079 アナトリア王宮
アナトリア王宮の謁見の間の扉が開く。
シルキーネは白亜と[隠密]で気配を消したセレスティアを伴って、謁見の間に踏み入れる。
レッドカーペットの左右には王国貴族や官僚達が並び、奥の数段高い場所の向かって左側の豪奢な椅子に30代くらいの金髪碧眼の男性が座る。男性は頭に王冠を頂いている。向かって右側は空席だ。2つ並んだ椅子の外側、男性が腰かけているその横に20代くらいの女性が、空席の横に10代後半くらいの男性が立っている。
椅子に腰かけている男性の名は、ジョセフ・アナトリア。
アナトリア王国建国の祖にして、初代国王である。
種族はエルフ。30代の好男性に見えるが実際の年齢は1200歳を超えている。
王妃の席が空席なのは、人間族の王妃が既に逝去している為だ。
国王の横に立っているのは第一王女サリナルーシャ・アナトリア。
膝裏まで届く碧髪に浅葱色の目をしたエルフ。
彼女もまた見た目と異なり、年齢は1000歳を超えている。
空席の横に立つのは第一王子エルネスト・アナトリア。
肩まで伸びた金髪と右目が碧、左目が茶色のヘテロクロミアのハーフエルフだ。
彼もまた実年齢は60歳だが、エルフ族としては若輩で見た目も16歳くらいにしか見えない。
王族の居る場所より1段下の左側に守護騎士と魔術師が1名ずつ並び、右側にも守護騎士と魔術師が1名ずつ並んでいる。
レッドカーペットの一番奥の並びには、国務長官のマイケル・グリューネル侯爵がいた。
シルキーネ達が一番奥まで進むと、グリューネル侯爵がうやうやしく礼をして、
「陛下。魔族領五公主の一人、シルキーネ・ガヤルド殿でございます」
ジョセフが椅子から立ち上がり、レッドカーペットまで降りてシルキーネを迎える。
「魔族領全権代表のシルキーネ・ガヤルドです。この度は陛下に拝謁できて光栄です」
カーテシーで挨拶する。
タイトスカートなのでポーズだけ。
「いえいえ、和平派筆頭のシルキーネ殿自ら足をお運び頂けるとは。これは恒久平和が期待できそうですな」
「ええ、そのつもりで参りました」
シルキーネとジョセフが堅い握手を交わす。
両国の和平を象徴するシーン。
だが、謁見の間に参列した人々の視線は別のところに注がれていた。
視線の先には――――
女神セレスティアが居た。
今迄行使していた[隠密]を解いたのだ。
「こ、これは、セレスティア様!」
ジョセフを始め、参列者の全てが膝を折ってセレスティアに祈りを捧げる。
まあ、当然だろう。
いきなり王宮の謁見の間に女神が顕現したのだから。
「皆の者、面を上げなさい。そして立ち上がるのです。わたしは今日、アナトリア王国と魔族領が結ぶ友誼を祝福する為に舞い降りました」
そして、ジョセフとシルキーネの元に歩み寄り、二人の手を取ってそれを重ね合わせる。最後に自分の手でそれを包み込むと、優しく微笑みながら、
「わたしもアナトリア王国と魔族領との間に平和条約が結ばれることを望みます。多種族が穏やかに暮らすアナトリア王国であれば、魔族領とも仲良くやっていけることでしょう」
「「はい、仰せのままに」」
ジョセフは女神の言葉に素直に賛意を述べたが、シルキーネは口の端がヒクヒク震えていた。まるで何かを我慢するように。
セレスティアはそんなシルキーネの耳元に顔を寄せると、
「おい、真面目にやってるんだから笑い出すんじゃねえぞ、糞魔族」
「だって…………だって、キミが女神みたいな真似をするから…………」
「女神だよ! よ~し、わかった。あとでじっくり話し合おうじゃないか」
周りには訊こえなかったが、地獄耳の白亜には全部訊こえていた。
(シルクもセレスティア様も何やってるんだか…………)
「わたしは反対です!」
謁見の間に響く否定の声。
声の主は第一王子エルネスト。
参列者が騒めきだす。
「これは王国の閣議で決まったことだ。私の意志でもある。女神様もこうして望んでおる。何が不満なのだ?」
「女神セレスティアは聖皇国が崇拝する女神です。そして聖皇国は人間至上主義を掲げています。そのような神が我がアナトリア王国の為を思っているとは思えません。聖皇国を利することしか考えていないのです」
ジョセフの考えに真向から反対の意を述べるエルネスト王子。
(『わたしが聖皇国を利することしか考えていない』ですって? 冗談じゃない。わたしはイツキの利になることしか考えていないわよ)
