016 これからの方針を決めよう
気が付くと俺は〖空間〗としか表現できない場所にいた。何故なら地に足をつけている感覚が無いからだ。俺はぼんやりする頭であたりを見回したが、周りは靄が掛かっていてよく見えない。
ここはどこだ?
「斎賀五月!」
突然、険のある声で名前を呼ばれて前に向き直ると、今迄誰もいなかった目の前に女神セレスティアがいた。
「やぁ、セレスティア、ひさしぶり~」
「『ひさしぶり~。』じゃない! 舐めてんのか! シバくぞ、ゴルァー!!!」
俺がヘラッと右手を挙げて挨拶するとそれが気に入らなかったのか、セレスティアの怒りの業火に火が付いたようだ。口調が女神じゃなくなっているよ。
「まあまあ、女神様がそんな乱暴な言葉使いをしてはいけないよ。なけなしの品位を疑われてしまうよ」
「『なけなしの品位』は余計だ! 誰のせいだと思っとんじゃ、ワレェーッ!」
火に油を注いでしまった。セレスティアは肩を上下させて怒りに打ち震えていた。まあ、トンズラされたんだ、怒るのも無理はないか。
だが、このシチュエーションはどういうことだ?
何故、セレスティアがいる?
そもそもここは何処だ?
「あなたが、何処に雲隠れしたのかわからなかったので、魂魄召喚しました。こんなことは意識が無い相手にしかできないし、何度もできることでもありません。魂魄償還された相手の意識が戻れば、魂魄償還は解かれ、元の体に戻ってしまいます。わたしも今は魂魄だけの状態です」
気を落ちつけたセレスティアが説明的なセリフを吐いた。
「本当だったら、お互い生身で会いたかったんですけどねぇ~。魂魄だけではっ! あなたにっ! 直接怒りをっ! ぶつけられないんですよっ!」
あ、また、怒り出したぞ。
セレスティアは、俺を指差して詰問してきた。
相手を指差すのは無礼な行為なんだぞ。教わらなかったのか?
「さあ、吐きなさい。今、どこにいるんですか?」
「黙秘権を行使する」
「今、何をしているんですか?」
「黙秘権を行使」
「どうやって、雲隠れしたの?」
「黙秘だ!」
「…………」
「黙秘!」
セレスティアは溜息をつくと、両手を腰に当てて宣言した。
「いいでしょう。そっちがその気なら、こちらにも考えがあります。今に見ていなさい。後で後悔しても知らないんだから!」
今、セレスティアの頭の上に負けフラグが立ったよ。
「今すぐは無理ですが、必ず捕まえてやります。それまで、首を洗って待っているがいいです」
「毎日、シャワーで首は洗っているよ。余計なお世話なん――――」
『兄者っ!』
おやっ、どうやら俺は目が覚めるらしい。
『兄者、起きるのじゃ!』
「ああ、俺、そろそろ目覚めるみたいだわ。セレスティアもめげずに元気そうで何よりだ。でも、セレスティアが俺に知恵で、まあ、悪知恵の類ではあるけど、勝てると思ってるの? 前回だって、俺にいいように利用されてトンズラされたじゃん。実質、負けでしょ? 今回も俺を懲らしめられなかったし、俺から何も情報を引き出せなかったんだから、やっぱり負けっしょ? 結果、セレスティアは2回も土を付けられちゃった訳じゃない? 次にセレスティアが何をしてくるつもりかわからないけど、もうたぶん俺には勝てないよ。ほら、ことわざにもあるじゃない? 『二度あることは三度ある』って」
グギギギギ、と歯ぎしりするセレスティア。
「できれば、会いたくないんだけど、会わざるを得ないかもしれないから言っておくよ。じゃあ、また会おう、セレスティア。ほんと、会いたくなかったんだけど、でも、また会おう。大事なことなので2回言ってみたよ」
俺のここでの意識が遠のき、目覚めようとしていた。
「斎賀五月~~っ! これで勝ったと思うなよ~っ!!」
セレスティアの負け犬の遠吠えが聞こえたような気がした。
「トォッ!」
次の瞬間、腹の上に衝撃を食らった。
「グフッ!」
衝撃に目を開けると、ベッドに寝ている俺の上に美少女が跨っていた。
なんということだろう。
なかなか目覚めない義兄にダイブをかまして起こす義妹。
セレスティアの魂魄償還のミスで、俺は恋愛シミュレーションゲームの主人公に憑依してしまったのか?
