044 魔公爵ベルゼビュート
「エクスプロージョン。」
という落ち着き払った声と共に、突然、爆裂魔法攻撃が襲って来た。
「アイスエリアシールド!」
サリナさんが素早く展開した特級氷属性範囲防御魔法の防殻により難を逃れるが、防殻も対消滅した。
「ほう。人間のくせに私の不意打ちを止められましたか」
「わたしはエルフだから、人間よりあんた達に近いけどね」
ホールの中央に1人の男が立っていた。
黒い整った容貌、肩までサラッと伸びた銀色の髪、エルフのような長い耳。
上質な上流階級が纏う黒いスーツと薄緑と水色と黄色が配されたネクタイを締めた若い男。
首元や両手首には煌びやかな宝石が覗く。親指を除く全ての指には金銀の指輪。
「お初にお目に掛かります。私は、魔族領を統べる五公主の一人、魔公爵ベルゼビュートと申します」
胸の前に左手を当てた貴族式の丁寧な挨拶。
「五公主!」
十字星のメンバーが戦慄するのがわかった。
「その魔公爵が何の用だ? 何故、ここに居る?」
デュークさんが一歩前に出て問うと、
「いえ、大した用事ではありませんよ。そこで膝を突いている方に用事があります。その…………お名前を伺ってもよろしいですか?」
ベルゼビュートは俺に用事があるようだ。
俺は五月雨を支えに立ち上がり、
「俺の名はイツキだよ。それで、用事って何?」
ベルゼビュートは顎に手を添える。
いちいち仕草が様になっている。気障なヤツ。
「いえね。あなたがヒュドラから奪った魔核を返して頂きたいんですよ」
「返した魔核をどうするの?」
「新たな魔獣を生み出す核にするのですよ」
「で、その魔獣を人間界に放つ、と」
「よくおわかりで」
「まあ、定番だよね。侵略者の考えそうなことだ。で、用事はそれだけ?」
「いえいえ、私はヒュドラを倒したあなた自身にも興味があるのですよ。ご同行頂けませんか?」
ベルゼビュートの目が妖しく光る。
白亜が『うぇ~~』という目で俺を見る。
止めろ。俺をそんな目で見るな。
「男に興味持たれても嬉しくないなあ」
「では、これでは如何ですか?」
ベルゼビュートが絶世の美女に変身した。
うわ~。俺好みじゃないか。男装の麗人?
思わず見惚れそうになる。
今度は白亜に射殺すような視線を向けられた。
うん。わかってる。お兄ちゃんは誘惑には負けないよ。
「ねえ。訊いてもいいかな?」
「なんでしょう?」
「姿を変えても、実際のところは男なんでしょ?」
「そうですね。変えたのは見た目だけですね」
ってことは、付いてるってことじゃん。
「紛らわしいから止めてくれない?」
「そうですか。お気に召しませんでしたか」
ベルゼビュートの姿が元の男に戻った。
「もう帰ってくれない? それに魔核も渡さないよ。もう俺のだから。同行もしないし」
「困りましたねえ。魔核もダメ。同行もダメ。私はどうすればいいのでしょう?」
「さあね。魔族らしく実力行使でもしてみたら?」
「では、そうすることに致しましょう」
ベルゼビュートは、俺を眺めて、
「でも、あなた、戦えるのですか? 立っているのがやっとという有様じゃないですか」
「心配は無用だ。俺はすぐには戦えないかもしれないが、こうして仲間がいるからね」
「たいした戦力とも思えませんが…………いいでしょう。私と戦う覚悟があるなら、いつでもどうぞ」
それが合図だった。
「ショット・ウィス・フレイムバレット」
不意を突いたトアのヘッドショット。
が、魔弾は射線の先に現れた小さな結界に弾かれテベルゼビュートには届かなかった。
時間差で繰り出されるサリナさんの辱裕氷属性攻撃魔法による氷弾連続射撃。
「アイシクルガト――――、えっ?」
ベルゼビュートが左手をサリナさんに向けると、サリナさんの[アイシクリガトリング]がキャンセルされた。
トアの攻撃は結界の自動発動で阻まれ、サリナさんの魔法は術式無効化された。
ヤツは、魔法名を唱えることなく魔法が発動できるのか。
