074 志だけは一緒に歩み続ける
あれ?
また、セレスティアに魂魄召喚された?
いや違う。
俺はどこかの建物の廊下に立っていた。
神官服を着た人達が忙しそうに行き交っている。
どこだろう?
「すいません。ここどこですか?」
歩いて来た神官に声を掛ける。
だが、その神官は俺を無視して行ってしまった。
おいおい、無視かよ。
それとも、声が小さかったかな?
仕方ないので、目の前を通り過ぎようとした別の神官の肩を叩いて、振り向かせようとした。
が、俺の手はその男の肩をすり抜けてしまった。
他でも試してみる。
通せんぼしたが、相手は俺にぶつかることなく、すり抜けて行ってしまった。
う~む。
どうやら、誰も俺を認識できないらしい。
今の俺は魂魄だけか、それとも意識体だけ、ってことなんだろう。
とりあえず、出口まで歩く。
外に出て今居た建物を見ると、古代ギリシャ建築みたいな大理石の建物だった。
前面には大理石の支柱が立ち並んでいる。
もしかして神殿?
とりあえず中に戻ろう。
暫く歩くと廊下の人が疎らになり、遂には誰も居なくなった。
廊下を一番奥まで進むと煌びやかな設えの扉の前に行き着いた。
『応接室』
扉の横の壁にはそう彫られた石板が埋め込まれていた。
部屋の中から声が漏れ聞こえる。
『驚いたかい?』
突然、頭の中に声が響く。
「誰だ!?」
『僕は…………そうだね。48階層のダンジョンマスターとでも言っておこう』
「48階層のダンジョンマスター?」
『思い当たらないかい?』
「〖混沌の沼〗ダンジョンの48階層を改造した同郷者か?」
『思い出したようだね』
同郷者?が俺に何の用だろう?
今、俺が置かれている状況はいったい?
『状況の説明が必要なようだね』
俺の心を読んだ?
『僕は全能だからね』
やっぱり同郷者?とやらは俺の心を読んでいる。
なら、会話は不要か。
『君は、前世の君の親友がその後どうなったのかを知らないだろう?』
俺が処刑間際にシルクや師匠に救出された時、皆で聖都を脱出するものだと思っていた。
だが、セリアは同行せず、聖都に残った。
「わたしにはやり残したことがあるから」
寂しそうに笑った彼女とはアナトリア王国での再会を約束して別れた。
その後、俺もシルクもアナトリア王国に辿り着くことなく倒れたから、彼女のその後は知らない。
『聖都に残った彼女は精力的に頑張ったよ。そのことを君が知らないなんて、彼女が不憫過ぎやしないか、と思ってね。ちょっとしたお節介を焼かせて貰ったという訳さ』
お節介だとしても、こんな真似ができるなんて――――
『『僕は全能だ』って言っただろ? さあ、君はこれから彼女視点で最期を見届けるんだ』
「最期って――――」
『さあ、始まる。』
俺はセリアの意識の中に引き込まれていった。
――――――――――――――――――――
わたしは聖女様とソファーで向かい合って交渉を続けていた。
聖女様の名はアルトリア・リザニア。
わたしの親友の奥様だ。
わたしの傍らには傍仕えの神官見習いのタナクが立ち、後ろには統一聖皇国からの独立を求める各地域の代表達が立っている。
交渉内容は、統一聖皇国の人間至上主義に反旗を翻した亜人達やそれに同調した人間達が建設しようとしている国家の承認について。
数日に渡る交渉。
でも、ようやく纏まった。
「ご安心下さい、セリアさん。わたくしから新たな布告を出します」
「よろしくお願いします、アルトリア様」
「わたくしも以前からお爺様の人間至上主義については数々の疑問を感じていました。でも、勇気の無いわたくしは黙って見ている他無かった。それを変えてくれたのはあの人です。あの人の行動を見ているうちに『これではいけないのだ』と思うようになりました」
そうして、アルトリア様は横のベビーベッドで寝ている双子の赤子の頭を撫でる。
「こんなことになってから、重い腰を上げたわたくしを許して下さいね、セリアさん」
「謝らないで下さい。悪いのはあいつです。あいつが――――」
「構いませんよ。セリアさんにとってはあの人は『あいつ』なんですね」
わたしは恐縮したが、アルトリア様は気にしていないようだ。
だから『あいつ』で通す。
「あいつが軽率だったんです。そんなに早く世の中は変わらない。急激に変えようとすれば大きな反発を呼ぶ。だから、こうなったのも自業自得なんです。少しは置いて行かれる妻子のことも考えるべきです」
怒りながら文句を言うわたし。