いや、それは無いか。
でも眠い。白亜の深夜の不気味な寝言とセレスティアの魂魄償還のせいで寝不足だ。
「あと5分…………」
「あと5分、あと5分、と言いながら、もう2時間も過ぎたのじゃ。いいかげん起きろ、兄者。もう、9時過ぎなのじゃ。ミリアさんの朝食が食べられなくなってしまうのじゃ」
『朝食』という単語に反応して、俺の腹がグゥと鳴った。俺は白亜に退いて貰うと洗面所に向かい、軽く身だしなみを整える。
「さあ、行くのじゃ」
白亜に腕を組まれて、1階の食堂に降りた。他の宿泊客は見当たらず、食堂は閑散としていた。俺が白亜に連れられてテーブル席に就くと、ミリアさんが朝食を運んできた。
「ゆうべは お楽しみでしたね」
ミリアさんがニヤニヤしながら、どこかのゲームの宿屋の主人と同じセリフを吐いた。
何もなかったからね。
こら、白亜、真っ赤になって俯くんじゃない。誤解されるだろうが。
「誤解ですよ」
「あたしゃ、腕組んで降りて来たからてっきり――――」
「それより、コーヒー頂けますか?」
俺は話の方向を変えた。
「あいよっ、今用意するから、待ってなっ」
ミリアさんはスッと引き下がって、コーヒーを煎れに行った。
どうやら、解ってて揶揄われたらしい。誤解でなければいいんだよ。
ミリアさんの朝食は晩飯に劣らずおいしかった。
■
「これからの方針を決めよう」
朝飯を食べ終わって、部屋に戻って開口一番に俺はそう言った。
「方針?」
白亜が首をコテッと横に傾げながら聞き返してきた。
いちいち仕草がかわいらしいじゃないか、妹よ。
兄は萌え死んでしまいますよ。
俺は昨日帰り掛けに冒険者ギルドで貰った地図を広げて、自分の考えを語り始めた。
「俺の目的はこのエーデルフェルイトでのんびりした生活を送ることだ。俺の元居た世界ではスローライフって言うんだけどね。何処か片田舎に家を建てて、束縛されることなく、気ままに暮らしたい。そこで、白亜に訊きたいんだが、どっかいい場所はあるか?」
「エーデルフェルトでは、街の中以外のほとんどの土地は王族や貴族の領地じゃ。彼らの許可なく、勝手に家を建てることは許されておらぬ。それに例え許可されたとしても、税金や労役の義務が伴うし、領主の命令にも逆らえぬ。自由気ままになど暮らせるはずもなかろう」
早速、計画はとん挫しそうだ。
「だが、例外はある」
「例外?」
「アナトリア王国とノイエグレーゼ帝国の魔族領に接する辺境。そこには手つかずの土地があるのじゃ」
うまい話だが、当然何かある。
「何かあるんだろ?」
「かつて魔族との紛争が繰り広げられた場所じゃ。魔獣や魔物も多い。魔族軍を刺激しないために、領主も置かれない。そんなところに住みたいと思う物好きは少ない。辺境警備兵とごく一部の入植者くらいじゃ」
領主がいないなら、面倒事を押し付けられることはないし、俺のレベルなら魔獣や魔物も問題にはならない。魔族領に近ければ、魔王の【暴虐】が発動した時にそれに気付いて迅速に止めることもできる。うってつけの場所じゃないか。
「ここからなら、アナトリア王国の北部辺境か。そんなに遠くないな。そこには草原の丘陵地帯はあるか?」
「ある」
「気候は?」
「暑くも無く寒くも無い。良く晴れる、そうじゃな、秋を想像してみればよかろう」
「じゃあ、そこにしよう」
行先は決まった。
俺にとっての約束の地!
