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16.飲んでも飲まれなければいい

 ブラックウルフに襲撃されたが、レイチェル姉上が一蹴し、その死骸も私が灰にした。

 少しばかり時間をとられたが、ほぼ予定通り夕方、ノイルの閉門より少し前に到着することができた。

 ノイルはベリア伯爵領の中央部にあり、南へ領都のクイレン、西に鉱山都市ギルセアに続く街道の交差する位置にあり古くから流通を支えてきた町だ。厚みはないが高さは私の身長の二倍くらいある石壁で町全体が囲われている。

 旅人の往来も多く、町に入る手続きも簡単だ。我々であれば冒険者票を見せるだけでよかった。


「なじみの宿があるんで案内しまさぁ。貴族様が泊まるようなとこじゃねぇんですが」

「気にするな。私は野宿する覚悟もできているぞ」


 無理を言って先を急がせたのは私だからな。宿に泊まれるだけありがたいと思わねばな。


「お風呂とかまでいう気はないけど、お湯くらい使えるんでしょうね?」

「へぇ、金は要りますが使えたはずです」


 姉上はお湯が使えないと機嫌が悪くなるからな。ここは金を惜しむところではない。

 必要な費用は必要なものなのだ。

 と、そんなことを考えながら町中をゆっくりと進む馬車に揺られていた。

 ここは門に直結する大通りか。マリクリアほどじゃないが、なかなかにぎわっているじゃないか。もう日が沈むというのに、まだ串焼きや果物を売る露店が店を出している。もしかして夜もやっているのか? 明かりの魔道具を付けている店もちらほらあるな。


 「エヴァン様、この宿です」


 大通りに面した宿の前でタバルは馬車を停めた。

 三階建ての大きな宿だ。思ったより立派で少し驚いた。


「大店だな。普段こんな宿に泊まっているのか?」

「泊まるだけなら見かけより安いんでさ。それに馬小屋も広い。あっしらみたいな商売やってると、人より馬が大事でね」

「ここは自分も泊まったことがあるっす。きれいなとこだったすよ」


 タバルだけではなく、リッツもお墨付きか。安心してよさそうだな。

 そう思っていたのだが、


「二部屋しかない?」


 三部屋を希望したのだが、あいにく二部屋しか空いてないとのことだった。

 たまたま、昼間に大規模な隊商が到着したらしく、いつもより客が多いらしい。

 よくある事だとは思うが、私も運が無いな。


「どうしたの? 一部屋で三人は寝れるんでしょ? 問題ないじゃない」


 問題の張本人が言った。


「姉上はお一人で部屋を使っていただきたかったのです。ほら、湯浴みもすると言ってたでしょう?」

「あの、エヴァン様。あっしが別の宿に泊まりますんで……」

「まて、タバル。他に空いてる宿があるかも分からん。姉上、私と同室でかまいませんか?」

「姉弟でなに恥ずかしがってるの?」


 我が姉ながら本当に貴族とは思えないな。湯浴みさえできれば大部屋で雑魚寝でも文句言わなさそうだ。


「ではエヴァン様、今夜の護衛は必要ありませんね」

「お前と同室だと一晩中見張られそうだから、それよりはいいかもな」

「そこまでは致しません。え、待ってください、不寝番をすると特別にお手当が?」

「出ない。そもそも夜は寝るものだ」


 マルスは金の為なら徹夜くらい平気でやりそうだからな。釘は刺しておかないとな。

 結局、私とレイチェル姉上、そしてマルス、リッツ、タバルで部屋を分かれることになった。

 割と頑丈そうな鍵が付いた部屋に感心しながら、荷物を置いてすぐに宿の一階で夕食を摂った。

 昼間にろくな物を食べてないので、夕食は少し宿代に上乗せして、やや豪勢なメニューにしてもらった。もちろんタバルには約束通り酒を注文する。好きなだけ飲めと言ってやると、泣きそうなくらい喜んでいた。大げさな奴だ。


「おーい、こっちに一番高い酒を持ってきてくれ」

「遠慮無しか! さすがは我が領民だな」


 好きなだけ飲めと言った手前、注文を取り消すわけにもいかない。だが、葡萄酒が運ばれてきたときに値段を聞くとそこまで値の張る物ではなかった。タバルは値段知った上で頼んだんだな。