そんなわたしを見ながらアルトリア様がクスッと笑って、
「お互い苦労しますね」
「本当です!――あ、いえっ…………」
「セリアさんのお気持ちを知っていながら、あの人を奪ってしまいました。今更ですが、謝罪させて下さい」
アルトリア様が深く頭を下げる。
わたしは慌てて、
「頭をお上げ下さい、アルトリア様。そもそもあいつが召喚された時からこうなることはわかっていたんです。横恋慕したわたしが悪いんです。だから、謝るのはわたしの方です」
深く頭を下げる。
暫く続く沈黙の時間。
わたしの後ろに立つ独立派の代表者達も黙ってそれを見守っている。
わたしとアルトリア様が同時に頭を上げて、お互いを見て笑う。
「これでは話が進みませんね」
「そうですね」
アルトリア様がカップの紅茶で喉を潤してから、
「軽率だったとしても、賽は投げられました。ならば、わたくしはそれを後押しするだけです。布告だけでなく、各独立派義勇軍と統一聖皇国軍との戦闘終結と勢力引き離し、そして停戦監視の為に、聖女直衛の近衛軍を派遣しましょう」
「「「「「「ありがとうございます、聖女様」」」」」」
独立派の代表者達が一斉に頭を下げて感謝を表す。
「わたしもこれであいつとの約束を果たせます」
わたしは立ち上がって、同じく立ち上がったアルトリア様と握手を交わす。
「お時間です、セリア様」
タナクが耳打ちしてきた。
「行かれるのですか?」
「ええ、これからアナトリア王国に行きます。そこであいつが来るのを待ちます」
聖女派の貴族や大商人の協力は既に取り付けてある。
サツキと約束したことは全てやりおおせたはずよ。
だから、あとは聖都から脱出したサツキ達を迎えるだけ。
「あの人もそこへ? もしかして、正妻のわたくしに向かって堂々と逢引宣言ですか?」
何を言われたのか、一瞬、理解が及ばなかった。
わたしはキョトンとしてしまった。
でも、それはアルトリア様のジョークなんだろう。
だから、アルトリア様に穏やかな表情を向ける。
「アルトリア様には感謝しているんですよ」
「感謝?」
アルトリア様が意外そうに訊き返す。
「ええ。堅物で融通の利かないわたしを勇者一行に指名してくれたことをです」
「勇者一行に不平不満タラタラ、と報告を受けていましたが?」
アルトリア様が悪戯っぽい表情を浮かべる。
「最初は、です。でも、彼等と一緒に旅することでわたしは成長できました。『亜人なんか』って思っていたわたしが亜人達に協力したいと思えるくらいには」
「そうですか」
それを訊いたアルトリア様は微笑むと、
「あなたのようなお妾さんなら認めてもいいのですよ?」
「ご安心下さい、アルトリア様。あいつとわたしは親友同士ですから」
「親友ですか。それは強敵ですね。困りましたわね」
「せいぜい困って下さい。では、またいずれ」
そう告げてわたしは颯爽と応接室を後にした。
わたしは独立派の代表者達と神殿の出口に向かう。
「これで独立が勝ち取れそうです」
「ようやく亜人差別から解放されます」
「人間族の領主の圧政が終わります」
「ありがとうございます、セリア様」
口々に感謝を口にする代表者達。
「あなた達は勘違いをしています。わたしは勇者サイガサツキの代弁者に過ぎません。感謝するなら勇者に感謝して頂きたいものですわね」
わたし自身、秘めておこうと思ったことが口をついて出ていた。
案の定、言われた代表者達は恐縮して黙り込んでしまった。
あ~あ、余計な事を言ってしまったわね。
彼等に悪気は無かったはずなのに。
わたしも修行が足りないわ。
せめて、シルクみたいに本心を隠せれば。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずかタナクが嬉しそうに話し掛けてきた。
「サツキ様の理想の世界がやってきますね、セリア様」
「嬉しそうにしているところ申し訳ないのですけど、タナク。アナトリアの王都に着くまでに一人前の神官に鍛えてあげるから覚悟なさい」
「セリア様はスパルタだから、擦り切れちゃいそうですよ」
「少年。言葉には気を付けなさい。わたしはどこかの大賢者みたいにボロ雑巾になるまでシゴいたりなんかしないわよ」
神殿の外はもうすぐだ。
「迎えの高速馬車が来ました」
護衛のラステルが駆けて来た。
「神殿内では走っては駄目よ、ラステル」
「申し訳ありません、セリア様!!!」
「神殿の中で大きな声も――――」
「あれ、神殿の前、閑散としてますね。門番の騎士もいないし」
