162 絶対に失いたくない大切な人
スヴェルニルの冒険者ギルド支部は相変わらず閑散としていた。
冒険者ギルドの建物に入って右側には掲示板。
そこにはもう依頼票は一枚も貼られていない。
俺達が全て依頼を熟したからだ。
そして最後の依頼もさっき完了した。
ミッション・オールコンプリートだ。
これでもうスヴェルニルをあとにできる。
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ここに滞在してもう1ヶ月になるだろうか。
その間、神界の邪神討伐部隊の襲撃も次第に増しつつあった。
城壁外でのクエストでは必ずといっていい程に。
それだけではない。
能天使どもも次第に狡猾な手を使い始めるようになった。
無関係な人達を巻き込むのを躊躇わなくなり、スヴェルニルの住人を遠隔操作して街中で俺を襲わせる所業にまで至っている。
実際、俺は八百屋のマティスさんの襲撃も受けている。
彼は路地裏でいきなりアイスピックで俺を刺してきた。
勇者の加護[絶対防御]が無ければ、俺は腎臓を刺し貫かれてのた打ち回って死んでいたことだろう。
その時の俺はマティスさんに中て身を喰らわせて気絶させ、その後で潜んでいた能天使を[ハンドオブダークネス]で異界の闇に引き摺り込んで滅してやった。
遠隔操作していた能天使が消えたことでマティスさんも正気を取り戻したようだが、俺を襲ったことは覚えていなかった。
まあ、俺も教えるつもりはなかったんだけどね。
路地裏で眠りこけていたことにしておいたよ。
このままでは、街の人達の多くが巻き込まれてしまう。
スヴェルニルからは早急に立ち去った方がいいだろう。
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冒険者ギルドのカウンターにはいつものイルマではなくエリザベート支部長が座っていた。
「お待ちしておりました」
どうやら俺達のクエスト完了を待っていたらしい。
「支部長室へお越し頂けますか?」
俺達はエリザベートさんを先頭に支部長室に向かうのだった。
■
「クエスト完了お疲れ様です」
自らお茶を淹れてくれるエリザベート支部長。
俺とロダンは応接用のソファで彼女と向かい合う。
「まさか、掲示板の依頼全てを熟されるとは思いませんでした」
「いや~。俺のコンプリート魂に火が付いちゃったんで」
「いずれにせよ、パーティー・アンノウンには感謝しかありません」
穏やかに微笑んで感謝するエリザベート支部長。
そんな彼女が居住まいを正した。
「『誰でもない』さん達はこの後スヴェルニルを出ていかれるのではありませんか?」
こっそり出ていくつもりだったんだけどなあ。
この人には全部お見通しって訳か。
「そのつもりです」
「スヴェルニルはお気に召しませんでしたか?」
「いえ、そんなことはありません。ただ…………」
「ただ?」
「このままここに居ると街の皆さんに迷惑が掛かるんです。俺には、とある事情で追手が掛かっています。その追手は手段を選ばない連中です。いずれ街の人達も巻き込まれることになる。だから、そうなる前に出ていくつもりです」
俺をジッと見つめるエリザベート支部長。
そんな彼女が唐突に無関係のことを語り出した。
「先日、アナトリア王国から隊商がやって来たことはご存じですか?」
「ええ、知っています。『隊商がアナトリア王国から持ち込んだ様々なお菓子の販売』クエストも受注しましたから」
そう、売り子をやるはずがウェイトレスをする羽目になった、あの依頼だ。
「イリアちゃんは一番人気だったみたいですものね」
「やめてくださいよ。女装させられて恥ずかしかったんですから」
「『ノリノリだった』と訊いていますよ」
俺はどう答えたらいいかわからず、口をパクパクさせるだけで声を発することができなかった。
実際、イルマのせいでミニスカートのメイド服姿で接客させられたのは想定外だった。
あんな姿、白亜やセリアには絶対に見せられない。
見せられるはずがない。
セリアなんか、そのことをネタに後々まで揶揄ってくるのが目に見えている。
あいつなら絶対そうする!
「私もイリアちゃんの可愛らしい仕事ぶりを見てみたかったですね」
「ほんと、マジ、勘弁して下さい。そもそも、あれはお宅のお孫さんがいけないんですよ」
「それはわかっています。普段からロクなことをしない孫ですが、今回は私も『よくやった』って褒めてあげましたから」
褒めたのかよ。
「そこは怒るところですよ。あの後、大浴場にまで乱入してきて大変だったんですから」
「フフフフ。その節は申し訳ありませんでした」
楽しそうに笑うエリザベート支部長。
彼女も実は若い頃はイルマみたいだったのかもしれないな。
つまり、この祖母にしてあの孫娘ありってことなのかな?
