059 カルシウム、足りてる?
フォルトナ砂漠を渡り切った。
今日は7月5日。
4日掛かるところを携帯食料を齧りながら寝る間も惜しんで走り続けた結果、3日で踏破した。
ここは、フォルトナ砂漠北辺に接する町、エル・カラル。
馬車の動力源を換装することで発展してきた町だ。
北に向かう馬車は、ここで砂漠用ギムルから馬に付け替える。
俺達のジープの動力源は馬でもギムルでもないからここは通過しても良かったんだが、とにかく寝る間も惜しんで走り続けたから疲労が半端無い。
まともな飯も食いたいし、シャワーも浴びたい。
まだ日は高いが今日の宿にチェックインする。
宿のロビーでロダン、白亜と別れて別行動。
ロダンは人間の生活に興味があるらしく、街の散策をするそうだ。
そう言えば、コルカタでも昼間は別行動だったな。
白亜は冒険者ギルドのエル・カラル出張所に用事があるらしい。
出張所は支部よりこじんまりしていて大した機能は持たない場所なんだそうだ。
例えるなら、支部が警察署で、出張所は交番みたいなものか。
そんなところに何の用があるのやら。
とにもかくにも、やることもなく身軽にほっつき歩くのも久しぶり。
元の世界以来?
砂漠に隣接しているが緑豊かなので風も涼しくて気持ちいい。
エル・カラルは緑化を積極的に行った為、町のあちこちに緑地公園がある。
久しぶりに公園のベンチで昼寝でもするか。
人通りの疎らな公園の奥に進むと中央に噴水のある広場にベンチがあった。
俺はベンチに寝っ転がる。
空は雲一つない青空。
絶好のお昼寝タイ~ム。
やがて、睡魔が襲って来た。
夜通し運転し続けたからなあ。
■
――――――――――――――――――――
「あなたが雑賀皐月ですか?」
ここは神殿の応接の間。
金髪・碧眼の痩身の美女が不機嫌そうにしている。
背丈は俺よりちょっと低いくらいだから5尺半程度。
師匠は6尺半だから頭1つ分くらい差がある。
その女は不機嫌を露わにしながら師匠を見上げて尋ねていた。
爪先立ちで足をプルプル震えさせながら。
顔を上に向けて。
「あなたが雑賀皐月かと訊いているんです!」
「いや、人に名前を訊く時はまず自分から名乗るのが礼儀だろう?」
師匠がひどく真っ当な事を言ったぞ。
「わたしが訊いているんですよ! 早く答えなさい! ひぇっ?」
女がユラリと姿勢を崩した。
背伸びした足首に限界が来たらしい。
「プハッ! 師匠、何、この人? もう最高なんですけど~!」
俺は笑いを堪え切れなくなって吹き出してしまった。
「なっ! 笑うな――――――っ! この無礼者めっ!」
女の怒りが俺に向いてしまった。
「このわたしを誰だと思っているのですか!」
「別に誰だっていいけど?」
「訊け――――――――――っ!!」
女の沸点が更に上昇傾向に。
「まあまあ、落ち着いて。エゲレス語のえ~っと、えっと、カルシウム、足りてる?」
「カルシウム不足でイライラしてるんじゃないわよ――――っ!!!」
女が肩で息している。
「ちなみに、君が『勇者か?』って訊いてる相手は御蔭泰三。勇者パーティーのメンバーだけど勇者じゃないよ。剣豪さんだ」
「じゃあ、勇者はどこよ!?」
「ここにいるよ」
俺はニコニコしながら自分を指さす。
「は?」
「ほらほら、君の目の前だよ、勇者」
言われたことが理解できていなさそうな女に向かって、ニコニコしながら自分を指さす。
「は~いはいはい、部外者は出て行って下さいね。出口はあちら」
退出を命じられてしまった。
まったく、神殿は連絡事項もまともにできないらしい。
「出でけって言われてしまいました。俺はどうすればいいんでしょう?」
「そりゃあ、まあ、出てくしかないわな」
俺と師匠は言われるままに応接の間を出るとそのまま神殿をあとにした。
「これからどうしましょうね?」
「う~ん、神官見習いの娘に訊いたんだが、食い詰めたら冒険者ギルドに行けばいいそうだ。仕事を紹介してくれるらしい」
