021 妖狼亭
〖混沌の沼〗ダンジョンの浅い階層の魔物はあらかた討伐され、小康状態を保っていた。
晩飯を済ませた頃、白亜は迎えに来た支援職の女冒険者達と共に討伐した魔物からの魔石取出作業に出掛けた。本来、白亜は攻撃職だからそんなことはしなくてもいいのだが、ダンジョン討伐に参加していなかったから余力があるだろうということで駆り出された。
「俺も手伝おうか?」
と訊いたら、
「いらない」
と言われた。
「悪い虫に集られるから、来ない方がいい」
とも言われた。
「絶対、来ちゃダメなのじゃっ! 絶対じゃぞ!」
と念を押された。
結局、その日、白亜は帰って来なかった。
久しぶりの一人の夜。俺はこの世界に持ってきてしまったスマホを取り出してゲームに興じた挙句、電池切れになった頃に外が明るくなり始めたので寝たのだった。
充電どうしよう。
どれだけ寝てたんだろう。
差し込む夕日が眩しい。
もうじき一日が終わる。
「こんな一日も悪くないなぁ。自堕落最高~~」
あれ?
でも、おかしいな。
確か、寝る時にカーテンを引いておいたはずだが、なぜカーテンが全開になっている?
視界が次第にはっきりしてくる。
最初に目に入ったのは、枕元に立ち無言でこちらをジッと見ている白亜の姿だった。
「イイゴミブンデスネ」
無表情に白亜がそう言った。
「ジダラクサイコ~~?」
追加でそう訊かれた。
「妾の留守中、さぞ羽根が伸ばせたみたいじゃのぉ?」
ジト目で更に訊かれた。
「あの~、白亜さん?」
白亜は自分のベッドにポンッと乗ると俺に背を向けてしまった。
「いつ、お帰りに?」
「…………」
「もしかして、怒ってます?」
「別に…………」
あ、これ、物凄く怒ってるヤツ。
「機嫌直してよ、ほら、もうじき晩飯の時間だよ。怒ってちゃ、ミリアさんの美味しい料理に失礼だよ。ちょっと早いけど、食べに行こう。昨夜の白亜の話も訊きたいしね」
俺が夕食に誘うと、白亜は素っ気なく、
「仕方無いのお」
とついて来た。
早く機嫌を直して貰わなくては。
1階に降りると、ミリアさんに声を掛けられた。
「ちょうどよかった。朝食の時に他のみんなには伝えたんだけど、二人とも食べに来なかったから、伝えられてなかったんだけど…………」
なんか出掛ける準備をしている。
「どっか出掛けるんですか?」
「今晩、宿泊所組合の会合があってね。それに出るんだよ。ここ自体は旦那がいるからいいんだけど、うちの旦那、料理がからっきしでね。だから、晩飯は外で食べてきてくれないかい?」
晩飯が、無い、だと?
だが、ミリアさんは朝食時に伝えようとしてくれた。悪いのは朝飯をすっぽかした側だ。俺が夕方まで寝てたからな。
ということは…………。
思わず後ろを振り向く。
白亜の機嫌が更に悪くなっていた。
「じゃあ、そういうことだから」
そう言って、ミリアさんは出掛けてしまった。
「夕方まで惰眠…………」
白亜が責めるような目でそう一言。
「わかったよ。俺が悪かった。反省してる。してるから、とりあえず晩飯を食いに出よう。全部、俺の奢りだ。白亜の食べたいもの、何でも頼んでいいから」
「…………」
白亜は答えない。
「デザートも付けよう」
「…………」
「テイクアウトのおやつも買おうか」
「…………」
白亜は下からジッと見上げて来るだけ。
「なんなら――――」
「旨いもんさえ食わせておけば、妾を誤魔化せるとでも思っていたのかえ? 見縊られたもんじゃの」
ピシャリと言われた。
「え~っと、白亜さん?」
「兄者は反省が足りん。反省は態度で示すのものじゃ」
「態度って、いったいどうすれば?」
たった一言、
「……………………帰ったら膝枕」
たじろぐ俺にニヤリと笑って、
「兄者に拒否権は無いぞ? ほれ、『わかった』と答えよ。」
「え~~~っ?」
「どうした? もたもたしていると条件相場が吊り上がるぞ?」
「ちょっとっ…………」
「おっ、今、相場が吊り上がったのじゃ」
「だから…………」
「耳掻きが追加になったぞ」
「待て…………」
「待たぬよ。もうじき更に相場が吊り上がりそうじゃのお。次は添い――――」
「わかった! わかったからもう許して!」
このままだと、とんでもないことまで要求されそうなので、慌てて降参。
「うむ。『帰ったら膝枕に耳掻き』という条件で手を打ってやるのじゃ」
満足したのか、先立って〖月の兎亭〗の出入口の扉を開けながら振り返った白亜が、