一足先に神殿を出たタナクが周りを見渡して言った。
神殿の外に出る。
ここのところ神殿に日参していたが、神殿の前はいつも人通りが多かった。
なのに、今は人っ子一人居ない。
「統一聖皇国側も形勢不利のようだから、遂に市民の徴兵まで始めたのでしょう」
「まあ、道が空いているなら、全力でぶっ飛ばせますよ」
「なんですか、タナク。あなたもこれから神官を目指すのですから『ぶっ飛ばす』なんて下品な言葉を使ってはいけませんよ」
「セリア様に似たんです」
「これは前途多難ですわね」
でも、ようやく。
ようやく動き出した。
魔王を討伐し、亜人の権利獲得に尽力したサツキの功績が今実ろうとしている。
サツキ自身は王座を追い落とされて失脚してしまったけど、サツキは王座なんか惜しくはないだろう。
元々、望んで得た立場ではなかったのだし。
それに、もうすぐ、アナトリア王国でサツキと再会できる。
そこであいつと穏やかに暮らせればいい。
いけ好かないエルフと色事師も一緒というのが気にはなるのだけれど。
でも、サツキがいつも語ってくれていた理想の生活が実現できるはずではあるのよ。
アナトリアへ向かう高速馬車は目の前。
その時。
バラバラバラバラ。
神殿の出入口から少し離れた場所に何者かの集団が現れた。
対応しようとして剣を抜いたラステルが、
「がっ!」
[ストーンバレット]で打ち抜かれた。
わたしはとっさに盾になってタナクを庇い、後から出て来た独立派の代表者達の前に[結界]を展開する。
容赦無い[ストーンバレット]の石弾連続射撃が襲い掛かって来る。
これ、ただの石弾じゃない。
先端を尖らせた殺傷力の高い石弾。
炎弾を使わないのは神殿に燃え移るのを危惧した為?
わたしが展開した[結界]は独立派の代表者達を守る為に神殿の出入口を覆っている。
充分に役目を果たしているわね。
でも、とっさにタナクを庇ったわたしは無防備。
次々と石弾がわたしの身体を刺し貫く。
「セリア様っ!! 何やってるんですかっ!! セリア様っ!!」
タナクがわたしから離れようと藻掻いた。
わたしは、タナクを背中から抱き締めた右手に力を込め、身動きが取れないようにする。
その間も[ストーンバレット]による石弾連続射撃が続いた。
白昼堂々、神殿前で行われた凶行。
にもかかわらず、通りは人払いされたように誰もおらず、石弾の打撃音が鳴り響いているのに誰も駆けつけて来ない。
間違いない。
これは仕組まれたテロ。
一発の[ストーンジャベリン]がわたしの左腕を持って行った。
「離して下さいっ!! セリア様っ!! セリア様が死んでしまうっ!!」
わたしはタナクが無傷であることを確認すると、
「あなた達!! いい加減にしなさい!!」
右手を賊に翳して[エクスプロージョン(小)]を放つ。
狙い違わず爆炎が賊のほとんどを灰も残さず焼き尽くす。
その直前に賊から放たれた[ストーンジャベリン]がわたしの右腕も持って行った。
「セリア枢機卿はもう終わりだ! 撤収しろ!」
賊の残りが急いで撤収して行くのが見える。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ」
わたし、息遣いが荒くなってるみたいね。
出血も酷いわ。
息苦しいわね。
肺に穴でも開いたかしら。
周囲に不安を与えないように苦しいながらも不敵な笑いを零す。
「なによ。初めて攻撃魔法を使ったけど、結構制圧力高いじゃない」
わたしの体からの溢れ出す血が足元に血溜りを拡げていく。
「治癒魔法を…………ああ、両手無くなってるわ。治癒魔法使えないじゃないの」
タナクがわたしに蹲って涙を流している。
「セリア様…………ああっ…………ああっ…………」
「落ち着きなさい、タナク。なんて狼狽えようなの」
「だって…………だって…………」
わたしは苦しいながらも立ち上がり、笑ってタナクを見降ろす。
「わたしは…………勇者一行の…………特級神官…………よ。こんな…………の、大した…………傷じゃ…………ないん…………だからね。」
タナクもラステルも、そんなわたしを見上げながら涙を流し続けている。
そうね。
あなた達が考える通りよ。
もうわたしは助からない。
でも、元気づけなくてはね。
あいつなら多分そうする。
「何でそんな悲壮な顔をしているの? これから、わたし達、旅立つのよ」
タナクがわたしに訴え掛けてきた。
「何で…………何で…………僕なんかを…………」
