない。お前を服従させに来た」
そう宣言する私にドラゴンは、ぶふっと息を吐いた。失笑という感じだ。
『ふははは、ちっぽけな人間が何を言うかと思えば、我を屈服させるだと?』
グォオオと唸り声を上げるドラゴン。
『面白い、どうやって我を屈服させる? 古代の魔剣でも持ってきたのか? その小汚い短剣がそうか? それともお前の持っているそのみすぼらしい杖が魔道具か? なんでも試してみるがいい。次の瞬間には貴様を一呑みにしてやろう』
ドラゴンは愉快そうに喋る。
対して私は努めて冷静に話す。
「ああ、この短剣は普通の短剣だ。怪しい神官に魔法はかけられたがな。そして、この杖は……」
ドラゴンが言っている杖とは、ここに辿り着くために使った魔力探知の杖のことだ。
私は杖を右手に持ってドラゴンに向け、魔力を集中させた。
杖は私の手の中で一瞬にして燃え上がり灰になった。
「ただの木の杖だ」
『ほう? 正面から我と戦おうというのか?』
私の行動が予想外だったのか、ドラゴンが訝し気な声を発した。
「そうだな……」
大きく息を吸って呼吸を整え、私はドラゴンを見据えた。
「お前に戦う気が起こればな!」
そう言い放った瞬間、私は久しぶりに本気で魔力を練り上げたのだった。
更新ペースが遅くて申し訳ないと思ってはいます。