「さあ行こう、兄者。今日は夕食後に外飲みに連れ出す予定だったのじゃ。〖妖狼亭〗という店じゃ。案内しよう。料理もミリアさんの料理ほどじゃないが、味は折り紙付きじゃぞ」
やれやれ、やっと機嫌を直してくれたようだ。
俺は白亜に手を引かれながら〖月の兎亭〗の外に出て、〖妖狼亭〗に向かうのだった。
あたりはすっかり暗くなっていた。
■
その店は、宿屋街に続く飲食店街にではなく、冒険者ギルド支部の蓮向かいにあった。
〖妖狼亭〗は上級冒険者御用達の酒場兼食堂である。
店に入ると、多くの冒険者達が楽しそうに騒いでいたが、白亜に気付くと次々に声を掛けて来た。そんな彼らに白亜も気さくに応じる。
「白亜ちゃん、その人が噂の新しいお兄さん?」
「そうじゃ。自慢の兄じゃよ」
「白亜。《AAA》ランク昇格おめでとう」
「ありがとう。ぬしも、念願の《A》ランク昇格を果たして、この店の入店資格が得られたようじゃの。めでたきことじゃ」
「白亜~。今度、またオレと手合わせしろよ~。今度こそオレが勝ってやるからな~」
「いつでも受けて立つよ。どうせ返り討ちじゃろうがのお」
「ヌカセ~」
「白亜ちゃん、今度一緒にクエストに行こうよぉ」
「済まんのぉ。今は兄者専属じゃ」
俺達は、奥のボックス席に案内された。
ボックス席は広く、各辺2人ずつ座れる8人席だ。
2人席が余っているのに8人席?
通路から向かって奥右手に白亜が座り、俺は白亜を右斜めに見る位置に座った。
2名様が案内されるにしては広すぎる席だ、と不信に思いながら。
「この店はの。《A》ランク以上の上級冒険者しか利用できぬのじゃ。入口に執事がおったろ? あれは入店しようとする者に冒険者カードの提示を求めておる。ランク確認の為じゃ。」
「でも、俺達は提示を求められなかったぞ?」
「妾はこの地の最強冒険者じゃから顔パスじゃ。今は兄者もじゃよ」
「俺も? でも俺はこの店、初めてなんだが…………」
「兄者は本当に鈍ちんじゃのお。この街で兄者のことを知らぬ者なぞおらぬよ」
今、初めて知る事実だ。
そう言えば、街中を散策していた時もやたらと視線を感じていたが、見慣れない新参者がうろついていると警戒する視線じゃなかったのか。
そう言えば、さっきの娘が『噂の新しいお兄さん』とか言ってたな。
あっ、あっちの女神官が、『お兄さ~ん』ってこっちに手を振っている。
思わず手を振り返そうとしたら、白亜に押し留められた。
「ダメじゃぞ、兄者。今は兄妹水入らずの夕食タイムじゃ。手なんか振ったら、こっちに乱入されるではないか」
「気にしすぎだよ」
「何を言っておる。兄者はガードが甘すぎ! ほんとにもうっ! 気が気じゃないのじゃ」
最後の方はよく聞こえなかったが、また、白亜の機嫌が悪くなった。
「今日は白亜を優先するよ」
「『今日は』? 『今日以外』はどうするというのじゃ? 言うてみよ」
「言葉の綾だよ。他意は無い。ほら、機嫌直して。料理を頼もう」
俺達はメニューを見て、旨そうな料理を片っ端から頼んだ。
白亜が酒を頼もうとしたので、慌てて止めに入る。
「おいっ。白亜は未成年だろう?」
「何を言うておるのじゃ? 妾が元居た世界では14で大人じゃ。問題ない」
「俺の居たところでは18で大人、但しお酒は20になってからだ。俺は17だから、まだお酒は飲めないよ」
「異なことを言うのう。エーデルフェルトでは15で大人ぞ。ほれ、あそこにおる酔っぱらいの魔導士なぞ、今年15になったばかりじゃよ」
見るからに俺より年下の少年が酔っ払って騒いでいる。
が、
「おい。ここでは15未満は子供ってことだよね。なら、14の白亜はここでは子供ってことにならないか?」
「鈍ちんの癖に変なところで勘が働くのぉ、兄者は。いいのじゃ。妾は齢10の頃から『般若湯』を嗜んでおったのじゃから」
「え~~~? それ理由になる?」
「『何でも頼んでいい』って言ったではないか?」
「言ったけど…………ああ~~っ…………もうわかったよ。但し、悪酔いはするなよ」
結局、白亜は果実酒を注文した。俺も勧められるままに果実酒を注文した。
まあ、どのみち、勇者の加護[状態異常無効化]のおかげで酔わないんだけどね。
やがて、料理と果実酒が揃ったので、俺達は乾杯をした。
酒は初めてだったが、普通に飲めた。
白亜のお勧めが甘い果実酒だったからかもしれないが。
