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校正者のざれごとシリーズ

校正脳と執筆脳――レモンを添えて

作者: 小山らいか

 私は、フリーランスの校正者をしている。

 回ってくる仕事には波があり、忙しいときもあれば、そうでないときももちろんある。 本当に忙しくて締め切りに追われているときは、ひいひい言いながら、早く暇になってほしいと思う。この仕事が終わったら何をしよう、どこに行こうと頭を巡らせる。ある種の現実逃避。そういえばあの喫茶店、最近行ってなかったな。落ち着いた雰囲気の喫茶店で優雅にコーヒーを飲む自分を想像する。そして、ひたすら目の前の仕事をやっつける。

 ところが、いざ暇になってみると不安に襲われる。このまま、仕事の量が少ないままだったらどうしよう。あれほどやりたいことがいろいろあったのに、急にすべてが色あせてしまう。早く忙しくならないかな。そしてまた次の波が来ると、暇な時間を心待ちにしながら仕事に追われる。そんなことを繰り返している。こればっかりはどうしようもない。

 数年前、本当に仕事が少なくなり、ものすごく不安だった時期があった。

 さすがにこのままではまずいと思い、ある会社に職務経歴書を送ってみた。学習参考書の制作をしている編集プロダクションだ。ここは私が校正を始めた当初から仕事をもらっている大手通信教育の出版社とも付き合いがあり、仕事の内容も今までの知識が役に立つかもしれないと考えたのだ。

 しばらくは音沙汰なかったのだが、あるときこの会社から一通のメールが来た。

「校正業務ではないのですが、問題集の執筆をしてみませんか」

 執筆には以前から興味があったので、すぐに返事をして、やらせてもらうことになった。

 ひとことで執筆といってもさまざまある。私に最初に来たのは、小学校低学年の子ども向けの漢字ドリルの問題を作る仕事だった。たとえば1年生であれば、「山は 大きい。」といった、1年生配当の漢字を教科書に出てくる順に書かせるような問題を作る。

 ちなみに、この「は」と「大」の間のように1文字分空ける書き方を「わかち」という。「あめがふっているのでかさをさしました」という文章なら、「あめが ふって いるので かさを さしました」となる。わかち書きにはマニュアルもある。小学2年生くらいまでは教科書もこの書き方をしている。このような文章を、決められたフォーマットにそって入力していく。送られてきた資料の通りに進めていけば、さほど難しいものではない。

 いくつかこのような仕事をして慣れてくると、少しずつ難しい内容の依頼も来るようになった。漢字問題だけではなく、読解問題の作成や、言葉の意味を問う問題など、少しずつ難易度が上がっていった。こうなってくると、少し考える時間が必要になる。手を止めて、パソコンを前にいろいろと文章を練ってみる。校正とはまったく違った作業になる。

 あるとき、ちょっと変わった執筆の仕事の依頼が来た。

 今までの読解問題とは違い、登場人物のいる物語ふうの問題を作って、それを読ませながら子どもたちの考える力を伸ばそうという企画だった。テーマに沿って物語を考え、登場人物を動かし、最終的に問題に持ち込むような流れを作る必要がある。

 いったんうまく作ったと思っても、先方の求めるものに沿っていなかったりして書き直しをすることもあった。そのたびに、かなり長い時間テーマについて考えた。夕食の支度をしているときや、お風呂に入っているときに、ふといいアイデアが浮かぶこともあった。

 この仕事には結局半年くらい関わった。大変ではあったが、すごく充実していて楽しかった。「書く」ということのおもしろさに気づかせてくれた仕事でもあった。

 校正と並行して執筆の作業をしていて、気づいたことがある。

 ある日、締め切りに合わせてスケジュールを考え、午前中に校正の作業をし、午後から執筆にとりかかることにした。ところが、午後になってもどうしても執筆の作業に取りかかる気になれない。そして、逆に執筆を少し続けたあとに校正の作業に入ろうとすると、やはりなかなか校正の作業に集中できない。他の日にも同じようなことがあった。

 この理由について、自分なりに解釈してみた。二つの作業は、たぶん脳の使い方が全然ちがう。だから、どちらかの作業に集中したあと、もう一方の作業をしようとすると、それまでとまったく違う動きをしなくてはならないので、脳が拒否する感じがするのだ。

 以前、貧血がかなりひどかったときに、無性にレモンが食べたくなったことがある。好きで食べるというより、脳が欲している感じ。レモンを輪切りにして蜂蜜をかけたものを常に冷蔵庫に入れておく。食べて残りが少なくなると不安になった。すぐにレモンを買いに行き冷蔵庫に補充すると安心した。ところが、病院で貧血の薬をもらって飲み始めたら、とたんにレモンへの欲がなくなってしまった。まったく食べたいと思わない。不思議な感覚だった。看護師さんに聞いてみたが、貧血とレモンに因果関係はないという。

 校正と執筆、二つの作業に対する脳の動きについても、感覚的なものでうまく説明がつかない。でも、脳の動きというのはわからないことも多いし、意外と思い通りにならないものだ。ちなみに私の趣味はお菓子作りで、締め切りに追われてストレスがたまってくると、無言でパウンドケーキを焼き始めたりする。家族はそれを見て、「あの人またストレスたまってる」と苦笑いする。作ったパウンドケーキを夫が職場に持っていくと、「また奥さんストレスたまってるんですね」と言われるらしい。余計なことを言うんじゃない。これは脳が勝手にやっていることで、私には責任はありません。いや、それはどうかな。


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