056 鬱陶しい蝿に纏わりつかれるのも面倒なので
「この親書を辺境警備隊長のサハニ氏に渡して頂きたいんですよ。」
俺はシルスキー商会のコルカタ支店の応接室に居た。
護衛任務の謝礼を受け取る為だ。
コルカタ支店は開所準備で雑然としていたが、応接室は綺麗に片付いていた。
応接室のドアの外からは開所準備で駆けずり回る商会員の足音や声が訊こえる。
少なくない謝礼を受け取った後、雑談しているうちに俺達の行先についての話になった。
俺達が北部辺境のネヴィル村に行くことを知ったシルスキーさんがテーブルに置いたのが件の親書だ。
事情はちょっと複雑。
本来、シルスキーさんがこの親書を託す相手は王国逓信省コルカタ支部のネヴィル村担当親書配達員のはずだった。
何故、シルスキーさんなのか。
それはシルスキー商会が王国内の拠点間配送業務も担っているからだ。
たまたま、シルスキーさん本人がコルカタに向かうということで、親書を託された。
託した相手は国王。
託されたのは、王国貴族であるシルスキー伯爵。
国王命令の失敗は許されない。
でも、シルスキーさん本人は楽観していた。
コルカタでネヴィル村担当親書配達員にこの親書を渡すだけだ。
本業のついでの簡単なお仕事、のはずだった。
だが、事情は違った。
ネヴィル村担当親書配達員が砂漠で消息不明になった。
これでは、親書は渡せない。
では、シルスキーさんが直接ネヴィル村まで赴けばいいのでは?
そう簡単な話ではないらしい。
〖制限区域〗手前の砦までは行けるが、その先に進めるのは《S》ランク以上を保持する冒険者と予め許可されている逓信省の配達員のみ。
それ以外の者の〖制限区域〗への立ち入りには王国の内務卿と外務卿連名の通行許可証が必要。
まあ、今は内務卿と外務卿を兼ねる国務長官の裁可があればいいらしいが。
親書は勅命が記された命令書。
しかもご丁寧に開封日時を指定した封緘命令付き。
開封日時は8月15日だ。
ちなみに今日は6月29日。
コルカタから砂漠越えに20日、そこから馬を飛ばして20日。
何も無ければギリギリ間に合う距離だが、コルカタでネヴィル村担当親書配達員に渡す命令だけを受けていたシルスキーさんにとって、通行許可証が必要になる状況は想定外だ。
当然、通行許可証なんか持っていない。
今から、コルカタと王都を往復する時間と通行許可証の発給審査に掛かる時間から導き出された答えは、『間に合わない』。
どうすればいいか悩んでいたシルスキーさん。
そんなところに現れた俺は正に『渡りに船』だった。
「まあ、行先は同じですからいいですけど」
「ちなみに、サハニ氏には8月15日に渡して下さい。くれぐれもその日より前に渡さないで下さい。くれぐれも、ですよ」
「ちょっと意味がわからないんですが…………」
「あの男は、開封日時なんて関係なく開けてしまうんですよ」
「えっ? 封緘命令書なんですよね?」
「だからですよ。封緘命令書なら、尚のこと、開封したい誘惑に駆られて開けちゃうんですよ、あの男は」
『やるな』と言われるとやってしまう。
『押すな』と言われると押してしまう。
小学校の廊下に設置された火災報知器のボタンを押してしまうような男、オマル・サハニ。
あんた、子供かよ。
「わかりました。辺境警備隊長オマル・サハニさんに渡しておきます」
「くれぐれも――――」
「8月15日にですね」
それにしても、ネヴィル村の担当親書配達員はどこに消えた?
魔物に襲われた?
いや、定期業務だ。
砂漠の魔物くらい想定済みのはず。
だとすれば、シルスキーさん達の時のようにカラトバ関連の襲撃だろう。
そもそも、連中はどこから来た?
砂漠には拠点になりそうな場所は無いから、あるとすればここコルカタだろう。
コルカタのどこかに潜伏場所があるはずだ。
この先、鬱陶しい蝿に纏わりつかれるのも面倒なので、潰しておくか?