「神官見習いの娘って、いつ話したんですか?」
「召喚の間から応接の間への移動中にだが?」
「途中、姿が見えなくなったと思ったら、師匠、そんなことしてたんですか?」
「ちょっと若過ぎるが将来性がありそうな――――」
「この性豪め」
「剣豪だが何か?」
二人して冒険者ギルドに向かう。
「※◆◎▽×@□~~~~!!」
と、後ろから声が訊こえたので振り向くと、さっきの女が必死に追い縋って来ていた。
師匠と顔を見合わせて立ち止まる。
「ハアハアハアハアハアハアハアハア」
追いついて来た女が汗だくになって膝に手を突いて荒い息をしている。
「なんで…………っ」
「「へっ?」」
「なんで勝手に出ていくのですか――――っ!!」
怒鳴りつけられてしまった。
「だって出ていけって言ったじゃん」
言われたとおりにしただけ。俺達は悪くない。
「勇者なら勇者って、ちゃんと申告して下さいよっ! 怒られちゃったじゃないですか、アルトリア様に!」
ああ、聖女に怒られたんだね。
上から目線で権威振りかざすから罰が当たったんだよ。ざまあ。
「こいつ、ちゃんと言ったぞ。『ここにいるよ』『君の目の前だよ、勇者』って。信じなかったのはおまえの方じゃないか。早とちりなんだよ。ちゃんと人の話は最後まで訊きなさいって習わなかったのか?」
「だって…………こんなヘラッとした男が勇者だなんて思わなかったんだもの」
「皐月。おまえ、勇者に見えないってさ。しかも言い分が酷いよな?『ヘラッとした男』だとよ」
「くっ!」
「もう勇者なんか廃業しちゃえよ。どうせ、おまえ、こいつに勇者の器じゃないって思われてるみたいだし」
「…………」
「ん~~~? 何か言ったか? 聞こえないぞお?」
「…………ごめんなさい」
「は?」
「ごめんなさい」
「なんだ、ちゃんと、人並みに謝罪できるんじゃないか。てっきり女の皮を被った人でなしだと思ったぜ」
「くううううう!」
「なにせ、ほら、女性なら何でもござれの俺が絶対に手を出すまいって思ったくらいだぜ?」
「おおぅ、師匠すら跨いで避ける女…………凄ぇ…………」
「くくくぅぅぅぅ!」
「酷いなあ、師匠は。ほら、もうそのくらいにしてあげましょうよ」
俺に向いた女の表情がパアアアアアアッと明るくなる。
「この人、神官みたいだし。魔王討伐、じゃなかった、魔王の【暴虐】阻止の旅には神官は必要ですよ。魔獣や魔物、それにやっかいな魔族から手傷を負ったら、治癒は誰がするんですか? 神官ですよ。一家に一台、じゃなかった、1パーティーに1人、必要ですよ、神官」
ウンウンと嬉しそうに頷いてる神官。
「でも、こいつ、人を見下してやがるからなあ。一緒に旅は勘弁して欲しいよなあ」
女が師匠に向ける目は『黙ってろ』。
「人だと思うからムカつくんでしょう、師匠? だから、こう思えばいいんですよ」
俺はヘラッと笑いながら、女を指差して、
「これは人ではなく『治癒魔法が使えるけど偶に毒も吐くカラクリ人形』なんだって」
今度こそ、女はガックリと両手両膝を地に突いて項垂れてしまった。
「俺はおまえが怖いよ。俺よりひでぇじゃねえか」
俺はこの人の心を折ってしまったようだ。
まあ、仕方無いよね。不可抗力だし。
「君の名、性別、年齢、職業を教えてよ?」
「セリア。女。15歳。特級神官。リザニア聖教会の枢機卿」
無表情に答えるこの人の目から光が失われているよ。
まるで、ただの屍、いや、ただのカラクリ人形のようだ。
俺は努めて明るく振舞う。さっきの心を折る呪文なんか無かったかのように。
「へえ、俺と同い年なんだ。改めて自己紹介。俺が勇者、雑賀皐月、15歳。勇者パーティーにようこそ。これから、よろしくね、セリア枢機卿」
笑顔で右手を出す。
「セリアでいいわよ」
そして、セリアは不愛想に俺の手を取ると、
「こ・れ・か・ら・よ・ろ・し・く・ね・っ!」
神官らしからぬ強い握力で握り返された。
あれ?
