15.運がいいとか悪いとか
あっさりと、そして驚くべき早さで関所で身分が露見したわけだが、無事に越境はできた。
ベリア伯爵領に入ってしまえば、さすがに知り合いはいない。
いないと思う。いないんじゃないかな。
関所の役人も、我々をただの冒険者パーティとしか思わなかっただろう。
さすがに、マリクリアの冒険者ギルド副長が率いるパーティとなると、入領の目的を聞かれたが、
「ギルセアの方で新種のモンスターが現れたとかで、調査派遣されたっす」
と言われては、役人も通さざるを得ない。
モンスターの調査はいつでもどこでもやっているし、これを怠ると旅人や流通の安全に直結するからな。
冒険者ギルドのモンスター調査とは、つまり下っ端の役人でどうこう言えない大事な仕事なのだ。
それにまあ嘘は言っていない。『ギルセア方面』の『新たに見つかった』『モンスターというか多分ドラゴン』だ。
うん、はっきり言って一大事だな。役人や番兵の様子からして、まだベリア領内には情報は出回ってないようだが、それも時間の問題だろう。
「タバル、ここから夜までにどのくらい進める? 宿がとれそうな宿場はあるか?」
この中でもっとも旅慣れた、運び屋組合の顔役タバルに行程を尋ねる。
「まだ昼ですからね、この調子ならノイルまでいけるんじゃあねぇかと思います」
ノイルはベリア伯爵領の中心に近い町だったな。確か街道が交わる交通の要所だ。
「手間取るとノイルに着くまでに暗くなっちまうかもしれませんが、どうします?」
タバルとしてはあまり我々に無理をさせたくないだろうが、今はとにかく速さが肝心だ。
「行程の短縮のため、今日中にノイルを目指す。タバル、悪いが付き合ってくれ」
無理を承知でそういうと、タバルは「そういうと思いましたぜ」とニヤッと笑って馬に鞭を入れた。二頭立ての馬車が軽快に走り始める。レイチェル姉上も、鍛錬が済んだのか馬車の荷台に大人しく座っている。
徒歩の旅人や、大荷物の行商人たちを追い抜いて、街道を走る。
「坊ちゃん、ノイルまではまだ四十キノメトルくらいあるっす。揺れはひどいけど、休んでいてください」
リッツが布袋に入った携帯食料を渡してくれる。焼き締めた堅パンとチーズが入っている。悠長に昼食を摂る時間はないからな、これで腹を持たせるしかない。町にたどり着けば、まともな食事もできると思うが。
「相変わらず堅いパンよね」
レイチェル姉上が文句を言いながら、パンをバリバリと齧っている。なんだろう、姉上が食べているのを見ていると、あまり堅くないように見える。
姉上の真似をして豪快に齧ってみようとした。
前歯が折れるかと思った。石かこれは。
「エヴァン様には少々固すぎるかと。館から少々持ち出してきたパンがありますので、こちらを召し上がってください」
「悔しいが助かる。これは難儀しそうだ」
マルスが差し出した炒り卵のサンドイッチを受け取り、頬張った。
堅パンに比べ、圧倒的な食べやすさに少し感動していると、サンドイッチを包んでいた麻布に気付いた。
青い模様の入った布だ。この布を好んで使うのは、アンナだ。
町で評判の仕立て屋の娘であるアンナは、こういうちょっとしたおしゃれが大好きだ。
「これ、アンナが作ってくれたのか?」
マルスに尋ねると、
「その通りです。エヴァン様が堅パンや干し肉の食事では困るだろうからと、朝早くに作っておりましたよ」
「お見通しか。アンナには適わないな」
領主代行の代行という重荷を負わせてしまったアンナが、領外に出かける自分の食事を気遣ってくれるのは素直に嬉しい。文官としてもメイドとしても優秀だ。
「将来、アンナ殿に頭が上がらなくなるのが目に見えるようです」
「大丈夫だ、もう手遅れだからな」