◆ ◆ ◆
コルカタはフォルトナ砂漠の中央部に位置するオアシスの町である。
フォルトナ砂漠自体、東西に7000km、南北に2000kmに渡って広がっている。
砂漠を縦断するルートなら2000km、砂漠を回避するルートを取れば9000km。
当然、王国北部と中部を行き来する場合、フォルトナ砂漠を縦断するルートを取る。
コルカタはそのルート上の補給拠点として重要な役割を担っている。
オアシスだから、砂漠を渡る様々な人々がこの町を訪れる。
それを目当てに宿が立てられ、交易品も取引されるようになる。
そうして通りには店舗や露店が立ち並び、繁華街が出来上がった。
今、白亜はカララギの女性陣と繁華街に繰り出していた。
特に買い物をする訳でもなく、気軽なウィンドウショッピングを楽しむ。
そんな中、白亜は繁華街の往来でいきなり腕を掴まれた。
掴んだのは、髭面の遊牧民のヤサ男。
「おい、こいつにしよう」
ヤサ男は後ろに付き従う屈強な男達にそう言った。
「ちょっと待ちなさい。その娘をどうするつもり?」
リミアがヤサ男に迫る。
「どうするって、オレのハーレムに加えるのさ。おまえらと違って誰のものでもないようだしな」
ヤサ男はカララギの女性陣の左手薬指を指差す。
遊牧民にとって女は家畜同様に所有物で人権は無い。
だから女が嵌める結婚指輪は、その女が誰かの所有物であることを表す。
ちなみに、他人の所有物を奪うのは重罪。
最悪、一族の手により粛清される。
白亜はまだ14歳だから、一般的な基準では誰の所有物でもない。
手中に収めた者の持ち物になる。
だから、遊牧民は娘を外に出さない。
持ち去られてしまうからだ。
「残念。その娘、もう他に所有者がいるわよ。左手を見てご覧なさい」
リミアに言われて、白亜の左手を見るヤサ男。
白亜の左手に光る指輪を見て目を剝いた。
「なっ! もう夫がいるというのか!? こんな子供なのに!」
自分のことは棚に上げるヤサ男。
『子供』の一言に白亜が反応した。
「いつまで妾の腕を掴んでおるのじゃ!? 離さんか、無礼者めっ!」
白亜が思いっ切り腕を振り払うと、ヤサ男は吹っ飛ばされ、路地のゴミ溜めに突っ込んでいった。
「だ、大丈夫ですか、ラファール様!」
従者達と思われる屈強な男達がラファールという名のヤサ男の所に駆けていく。
それを歯牙にもかけず、白亜が、
「さあ、無駄な時間を取った。昼飯を食べに行こう」
「大丈夫?」
「妾は大丈夫じゃよ。でも、掴まれたところは不潔だから消毒しておかねば」
従者の手を借りて身体を起こしたラファール。
プライドの高い男が小娘に吹っ飛ばされてゴミ塗れ。
『不潔だから消毒』という言葉も確かに聴いた。
「あの小娘、タダではおかんぞ! 身の程を思い知らせてくれるわ!」
ラファールは復讐を誓うのだった。
■
夕方、カララギの女性陣と一緒に宿に戻ったがイツキは不在だった。
(まだ、シルスキー商会から帰っておらぬのか?)
白亜は迎えに行ってやろうと宿のロビーから往来に出る。
その時だった。
白亜の背後からその口を塞ぐように布が当てられた。
(しまった! 急性の弛緩毒か!?)
そう思った時には体から力が抜けていた。
意識も薄れつつある。
(すまぬ、兄者。油断したのじゃ)
意識を失った白亜を担いだ男の元に馬車が横付けされた。
白亜と男を乗せた馬車は足早に走り去っていった。
その一連の出来事をリンシャがロビーから目撃していた。
「大変だわ! 仲間に、イツキさんに知らせなければ!」
◆ ◆ ◆
コルカタ東部区域は物資が集められた倉庫街になっている。
軍の倉庫だけでなく様々な業者の倉庫も立ち並ぶ。
表通りに面した倉庫は物資の搬入・搬出が頻繁に行われ、人の出入りも激しい。
一方、奥まった倉庫の多くは業者が廃業したり、建物の痛みが激しかったりで、打ち捨てられた廃墟街と化していて、人通りも無く閑散としている。
その1つ、巨大な倉庫が、民間軍事会社ブラッドストーン・インターナショナル、通称BIの傭兵部門のアジトである。
倉庫の外観は古びた廃倉庫に見えるが、内部は改造されている。
1階部分は傭兵詰所と武器庫と弾薬庫。
2階部分は兵舎と社員食堂と管理職の執務室。
「あいつら、なかなか帰って来ませんねえ」
1階の傭兵詰所で、男が剣を手入れしながら同僚の魔導士に語り掛けた。
「確かに遅いな。どっかで油でも売ってるんじゃないか?」
「てことは、国王の封緘命令書を強奪できたってことですかね?」
「まあ、相手は商人貴族と《A》ランク冒険者パーティーだ。しくじることは無いさ」
「俺も参加したかったなあ。成功すれば特別ボーナスですぜ」
そんな話をしていると、2階から男が降りて来た。
「あ、支店長、お疲れ様です」
魔道士が直立不動の姿勢で敬礼する。
「係長。楽にしていい。それと敬礼も止めろ」
「しかし――――」