セレスティアの考えもまた大いに問題である。
「そもそも、我が国はカラトバに狙われています。我が国を守るにはそれ相応に力を持った相手と同盟関係を結び、国難に共に立ち向かって貰わなければならない。なのに、結ぶのは緩い平和条約。それでどうして我が国を守れると言えるのでしょうか?」
「魔族領とカラトバ両国相手に二正面作戦を展開できる程、わが国には国力が無い。実際、カラトバは我が国領内で非正規戦を展開しておる。であれば、手を差し伸べてくれている魔族領と手を結ぶのは後顧の憂いを断つ為にも必定であろう」
「その魔族領が主戦派に権力掌握されて寝返るとは思われないのですか!?」
それを訊いたシルキーネが、
「魔族領は和平派がほぼ掌握している。特に貴国と接する魔族領西方領域はね」
「でも、主戦派に襲われたではないか!?」
「それは強力な援軍により退けたよ」
「強力な援軍? どこの軍だ?」
「ホバートに籍を置く《SS》ランク冒険者パーティー白銀の翼だ」
謁見の間がどよめく。
白銀の翼。
ホバートに突然現れた新進気鋭の冒険者パーティー。
その戦歴は王都にも伝わっている。
ホバート近郊に出現した〖混沌の沼〗ダンジョンを攻略。
ダンジョン内の《SS》ランクの魔獣を討伐。
王国軍が討伐に乗り出しても半数が壊滅する災害級の炎竜を討伐。
世界中の軍が出動しても倒せるか否かわからない世界滅亡級のヒュドラを討伐。
極めつけは魔族領五公主主戦派魔貴族ベルゼビュートを討滅。
最近は、ヌメイに現れた魔炎竜まで瞬殺だったという。
おそらく白銀の翼だけで世界中の軍を殲滅できるのではないかとも言われている。
ノイエグレーゼ帝国のレオン皇帝をして『《SSS》ランクに匹敵する』と言われる男をリーダーとする王国最強、いや、世界最強の冒険者パーティー。
その白銀の翼が魔族領和平派の救援に駆け付けた。
彼等には人間も魔族も関係ないのだろう。
困難に直面していれば分け隔て無く助ける。
しかも、白銀の翼のリーダーはガヤルド魔公爵と懇意と訊く。
白銀の翼こそが和平の懸け橋と言えるだろう。
ジョセフはその報告を受けた時にどんな条件であろうとも平和条約を締結すると決めた。
貴族や閣僚も全面的に賛成してくれた。
なのに、このバカ息子ときたら・・・・
「白銀の翼? たかが冒険者風情では無いですか。それが我が国の守りに重要? とてもカラトバの脅威を退けられるとは思えませんね」
王都から出たことの無い第一王子に解るはずもなかった。
「いい加減にしなさい! エルネスト! これはもう決まったことなのです!」
第一王女サリナルーシャがエルネストを窘める。
だが、エルネストは止まらない。
「いえ、わたしは退きません。そんなに仰られるなら、白銀の翼をここに連れてきて下さい。所詮は冒険者風情であることを、わたしが証明して見せましょう」
「エルネスト!!!」
怒ったサリナルーシャの声が謁見の間に響き渡った。
反射的に白亜がサリナルーシャを見た。
サリナルーシャも白亜の視線に気付いて白亜を見る。
「「あっ!」」
何かに気付いた二人が同時に声を上げる。
白亜からエルネストに視線を移したサリナルーシャ。
「そう。では、今ここで証明して貰いましょう」
「ここでですか? 姉上」
「そうよ。ガヤルド魔公爵殿の横に居るのが白銀の翼のメンバーよ」
再びサリナルーシャに向けられた視線に白亜が頷く。
「ハッ! こんな小柄なメイド相手にですか?」
「侮っていると痛い目を見ますよ」
シルキーネが白亜に確認する。
「白亜嬢。やる気かい?」
「うむ、あの王子には『教育的指導』が必要なようじゃからの」
無表情に答える白亜だった。
エルネストが白亜を挑発する。
「わたしの力をおまえに示してやる。どんなに足搔いても冒険者風情では、高貴な血筋のこの剣聖エルネストには届かないと言うことをな。それとも、おまえでは敵わないから、リーダーを呼んでくるか?」
「よい。妾が立ち会おう」
「ふむ。真剣では傷を負わせてしまうな。おい! 木剣をここへ!」
エルネストが守護騎士に木剣を2本持って来させようとしたが、
「不要じゃ。妾はこれを使わせて貰う」
どこから取り出したのか、手にはナイフホルダー。
ナイフホルダーに収まっているのは『教育的指導』に特化したトレント製のナイフ。
