160 何でイツキのことを憶えているんだ?
ノイエグレーゼ帝国皇宮の皇帝執務室。
その日の執務を終えた皇帝レオン・ノイエグレーゼは、旧友のアインズ・シュトーレンからの[映像念話]に出たところだった。
執務室にはレオン以外誰も居ない。
秘書官も既に家に帰している。
「そろそろ連絡してくると思っていたよ、アインズ」
机の上のコーヒーカップを手に取ってコーヒーの香りを楽しむレオン。
「用件はイツキのことだろう?」
映像に映し出されたアインズが驚く表情を見せた。
「『何でイツキのことを憶えているんだ?』って顔をしているぞ」
アインズから一本取れたことが嬉しかったのか、レオンは上機嫌だ。
「俺はおまえがイツキのことを思い出したことの方が驚きだよ。おまえはどうやって記憶を取り戻した?」
『イツキの娘の固有スキル『事象反転』のおかげだ』
「ほう、イツキにはもう娘がいるのか。あいつ、誰に産ませたんだ? サリナルーシャ姫か? それともガヤルド卿? まさか、義妹の白亜嬢に産ませたんじゃないだろうな? ギルド資料によると白亜嬢は14歳。ガキこさえるにはまだ若すぎるんじゃないのか?」
『おまえの感覚でものを言うんじゃねえよ。リーファはイツキの養女だよ』
「娘の名、リーファと言うのか。養女ね。如何にもあいつらしい」
満足そうに頷くレオン。
『今、資料を転送する』
簡易物質転送装置を介してアインズからの書類を入手したレオンは、早速、内容に目を通すなり、口笛を吹いた。
「『事象反転』か。凄い固有スキルだな。資料を読む限り《S》ランク昇格確定だろう。昇格審査会議の委員達からも異議は出まい。それから、ここに記されたシャルトリューズ・カトラール嬢だったか? 彼女は更に凄い。勇者を越える能力の持ち主みたいじゃないか? 彼女に関しても《SS》ランク昇格確定だろう。俺が黙っていても委員達がそう言い出すはずだ。あとは、禁呪アタラクシアを撥ね返したマリアンヌ・ソルグレイブ嬢なんだが、彼女についても俺は《S》ランクに昇格させるつもりだ」
『だが、マリアンヌのレベルは75。HPは220しかないぞ。委員どもが反対するんじゃないか?』
「瞬間発動スキルがあるんだろう? 加えて魔力は無限大ときた。『称号:飽和する魔弾』も魔法の飽和攻撃が圧倒的だということを意味している。レベルやHPの低さなんてカバーしてもおつりがくるくらいだ。そこのところを俺が説得すれば委員達も納得してくれるさ」
『そんなもんか?』
「そんなもんさ。それに――――」
レオンが面白そうにほくそ笑む。
「師匠がイツキだってことも俺が彼女を《S》ランクに推す理由でもある。ということで、取り急ぎ昇格審査会議で承認を得るから、数日待ってくれ」
『わかった』
コーヒーを口に含むレオン。
『ところで、さっきの俺の質問にまだ答えて貰っていないんだが』
「『何でイツキのことを憶えているんだ?』ってことか?」
『そうだ』
「それは乙女の秘密だ」
『おまえは乙女じゃないだろう? おっさんだろう?』
「おっさんだけど、心は乙女なのさ」
冗談で誤魔化すレオン。
その表情に不意に影が差す。
「まあ、実際、俺もイツキがアタラクシアを行使するとは思いもしなかったさ」
レオンは年末の出来事を思い出す。
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冒険者ギルド本部の会議室。
イツキの《SSS》ランクへの昇格は既に仮決定している。
そのことはホバートの冒険者ギルド支部長のアインズに伝えてある。
残るは最終審査のみ。
最終審査は、冒険者ギルド本部理事長レオンによるイツキとの面談。
面談結果に問題無ければ《SSS》ランクへの昇格が正式に決定する。
問題は、帝国皇帝と冒険者ギルド本部理事長を兼ねるレオンの日程調整と、どうやってイツキを西大陸北部辺境から遠路遙々東大陸中央の帝都リヒテンシュタットまで呼びよせるかだった。
数日議論を重ね、ようやくイツキを呼び寄せる方法が決まった。
「では、ネヴィル村まで『M&Eヘビーインダストリー』社の多目的巡航艦にサイガイツキを迎えに行って貰うということでいいかね?」
レオンが居並ぶ昇格審査会議の審査官達に最終確認を行う。
その時、レオンはほんの一瞬、時間が止まったように感じた。
ほんの一瞬だ。
(気のせいか?)
だが、審査官達が妙にざわついている。
不審に思うレオンに審査官の一人が、言い出し難そうにこう聞いてきた。
「あの。サイガイツキとは誰ですか?」
(こいつは何を言ってるんだ?)
