165 口座残高が現金預払機で取り扱える額を越えています
ホバートを出発した白亜達は、1ヶ月以上に渡りアナトリア王国内を隈なく探し廻った。
聖皇国領の〖誓いの丘〗にも足を延ばした。
しかし、イツキの足取りはさっぱり掴めなかった。
路銀が底を尽きそうになった白亜達は、王都サウスワースの冒険者ギルド支部に立ち寄って旅の資金を降ろすことにしたのだった。
「《SS》ランク冒険者パーティー白銀の翼御一行様。お待ちしておりました」
ギルド支部では、白亜達の来訪を受付嬢が待ち構えていた。
イツキの抜けた白銀の翼は、新たなパーティーリーダーの白亜の元、リーファとシャルトリューズ、マリアンヌの3人をメンバーに加えていた。
「リーファ・サイガ様、シャルトリューズ・カトラール様、マリアンヌ・ソルグレイヴ様。ランクアップおめでとうございます」
リーファは《S》ランクに昇格して冒険者カードがプラチナカードに、シャルトリューズは《SS》ランクに昇格して冒険者カードがブラックカードに、マリアンヌは《S》ランクに昇格して冒険者カードがプラチナカードになった。
「現金を降ろしたいんだが?」
「それでしたら、あちらの装置をご利用下さい」
受付嬢が示したのは、受付カウンター横に設置された現金預払機。
受付嬢が現金預払機の前まで白亜達を案内し、その操作手順の説明をする。
1.現金預払機のプレートの上に冒険者カードを置く
2.現金預払機正面の表示画面上に現れた[残高確認]ボタンを
タッチする
3.画面が残高表示画面に切り替わる
4.画面中央に口座残高が、画面下部に[預入][引出][振込]
ボタンが表示される
5.[引出]ボタンをタッチする
6.画面が引出額入力画面に切り替わる
7.プレート横のテンキーを操作して引出額を入力すると確認画面
に切り替わる
8.確認画面に間違いが無ければ画面下部の[承認]ボタンをタッチ
する
9.手前の大きな蓋がスライドし、現金が払い出される
白亜が操作手順に従って、現金預払機のプレートの上に冒険者カードを置いて、正面の表示画面上に現れた[残高確認]ボタンを押した時、それは起こった。
残高表示画面に表示された残高に金額が表示されなかったのだ。
残高表示画面に表示されていたのは――――
『************』
怪訝に思った受付嬢。
「もう一度操作をお願いできますか?」
白亜が再度残高確認を行う。
しかし、残高表示画面に表示されていたのは――――
『************』
「この現金預払機は故障しておるのか?」
「いえ、そんなはずはありません。先程までは正常に動いていましたから」
「現金預払機の寿命ではないのかえ?」
「ありえません。先月『M&Eヘビーインダストリー』社から導入した最新式ですから」
白亜の故障を疑う質問に抗う受付嬢。
「どうしたのかね?」
「ターナー主任!」
受付嬢に声を掛けてきたのは30代くらいの男だった。
受付嬢の上司にあたるらしい。
「実は――――」
受付嬢がターナーに経緯を説明する。
説明を受けたターナーが白亜の残高表示に目を向ける。
「これは現金預払機の異常ではない。口座残高が表示範囲を超えているんだ」
そして、白亜に言った。
「斎賀白亜様、貴方の口座残高が現金預払機で取り扱える額を越えています。受付カウンターでお取り扱い致しますので、こちらにお越し下さい。せっかくですので、その他の方についても同様にお取り扱いさせて頂きます」
白亜達は、2階の商談室に案内された。
商談室のソファで待たされること30分。
やがて、ターナーが受付嬢を伴って商談室に入って来た。
「これが今回、斎賀白亜様が払い出しを求められた現金です。中をお確かめ下さい」
白亜の前に金貨の入った袋が置かれる。
白亜は袋の中身を確かめると、その一枚をマリアンヌに渡した。
「この金貨をナイフ状に加工できるかえ?」
マリアンヌは頷くと錬金魔法で金貨を小さなナイフに変えた。
白亜はマリアンヌから受け取ったナイフを金貨の入った袋に収めると、袋ごと[頂の蔵]に放り込んだ。
武器なら何でも収納できる[頂の蔵]。
白亜はその特性を流用してマジックバッグ代わりにしていた。
「それでですね。皆様の口座残高は次のようになります」
白亜達の正面に座ったターナーが、白亜達それぞれの前に書面を配布した。
書面を受け取った白亜がその内容を見て目を剥く。
「12兆5千億リザ~ああああ?」
「現金預払装置は1兆リザ未満しか取り扱いできません。そのため、あのような結果となったのです」
淡々と説明するターナー。
「こんな金額、妾は知らぬ! 身に憶えのない金じゃ!」
「リーファの口座にも12兆5千億リザ入ってるよ」
「私の口座残高は124億3386万5428リザですね」
白亜、リーファ、シャルトリューズの口座には彼女らの身に覚えのない額の金。
ちなみにマリアンヌの口座だけはほとんど空っぽだった。
「お三方の口座に振り込まれたのは昨年末。振込人は不詳です」
それを訊いた三人は、振込人がイツキであることに気付いた。
「アインズが言うには、魔族領の内戦終結の褒賞が25兆リザだったらしい。イツキは妾とリーファにその半分ずつを振り分けたということじゃな。そして、残りの全てをシャルトリューズに渡した」
「白亜お姉ちゃん………」
「イツキはもう戻って来るつもりは無いのであろう。行方を晦ます前にその財産の全てを我らに分与したのじゃからな」