だが、白亜ににべもなく否定される。
「兄者は簡単に言うが、今の我々では無理じゃ」
「どういうこと?」
「そこは〖一部の指定区域〗というやつじゃよ」
〖一部の指定区域〗。
《S》ランク以上の冒険者を伴わなければ踏み込むことが許されない場所。
疑問が湧いた。
「白亜は、さっき、『辺境警備兵とごく一部の入植者』と言ったよね。彼らは、なんでそんなところに住めるんだ?」
「辺境警備隊長のオマル・サハニ殿が《SS》ランク冒険者でもあってな。部下の警備兵と入植希望者達を連れて〖一部の指定区域〗に踏み入れ、魔族領との国境沿いに村を興した。5年前のことだと聞いている」
その辺境警備隊長を頼れば住むことができるんだろうが、〖一部の指定区域〗に踏み入ることができない以上、そこに辿り着くのは不可能だ。
黙って侵入するか?
否。
そんなことをすれば、せっかく協力を申し出てくれたアインズ支部長を敵に回すことになり、俺の捕縛クエストがオーダーされることだろう。懸賞金はおそらく、聖皇国の手配書と同額の1億リザ。一生、食うに困らない金額だ。全世界から集まって来た冒険者達に追い回される未来が目に見えるようだ。これではスローライフどころじゃなくなってしまう。
だとすれば、正攻法しかないだろう。《S》ランクに昇格するための実績を積み上げるのだ。《AAA》ランク、実質《SSS》ランクの俺なら、それ程難しいことじゃないはずだ。
「方針は決まった。まずはクエストを受注して実績を積み上げる。実績を元に《S》ランクに昇格して、辺境の立ち入り資格を得る。そして、そこに家を建てて、気ままなスローライフを送るんだ。協力してくれるか、白亜?」
「兄者のスローライフの中に妾は入っているのか?」
「俺の目指すのは、白亜もいるスローライフだよ。だから、白亜も《S》ランクを目指して欲しい。じゃないと、白亜一人で域外に出た時に、家に戻って来れなくなってしまう」
「了解じゃ、兄者。一緒に《S》ランクを目指そう」
方針は決まった。
なら、次は物資の調達だ。白亜には俺の宝剣を渡してしまったので、俺の普段使いの剣が無い。普段使いに聖剣を使う訳にもいくまい。一発で女神に居所がバレてしまう。
なら、作るか。
俺は素材屋に行き、アダマンタイトのインゴッドを2つ買った。合わせて500万リザ。
金貨50枚だ。さすがアダマンタイト、値段半端無い。
インゴッドは[無限収納]に入れた。
次に、鍛冶屋に行った。
工房を借りて、[無限収納]からアダマンタイトのインゴッドの1つを取り出して、インゴッドを精錬して剣を作るのだ。
インゴッドを溶かして長い棒状にすると、後はひたすら打って焼き入れて打って焼き入れて打ってを繰り返した。
その間、白亜はしゃがんで、そのルビーのように赤い瞳を輝かせながら、楽しそうに俺の鍛冶仕事を眺めていた。
日が西に傾く頃、ようやく剣が仕上がった。収める鞘もできた。鍛冶師のオヤジさんも目を見張る、この世界には無い剣。だが、白亜には馴染みのある剣。
そう、日本刀だ。
鍛冶師のオヤジさんに礼を言って鍛冶屋を出たところで、白亜が訊いてきた。
「名前を付けぬのかぇ?」
「必要か?」
「名刀に見えるのじゃから、名前があって当然じゃろ?」
「そうだな・・・じゃあ、五月雨」
「五月雨?」
「白亜は、俺の漢字名を知ってるよね」