「ヤツは魔法名を唱えずに魔法を発動しているので、どんな魔法が発動するのかは実際に顕現するまでわかりません。結果、こちらの対応が後手に回ることになります。一方の俺達は、魔法名を唱えてから魔法を発動していますが、魔法名を唱える分、発動がワンテンポ遅れるし、発動しようとする魔法が相手に知れるので簡単に対応されてしまいます。だから、魔法名を唱えずに発動して下さい。」
「イツキ! 無茶言わないで! 魔法名を唱えずになんて、できる訳ないじゃない!」
「私もやったことはないのです」
「でも、やるしかないんだろ?」
トアの確認に、サリナさんも諦めたように、
「ああ、もうわかったわよ。やってやるわよ。でも、威力は落ちるわよ。それでもいい?」
「それでお願いします。」
これでヤツと条件は同じになった。
俺も早く回復しなくては。
俺は[無限収納]からエリクサーをしこたま取り出し、片っ端からそれを飲み干していった。
それでも、HPの回復は遅い。
ガゼルがベルゼビュートの右横から殴り掛かったが、繰り出した拳の前に表出した小規模結界に阻まれ届かない。ノールックで真横に繰り出されたベルゼビュートの右腕から実体化した巨大なマナの拳が現れ、ガゼルを殴り飛ばす。ガゼルは壁に食い込むように叩きつけられた。
ベルゼビュートは、デュークさんの繰り出す刃を左腕一本で受け続け、傷一つ負っていない。
デュークさんの陰から繰り出した白亜の突きの一撃。
隙を突いたはずの[スラスト・フレーム]も指2本で止められてしまった。
「全然駄目ですね。私を失望させないで下さいよ」
余裕のベルゼビュートの右手が翳される。
十字星のメンバーが床に押し付けられた。
重力魔法か!?
白銀の翼のメンバーは素早く飛び退いたことで重力魔法の適用範囲から逃れて無事だったが、モロに喰らった十字星のメンバーにとってはダメージが大きい。
変わらず攻撃を繰り出す白亜に、
「おや? 私の攻撃を逃れましたか」
「妾には予測できたからの」
「成程」
ベルゼビュートが俺の方を見た。
俺はまだHPを回復中。
ロダンが俺を護衛している。
それに気付いたベルゼビュートが、
「あなたは騎士爵ロダンではないですか。なぜ、あなたがそちら側にいるのです?」
「我はイツキ殿に負けてイツキ殿の配下になった。こやつもな」
ロダンが横に居る白夜に目を向ける。
「ワンっ!」
「フェンリルまで…………」
ベルゼビュートは改めて俺を見ると、
「益々興味深い。魔族や魔獣を従える人間なんて、本当に久しぶりです」
ベルゼビュートの意識が俺に向いたことで重力魔法が解けた。
壁際に押し付けられたガゼルがヨロヨロと立ち上がる。
「こんな重力魔法、イツキ君に行使されたものと比べたら屁のようなものです」
戦意を失っていない。
デュークさんも剣を支えに立ち上がろうとしている。
サリナさんとナナミさんは立ち上がれないようだ。重力魔法に逆らおうと抵抗した結果、関節が変な方向に曲がっている。戦闘は無理だろう。
ガゼルもデュークさんもこれ以上戦えそうにない。
白銀の翼は全員無事だが、ロダンも白夜も本来は魔族側。同士討ちさせたくはないな。
それにこれ以上戦闘を継続すれば、仲間に犠牲者が出る。
「彼らを見逃してくれないかな?」
俺はベルゼビュートに話し掛ける。
「それは出来ませんねえ。私は主戦派ナンバー2ですよ。私の政治信条は『人間を全て滅ぼすこと』です。見逃すことなど有り得ません。でも…………」
応じたベルゼビュートが、一旦言葉を切り、
「あなたが投降して魔族領に来て頂けるのであれば…………彼らを見逃し、そこの裏切者達にも許しを与えましょう」
「俺が捕虜になればいいのか?」
「捕虜? とんでもない。主戦派魔族はあなたを賓客としてお招きするのです。もちろん、魔族領内での行動の自由もお約束しますよ」
「賓客ねえ」
「身の安全は保障します。女神や司教帝からも…………」
魔族は人の心の隙間に巧みに侵入して人を誘惑する。
わかってはいたが、ベルゼビュートの最後の一言が気になった。
こいつ、俺の事情を知っているのか。
どこで情報を仕入れた?