トレント製のナイフは刃が無いので切ることも刺すこともできないが、鉄よりも固いので切られたり突かれたりすれば痛い。物凄く痛い。
「それは?」
「ホバートの冒険者ギルドの副支部長に貰ったものじゃよ」
シルキーネの問いに白亜が答える。
ナイフホルダーを右の太腿に巻き付けながら。
そして、
「おぬしも帯刀している剣を使えばよかろう。どうせ、掠りもせぬじゃろうがな」
それを侮辱と取ったエルネストが不快感を隠そうともせず、
「後で後悔するなよ。姉上! 審判を頼む!」
サリナルーシャが二人の間に来て、
「では、これから御前試合を行います。エルネストが勝利した時は平和条約の締結を見送りましょう。白銀の翼が勝った場合は予定通り、平和条約を締結します。なお、試合は、相手に降参を認めさせた側の勝利とします」
「サリナルーシャ殿、ちょっと待ってくれぬか?」
「?」
「剣で妾に掠り傷を負わせた場合もこの者の勝利でよい」
それを訊いたサリナルーシャが白亜を見る。
白亜が黙って頷くのを確認すると、
「では、その条件も有効とします」
そう言ったサリナルーシャが二人から離れた位置まで下がる。
シルキーネがサリナルーシャの横に来て、
「ボクも審判を務めよう」
「では、私も反対側から」
ジョセフがシルキーネとサリナルーシャの反対側に立つ。
腰から剣を抜いたエルネストが白亜に尋ねる。
「名前を訊いておこうか?」
「妾の名は、斎賀白亜。白銀の翼のリーダー斎賀五月の妹じゃ」
そう答えた白亜は身構えることなく自然体で立っている。
ナイフもホルダーに収まったままだ。
「構えないのか?」
「おぬしには素手で充分じゃ。剣技がそこそこならこれを使ってやってもよいぞ」
そう言って太腿のナイフホルダーを軽く叩く。
「きさま! わたしを愚弄するか!?」
「愚弄ではない。事実じゃ」
エルネストの怒りに対して、余裕を見せる白亜。
「始めっ!」
サリナルーシャの合図と共に御前試合が開始された。
エルネストが白亜に突進し連戟を繰り返す。
だが、白亜はその全てを軽いステップを踏んで躱していく。
真剣な表情のエルネストに比べて白亜の表情からは微かな笑みが見える。
「白亜ちゃん、嬉しそうね」
「君は白亜嬢と知り合いなのかい?」
サリナルーシャの感想にシルキーネが反応する。
「そうね。あの子のお兄さんともよ」
「そうか。君は彼に再会できたんだね? 君の師匠として心配していたんだけど杞憂だったみたいだね」
それを訊いたサリナルーシャがシルキーネの顔をまじまじと見る。
近くで見たシルキーネの姿は角こそ生えていたが、往年の大賢者シルクそのままだった。
「えっ? 嘘! お師匠様!?」
「ふふふ、思い出してくれたかい? 君の魔法のお師匠様シルクだよっ♡」
「ええええええっ!!!」
「まあ、今は試合を見ようよ」
試合はエルネストが押しているように見えた。
だが、白亜に掠り傷一つ負わせられない。
エルネストが繰り出す剣戟を白亜が舞うように避け続ける。
「いつまでもちょこまかと!」
エルネストは更に一歩踏み出して白亜の回避を先読みして高速で回避先を横薙ぎにした。
が、それは白亜の残像。
「どこを狙っておるのじゃ? 妾はここじゃよ」
耳元で白亜が囁く。
白亜はエルネストのすぐ後ろに居た。
振り向こうとして、足を掛けられる。
バランスを崩したエルネストがたたらを踏む。
その腹に強烈な蹴りが入った。
「がはぁっ!」
蹲ったエルネストがみっとも無く胃の内容物を吐く。
「何をしておる? さっさと立たぬか。それとも降参か?」
すぐ近くに立つ白亜がまるで剣術指南役が不肖の弟子を見るように見下ろしている。
「まだだ! まだ戦える!」
腹を押さえながら立ったエルネストから戦意はまだ失われていなかった。
「ふむ。温室育ちのイキり王子かと思っておったが、根性だけはあるようじゃな」
「白亜ちゃん! 甘いわね! 甘々よ!」
「完全に王子を翻弄しているみたいだけど」
「アイシャだったらあんなもんじゃないわ。半殺しよ。いや、蘇生復活させてまた殺してるから連殺しよね。やられた相手の人格が変わってしまうくらい酷いから。ああそっか。エルネストのやつをアイシャに預けてしまえばいいんだわ」
「その、何と言うか、エルネスト君に同情してしまうよ」
シルキーネとサリナルーシャの話題にする人物は今頃、くしゃみでもしていることだろう。