リーファが白亜の袖をギュッと掴む。
「安心せい。イツキにとっては手切金のつもりなのじゃろうが、そうはいかぬ。こんな端金で妾達と手を切れるとは大間違いじゃ。足りない分はイツキ自身の身によって払ってもらう。生涯掛けてな」
「うん!」
白亜の言に強く頷くリーファ。
一方のシャルトリューズは、残高が記載された紙をクシャッと握り締めてフルフルと震えていた。
「これは違約金ですか? 派遣労働者本人に何の連絡も無く、違約金だけ渡して一方的に即日派遣契約を解除なさるとは元請けの風上にも置けませんね。労働者派遣法違反です。しかも、旦那様は私に断りなく勝手に私から記憶を奪いました。それについては旦那様に損害賠償請求しなければなりません。懲罰的加算案件になりますから、旦那様の生涯収入に見合った賠償額を頂きませんと。こんな額では全然足りません。これはもう旦那様を地獄の底まで追い掛けて、ケツの毛まで毟り取って差し上げなければいけませんね。払えないと言うのであれば、その分は旦那様には私の望みを何でも叶えて頂かないと」
淡々と語るシャルトリューズの瞳には炎がメラメラと燃え盛っていた。
(うわあ…………)
シャルトリューズを見るマリアンヌがヤバイいものでも見たような表情になった。
そんなマリアンヌに白亜がこっそり尋ねる。
「シャルトリューズはどうしたのじゃ?」
「本気で怒ったシャルトリューズ様は、イツキ様の生涯収入予定額の半分をイツキ様に支払わせるつもりです。払えなければイツキ様に何でも言う事を聞かせるおつもりでしょう」
「つまり?」
「シャルトリューズ様がイツキ様を捕えたら…………」
「捕えたら?」
「賠償金を払えないイツキ様は、シャルトリューズ様の言いなりになるしかないお立場に………」
「シャルトリューズはイツキに何をさせるつもりじゃ?」
「おそらくは主であるシルキーネ様との復縁を要求されるのではないかと」
「ちょっと待て。イツキはシルキーネとの婚約を破棄したのじゃぞ」
「それを撤回させるおつもりでしょう。シャルトリューズ様はシルキーネ様の幸せを心から願っていますから」
白亜はマズいことになったと思った。
(せっかくシャルトリューズがシルキーネには『別の縁談を』と
言うておったのに。
イツキのバカ。
おまえが余計な真似をするから、シルキーネとの婚約破棄が
撤回されてしまうではないか。
そうなったら、イツキと将来の約束を交わしておらぬ妾が圧倒的
に不利じゃ)
「それ以外にシャルトリューズがイツキに要求しそうなことはことは無いか?」
「そうですね」
マリアンヌが考え込む。
「もし、シャルトリューズ様が先日申していたとおり『お嬢様には別の縁談を』という考えのままでいられる場合は――――」
「場合は?」
「シャルトリューズ様はイツキ様をカトラール子爵家にお持ち帰りし、入り婿として家督を継がせるのではないかと」
「はあ?」
「なにぶんシャルトリューズ様はカトラール子爵家の一人娘ですから、お家の為にはいずれ婿を迎えなければならないお立場。カトラール子爵家は代々入り婿が家督を継ぐというしきたりもあります。現当主も入り婿ですし」
「息子には継がせぬのか?」
「あの家は代々女しか生まれません。それゆえの入り婿です」
「シャルトリューズはイツキのことを愛しておるとは思えぬのじゃが?」
「おそらく恋愛感情は無いでしょうね?」
「だったら—―――」
「貴族令嬢とは個人の感情よりお家の事情を最優先するものなのです」
「それは解らぬでもないが…………」
白亜も元は平安貴族の令嬢。
だが、白亜には、個人の感情を優先して家を出奔した前歴がある。
『解らぬでもない』などと、よくもまあ言えたものである。
「いずれにせよ、このままではイツキ様はシャルトリューズ様のいいようにされてしまいます」
白亜はマズいことになったと思った。
カトラール子爵家にイツキがお持ち帰りされた暁には、イツキに触れることはおろか、もう二度とイツキには会わせて貰えなくなってしまうだろう。
もっとも、シャルトリューズが可愛がるリーファだけは例外だろうが。
「これは、シャルトリューズより先にイツキを捕える必要があるな。マリーよ。これからはシャルトリューズを単独行動させぬよう、妾とマリーが交代でシャルトリューズに付くことにしようではないか?」
「それ、いいですね」
白亜の提案にマリアンヌが即座に応じる。
「ちなみにマリーよ。そち自身には他意は無いであろうな?」
「ええ、ありませんよ」
嘘である。
マリアンヌは自分の魔法の才能を開花してくれたイツキを先生と崇めている。
(できることなら、毎日、傍らで教えを請いたい)
だから、マリアンヌはイツキを捕まえたら、ソルグレイヴ伯爵家に連れ帰って専属の家庭教師になって貰おうと思っていた。
座標さえ解ればどこにでも転移できるマリアンヌ。
白亜やシャルトリューズを出し抜いてイツキをソルグレイヴ伯爵領にお持ち帰りすることなど造作も無いこと。
(イツキ様には魔法以外にも一杯教えて貰うんだ。
そして、いずれは…………)
思わず顔が綻んでしまいそうになるのを必死で我慢するマリアンヌ。
「本当かえ?」
「もちろんですよ~」
ニヘラと笑いながらそう答えたマリアンヌが一瞬目を逸らしたのを白亜は見逃さなかった。
「どいつもこいつも油断も隙も無いではないか」
もう、誰も信用できなくなりそうな白亜であった。




