172 ライカンスロープの肉ってどんな味?
スラザニア魔道国の首都エルムリンデは人口3万人の都市である。
日本でいうところの過疎県の地方都市くらいの規模と言ってもいいだろう。
南は海に面しており、西と東には穀倉地帯、北には原生林レクサンデルの森が広がる。
エルムリンデの立地そのものは起伏の無い平地。
都市を囲む城壁の無い市内は、5つの区に分けられている。
海に面した総統府を中心にした官庁街が1区、その隣の2区にやはり海に面して研究施設が集まっている。
1区と2区を取り囲むようにハイエルフ族とエルフ族が居住する3区があり、その西側と北側に獣人族やドワーフ族が住まう4区、3区の東側に人族の居住区である5区が配置されている。
総統府は宮殿のような造りになっており、官庁街は高層ビル、研究施設は広大な敷地の中に平屋の研究棟や実験棟を擁する。3区は広い街路の左右に白亜の邸宅が立ち並び、高級そうな商業施設やレストラン、カフェまであった。4区は少し狭い街路の左右に石造りの建物が並び、商店街や歓楽街もある居住区兼商業地区。
一方の5区は、狭い裏路地のような道路の左右にひしめき合うように木造の家屋が並ぶ。
いかにも貧民街という体を為しており人通りも少ない。
住環境の格差が、厳しい身分制度を物語っていると言える。
そんなエルムリンデに一人の男が現れた。
男は顔の上半分をマスクで隠しているので、エルフ族なのか人族なのか判別がつかない。
髪の色は見る人によって、金色に見えたり、赤毛に見えたり、茶髪に見えたり、青髪に見えたりするし、肌の色も白く見えたり、肌色に見えたり、褐色に見えたり、と判然としない。
そう。
印象に残り難いのだ。
ただ、背恰好と着ている衣装だけは記憶に残る。
背は170cmくらい。
生成りのシャツに黒のスラックスに黒のジャケットに黒い帯ネクタイ。
左の腰には白藤を差し、右の腰には銃を差したホルスター。
頭には黒いテンガロンハットを被っていた。
ガンマンなんだか剣士なんだかよくわからない出で立ちだ
男が冒険者御用達のサルーンの入口を潜る。
見掛けない客を訝しげに睨む冒険者達の視線を他所に男は奥のカウンターに向かった。
「冒険者ギルドの場所が知りたいんだが」
男がバーテンダーに尋ねる。
「うちは迷子センターじゃない。一昨日来な」
素っ気ないバーテンダー。
男はカウンターの上に大銀貨を置いた。
「果実酒を頼む」
バーテンダーが男の前に果実酒のジョッキを置く。
「冒険者ギルドは2ヶ所ある。一つはここ4区に、もう一つは3区だ」
「ミュケロス・クォーリアスという男が支部長をやっているのはどっちだ?」
「あんた、ハイエルフかエルフなのか?」
不愛想なバーテンダーの機嫌が悪くなった。
「それと冒険者ギルドと関係があるのか?」
「ああ、あるね。クォーリアスはエルフだからな」
「つまり3区の冒険者ギルドってことか?」
「そうだ」
話はもう終わりというようにバーテンダーがグラスやジョッキ洗いに専念し始めた。
カウンターにもたれ掛かって果実酒をちびちびやる男の周りを数人の獣人達が取り囲んだ。
いずれも荒くれと言ってもいいだろう。
「なあ、あんちゃん。ここは獣人やドワーフが集う中流階級のためのサルーンだ。おまえら上流階級が来ていい場所じゃない」
身の丈2mのライカンスロープが男の右肩を掴んだ。
銀色の髪に長いもみあげ。右頬には縦に深い刀傷。
「俺はエルフじゃない。人間だ」
男の一言にサルーンが静まり返った。
「おいおい。こいつ、人族だってよ。道理で臭いと思ったんだ。なあ、みんな!」
「臭え! 臭え! 鼻が曲がりそうだ!」
「ぎゃはははっ! 人族は果実酒じゃなくドブの水でも飲んでろよ!」
「そうだそうだ!」
周りから嘲りの笑いが男に浴びせられる。
「ほら。みんなそう言ってんだ。とっとと失せろ」
ライカンスロープが男の右肩に力を入れてカウンターから引き剥がそうとする。
しかし、男はびくともしなかった。
「おい、いつまでその汚い手で掴んでるんだ?」
「汚い手だと? てめっ!」
振り向いた男の果実酒のジョッキがライカンスロープの頭の上で反転する。
甘くベタっとした液体がライカンスロープの頭に降り注いだ。
「小汚い狼男が水も滴るいい男になったじゃないか」
顔の上半分を隠したマスクの男の口元が嘲るように吊り上がる。
「きさまあああああああ!」
ライカンスロープが拳を振り上げた。
だが、その拳は男には届かなかった。
「ギャッ!」
男が振り下ろしたジョッキの底、そして砕けたジョッキの持ち手を握った男の拳で思い切り殴られたからだ。
「て、てめえ!」
頭を抑えながらふらつくライカンスロープ。
「へえ。ライカンスロープって結構頑丈なんだな」
感心したような口振りの男。
「殺す! てめえら、こいつを生かして返すな!」
「「「「「「へい!」」」」」」
男を囲む獣人達がいきり立つ。
その数6人。
ライカンスロープを筆頭に、獅子獣人、熊獣人、虎獣人、猪獣人、ゴリラ獣人。
その手には様々な武器。
「まったく、ケダモノは血の気が多くっていけない」
「俺達がケダモノだと!?」
「そうだ。そしてケダモノには調教が必要だ。躾けてやるから掛かって来いよ」
笑みを浮かべた男が右手の人差指で『来い来い』と挑発する。
獣人達が一斉に襲い掛かる。
が、男はカウンター前から一歩も動かなかった。
獅子獣人が振り下ろした剣が男の頭を捉える。
パシイイイイイ!
