036 HPだけが高い只の人
47階層の大ホールの奥。
大きな岩の裏側に48階層に続く通路はあった。
くねくねと蛇行する細い通路を進む。
途中で通路は上り坂になった。
結構な急勾配だ。
48階層に下っているはずなのに、何故か上っている。
また、空間の歪みなのか?
坂を上り切った先、地下道のような場所に出た。
長方形に成形されたブロックで整えられた石畳の床。
同じく長方形に成形されたブロックで整えられた壁。
人為的に作られたものとしか思えない。
俺達が進むのに合わせて、壁に等間隔に仕込まれた松明に火が灯る。
魔物は現れない。
とすれば、罠を警戒すべきだろう。
[鑑定]で周辺を探りながら進む。
100mくらい進んだ先、不可視の光の筋が左右の壁を渡すように通路を横切っていた。
見えない白亜が無造作に横切る。
嫌な予感。
シュン。
天井から白亜を細く長い針の一群が襲う。
白亜は気付いていない。
ヤバイ!
「ウインド(強)!」
急いで走り寄りながら、強めの風を起こして白亜を吹き飛ばす。
白亜が前方に転がり、白亜の居たはずの床に無数の針が突き刺さる。
勢い余った俺も不可視の光の筋を横切ってしまった。
そのまま、床に刺さった無数の針を踏み抜きそうになる。
身体を捩って回避して、左の壁に手をついてバランスを取ろうとした。
と、左の壁のブロックが動き出し、穴が開く。
俺は吸い込まれるように穴に転がり込み、そのまま下に落ちて行った。
「兄者っ!」
仰向けに落ちていく俺が最後に見たのは、閉じていく穴の隙間から俺を呼ぶ白亜の慌てたような顔だった。
■
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俺が四条の蕎麦屋で晩飯の笊蕎麦を啜っていると、師匠が飛び込んできた。
珍しく慌てている。
「どうしたんです、師匠?」
「皐月、まずいことになった」
「まずくないです。おいしいですよ、ここの笊蕎麦」
「池田屋が襲われた」
俺の冗談をスルーした師匠の表情は硬い。
それでも俺は慌てていない。
壬生狼が志士を襲うなど、日常茶飯事だ。
「まあ、落ち着いて下さい。それで、桂さんは無事なんですか?」
「ああ、あの人は無事だ。池田屋には行ってなかったそうだ」
「『行ってなかったそうだ。』ってことは桂さんに会ったんですね?」
「ああ、会った」
「あの人、ほんと、運だけはいいですからね。それでどうしたんです?」
「桂さんは京を出て、近江に潜伏するそうだ」
「ふむ。ほとぼりが冷めるのを待つ、と」
「それで俺達にも『早めに京を出るように』とのことだ」
俺は、おかみに5笊目を頼むと、
「じゃあ、師匠は早く退避して下さい。俺も飯を食い終わって…………気が向いたら後を追いますよ」
「おまえ…………何を悠長に構えてるんだよ。今、逃げなくてどうする?」
「今、京中の志士が脱出しようとしているってことくらい、壬生狼や見回組の連中にもよくわかってるはずですよ。都大路のあちこちに連中が待ち構えているだろうし、街道も京都守護職の兵が封鎖してると思いますよ。わざわざ、討たれに行くこともないでしょう?」
それを聞いた師匠は、溜息をつくと、
「窮地に陥った時のその度胸、尊敬するね」
「そうですか? 尊敬するなら形で示して下さいよ」
「形?」
「そう、形。金銭という具体的な形なんかは大いに喜ばれますよ、俺に」
「…………」
「ここの飯代、奢って下さいよ」
「しっかたねえなあ」
どかっ、と俺の隣に腰を下ろすと、
「おかみ! 酒だ。熱燗のとっくり5本、持って来い!」
そして、俺のこめかみを拳でこずきながら、
「俺も付き合ってやるよ。弟子を残してトンズラできるかよ」
「ヘヘッ、サーセン」
3日程、師匠の女の家に潜伏した後、俺達も京を脱出することにした。
この3日間は、まともに眠れなかった。喘ぎ声が煩くて。
師匠の好色にも困ったものだ。
「純朴な青少年には毒でしたね。ゴリゴリ精神を削られましたよ」
「おまえにも女を紹介しようとしたのに。拒絶したのはおまえだろ?」