「五月」
「そう、そこから取った名前だよ」
白亜は、じっ、と刀を見つめると言った。
「その刀、妾が欲しい、と言ったら駄目か?」
「えっ? 白亜には、宝剣ナーゲルリングがあるよね」
「ナーゲルリングは返す。代わりに五月雨が欲しいのじゃ。どうしても欲しいのじゃ。お願いなのじゃ、兄者」
上目使いの白亜のお願いに屈してしまった。妹のお願いを訊けない兄がいたらそいつは人でなしだ。そして俺は人でなしなんかじゃない。
「わかったよ。俺がナーゲルリングを使うよ。この五月雨は白亜にあげよう」
鞘に収めた五月雨を渡すと、白亜は五月雨を両手で抱きしめた。
「これは兄者の分身じゃ。大事にするのじゃ。恩に着るのじゃ」
花が開いたような笑顔で礼を言う白亜が眩しい。
「さあ、次は武器屋だ。早く行かないと店が閉まってしまう」
そう言い残して、俺は踵を返して歩き出した。置いて行かれそうになった白亜がタタタと駆け寄って来る。
「これでいつでも兄者と一緒じゃ」
愛おしそうに五月雨を抱える白亜の声は夕の喧噪に紛れて聞こえなかった。
武器屋への道すがら、服飾店に寄った。白亜の服を買う為だ。いくら何でも、一重の和装と勇者マントのままではね。美少女は着飾ってこそだ。
「好きなのを選んだらいい」
白亜は、小1時間程悩んだ挙句、数着の服を選んだ。その中で一番のお気に入りに着替えてきた白亜に息を飲んだ。左胸にクロスした金色の剣のワンポイントの刺繍が施され、腰部分が縊れたワンピースと短パン。ニーハイソックスとショートブーツ。頭には金色のラインが巻かれたベレー帽。羽織っているのは、高衿のマントだ。ニーハイソックスが黒い以外は全て純白でコーディネートされている。これらは全て防御魔法が施されたものだ。
「どうじゃ?」
クルッと回ってポーズを取った白亜が嬉しそうに聞いてきた。
「うん、似合ってる」
それ以外の言葉が出なかった。俺の言語中枢は目詰まりを起こしているようだ。
「ありがとう、兄者。大切に着るのじゃ」
そう言って、白亜が俺の左腕に抱き着いてきた。
ただ、腕に当たった感触が残念で仕方が無い。
でも、お兄ちゃんは白亜の未来を信じているよ。
ぐっ、と右拳を握って虚空を見上げる俺に、
「兄者は何か失礼なことを考えておるな?」
プクッと頬を膨らませた白亜にジト目で睨まれた。
その表情は狡い。白亜さん、君は俺を萌え殺すつもりかい?
「いや、白亜はかわいい、と思ってただけだよ」
「誤魔化すでない。妾にはわかるのじゃ。でも、今に見ておるのじゃ。二度と失礼なことを考えられないようになってやるのじゃ!」
フンス、と両拳を握り込んで白亜が謎の決意表明をしていた。
その後、俺は武器屋で白亜用のプロテクターを買った。もちろん、刃の付いた武器も忘れていない。俺は街中の全ての武器屋を隈無く廻り、刃の付いた武器の大人買いを敢行した。その全てを白亜の[頂きの蔵]に収蔵した。
白亜が元々収集していた数より多くなったんじゃないか?
後日、アインズ支部長に物凄く怒られた。
「お~ま~え~っ! なんてことしやがったんだ!! お前への苦情が殺到したおかげで、ギルドの業務が停滞して大変だったんだぞっ!! お前の辞書には『やりすぎ』って言葉は無いのかぁ!? 他の冒険者達が買う武器が無くなっちまっただろうがっ!!」




