22.遥かなるというほどでもない山の呼び声
マルスは獲れたての野鳥を鮮やかに調理して見事なスープを作った。
食後に進んで夜の見張りに立とうとするリッツと、公平に順番を決めるべき、と珍しくまともなことを言うレイチェル姉上。
そして、焚き火が消えそうになったら、魔法を使ってでも火を絶やさないようにする役目を与えられた私。
なんだか、火おこしの魔道具のような扱いを受けている気がするが、見張りに出てもあまり役には立たないし、仕方がないか。
ときどき焚き火の面倒を見ながら、交代の時間になってもスヤスヤと、いや、ぐーすかと眠る姉上を眺め、毛布にくるまりながらも武器を手放さないリッツに感心し、見張りをしているはずなのに熱心に何かを研いでいるマルスに呆れた。
私が神託を受けて、私が勝手に皆を巻き込んだにもかかわらず、文句の一つも言わずにこんな山奥まで付き合ってくれていることに感謝しなければならないな。例え皆になにか思惑があったとしても、現にこうして協力してくれていることは事実だ。
この場にはいないが、アンナやグラントにも感謝だ。それに息子の荒唐無稽な話を丸ごと信じてくれた父上にも。
あ、火が消えそう。
薪が残り少ないので、とりあえず魔法で燃焼を持続させることにする。眠いし面倒くさいので詠唱は無しだ。
私は魔力を集中し、火炎の魔法を発動させた。そして与えたマナを少しずつ消費しながら燃焼し続けるよう術式を組み込む。普通は術式を紙に書いたり、金属板に彫り込んだりするものなのだが、面倒なので魔法そのものに式を組み込む。
マナを纏わせた二本の指で空中に金色の文様を描き、それを火炎の魔法に付与した。
よし、これで朝までは火は消えないだろう。
ただでさえ野営は不慣れだからな、寝られるだけ寝ておこう。
夜が明けて朝。
最後の見張りに立っていたレイチェル姉上が洞穴に戻ってきた。
「交代の時に起こしてくれたらよかったのに!」
どうやら夜中、レイチェル姉上は自分の見張りの順番が来た時に誰も起こしてくれなかったことに怒っているようだった。どうやら夜番というものをやってみたかったらしい。
「まあまあ、早起きして明け方の番をしたんだから、良いじゃないですか」
「何言ってるのエヴァン、夜にやるから夜番っていうのよ」
「そんなの領兵団の演習でやってるでしょう?」
「分かってないわね、演習と冒険は違うのよ」
どっちも夜の見張りという意味では同じだと思うのだが、本人にとっては大違いらしい。
「レイチェル様、見張りお疲れさまでした。お茶はいかがですか?」
マルスが小さな薬缶で湯を沸かそうとしている。あ、焚き火に魔法の炎を置いてたのを忘れていた。後で消しておかないとな。
「坊ちゃん、例の杖はどうっすか?」
リッツの言うところの例の杖。昨日は使わなかったから忘れてたな。
「大きな魔力を持つ者、探知できるか……?」
杖に魔力を注ぎ、ゴルド山地の奥に向かって薄い膜を張るように魔力を伸ばしていく。
ところどころに大きめの反応を感じるが、これがドラゴンかと問われると、違うだろうな。
「駄目だな、それらしい反応がない。もっと奥に進む必要がありそうだ」
「そうっすか、やっぱりそう簡単には行かないっすね」
分かってましたと言わんばかりの反応だが、そもそもドラゴンがいた場合どんな風に感知できるかが分からない。
伝説の幻獣なのだから強烈な魔力の持ち主であってほしいものだが、それはつまり、我々が目的を果たす事がより難しくなるという事だ。
しかし、強力なドラゴンでなければ一等級魔石など望むべくもない。ままならないものだ。
一夜を過ごした洞穴を出て、さらにゴルド山地の奥地を目指して進む。
山道は奥に進むにつれてより狭く、また足元はおぼつかなくなっていく。
昨日は使わずに済んだが、今日はブーツにベルト固定式のスパイクを取り付けている。ギルセアに到着した晩に道具屋で購入したものだ。これが無いと岩場や苔が生えているところでは靴が滑って危ないのだ。
「マルスさんはスパイクつけなくていいんすか? というか、山で革靴なんてさすがに舐めすぎっすよ」