「前にも言ったと思うんですが、俺は『かわいい奥さんに膝枕されながらの穏やかな時間』が理想なんですよ。一晩だけの関係なんて御免ですね。それに、師匠の紹介する女には、その、メリケン言葉の『はあと』? そう、ハートに火が付かないんですよ」
「なんだかよくわからんが、このご時世、無理に決まってるだろ?」
「その時世を変えようと頑張ってるんじゃないですか」
「そうだな。そんな世の中になったらいいな」
池田屋の一件があったが、3日も経てば京の街も平常に戻っている。
ここの人達は本当に逞しい限りだ。
人々の流れに身を任せ、東を目指す。
と、人波を分かつように、壬生狼が行く手を塞いだ。
振り返ると、後ろにも壬生狼。
「お会いするのは久しぶりですね、雑賀皐月さん」
前の一団の中から、俺と同い年くらいの美少年が現れた。周りの隊士は刀を抜いているが、その少年の刀は鞘に収まったままだ。相当自信が無いとこうはいかない。
沖田総司。
新選組一番隊組長。
「ああ、一緒にいるのは、実戦剣術で名高い御蔭流師範代の御蔭泰三さんでしたね」
すると後ろから、イラついた声が聞こえた。
「おい、沖田。語るなら刃で語れ。俺達に会話は不要だろう?」
鋭い目つきで俺達と沖田総司を睨む男。
斎藤一。
新撰組三番隊組長。
既に臨戦態勢で、牙突の構えだ。
「もう、斎藤さんは気が短いなあ。近藤さんがいつも言ってるじゃないですか。『もう少し殺気を押さえろ』って」
うん、斎藤の相手は止めよう。
俺は沖田に向かって、
「俺達が今頃脱出する、ってよくわかりましたね」
「いやあ、皐月さんならこうするだろうと思いまして。待ち構えてました」
ニヘラと笑って答えられてしまった。
名前呼びかよ。
「僕、皐月さんに共感する部分が多いんですよ。だから、皐月さんの考え方も手に取るようにわかるんですよ」
「なるほど。総司君は俺に共感する部分が多い、と。なら、俺の気持ちを汲んで、黙って見逃してみてはくれませんかね」
俺も名前呼びする。
「見逃した僕に何かご褒美はあります?」
「今度会った時に旨い飯を御馳走しますよ」
「旨い飯…………う~ん、それもいいですねえ」
と、爆発寸前の斎藤が噛みつく。
「沖田! いいかげんにしろっ! こいつは数多の隊士を死に追いやった逆賊だ! 逃がしたら、局注法度を破ったかどでおまえが切腹だ!」
「切腹は嫌ですねえ。ということで逃がす訳にはいかなくなりました。残念です」
総司が刀を抜いた。
「一番隊の皆さんは手を出さないで下さい。皐月さんに呆気なく殺されてしまいますし、僕の邪魔にもなります」
俺の相手は総司のようだ。これまで、何度か剣を交えたが未だに決着がつかない相手。
必然、
「斎藤一は俺に任せろ」
師匠が俺だけに聞こえるように呟く。
俺は鞘から刀を抜き放つと、構えるでなく、右手で持った刀をだらりと下げる。
「構えないんですか?」
「だって、必要ないから」
「そうですか。では、行きます!」
総司が打ち込んでくる。速い。さすが、新選組一の使い手だ。
総司の剣を避けたすれ違いざま、足をかける。飛び上がって避けた総司にノールックで後ろ掬い上げ。後ろ手に刃を止められた反動を生かして今度は振り向いて唐竹割り。これも止められた。出だしはお互い変則技の応酬。それを切っ掛けに激しい斬り合いが始まる。俺と総司の打ち合い凌ぎ合いは次第に加速度を増す。周りの隊士は黙って見ている。まあ、見ている以外にやりようがないんだが。
横では師匠が斎藤の牙突を剣先で弾き返している。さすが、師匠。
もう、半時を越している。
斎藤と師匠はお互い手を出すことが無くなり、睨み合いになっていた。
俺達は相変わらず剣戟の応酬を続けている。
気力が尽きた方の負け。だから、俺達のいずれも手を緩めない。
刀を引いて、後ろに飛び退る。
もう、総司を倒すには奥義を使うしかないだろう。
だが、奥義は一対一の立ち合いにのみ効果を発揮する技だ。
奥義を使った後の俺の体力は尽きてしまう。
総司を倒せても残る隊士達の相手をする余力は残らない。
俺は背中合わせの師匠にそっと告げる。
「奥義を使います。力尽きた俺を運んで逃げられます?」