軽口を叩き合っていると、レイチェル姉上が私のサンドイッチに気付いた。
「エヴァンだけそんなもの食べてるなんてずるい。マルス、私の分は?」
「お嬢様には蜂蜜を用意しております」
当然のように文句を言う姉上に対し、甘いものをあてがうマルス。
どうでもいいが、その蜂蜜はどこから出したんだ……。
姉上も「蜂蜜だー」とか言って喜んでいるが、堅パンに蜂蜜かけても甘い堅パンになるだけだと思う。本人がとても嬉しそうにバリバリ食べてるから余計な事は言わないが。
荷台の上で食事をとったり仮眠したりしながら、ひたすら馬車に揺られ、そろそろ夕刻になろうとしていた。
今馬車が走っている街道の左手には森が広がっており、視界があまりよくない。
「タバル、間に合いそうか?」
御者のタバルに尋ねてみた。
「ノイルの町の閉門時間には間に合うと思いますがね、それでも暗くなっちまいまさぁ」
「そうか、もうひと頑張りというところか。町に着いたらたっぷり奢ってやるからな」
「そいつぁ何が何でもノイルに辿り着かなきゃなんねぇですねぇ」
今朝、マリクリアを出発して夜にノイルに到着するとはなかなか驚きの速度だ。タバルにも、最小限の休息で走り続けてくれた馬たちにも感謝だな。あとで馬に野菜でもやるか。
そんな事を考えていた時だった。
「エヴァン!」
「エヴァン様!」
森を眺めていた、レイチェル姉上とマルスが同時に声を上げた。
さらにリッツも叫ぶ。
「なんかこっちに来るっすよ!」
そういわれて森と街道の間にある草むらを見る。すると、草むらを揺らしながら何かがこちらにまっすぐ向かって来ていた。
「野犬か、運が悪ければ……」
そういって私は荷台の上で長剣を抜いた。
レイチェル姉上とリッツはすでに馬車から降りて、迫ってくる何かを迎え撃つ態勢だ。
姉上は長剣を、リッツは右手にサーベル、左手に小剣を構える。
「マルス、タバルを頼む」
「かしこまりました」
マルスは何も持っていないが、この男はこれが戦闘態勢だ。
「後ろに回り込んだっす!」
不意打ちに失敗したことに気付いたか、草むらの何かは方向を変えて馬車の後ろに回り込もうとしていた。
そして、草むらから街道に出てきたものは、
「ブラックウルフだ! しかも三頭も!」
タバルの悲鳴に近い声が上がる。
大型犬よりもさらに大きな体格の黒い狼のモンスターが現れた。
「運が悪い方だったか」
森が近いとはいえ、町にほど近い街道でモンスターに襲われるとは不運だ。
しかし、もっと運が悪い奴がいる。
「わたしの馬車を襲うなんて運が悪かったわね!」
ブラックウルフの動きに合わせて、馬車の後方に素早く移動していたレイチェル姉上。
そして、眼前に迫るブラックウルフに向かって踏み出したかと思うと、その瞬間、姉上の姿がかき消えたように見えた。
先頭のブラックウルフをすれ違いざまに斬り、振りぬいた剣を瞬時に構え直して二頭目の眉間を貫き、剣を引き抜いた勢いそのままに、体を一回転させて鋭い牙の並ぶ三頭目のブラックウルフの口に斬撃を叩き込んだ、ように見えた。
「ッヒュウ!」
姉上が大きく息を吸う鋭い声が聞こえた時には、三頭のブラックウルフはそれぞれ胴体を切り裂かれ、頭蓋を串刺しにされ、口から尻尾まで一刀両断されていた。
少し離れた馬車の上から見ていたから何となく姉上の動きが分かったが、至近距離であんな動きをされたらたまったものでは無いだろうな。ブラックウルフたちも何をされたか分からなかったんじゃないだろうか。
「お見事っす。出る幕なかったっすね」
リッツが二刀を納めながら姉上に声をかけた。
「少し身体強化したけど、無くても大丈夫だったわね」
訓練でもしていたかのように落ち着き払ったレイチェル姉上。端切れで血糊を拭って長剣を鞘に納める。