マルスがこの期に及んで革靴で歩いていることが信じられないリッツ。ちなみに着ている物はもちろん執事服なので、山中ではあり得ない格好だ。
「御心配なく。ギルセアの道具屋で靴底に鋲を打ってもらいましたので」
マルスは片足を上げて革靴の裏に短めの鋲が取り付けられているところを見せた。
聞けば予備の革靴に細工をしてもらったらしい。
「その細工を一晩でやってもらったのか」
「はい、執事たるものやはり革靴でないと格好がつかないので」
革靴に拘る本当の理由は、見た目の問題ではなく、ベルト式スパイクを着けると靴に仕込んだ武器が使えなくなるからだというのは私にはわかっていたが、あえて指摘しない。
「お前の靴に細工するのではかなり高い料金を取られたんじゃないか?」
「ええ、急ぎの割増しも含めて小金貨一枚とられてしまいました」
ベルト式スパイクの十倍もの金額を費やしてまで自分の靴にこだわったのか。普段の守銭奴ぶりからは信じられん金の使い方をするな。
「手持ちの道具ではできない細工だったので仕方ありませんね。しかしさすがは鍛冶の街。見たことのない工具もありましたので、帰りにいくつか買って帰ろうかと思います」
「大金使って革靴に鋲っすか……。実利主義の冒険者には理解できないっすね」
リッツが呆れたように言うが安心してほしい、私にもマルスが何を考えているかいまいち分からない。
手製の道具や武器を作るのが趣味なのは前から知っているが、たまに目的の分からんものを作るしな。しかも、毎回作ったものを私に見せて感想を聞こうとするから面倒くさい。手首から飛び出すナイフなぞ嬉しそうに見せられても困る。
「リッツ、実利主義ってなに?」
「まあ自分の得にならない事はしないって感じっすね」
「冒険者はその実利主義というのにならないといけないの? 私はちゃんとなれてる?」
貴族令嬢という恵まれた地位があるにもかかわらず、わざわざ冒険者のまねごとをしているレイチェル姉上の生き方は実利の対極にあるような気がする。いや、やりたいことを素直にやってるという意味では実利に則っているのか?
「レイチェル様は、なんというか、そのままでいいと思うっす」
「合格という事ではないですか、姉上」
リッツが言葉を濁したので私が助けに回った。分かりやすい回答に機嫌がよくなるレイチェル姉上。
「そう? やっぱり私は冒険者になるべき人間なのね」
「何がそんなにうれしいんだろう……」
冒険者志向がどんどん強くなっているような気がするレイチェル姉上。まさかいきなり子爵家から出奔したりしないよな? 一応帰ったら執事長のロベルトに言っておくか。
そして、昼食をとるために小休止後、少し歩いた頃にその時は来た。
「大きな魔力の反応があるぞ」
例の杖を手に魔力の探知をしていたところ、これまでにない魔力の塊を発見した。
今まで感知した魔力の塊とは比にならない。
「なになに? やっぱりドラゴンいるの?」
姉上は今にも飛び跳ねそうな喜びようだ。
「ドラゴンかどうかは分かりませんが、桁違いの魔力を持った奴がいますね。このまま進めば明日には会えるかと思いますよ」
「やった。ここまで来た甲斐があったわね」
探知できた距離や高度から考えて、正面に見えている尾根の向こう側というところか。
動きが無いところを見ると、休んでいるのか眠っているのか。できればこのままおとなしくしていてほしいものだ。
「それでは、今日はまだ野営が必要という事ですね。そろそろ食材を探さねばなりません」
「昨日の鳥は美味しかったわね。マルスの料理は野営で作ってもすごいわね」
「お褒めに預かり恐縮です」
野生動物の料理を美味しいと平らげる姉上も、その野生動物をいとも簡単に料理して見せるマルスも、どちらも冒険者としてやっていけそうな気がする。
生まれ育ちが貴族だから、平民だからと言って、適性を無視して生き方を決めるのは良くないのかもしれない。かといって、生き方を選べないのが現実なのだが。
「人間は不自由なものだな」
「なぁに、急にどうしたのエヴァン? なにか悩みでもあるの?」