「わたし、最初はアルトリア様の命だから仕方無く、というか渋々、勇者パーティーメンバーになったのよ。でも…………」
セリアの瞳に炎が灯ったような気が…………
セリアはクワッと目を見開いて、ワンドの先を俺に向けながら、
「わたしは神の名の元、迷える子羊を導かなければならないのよ。それがどんなに憎たらしい子羊でもね。だから覚悟しなさい、サツキ。魔王の【暴虐】を阻止して再び聖都に戻って来るまでに、あんたの性根を叩き直してあげるわ。アルトリア様の夫に相応しくなるように!」
「え~~~~っ!?」
どうやら、このめんどくさい女、セリアとの付き合いは長くなりそうだ。
そんな気がした。
――――――――――――――――――――
■
場面が変わり、俺は〖空間〗としか表現できない場所にいた。
地に足をつけている感覚が無く、周りに靄が掛かった空間。
この情景には見覚えがある。
また、セレスティアに魂魄召喚されたのか?
「お~い、性懲りもなくまた俺を呼んだのか~?」
辺りに誰もいない。
人を呼びつけておいて、本人は遅刻?
何様?
ああ、神様だった。
「バ~カ、バ~カ、うっかり女神~」
「だ~れが、うっかり女神だ!?」
真後ろから凄まれた。
まともに正面から現れられんのか?
「で、何の用? また、俺、怒られるの? それとも現在地? 言わないよ」
「違いますよ。今日はあなたを褒める為に呼んだのです」
「褒める?」
「ベルゼビュートの討伐、ご苦労様でした。ちゃんと、勇者らしいこともできるんですね。天地がひっくり返るくらいの驚きですよ」
「ねえ、それ褒めてる? 褒めてるの? 違うよね? 貶してるよね?」
「こほん。ちゃんと褒めてますよ」
「褒めるってのはさあ。『よくぞベルゼビュートを倒してくれました。やはり、わたしが見込んだ勇者様。ご褒美にあなたに自由を差し上げましょう。監視ももう止めます』と言って俺の指名手配を取り下げて無罪放免するって――――」
「調子に乗るなよ! 斎賀五月――――ッ! わたしを騙して逃亡した件、簡単には許さないわよ! 勇者逃亡なんて前代未聞なんだからねっ! これじゃ、創造神様の下す査定が下がってしまうじゃないの!」
「心配するな。セレスティアの査定額は安値安定だから」
「だ~れが、安値安定だっ! わたしは周囲に比べて女神になるのが早かったのよ! 昇進昇格が歴代最速なの。でも、あんたが現れたせいで…………」
「人のせいにしてはいけないよ。まあ、俺の元居た世界でも、下っ端のうちは超優秀だった人が管理職になったら無能になっちゃった、なんて事例が五万とあるくらいだから」
「それがわたしに当てはまるって言いたいわけ?」
「そうだね。セレスティアは女神見習いのうちは優秀だったんだよ。でも、今ではすっかり無能な駄女神になった。それは別に驚いたり悲しんだりすることじゃない。五万とある事例の一つに過ぎないんだよ。よくあることさ。気に病むことじゃない。よかったね。これで安心できるね」
セレスティアが拳をグッと握り締めてブルブル震えている。
そんなに感動した?
「感動…………するかああああああ!」
うわあ、俺の心を読んだ女神が般若に変化した。
そして、震える両の掌を見詰めながら、
「わたしの評価が…………わたしの査定が…………」
情緒不安定だなあ。
カルシウム、足りてる?