「勇者一行が…………人助けを…………するのは…………当然…………のこと…………なの…………よ。…………ましてや…………それが…………将来…………有望な…………神官の…………卵…………ならね」
「でもっ!」
わたしは息を落ち着けてタナクに言い聞かせるように言う。
「勇者サツキなら迷いなくそうするはず。サツキがそうするはずならわたしもそうしなければ彼の横には立てないのよ。それが親友のサツキに恥じない行いをすると誓ったわたしの矜持」
それだけ言ったわたしは、高速馬車に向けて歩き出す。
涙しながら動かないタナク少年とラステル神官に背を向けて。
「何をもたもたしているのかしら。さあ行くわよ。サツキ達が待っているのだから」
立っているのが不思議なくらいの状態。
歩く度に溢れ出る血が、後ろに真っ赤なカーペットを広げていく。
[結界]が解けた。
わたしの力が尽きてきたからだ。
独立派の代表者達の誰もが呆然としている。
「早く…………早く…………行かなければ…………遅れてあいつに嫌味を…………言われない…………ように」
我に返った独立派の代表者達が、部下に指示を出している。
「聖女様を!」
「神官を呼んで来い!」
「速く、担架を!」
何か周りがやかましいわね。
わたしは歩みを続ける。
行かなければ。
ああ、サツキの元に行かなければ。
あれ、足元がふらついて、速く歩けないわね。
ねえ、サツキ。
わたし、あなたに感謝してるのよ。
狭い教義に縛られた世界にいたわたしに広い外の世界を教えてくれたことを。
信仰以外に興味の無かったわたしに、愛情や、そしてかけがえのない友情を教えてくれたことを。
あなたの伴侶にはなれなかったけど、伴侶も羨むような親友になれたことを。
『約束してくれ。どんなことがあってもどこにいても志だけは一緒に歩み続けることを』
「わかっているわよ、サツキ。わたしは歩み続けるわ。あなたの理想の行き着く先まで。そして、あなたがそこに辿り着けなければ、わたしが先に辿り着いて、あなたが無事辿り着けるように手助けしてあげる」
わたしは歩み続ける。
「だって、サツキ。わたし達は堅い絆で結ばれた、伴侶も羨むような親友なのだから」
空を見上げる。
いつの間に夜になったのかしら?
今日は星も見えないのね。
あれ?
なんだか、暖かい。
お風呂場かしら。
「血が止まらない! 止血が間に合わない!」
慌てた声が訊こえる。
ふわりと頭が浮くような感覚。
誰かの暖かい腕。
「セリアさんっ!」
アルトリア様の声?
「特級神官か1級神官をここへ!」
「1級以上の神官は全員司教帝陛下に呼び出されてここには…………」
「お爺様っ! 謀ったのですねっ!」
「ですから…………セリア様はもう…………」
遠くで訊こえた声で自分の現状を悟る。
そっか、もうダメかあ。
サツキ、ごめん。
わたしはここで退場みたい。
まんまと司教帝に嵌められちゃった。
そして、このまま行くと、あなたも退場することになりそうよ。
でも、安心して、サツキ。
わたしはもっと高みを目指すわ。
そして、わたしがあなたを導いてあげるから。
次こそ、あなたの望む世界を用意してあげるから。
だから、待っていてね、わたしの親友。
――――――――――――――――――――
セリアから意識が離れた俺は天上から彼女を見下ろしていた。
駆け付けた多くの人に看取られながらセリアが息を引き取った。
その顔に浮かぶのは、これから何かを成し遂げようとする決意を秘めた表情。
これは彼女の最期の記憶。
結局、俺は見ていることしかできなかった。
だって、これは過去の出来事なのだから。
『これが彼女の最期だよ』
また、頭の中に声が響いてきた。
「なぜセリアの最期を俺に見せた?」
『『ちょっとしたお節介』って言っただろう?』
「こんなことに何の意味がある?」
『意味はあるよ』
「どんな!?」
『それは自分で突き止めて欲しいね。君が今生でも不幸な結末を迎えたくないのならね』
「嫌な予言するなよ! 気になるだろ!?」
『お、もう時間のようだね』
「おい! 勝手に話を打ち切るなよ!」
『またしかるべき時に呼ぶからね』
「おいっ!」
『それと今の君は仮死状態だ。これを見せる為に君の魂にかなりの無理をさせてしまったからね。早く目覚めないと本当に死んでしまうよ』
「おい、待てっ! こらっ!」
『じゃあ、ごきげんよう』
またもや、ガクンと床が抜けたような感覚の中、俺は下の見えない奈落に落ちて行った。