「まあ、なんとかするさ。おまえの思う通りにしたらいい」
「アザッス」
俺は一旦、刀を鞘に収め、抜刀姿勢を取る。
総司がやがて来る剣戟に備えて身構えた。
「奥義! 絶影!」
俺は抜刀すると、超速で総司に斬り込む。
目に見えない剣戟が立て続けに総司を襲う。
メリケン式の時間感覚で言うところの秒速10回の斬り込み。
斬り込みの角度も可変。袈裟懸け、横薙ぎ、掬い上げ。
この奥義の肝は、あらゆる方向からの超速の剣戟により相手の刀を砕き、最後は刀を失った相手を斬り伏せるというもの。
ガトリングガンから撃ち出される弾すら全て弾く速さ。
総司の刀は刃零れが生じ始め、やがて砕け散った。
そのまま総司を袈裟懸けに斬り降ろす。
総司の顔がよく見える。諦めたような達観したような表情。
ああ、敵同士じゃなければ、親友になれたかもしれない。
俺の刃が今、この男を殺してしまう。
そして、総司に刃が届こうとした、まさにその時。
周りが光り輝いて何も見えなくなった。
気が付くと、俺は真っ白い景色の中に居た。
隣には師匠。
やがて、正面に光り輝く影が顕現した。
それは、人の姿をしていた。
長い髪の女?
表情は見えない。
「ヒュー!」
師匠が口笛を吹いた。
「召喚されし勇者、雑賀皐月よ」
光り輝く影が声を発した。
「わたしはエーデルフェルトを司る女神である」
厳かな声はそう告げた。
「そなたには、これから、エーデルフェルトにて、魔王の【暴虐】を阻止して貰う」
「あの~、召喚されたのは俺ですか?」
「そのとおり」
「一緒に師匠も召喚されたんですが」
光り輝く声は暫し思索にふけると、
「ならば、その師匠とやらは、勇者と行動を共にする仲間にすればよかろう」
俺は師匠を見ると、
「だそうです。どうします?」
「どうしますって…………」
「俺、異世界に飛ばされるんだそうです。そこで勇者ってやつをやらされるみたいです」
「う~ん」
「別に師匠まで付き合う必要は無いですよ。元の世界に戻れるように頼んでみます」
師匠は俺をじっと見ると、俺の肩に手を置いて、
「おまえ一人でより、二人の方が安心だろ?」
「師匠?」
「志士に志願した時はおまえに付き合わせちまった。今度は俺が付き合ってやる番だ」
何て頼りになるんだろう。
嬉しいことを言ってくれる。
俺は久々に師匠に尊敬の眼差しを送る。
すると、師匠は視線を逸らして頬を搔きながら、
「まあ、異世界の女ってのも気になるし。ナハハハハハ。」
台無しだよ、師匠。
俺の感動を返してくれ。
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■
ここは?
思い出した。
俺は罠に掛かって穴に落ちたんだった。
身体の損傷具合を確かめる。
打撲は負っていたが、骨折や内臓損傷は無いようだ。
周りを眺める。
剥き出しの土壁。
土壁から覗く光る結晶。
よく見ると水晶に見える。
水晶に込められた何かが水晶自体を光らせている。
水晶は先に続く通路の壁に不規則に埋め込まれていた。
ここは、蛸壺ではなく、通路の端のようだ。
上まで這い上がるより、通路を進んだ方がいいな。
とりあえず、もっと明るく照らすか。
「ライト」
光魔法を行使しようとしたが、光の玉は現れなかった。
先を急ごうと、[フライ]を行使しようとしたが、飛ぶことはできなかった。
[ステータス画面]を出して、2ページ目以降を確認する。
魔法が全てクレーアウトしていた。
魔法が全部使えない?
冗談だろ?
俺、今、賢者なんですけど?
魔法使えなかったらHPだけが高い只の人じゃん。
仕方が無い。
剣聖に職種変更するか。
「剣聖にスイッチ」
し~ん。
何も起こらなかった。
職種変更もできんのか!
困った。
背中に担いだ宝剣ナーゲルリングだけが頼りだな。
それにしても、また時代劇の夢。
いったい何だったんだろう。
でも、それについてじっくり考えてる場合じゃないな。
早く、白亜と合流しなくては。
俺は土壁のあちこちから顔を出している水晶の放つ光を頼りに通路を進むことにしたのだった。
とりあえず、行く先々で光る水晶は集めておこう。