「話を戻しますが、その隊商の方から旅のお話を聞かせて貰う機会がありました」
真面目な表情になるエリザベート支部長。
冗談はここまでってことかな?
「数か月前の第三次カラトバ戦役。その時にこの国の騎士王と100万の軍勢が殲滅されました。アナトリア王国に現れた勇者の仕業だと言われています。ご存じでしょうか?」
「さあ?」
俺はそう答えるしかなかった。
「それで隊商の方が言われるには『肝心のアナトリア王国の誰もがその勇者のことを知らない』とのことなのです。救国の英雄の名前も姿も。そんなことが有り得るのでしょうか?」
「実際、有り得ているのでしょう?」
「そうなのです。しかもその勇者はアナトリア王国の城塞都市ホバート近郊に出現したダンジョンを踏破し、神代魔族のベルゼビュートを討滅したのだそうです。更には、アナトリア王国と魔属領の平和条約締結にも貢献しています」
俺は[アタラクシア]を行使したことで俺自身の痕跡を完全に消したつもりだった。
〖混沌の沼〗ダンジョン踏破もベルゼビュート討滅も俺以外のメンバーが成し遂げたものになると思っていた。
シルクを王都サウスワースまで護衛したのも白亜や隊長さんの功績になると思っていた。
だが、それは違っていたらしい。
俺ではない誰だかわからない勇者が成し遂げたことになっていた。
つまり、俺自身の痕跡は消せても勇者の存在や行為自体を消すことはできなかったのだ。
「隊商の方は言っていました。『エーデルフェルトには勇者が居る。その勇者は数々の功績を挙げ、エーデルフェルトに仮初の平和を齎した。だが、その名を誰も知らない。その姿すら誰も思い出せない。ただ勇者が居るということだけは確かだった。だから人々は彼の名をこう呼んだ。『Mr.ノーボディ』と。『誰でもない』と。』」
そしてエリザベート支部長が相好を崩す。
「あなただったのですね。勇者『Mr.ノーボディ』。いえ『誰でもない』さん」
参ったな。
「偶々、アナトリアの風評と俺の登録名が一致しただけですよ。だいたい、俺みたいな年端も行かない小娘みたいな子供にそんな真似できるはずないでしょう?」
焦るな。
まだ慌てる時間じゃない。
「私の固有スキルが『ステータス強制閲覧』であることはご存じですよね?」
「はい、それが?」
「ギルド支部長権限であなたのステータスを強制開示します」
「ちょっと待ってください!」
「待ちません。ステータス強制閲覧発動」
俺のステータスが支部長室の壁に表示された。
まるでプロジェクター画像のように。
名前 斎賀五月
年齢 17
性別 男
種族 亜神
レベル ∞
HP ∞
MP ∞
魔法属性 全属性
称号 超越者
職種 勇者
ギフトスキル 称号・職種変更[スイッチ]
俺のステータスを見てもエリザベート支部長は驚かなかった。
女神であるセリアですら絶句したにも関わらずだ。
「本当の名前は斎賀五月さんだったんですね?」
「ええ、名乗れない事情があるので」
「それはあなたが神に追われる立場になってしまったからですか?」
ああ、この人は本当に何て察しがいいんだろう。
もう、隠すことすらできないじゃないか。
「神界から邪神指定されました」
「なぜですか?」
「知り合いが言うには『俺は人から神に進化する途中』なんだそうです。ついでに『神界は、断りも無く人から神になることを許さない』とも言っていましたね」
俺はセリアの言葉を思い出しながら言葉を継いでいく。
「でも、神になろうとしていた訳ではないのでしょう?」
「もちろんです。強敵を倒し続けていたら勝手に――――」
「それなのに邪神指定ですか? セレスティア様も酷いことをなさる」
「いえ、セリアは………いや、女神セレスティアは関与していません。寧ろ、俺のことを気遣ってくれていましたよ」
「そうなのですか?」
「そうなんです。俺を邪神指定したのは別の神です。そいつに不都合な約束をそいつと敵対する神に約束してしまったから、恨まれちゃったんですよ」
そう、俺は帝釈天に恨まれている。
闘神アスラを神界に帰し、その彼とある約束を交わしたことで。
「では、その偽りの姿も?」
それもお見通しか。
本当に参った。
「神界の邪神討伐軍は邪神の親類縁者にも容赦しません。だから、俺はこの世の全てと縁を切りました。神にしか行使できない禁呪アタラクシアを使って」
「『アタラクシア』………伝説の禁呪」
伝説の禁呪だったのか?