だから知りたいと思った。
「そういうことなら――――」
「駄目じゃ! 兄者!」
誘い込まれそうになった俺を白亜の声が止めた。
「兄者を! 連れて行くな――――っ!」
白亜が[頂きの蔵]から顕現させた無数の刃が一斉にベルゼビュートを襲う。
唯の刃の攻撃じゃない。全ての刃が炎を纏った[ブレイサラード]。
ベルゼビュート同様に魔法名を唱えずに。
ベルゼビュートが各個対応する結界が刃を阻むが、その一部が結界を破壊してベルゼビュートに届く。何本かの刃がベルゼビュートの体を切り裂く。
「ちっ。私の邪魔を!」
ベルゼビュートが白亜を睨んだ。ヤツが初めて見せた感情的な反応。
が、すぐに余裕を取り戻して、
「あなた、今、『兄者』と言いましたね?」
そして、宙に浮き上がると白亜を見下ろすようにして、
「そういうことですか。あなたがこの方を人間側に繋ぎ止める枷だったのですね? ならば、その枷、断ち切ってご覧にいれましょう」
ベルゼビュートが右手を高く翳す。
すると、床や壁に突き刺さった無数の刃が空中に浮かび上がった。
ベルゼビュートが右手を振り下ろす。
次の瞬間、空中に浮かび上がった無数の刃が…………一斉に白亜に突き刺さった。
何だ?
何が起きた?
「ウォ―――――ン!」
白夜が駆け出すと、白亜を咥えて、俺の元に戻る。
白亜は…………
四肢は千切れ掛かり、腹と胸、そして左目に刃が突き刺さっている。
俺は自分の疲労感も忘れ、慌てて白亜に駆け寄ると、
「痛いが我慢してくれ」
白亜に刺さった何本もの刃を抜く。
「…………グフッ! 兄者…………目は覚めたかのぉ?」
「喋らなくていい!」
ナナミさんが這って近づいて来た。
「今、治療します。メガヒール」
自分のダメージの回復を後回しにして、白亜に重傷者を治す特級治癒魔法を掛けてくれた。
しかし。
パシッ!
魔法が弾かれる。
「嘘っ! 何で効かないの!?」
白亜が息も絶え絶えに、
「無駄じゃよ。ブレイサラードは再生を受け付けぬ。それを受けた妾はもう助からぬよ」
白亜は俺に顔を向け、
「兄者。妾は兄者の役に立てたかのぉ? であれば本望じゃよ」
弱弱しく笑って、息を引き取った。
なんだこれ!
なんだこれ!
なんだこれ!
なんなんだ、これは―――――――――――っ!!
俺はこんなことで白亜を失ってしまうのか!?
俺はこれを成す術も無く受け入れたらいいのか!?
否!
俺は諦めない!
俺は諦めたりなんかしない!
大賢者に職種変更して超級神聖魔法を行使すれば白亜を救えるはず。
だが、勇者称号の職種への変更には少なくと5分30秒は掛かる。
人間は死んで5分以内に蘇生しなければ、脳に重大なダメージを負う。
職種変更をしても間に合わない。
どうする? どうするんだ、斎賀五月!