レオンは自分が何を聞かれているか一瞬理解できなかった。
「我々は何の会議をしていたのでしょうか?」
本当に知らないという表情の審査官達。
(俺以外の全員がイツキのことを忘れているだと?)
レオンは只ならぬ事態が起こっているとすぐに悟ったのだった。
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「あの時は俺もさすがに焦ったよ」
『今でも俺は、一時的にではあったが、あいつのことを忘れていたことがショックでならん』
溜息をつく二人。
「それにしてもイツキのヤツはどこに雲隠れしたんだろうな?」
『今、白亜達が追跡中だ』
「見つかると思うか?」
『見つけて貰うしかあるまい。俺はあいつに問い質さなくちゃならないことが沢山ある。冒険者ギルドから登録情報を抹消したこと。転移装置を3日間使えなくしたこと。サリナルーシャ姫やガヤルド卿との婚約を破棄したこと。斎賀公爵家の当主の地位をリーファに譲って、自らは公爵家から除籍したこと。くそっ! 思い出すだけでも腹が立つ!』
「思い切った真似しやがるなあ、あいつも」
(エゲレス語で『Jack in the Box』って言うんだっけ?
まさにびっくり箱みたいなヤツだ。
ほんと、転生しても変わんねえな、あいつは)
そんなことを考えるレオンだった。
『しかし、何でなんだ? 何でイツキはそんな真似をしやがったんだ?』
「それは俺にもわからんな。ただ、あいつは無責任な男じゃない。そうするにはそれなりの事情があったんだと思うね、俺は」
そう言いながら、レオンは執務机に置かれた小皿からクッキーを摘まみ上げる。
『会ってもいないのに、やけにあいつに詳しいじゃねえか?』
「できるもの同士、共感する部分があるんだよ」
摘まみ上げたクッキーを眺めながらレオンが笑う。
『わかった。アイシャにもそう伝えておく』
「そこで何でアイシャが出てくるんだ?」
レオンがちょっと焦りを伺わせた。
『アイシャも今回の件については相当怒っている。『白亜ちゃんやリーファちゃんを置いていくなんて信じられない! 見つけたら絶対に『教育的指導』よ!』って息巻いていた』
「アイシャの『教育的指導』は勘弁願いたいな。イツキが人格崩壊を起こす」
『じゃあ、イツキに共感するおまえが代わりに『教育的指導』を受けるか?』
「お断わる!」
『まあ、このままだと、いずれおまえもアイシャの『教育的指導』の餌食だ』
「なんでだよ!?」
『おまえ、アイシャと連絡取ってないだろ? あいつ、相当不満溜めてるぞ』
忙しさにかまけてアイシャを放置していたことに今更気付くレオン。
「わかった。近々連絡を取る」
『なんならアイシャをそっちに送り込んでもいいが?』
「ちょっと待ってくれ! アイシャを迎えるには俺にもそれ相応の覚悟がいる。だいたい、俺はまだ遊び足りん」
『いや、充分遊び過ぎだろう。そろそろ年貢を納めてしまえよ』
「イヤだ! 俺はピッチピチの若いおねえちゃん達と命の洗濯に励むんだ!」
名君と呼ばれるレオン・ノイエグレーゼ。
彼の唯一の欠点。それは私生活において究極の遊び人であること。
その時、アインズの後方に時空の揺らぎのようなものが…………
『へえ? おもしろい話をされていますね?』
地獄の底から響いてきたような声に、ギョッとしたアインズが振り向き、レオンは画面越しに目を凝らす。
『そこのところをぜひ教えて頂けるかしら? レオン陛下?』
そう、そこには能面のように表情を消したアイシャが立っていたのだった。
そして、アイシャの目は暗殺者の目をしていた。
『陛下? 命の選択、お手伝いしましょうか?』
選択肢は生か死。
「ええっと、公務がまだ残ってたの思い出したわ。ということで、俺は落ちる」
『あっ! おいっ!』
『お待ちなさい! レオン!』
アインズやアイシャの制止を振り切って[映像念話]を一方的に遮断したレオンは、念話装置のモニターに黒い布を被せ、更には念話装置の残留魔力を全てリリースしてしまった。
つまり、念話装置は魔力を充填しない限り使えないただの箱になったと言う訳だ。
レオンよ。
そんなにアイシャが怖いのか?
おまえは、泣く子も黙るノイエグレーゼ帝国の絶対君主だろう?
それが、たかが冒険者ギルド支部の幹部職員如きに恐れおののく始末。
それでいいのか、皇帝陛下?
再び静寂の訪れた皇帝執務室。
レオンが椅子に背中を預けながら呟く。
「イツキ。おまえ、どこで何してるんだ? いい加減、俺に会いに来いよ。それが師匠に対する弟子の礼儀ってもんじゃないのか?」