知らなかったよ。
だって、魔法大全にそんなこと一言も書いてなかったからね。
「アナトリア王国の人々が勇者を思い出せないのも――――」
「禁呪を行使した結果ですね」
「あなたはそれで寂しくないのですか?」
どうなんだろう?
そのことについては今迄考えたことが無かった。
とにかく、シルクやサリナ、リーファやシャルトリューズさんを邪神討伐の手の者から守ることしか考えてなかったからな。
まあ、考えたところでどうなるもんでもない。
元々、エーデルフェルトに降り立った頃の俺はひとりぼっちだった。
だから、禁呪を使うことに躊躇いは無かった。
それにその頃とは違うこともある。
「今はこのロダンが居ますから」
「そんなこと言われたら照れるではないか」
うん。ロダンは無視しよう。
「ロダンさんは禁呪には?」
「ああ、こいつ神代魔族ですから禁呪は通用しません」
ロダンが神代魔族であることにも驚かないエリザベート支部長。
もしかして、エリザベート支部長って実は凄い人?
「他に禁呪に影響されない人はいるのですか?」
「何人かいます。神はもちろんですが、他には神代魔族、異世界人ですかね」
「その中にあなたの縁者は?」
「神に一人、神代魔族に一人、異世界人に二人」
「その方達は大丈夫なのですか?」
俺は、クレハさんとフェルミナさんを思い出す。
彼女らの強さは半端無いから神界からの邪神討伐軍相手でも大丈夫だろう。
セリアは?
創造神に庇護されているセリアには誰も手を出さないだろう。
でも、あいつ、神界で無茶してないだろうな?
俺のこととなると、全てを投げうっちゃうヤツだからなあ。
それだけが心配だよ。
白亜は?
あいつは意外と抜けてるところがあるからなあ。
「一人だけ大丈夫じゃないヤツが居ます。だから、俺はそいつとソックリに容姿変換して、邪神討伐軍を引き付けているんですよ」
「その容姿からすると女性ね。大切な人なのでしょう?」
「ええ、絶対に失いたくない大切な人です!」
白亜は召喚者だから[アタラクシア]を行使しても縁を切れなかった。
その結果、白亜も邪神である俺の縁者として狙われかねない状況になった。
だから、俺は白亜ソックリに容姿変換した。
それは、邪神討伐軍に俺を白亜と誤認させることで白亜に危害が及ぶことの無いようにしたかったからだ。
だが、理由は本当にそれだけか?
白亜ソックリに化けた俺があちこちでやらかすことで、噂を聞き付けた白亜が俺を追って来ると微塵も思わなかったと言い切れるのか?
そこまで考えた俺は気付いてしまった。
ああ、そっか………
俺は………白亜に追い掛けて来て欲しかったんだ。
「ありがとうございます。エリザベート支部長」
彼女はいきなり俺に礼を言われたことに困惑しているみたいだ。
「俺、邪神指定されるかもしれないと考えるようになってから、自分のことは考えないようにして駆け抜けてきました。でも、あなたと話し合う中で『気づき』がありました。そのことを俺は今後の行動指針にしようと思います」
「では、大切な人に会うのですか?」
「今はまだ。でも、俺は彼女が必ず万難を排して俺の元に辿り着くと信じています」
「あなたからは会いに行かないのですか?」
「行きません。それが彼女を巻き込んだ俺自身への罰です。俺は彼女に降り掛かるであろう災厄の全てを引き受け排除してみせます。会うのはそれからです」
エリザベートさんが眩しいものでも見るような表情をした。
「若いですね」
あれ?
俺ってそんなに熱い男だったっけ?
冷静になれ、イツキ。
「それで、これからどこに向かうかは決めていないのですか?」
「とりあえず南を目指そうかと」
「アナトリア王国から遠ざかろうとお考えなのですね?」
「有体に言えばそんなところです」
「では、ひとつ、指名依頼を受けて頂けないでしょうか?」
そう言いながら、エリザベート支部長は一枚の指名依頼書をテーブルに置いたのだった。