「俺達は軍人じゃない。民間企業の社員なんだから」
「はい…………」
支店長と呼ばれた男は、BI社のアナトリア王国コルカタ支店を取り纏める特級魔導士、セルゲイ・シュワルコフ。額が後退した赤髪。小柄だが戦士や重装騎士のように鍛え上げられた肉体。顔は日に焼けて皺が刻まれている。どこから見ても70代のマッチョ老人なのだが、これでも50代だ。かつては聖皇国の冒険者ギルドの《AAA》ランク冒険者をやっていたが、30代になってから安定を求めてBI社に転職した。要人誘拐、暗殺、他国での都市非正規戦、施設破壊、テロ組織への軍事訓練等、会社の業務命令なら何でもやった。それが中途入社のシュワルコフを現在の地位に押し上げた。
「特務課からの連絡はどうなっている?」
前回の業務命令は『辺境のネヴィル村の連絡手段の寸断』。
これについては、王国逓信省コルカタ支部のネヴィル村担当親書配達員と予備配達員を殺すことで達成できた。
今回の業務命令は『アナトリア国王の封緘命令書の強奪と隠滅』。
現在遂行中の重要案件だ。
スポンサーからの伝令書も課長に渡した。
「念のため、こちらからも特務課に連絡員を送れ!」
「はい、アサシンを遣わせます!」
「封緘命令書だけでもなるはやで――――」
「封緘命令書はこれかな?」
振り向くとそこに一人の男が立っていた。
片側を織り上げたサンドイエローの見たことも無い帽子を被り、やはりサンドイエローの見たことも無い服装の若い男が。
その手には1通の封書。
「これは俺が預かったから」
シュワルコフは努めて冷静に振舞おうとした。
「その封書を渡してくれたら、それ相応の謝礼を払おうじゃないか」
「謝礼なんかいらないよ。これは俺が受取人に届けるんだから」
「そもそも、それは我々のものだ。返してくれないかね?」
特務課は封書を入手したが、帰還中にどこかで落としてしまったのだろう。
それを知らない若者が拾った?
そこまで考えてシュワルコフは気付いてしまった。
じゃあ、何でこの男はここにいるんだ?
「シルスキーさんの隊商を襲ったのはあんたたちだろう、ブラッドストーン・インターナショナルさん?」
落ち着いた様子の若者が確信を突いて来た。
「あんたたちが狙ってるのがこれなことくらいわかるよ」
封書をヒラヒラさせる。
「で、これを預かった俺としては、鬱陶しい蝿に纏わりつかれるのは願い下げなんだよ」
封緘命令書の中身は気になったが、封緘命令書が受取人に届くのは絶対に阻止しなければならない。
シュワルコフはこっそり後ろ手に指示を出す。
「アイシクルガトリング!」
シュワルコフの後ろの魔導士が氷弾連続射撃を若い男に向けて放つ。
他の属性の攻撃魔法を使用しなかったのは、隣が弾薬庫だからだ。
火属性の攻撃魔法を行使すれば爆弾に誘爆するし、土属性の攻撃魔法を行使すれば衝撃で薬品が反応するかもしれない。
だが、若い男は防御体勢も取らずに生身で氷弾を受けた。
(バカなやつめ)
シュワルコフは若い男があっけなく倒されたと思った。
が、その男は無傷だった。
「なっ!」
「あ、そうそう、名乗ってなかったね」
男は右手を上に掲げた。
手の上に火球が現れる。
「何をする! そこは弾薬庫だぞ! そんなことをすればおまえもタダでは済まんぞ!」
気にした素振りも見せず、男は続ける。
「俺の名は、サイガイツキ。《SS》ランクの冒険者。職業は賢者だ」
「まさか…………おまえが…………ベルゼビュートを倒したという」
目の前の男が英雄・賢者サイガイツキ。
だとすれば、特務課はこの男に――――
火球は大きさを増し、色もオレンジから白を経て青白色に。
「待て! 止めろ――――っ!!」
「だから、冥途の土産に憶えておくといいよ。エクスプロージョン(中)」
イツキから放たれた爆裂魔法が弾薬庫を直撃する。
ズ――――――ン!
ゴヴァアアアアアアアア!
ドーン!
ブワアアアア!
ドカーン!
弾薬の爆発と誘爆。
シュワルコフを含むBIの社員は残らず爆発に巻き込まれて亡くなった。
爆発はBIの拠点倉庫だけでなく、周囲の廃倉庫の多くを巻き込んで、一帯を更地に変えた。
その爆心地に立つイツキは勇者の加護[絶対防御]により無傷。
ただ、頭に載っていたテンガロン・ハットは吹き飛ばされて灰になっていた。
「ありゃりゃ、お気に入りだったんだけどなあ」
頭を掻きながら、
「でもまあ、蝿の駆除は終わったし。廃墟街も解体作業無しに更地にできたし。充分、社会貢献できたんじゃないかな?」
あたりを見回して、
「誰も見てなかったんだよね。これじゃ、誰も褒めてくれないなあ」
沈みつつある夕日を眺めながら呟いた。
「このことを白亜に話したら褒めてくれるだろうから、まあいっか?」
イツキは宿屋に向かってのんびり歩き始めた。
日がとっぷり暮れた頃に宿に着いたイツキを待っていたのは、白亜拉致の報だった。