「それおいしそうね。私にも同じものちょうだい!」


 レイチェル姉上まで葡萄酒を注文したのでちょっと焦った。姉上が酒を飲むところはあまり見たことがないが、強くはなかったはずだ。

 飲みすぎないように見てないとな。


「エヴァアン、早くドラゴンに会わせなさぁい」


 強くないどころか、驚くほど弱かった。

 グラス一杯でこの有様だ。

 子爵家で飲んでた時はこんなに酔っぱらったことは無かった。いつも飲んでる酒は相当薄めたものだな。


「姉上、それくらいにして部屋に戻りましょう。マルス、先に戻るぞ」

「かしこまりました。お部屋に湯を運ばせましょう」

「お風呂ぉ?」

「さようです、お嬢様。支度してまいります」


 酔ってはいるが歩けないほどではないので、階段から落ちないように姉上の後ろからついて行った。

 すれ違う宿の客がことごとく振り返っているのが分かる。そりゃ、ぱっと見で平民らしくない女性が酔っぱらってたら驚くよな。黙っていれば驚くほど美人だしな、黙っていれば。

 なんとか部屋まで戻ってとりあえず姉上をベッドに寝かしていると、すぐに湯桶が運ばれてきた。直径が一メトルあるか無いかくらいの浅い桶だ。


「お風呂だ!」


 姉上が跳び起きて目を輝かせている。

 宿の者が手早く、木のすのこ、敷布、湯桶を置いて、湯桶に浅く湯を張る。つまり、この桶の中で湯を浴びるわけだ。

 旅先の風呂なんて、濡れた布で体を拭くくらいが普通だと思うが、女性はやはり湯がある方が良いのだろう。


「それでは湯浴みが終わりましたら、お呼びください」

「わかった、ありがとう。って姉上!」


 宿の者たちが部屋から出て行ったかと思うと、途端にレイチェル姉上が服を脱ぎ始めた。いや、すでに脱いでいた。

 宿の係が女性だったから良かったようなものだが、思い切りが良すぎて困る。


「姉上、せめて私が部屋から出てから脱いでくれませんか」

「おー、お湯がちゃんと熱い。分かってるわね」


 聞いちゃいない。

 湯浴みの邪魔をしてはいけないので、そっと部屋を出た。

 一階ではリッツやタバルがまだ飲んでいたので、一緒に私も飲むことにした。タバルも結局飲み慣れた麦酒を飲んでいる。高い酒を頼んだのは私に恥をかかせない為だったかもしれないと思ったが、リッツと旅の話をしながら陽気に飲んでる姿を見ていると、深い考えはなかったようにも見える。

 どっちでもいいか、と思った私はとりあえず麦酒を頼んだ。

 そして、


「もう一時間以上は経ったか、これくらいにして姉上の様子を見てくるか」


 話に夢中になってしまっていたが、レイチェル姉上はどうしてるだろうか? 湯浴みは終わったと思うのだが。


「えぇ、坊ちゃん、まだ裏路地酒場でケンカに巻き込まれた後の話聞いて無いっすよぉ」


 リッツはすっかり酔っぱらっている。


「その話はまた今度だ。あとその話、絶対にマルスや姉上に言うなよ」


 調子に乗って余計な話をしてしまったか。

 階段を三階まで上って部屋に戻り、部屋をノックする。


「姉上、湯浴みは終わりましたか?」


 だが、返事がない。おかしい。


「エヴァン様」


 マルスが隣の部屋から出てきた。


「レイチェル様の湯浴みは終わっております。部屋の鍵はこちらに」

「そうか、今日は姉上も酔っていたからな。もう寝てしまったかと思った」

「いえ、もうお休みになられていますよ。なので部屋の鍵を閉めて隣で控えておりました」


 マルスから真鍮製の鍵を受け取る。なんだかんだ言って気が利く執事なのだ。

 姉上を起こさないように静かに鍵を開けて中に入る。すると、確かに姉上はすでに寝ていた。

 寝間着がはだけて、お腹が丸出し。寝顔は穏やかというより、にこやか。いや、はっきり言おう、ニヤけてよだれが出てる。なにかよほど良い夢を見ているのだろうか、とても幸せそうだ。