「ブラックウルフがあんな一瞬で……」
タバルが言葉を失っている。まあ姉上の戦闘を初めて見たらそうなるよな。素人ではまず目で追えないからな。
ブラックウルフは『旅人殺し』の別名があるモンスターで、帝国中に生息している。今回の我々のように、夕方に少人数で移動する旅人なんてのは、彼らの格好の獲物だったのだろう。相手が極端に悪かっただけで。
私の目から見ても、姉上がマナを集中し始めてから身体強化の魔法が発動するまでは一瞬だった。我が姉ながら恐ろしい。
「お、割といい魔石持ってたっすよ。八等級くらいあるかなぁ」
本職の冒険者であるリッツが、短剣を使ってブラックウルフの死骸から魔石を取り出していた。一頭につき魔石が一個で合計三個。もし三個とも八等級だとしたら、銀貨二十枚はするか。この人数でもかなりいい宿に泊まれるな。
「坊ちゃん、死骸どうするっすか? 冒険者としてはこのままにはしておけないっす」
「穴を掘っている時間は無いな。私が燃やす」
こんな街道上に死骸を放置すると病気のもとになるからな。普通は穴を掘って埋めてしまうのだが、今は時間がない。
モンスターの肉体は、魔力、つまりマナと融合して構築されている。
モンスターが死ぬと、マナの霧散と共にマナと融合していた肉体も霧散する。とはいえ、死骸が完全に消えるわけではなく、むしろ残る部分の方が多い。一般的には、肉体とマナが高いレベルで融合したモンスターほど死骸が残りにくいと言われている。
つまり、強く長生きしているモンスターほど素材を残さずに消えていくことになる。ちなみにブラックウルフは毛皮も残っているし、肉もほとんど残っている。狩りとして仕留めたなら、毛皮は持ち帰りたいところだろうな。
「リッツ、ブラックウルフを街道の外側に集めてくれ」
リッツは細身の体に見合わない膂力で、ブラックウルフを三頭積み上げた。
「じゃあ坊ちゃん、お願いするっす」
「分かった。離れていろよ」
私はブラックウルフの死骸から三歩ほど離れた位置に立つと、手のひらを死骸に向けて詠唱を開始する。
「世界に満ちたるマナよ、我が魂の声に応えよ。理の灼熱を灯し、蒼き炎をここに具現せよ」
詠唱と共に手を中心にマナが集まるのを感じる。そして集まったマナがフッと抜けるような感覚があったと思った次の瞬間、ブラックウルフの死骸が青白い炎に包まれた。
青い炎の魔法は、普通よりも高い温度で対象を燃やす。術者がマナを注ぎ込めば注ぎ込むほどさらに激しく、高温で燃えることになる。
私は持てる魔力を注ぎ込んでさっさと死骸を灰にしようとした。
「エヴァンの魔法はやっぱり綺麗よね」
「火魔法はエヴァン様の得意とするところですから」
見物しているレイチェル姉上とマルスの声が聞こえる。火魔法だけがことさらに得意というわけでもないのだが、否定するほどでもないので黙っておく。
死骸はみるみるうちに白い灰になっていく。
「坊ちゃん、そんなには魔力使って大丈夫っすか?」
「街が近いからな、出し惜しみはしない。タバル、ノイルの町まであとどれくらいだ?」
「あともう一時間もかからねえと思います」
「わかった。すぐ終わるから待ってくれ」
私は仕上げとばかりに大きく魔力を炎に注ぎ込む。炎が二回りほど大きく、強い光を発する。そこで魔力の供給を絶ってやると、炎はすぐに消え去り、後には灰だけが残った。
「終わったぞ、さっさと先に進もう」
既に皆、馬車に乗りこんでいたので、私が荷台に座るとすぐに馬車が動き出した。
「やっぱり八等級冒険者の魔法じゃないんすよねぇ」
リッツがつぶやいていたが、聞こえないふりをしておいた。
四十キノメトル=四十キロメートルです。