「そう言われますと、そもそもこんなところにいること自体が問題なのですがね」
「エヴァン様は意外と真面目ですから」
「意外とはなんだ」
姉弟と執事で平和な会話をしているところに、リッツが割り込んできた。
「のんびり話してるところ申し訳ないんすけど!」
「ああ、ちょうど魔力の反応があってな」
「こっちも大変なんで手伝ってもらえないっすかね!?」
リッツは巨大な熊と戦っていた。人間で言うと十人分くらいの体重がありそうな黒い熊のモンスター、ドレッドグリズリーだ。
お、立ち上がったぞ。人間の二倍くらいの身長がありそうだ。さすがに大きいな。
「さすが、恐怖の象徴ともいわれるドレッドグリズリー。大した威容だな」
「でも一頭だけで来ちゃ駄目よね」
「いやあ、良い勝負になってますね。リッツさん、さすがです」
「だから! 良い勝負ってなんすか!」
必死な声を上げている割には、サーベルとショートソードで確実にドレッドグリズリーにダメージを与えていくリッツ。前足を集中して攻撃している。ドレッドグリズリーは怒り狂って前足を振り下ろしたり噛みつこうとするが、リッツはひらひらとダンスでも踊っているかのように華麗に回避している。いや本人は必死なのかもしれないのだが、何か余裕があるように見えてしまう。
「リッツ、本当に助けが要るの?」
「自分一人だと長引くっすよ!」
「それは嫌ね。分かったわ」
言うや否や、姉上は長剣を抜き放ってドレッドグリズリーに向かって走り出した。おお、同時に身体強化の魔法も発動してるな。いつもながら鮮やかだ。
「さあ、どれほどかしら!」
ドレッドグリズリーは突進してきたレイチェル姉上に警戒心を向けたようだ。立ち姿勢から四足歩行に戻り、突っ込んでくる姉上に対し前足で渾身の一撃を放つ。的確に姉上の頭部を狙った攻撃は、しかし空しく宙を切り裂く。
姉上がドレッドグリズリーの側面に跳躍したのだ。そして、そこに壁でもあるかのように空中を蹴って軌道を変えると、左の後ろ足に長剣を斬りつける。
「グルォォオ!」
痛みから咆哮を上げる大熊。ドレッドグリズリーの左後ろ足の半分くらいまで長剣が食い込んだ。
「さすがに硬いわね!」
足を切断できなかったことを悔しがっているようだ。こんな大きな熊の足を一撃で切断できなかったからといって悔しがる冒険者はそうはいないと思うが。
「でも、痛いからって動くのをやめちゃうと……」
「いただきっす!」
痛みに耐えかねて大きくのけぞったドレッドグリズリーの喉に、リッツがサーベルを捨て、両手で握った広刃のショートソードの刺突を叩き込む。
短いとは言っても、リッツのショートソードの刃渡りは大人の肘から指先までくらいある。
リッツも身体強化で筋力が向上しているな。剣が喉元から鍔まで刺さっている。あれは完全に刃が脳まで達しているな。しかも剣先で抉るような動きをしている。
ドレッドグリズリーは何度か痙攣したかと思うと、力なく地面に倒れた。
「見事だったな、リッツ」
「いや、坊ちゃん、ひどいっすよ。ドレッドグリズリーなんて四等級冒険者でも三人で狩るのが普通っすよ」
「そうなのか? 一人でも勝てそうだったが」
「剣術の試合じゃないんすから、怪我せずに安全に仕留めるのが冒険者の鉄則っす」
一人で放置されたのがよほど腹が立ったのか、リッツは私に『冒険者の鉄則』を説き始めた。つまり、安全が最重要という話だな。
しかし、なんで私だけに説教するのだ。レイチェル姉上やマルスも同罪だと思うのだが。
その点をリッツに尋ねてみると、
「説教は聞いてくれる人にしないと意味無いっす」
というもっともな答えが返ってきた。
レイチェル姉上は、次こそはドレッドグリズリーの足を一刀両断すべく長剣の素振りをしているし、マルスに至っては、
「さすがにこれくらいの魔物になるとかなり肉が消えちゃいますか。あ、でもモモ肉で煮込みができそうですね……」
野営の食事の段取りに余念が無かった。
お前はゴルド山地に入ってから、ずっと食事のこと考えてるよな。