やばそうだから、そろそろお暇するか。
「という訳で、本日はこんなところで」
手を上げて挨拶して帰ろうとしたら、
「待て、待て、待て――い!」
止められた。
「目覚める兆候も無いのに、どこに帰ろうって言うのよ!?」
「さっきの夢の続きかなあ」
「夢?」
セレスティアが興味本位に喰い付いた。
しめしめ、これで話題を変えて・・・・・おっと、心を読まれるんだった。
「いやあ、何か1000年前の勇者? 雑賀皐月だっけ? エーデルフェルトに召喚されて以来、その勇者の夢をちょくちょく見るようになったんだよ」
「勇者の夢?」
「うん、1000年前の勇者の夢。ただ、時系列的に連続したって感じじゃなくてね。いろんなシーンを断片的にって言うか。そこからわかったことは、どうやら、勇者は幕末の維新志士だったみたい」
「それで、どんなシーンを見たの?」
「そうだね。幕末の長州、幕末の京都、勇者召喚された前後、それから、女神官との出会いの夢かな」
一瞬だがセレスティアがピクッと震えたような気がした。
「丁度、今、その女神官との出会いの夢を見ていたところでさあ。まあ、訊いてよ。その女神官、とんでもない高飛車女でさ。頭から勇者を否定するんだよ。しかもろくに話も訊かずに勇者を神殿から追い払うんだよ。酷いよね。まあ、聖女に怒られて半ベソで勇者を追っかけて来たんだけどね」
「半ベソなんてかいてないもんっ!!」
「えっ?」
「えっ!」
セレスティアがいきなり怒鳴ったので、驚いてしまった。
怒鳴ったセレスティアも驚いている。
ん~~~~?
まあ、いいか、続けよう。
「それでさ。勇者の師匠ってヤツが女神官を論破するんだけど、それ以上に痛快なのは勇者でね。女神官の心に止めを刺すんだよ。ざまあだよね。ねっ」
あれ、セレスティアを取り巻くオーラが澱んでるぞ。
「で、その女神官の名がセリ――――」
「もう、帰りなさい」
セレスティアは俯いているから表情が見えない。
「もう、帰れ! そして起きてしまえ! 夢の続きも見ないでよろしい!」
「何だよ、急に。呼んでみたり帰れって言ってみたり。ちょっと勝手すぎやしないか?」
「うるさいっ!!!」
ガクンと床が抜けたような感覚の中、俺は下の見えない奈落に落ちて行った。
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■
ん?
目を覚ますと白亜がベンチで横になっている俺を見下ろしていた。
「どうしたのじゃ、イツキ?」
「ああ、ちょっと夢を見ていた」
「どんな夢?」
「ああ、目が覚めたら忘れちゃったよ。どんな夢だったかなあ?」
もちろん、これは嘘。
俺は夢の内容をしっかり覚えている。
セレスティアとの件も秘密だ。
俺は起き上がってベンチに腰かけ直す。
白亜が横に腰かけて身を寄せて来た。
「コルカタで言ったことは妾の本心じゃ」
「嬉しいんだけど、実際のところ困ってもいる」
俺は白亜のことを今一歩信じきれていない。
一般的に女の子は子供の頃は『お父さんのお嫁さんになる』とか『お兄ちゃんのお嫁さんになる』とか言う。でも、それは子供の頃は認識できる世界が狭いために、身近にしか目がいかないからだ。だが、そんな子供も成長するにつれて外の世界に目を向け、多くの出会いと別れを繰り返し、やがて最適な相手を見つける。
白亜の世界も狭い。彼女は武人としての世界しか知らない。だから、身近な俺に目を向ける。彼女の言うところに『イツキの嫁』とは、『お父さんのお嫁さん』とか『お兄ちゃんのお嫁さん』に他ならない。だが、そんな彼女も他の子供同様、成長するにつれて外の世界に目を向け、多くの出会いと別れを繰り返し、やがて最適な相手を見つけることになるだろう。
その時、彼女は『イツキの嫁』になろうとするだろうか。いや、白亜は一流の武人らしく義理堅い。とすれば、白亜は本心を偽って『イツキの嫁』になろうとするだろう。
それが、彼女の幸せか?
否、そんなはずはない。
ここで俺が白亜を囲い込んでしまったら、彼女の可能性が断たれてしまうだろう。
だから、白亜は俺の嫁ではなく妹であらねばならない。
「この件は、白亜がもっと大人になってから改めて考えよう」
俺はそう言うしかなかった。
「妾は本気じゃ!」
「うんうん、そうだね。その意志、続くといいね」
そう言ったら、頬を抓られた。
「いひゃい」
最近、暴力的になってきたなあ。
ねえ、白亜さん、カルシウム、足りてる?
そして、
「イツキの馬鹿あっ! イツキなんか、イツキなんか、建具の角に足の小指をぶつけてしまえばいいのじゃあ!」
えげつない捨て台詞を残して宿の方に走って行ってしまった。
やれやれ、どうしたもんかねえ。
明日までに機嫌を直してくれればいいんだが…………