持ち直したエルネストは今迄の連戟ではなく、渾身の突きの一撃を白亜にお見舞いする。
手首を返して白亜が避けた先を横薙ぐ。
が、やはりそれは白亜の残像で――――
「変則技か? 残念じゃが、それでは妾にナイフを抜かせることはできぬよ」
右横に現れた白亜がまたもや囁く。
足を掛けられないように後ろに飛び退ったエルネストが構わず白亜に連戟を繰り返す。
相変わらず白亜はその全てを軽いステップを踏んで躱していく。
白亜が何人にも見えるのは回避速度を上げた白亜の残像が残っているからだ。
「おぬしの剣戟はイツキの剣速に遠く及ばぬのお。欠伸が出そうじゃ」
エルネストの耳元で白亜の囁きが訊こえるが、姿は見えない。
エルネストは目を瞑る。
(目視しようとするから惑わされる。なら、気配を感じることに集中すれば…………)
エルネストの気配察知に白亜が掛かる。
右後ろ2m。
「そこだっ!」
振り向き様、素早く切り上げる。
同時に目を開ける。
今度こそ、白亜を捉えたとエルネストは思った。
左下からの切り上げの剣先を白亜が抜いたナイフで受けた。
トレントと謂えども所詮は木製。
両断できるとエルネストは思った。
が、トレント製のナイフは剣先から剣の腹に移動し、エルネストの剣戟の勢いそのままに剣を外に逸らした。
バランスを崩すエルネスト。
次の瞬間、エルネストの右肘に白亜のトレント製ナイフの切っ先が食い込む。
「妾にナイフを抜かせることができたようじゃな」
あまりの痛さに剣を取り落としたエルネスト。
「合格じゃ」
その後ろ首にトレント製ナイフの柄が打ち下ろされ、エルネストの意識はブラックアウトした。
「もうおぬしは眠っておれ」
白亜がナイフをホルダーに仕舞う。
「それまでっ!」
サリナルーシャの声で御前試合は終了。
結果は白亜の余裕の勝利。
「陛下。場所を移して平和条約の調印式を行いましょう」
「うむ。ではガヤルド殿、大会議室へどうぞ」
シルキーネと白亜とセレスティアはサリナルーシャとグリューネルに付き添われて大会議室に移動して行った。参列者達も次々と大会議室に移動して行く。
謁見の間には、気を失って倒れているエルネストとそれを見下ろすジョセフだけが残っていた。
「サツキ様に預けられた娘は立派な王女に成長したのに、このバカ息子は…………。私は育て方を間違ってしまったのだろうか。教えてくれ、サツキ様。私はどうすればよかったのだ?」
溜息をついたジョセフは守護騎士を呼ぶ。
「誰かある? 王子を医務室に運んでくれ」
ジョセフはそう言い渡すと、自らも大会議室に向かうのだった。
■
大会議室では多くの者が見守る中、アナトリア王国と魔族領の平和条約が締結された。
更に、シルキーネから提案された案件。
それは、
和親条約
友好通商条約
相互援助条約
アナトリア王国の官僚が条約文を精査する。
いずれもアナトリア王国にとっては人的交流、通商、軍事援助等、多岐に渡る好条件な内容。
拒絶する理由は無かった。
その場で双方合意の上で条約の締結が行われた。
「今、ここにアナトリア王国と魔族領との血の盟約が交わされました。これで1000年以上に及ぶ人魔戦争に終止符が打たれ、人々に平和が訪れることでしょう。女神セレスティアの名においてこれを祝福します」
後光で金色に光るセレスティアにより神託が下され、シルキーネとジョセフが堅い握手を交わす。
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!」」」」」
パチパチパチパチ!
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・・・・・・・・・
大会議室に喜びの歓声と拍手が木霊した。
今、ここに盟約は成った。
シルキーネとセレスティア、そしてジョセフが抱く思いはそれぞれだった。
(これで魔王の【暴虐】を防ぐことができる。待っていたまえ、司教帝。今度こそ、惨劇の輪廻を断ち切ってみせる。イツキ君の為。そしてボク自身の為に)
(イツキ。これでまた一歩、あなたの望む世界に近づけることができたわ。)
(やっとこれで、勇者様にお返しすることができる)
そして、舞台は小会議室に移る。
それぞれの思惑を秘めたまま。
知らぬは行方を晦ませたイツキのみ。