突然、ナビゲーターが尋ねてきた。
『スイッチをエマージェンシーモードで起動しますか?』
俺は瞬時に訊き返す。
「説明しろ」
『了解しました、マスター。
スイッチをエマージェンシーモードで起動した場合、瞬時に職種変更が実行されます。
起動条件は、HPとMPがそれぞれ『10000000』以上残っていることです。
これらはエマージェンシーモード起動の際に消費されます。
現在のマスターのHP量とMP量は起動条件を満たしています。
エマージェンシーモードでスイッチを起動しますか?』
俺はステータス画面で、自身のHP量とMP量を確認する。
MP量はほぼ満タンだったがHP量は回復途中だったため、『10000548』。
エマージェンシーモードを起動すると、HP残量は『548』。《B》ランク冒険者並みだ。魔族に一撃でも加えられたら終わってしまう量。
だが、大賢者になってしまえば勇者の加護[超回復]でステータスが急速回復する。職種変更後に初撃を食らわなければいいだけのことだ。
迷うことなんてない。
俺は白亜を救うんだ!
「答えはイエスだ! エマージェンシーモードで大賢者にスイッチ!」
そう呟くと、ホールに自動音声が響き渡る。
『エマージェンシーモードでスイッチを起動。現在通常エリアにセットされている英雄・魔道剣聖をスタックに一時退避。クロックアクセラレーター起動。スリープコア3個をウェイクアップ。クアッドコアによる処理準備完了。只今から、勇者・大賢者を超高速マルチモードでインストールします』
数秒後、
『勇者・大賢者のインストールに成功しました』
俺の姿が容姿変換した魔道剣聖から金糸で飾られた純白の大賢者外装を纏った黒髪・黒い瞳の斎賀五月に戻る。手にしている物も宝剣ナーゲルリングから柄の色がゴールドクロームをした賢者の杖に変わった。
「イツキ君、その姿は…………」
デュークさんが驚いて尋ねて来たが、構ってはいられない。
時間が無いのだ。
改めて白亜の状態を確認する。
まず、ズタズタになった身体を修復しなければ。
でないと、蘇生させてもすぐにまた死んでしまうだろう。
俺は白亜に手を翳すと、最初に破損箇所・欠損箇所を復元する魔法をダメ元で掛けた。
「レストレーション」
幸い、俺の掛けた[レストレーション]は弾かれなかった。
白亜の切り傷や刺し傷が次第に消えていき、その四肢が繋がり、左目も修復された。
よし。これで蘇生の準備は整った。
俺は白亜に杖を翳し蘇生魔法を行使する。
「リザレクション」
白亜の反応が無い。
それでも杖を翳し続ける。
(白亜! 戻ってきてくれ!)
俺は心の中で祈る。
やがて白亜が息を吹き返して目を開けた。
成功だ。
完全修復されて息を吹き返した白亜の頭を撫でると、
「もう大丈夫だ。でも、失われた血は戻らないから、安静にして待っているんだよ」
白亜が弱弱しく頷く。
立ち上がった俺はベルゼビュートを睨む。
次はヤツだ。
魔族はその名が示すように魔法のエキスパートだ。
人間が魔法で魔族を倒すことは至難を極めるだろう。
だが、聖剣なら話は別だ。
魔王さえ倒すことができる、聖剣カルドボルグであれば。
聖剣を使いこなすには、大魔道剣聖への職種変更が必須。
再度、[スイッチ]を発動しなければならない。
だが、エマージェンシーモードはまだ使えない。
大賢者になり勇者の加護[超回復]でHPもMPも急速に回復しつつあるが、エマージェンシーモードを起動するのに必要なHP量にまだ達していないのだ。
俺は、俺達を守るようにベルゼビュートと対峙するロダンと白夜に声を掛ける。
「ロダン。白夜。暫く俺は無防備になる。その間、持ち堪えられるか?」
「任せよ」
「ワンッ!」
彼らに任せて大丈夫だ。
俺は白亜を見守りながら静かに呟いた。
「スイッチ」