 ドラゴンと戦って、伝説の冒険者とやらになった夢でも見ているのだろうか。それとも酔っぱらって潰れただけか。後者のような気がするなぁ。

 とても外の者には見せられない寝相だが、子供が寝ているのだと思えば微笑ましくもみえる。


「この様子ではまだ当分嫁ぎ先は見つかりそうもありませんね、姉上」


 はだけたお腹を隠し、毛布をかけ直しながら思わず口走ってしまった。正直、レイチェル姉上がどこかの貴族夫人になっているところが想像つかない。

 中央の帝国騎士団にでも入った方が良かったのではないだろうか? あ、でも本人は冒険者になりたいのか。どうにもならんな。

 考えても仕方のないことを考えるのはやめて私も寝よう。

 服やブーツを脱いで、濡らした手拭いで体を……と思ったら、ベッド脇の小さなサイドテーブルに湯入りの桶と手拭いが用意されていた。マルスだな。

 多少冷めた湯だが、水よりは気持ちよく体が拭けた。ありがたい。

 隣の部屋で、『お給金を』と言うマルスの顔が浮かんだが、給料は上げてやらん。

 そんなことを考えながら、私は床についた。

 色々、放り出すような形で領地から出てきてしまったが、アンナは大丈夫だろうか。私は急に心配になり、仕事に没頭するアンナの顔を思い出していた。

 決裁書類の束を笑顔で私に突きつけるアンナ。手伝ってくれと泣きついた時の嬉しそうな笑顔のアンナ。工事申請に不備を見つけて朱書きでしていく困り笑顔のアンナ。誤字だらけの報告書や使途不明の稟議書を見つけた時の寒気がするほど冷たい笑顔のアンナ。

 あ、なんだか我が領は大丈夫な気がしてきた。寝よう。


 そして真夜中。

 時刻は分からないが、ふっと目が覚める。

 一応の用心で展開していた結界に触れた者がいる。だが、外側ではなく内側からの接触だ。


「マルスか?」


 部屋のドアに向かって呼びかけてみる。


「申し訳ありません。やはり起こしてしまいましたか」


 ドアの向こうから、予想していた通り返事が返ってきた。


「構わん。夜警もほどほどにな」


 マルスは返事の代わりに、足音を隠さずに宿の階段を下りて行った。

 さすがに他領で旅人に混じって宿屋に泊まるとなると、マルスとしては警戒せざるを得ないか。

 特に心配することもないと思うが、マルスの気が済むようにすればいいか。私を起こすつもりが無かったところみると、本人も当然の仕事だと思っているようだしな。

 マルスの警備が無駄に終わることを祈りながら、私は再び眠りについた。


 そして早朝、日の出と共に目が覚めた。

 普段であればまだ寝ている時間だが、慣れない環境だからだろうか。

 こんな時間でも、宿の一階ではちらほらと朝食を摂っている者がいる。黒パンとスープ、あとは果物もあるようだが、あれは別料金だろうな。


「おや、エヴァン様。おはようございます。お早いですね」

「マルス、何をやっているんだ?」


 なぜかマルスが厨房から出てきた。夜警に出たかと思えば、朝食で忙しくなるであろう宿の厨房にいる。


「何をと言われましても、お食事の用意ですが?」


 何を言ってるんだと言わんばかりの態度。あれ、私がおかしいのか?


「エヴァン様達にまともなお食事を召し上がっていただきたい一心で、こちらの厨房をお借りしていたというのに、我が主君は労いの言葉もないのですか」

「お前この間、主君は父上で私は監視対象だと言ったよな?」

「さ、エヴァン様、こちらへどうぞ。食事の準備はできております」


 仰々しくテーブルに案内し、椅子まで引くマルス。普段そんなことしないだろ、お前。

 何も言わずに席につく。程よくトーストされたパンにチーズが載っており、ベーコン入りのスープ、サラダ、リンゴまである。


「残念ながら食器だけは宿の物を借りました。趣味の良い店で助かりましたが」


 茶の入ったカップをテーブルに置く専属執事は、実に得意満面だ。


「どうです、なかなか気が利くでしょう? お給金を上げてもらっても?」

「本音を言え。なんで早朝からこんな料理をしていた?」

「もう昼食に堅いパンは嫌なので、皆さんの分も弁当を作っておりました。朝食はついでです。このお茶もさっき水筒に入れた分の残りです」

「そうか、ご苦労。給料は据え置きだ」


 まあ、そんなことだろうと思った。

 いつもの事だが、余計な事を言わなければいいのにとつくづく思う。





あとがき用

1メトル=1メートルです。単位名とかいいかげんだなぁ。


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