男は頭から真っ二つに――――ならなかった。
獅子獣人の剣が折れたのだ。
ガチッ!
猪獣人の槍も刺さらず、槍の穂先が折れた。
ブンッ!
キンッ!
熊獣人のモーニングスターが弾き返される。
「があああああああ!」
虎獣人が男の左の肩口に噛みつき、左腕を嚙み千切ろうとしたが、噛み千切れない。
ゴリラ獣人が力任せに男を何度も殴るが男は全くの無傷。
「な、なんなんだ!? きさまはいったいなんなんだ!?」
男に傷一つ付けられない獣人達。
「人間なんだが」
怯む獣人達に答えながら、男が左手を掃う。
左の肩口に噛みついていた虎獣人が吹き飛び、サルーンの窓を突き破って表通りまで飛んで行った。
「さあ、本格的に調教を始めようか」
男が一瞬でゴリラ獣人との間合いを詰めると、右腕を振りかぶってゴリラ獣人の顔に拳を叩きつけた。
メキョッ!
いや~な音がした次の瞬間、ゴリラ獣人はサルーンの壁に突き刺さっていた。
まるで化石のように。
「死ねええええええええっ!」
熊獣人のモーニングスターが男を襲う。
男はモーニングスターの毬々ヘッドを掴むと、
バキッ!
それを握り潰してしまった。
バラバラと掌から床に零れる毬々ヘッドの破片。
男はニヤリと笑うと、茫然と立ち竦む熊獣人を平手で張り飛ばす。
「へげっ!」
張り飛ばされた熊獣人は錐揉み状態でサルーンのドアを突き破って外に消えた。
「があああああ!」
猪獣人が男の後ろから分厚い木製テーブルを叩きつける。
だが、男の頭が割れる代わりに木製テーブルが砕け散る。
「なにしやがる」
男がノールックで猪獣人の胸に斜め下から裏拳を叩きつけた。
ボキョッ!
あばらを砕かれた猪獣人がサルーンの天井に頭から突き刺さった。
「ひゃああああああ!」
獅子獣人が[ストーンガトリング]を男に連射するが、男はそれを全て撥ね返した。
「こんなところで魔法なんか使いやがって。店が滅茶苦茶になるじゃないか」
いやいや、男の方が店を滅茶苦茶にしているんだが。
飛び上った男がその踵を獅子獣人の頭にお見舞いする。
哀れ、床から獅子獣人の木が生えた。
頭を下にして。
「さあ、残りはおまえだけなんだが」
男がライカンスロープに歩み寄っていく。
「ひ、ひいいいいいいいい! た、助けて下さい! お願いします! 何でもします! お願いですから! 命ばかりは!」
「そう言いながら、人族を甚振ってきたんだろう?」
「も、もうしません! もうしませんからっ!」
跪いて命乞いをするライカンスロープ。
「『もうしません』ってことは、人族を甚振ったのは認めるんだな?」
ライカンスロープの前に男がしゃがみ込む。
「命乞いする人族に対して、おまえらはどう対応した?」
顔を近づける男の声が嬉しそうだ。
「俺さ。魔属領の方からやって来たんだよね。ドラゴンの肉も食ったし、コカトリスの肉も食った。サンドワームの肉もね。そんな俺でもまだ食べたことの無い肉があるんだよ」
男はライカンスロープの頬を撫でながら、相手にだけ聴こえる声で尋ねる。
「ねえ? ライカンスロープの肉ってどんな味がするのかな? ねえ、どんな味? 犬の肉みたいな味がするのかな? まだ食べたことが無いからわからないんだよ」
そうして、男の口元が三日月状になった。
「それに、肉ってのはさ。鮮度が重要なんだ。一説には『肉は腐りかけが一番美味い』なんていうけどさ。俺は違うと思うんだよ。やっぱり新鮮なのが一番なんだよ。鮮度の高い固い肉を肉叩きで叩いて柔らかくしてから食べるのがいいと思うんだよ。魚だって活き造りがおいしいんだよ。ピチピチしてるやつなんか特にね」
男が触れるか触れないかまでライカンスロープに顔を近づける。
そして、異空間から取り出した包丁をちらつかせる。
「だから、生きたまま皮を削いで切り出したおまえの肉も美味いと思うんだよ」
男の背後から噴き出した絶対強者のオーラとその脅し文句を浴びせられたライカンスロープが、
「ひゅっ!」
と息を漏らして白目を剥いた。
床に失禁しながら。
銀色の髪は真っ白になっていた。
男が立ち上がって周囲を見渡す。
テーブルやカウンターの陰から様子を伺っていた他の冒険者達が慌てふためいて首を引っ込めた。
「やれやれ、人族差別がここまで酷いとはね。これは冒険者ギルドに顔を出す前にもうちょっと絞めてやった方が今後のためかな?」
男はそう呟くとサルーンを出ていったのだった。