料理を堪能しながら、俺は白亜に求められるままに元の世界での生活について話した。
学校、授業、合宿研修、体育祭、学園祭、修学旅行等の学園生活。
家電製品、乗り物、建物、料理等の文明。
それに野球、サッカー、ゲーセン、アニメ、映画等のスポーツや娯楽。
平安末期に生きた白亜にとっては、初めて聞くことばかりで興味津々のようだ。
「学校というところでは男女が同じ部屋で学ぶのか? 俄かには信じられぬ」
「エアコンか。夏涼しくて冬暖かいなんて極楽のようじゃの」
「電車やバスなるものは、勝手に行きたいところに運んでくれるのか?」
「タコ焼きやお好み焼きというのを一度食べてみたいのお」
「サッカーは蹴鞠に似ておるのじゃ」
「ゆーふぉーきゃっちゃーというのはそんなにおもしろいのか?」
キラキラした目で矢継ぎ早に尋ねてくる。
そんな白亜を見て、遂、訊いてしまった。
「もし、元の世界に戻れるなら、その時は一緒に来るか?」
「もちろんなのじゃ! 妾はどこまでもついて行くのじゃ!」
「そっか。もし、白亜を家に連れて行ったら、父さんも母さんも驚くだろうな。かわいいもの好きの母さんなんか、溺愛してもう離さないかもしれない。まあ、兄としては、母さんに白亜を取り上げられて複雑な気持ちになってしまいそうなんだが…………」
「心配するでない。妾は兄者から離れんよ」
穏やかに応じる白亜に俺は話すことにした。
俺がエーデルフェルトに召喚された経緯を。
白亜には隠す必要など無い、とそう思ったから。
全てを訊き終えた白亜にはいくつか疑問があるらしい。
「兄者は未来人なのか?」
「ああ、白亜が居た時代から大体850年後くらいの未来から来た」
「850年かぁ。想像もつかんのう。それで、歴史上では妾はどうなっておる?」
「訊きたいか?」
白亜は暫し考えてから言った。
「う~ん…………やっぱり話さずともよい。もはや起こることのない未来じゃ。訊いたところで意味は無い。妾は今を生きておる」
「そうか」
確かにそうだ。
あったはずの、そして今はもうないであろう、歴史上の武蔵坊弁慶の最期など今更知ってどうするというんだ?
白亜の言う通り意味の無いことだ。
白亜はふと何か思いついたようだ。
「それにしても――――」
俺を見ていたずらっぽく笑って、
「兄者が未来からのぉ。さすれば、妾の方が兄者より先達ということになるのぉ。言わば、妾の方が年上。姉ということになるのじゃ。ほれ、『白亜姉』と言うてみよ」
こいつ。
「生きた時間なら俺の方が長いんだよ。誰が姉だ? そんな生意気を言うのはこの口か?」
白亜の両頬を摘まんで引っ張る。プニプニと柔らかいからよく伸びるなあ。
「イタタタタ、痛いのじゃ! 冗談なのじゃ! 勘弁なのじゃ~!」
摘まんだ指を放すと、白亜が頬を擦りながら、
「まったくぅ~」
何が全くだ。そう言いたいのはこっちだよ。
「そう言えば――――」
冗談はここまでというように真顔で果実酒を『コクリ』と一口飲んだ白亜が問い掛けて来る。
「兄者はこの国の北方の地でスローライフとやらを送るのが最終目的なのじゃろ? 勇者として召喚された使命はどうするのじゃ? まさか完全無視を決め込むつもりはないのであろ?」
「もちろん、魔王の【暴虐】は阻止するよ。【暴虐】が発動したら、スローライフどころじゃなく、人類等しく滅亡だからね。だけど、【暴虐】の阻止以外はするつもりはないよ。国家間の争いに関与するつもりも無い。増してや、聖皇国に宛がわれた連中とパーティーを組まされてする勇者一行の冒険なんて、考えただけで虫唾が奔る」
「兄者…………」
「俺は誰もが期待するような世間一般で謂うところの『理想の勇者』なんかじゃないし、そんな勇者になるつもりもない。辺境の地でスローライフを送りながら、一朝有事には勇者として魔王の【暴虐】を阻止する。そんな肩の力を抜いた生き方の方が身の丈に合っていると思うんだ。まあ、これは俺の理想なんだけどね、ハハハ。白亜はどう思う?」
「兄者の好きにしたらいい。妾はついて行くだけじゃよ」
二人の間に沈黙が流れた。
でも、居心地は悪くない。
白亜は俺を見て微笑み、俺もそんな白亜を優しい気持ちで見詰めていた。
これからも二人、こうして生きていくんだな、と思っていると、横から声を掛けられた。
声のした方を向くと、4人の男女が横並びに立っていた。




