153 勇者の娘
白亜達が自宅庭の転移装置に降り立った時、夕陽はすっかり地平線に隠れていた。
「イツキ!!」
自宅に駆け込んだ白亜が目にしたのは、居間で寛ぐリーファとシャルトリューズの姿だった。
「イツキはどこ!? どこにいるの!? 出てきなさい、イツキ!」
そう叫びながら自宅を隈なく探し廻る白亜とオロオロしながら付き従うマリアンヌ。
「白亜様、そんなに慌ててどうされましたか?」
白亜の様子が変なことに気付いたシャルトリューズが2階まで追って来た。
それには答えず、イツキの部屋の扉を開けた白亜が目にしたものは――――
「なっ!」
イツキの部屋には何も無かった。
ベッドもソファも書棚すらも。
がらんどうになった部屋には生活臭が全く感じられなかった。
部屋には、イツキの痕跡どころか、初めから使われた形跡すらなかったのだ。
「嘘でしょう?」
茫然と立ち尽くす白亜。
その左手から何かが床に落ちた。
「白亜様、何か落としましたよ」
マリアンヌが床に落ちたそれを拾って白亜に手渡す。
掌に乗せられたそれは指輪だった。
白亜は思わず自分の左手の薬指を見る。
そこに指輪は無かった。
(指輪が外れた?
嵌めた術者二人の同意が無い限り外れないはずなのに?
なぜ?)
「「白亜様?」」
(まさか、アタラクシアで強制的に召喚者の妾との関係まで清算したのか!?)
「あんのバカ!!」
指輪を握り締める白亜の右手の拳がワナワナと震える。
「とりあえず落ち着きましょうよ、白亜様」
マリアンヌの言葉に我に返る白亜。
「そうね。まず、現状把握が必要ね。その前に腹ごしらえよ。シャルトリューズ、夕飯の用意をお願い。マリアンヌの分もね」
「畏まりました」
それだけ答えて去って行くシャルトリューズ。
そんな彼女を見ながらマリアンヌは思うのだった。
(いろいろ訊きたいはずなのに、顔色一つ変えずに職務を優先するなんて。さすがはシャルトリューズ様。メイドの鏡)
「さあ、マリー、食堂に行くわよ。『腹が減っては戦はできぬ』とも言うわ。急ぎましょう」
「白亜様にとって、これは戦なのですか?」
「そうよ」
斜め前を歩く白亜が目に見えない何かを睨みながら答える。
「これは最低男を捕えるための追撃戦なのよ」
■
食堂で腹を満たした白亜とマリアンヌ。
人心地ついた二人は居間に移動する。
そこにはリーファとシャルトリューズが待っていた。
「皆の者、では現状認識といこうかの」
気持ちを落ち着かせた白亜の口調が元に戻っている。
やはりではあるが、リーファもシャルトリューズもイツキに関する記憶を失っていた。
そんな二人に、白亜がなぜ二人がこの家に来ることになったのかの経緯を説明していく。
アナトリア王国に向かったシルキーネを主戦派魔族の部隊が襲撃したこと。
その襲撃をイツキが退けたこと。
前世、シルキーネはサツキと来世で結婚の約束をしていたこと。
サツキの転生体であるイツキと再会したシルキーネがイツキの婚約者になったこと。
サツキの転生を信じて疑わないサリナルーシャが1000年間探し続けたサツキの転生体であるイツキと婚約したこと。
コナカ村で救い出されたリーファをイツキが娘にしたこと。
サリナルーシャがこの家に押し掛け同居してきたこと。
シルキーネが、公務で自領を離れられない自分の代わりにお目付け役としてシャルトリューズをこの家に派遣したこと。
五公主会議から戻ったイツキが、シルキーネとサリナルーシャの二人との婚約を破棄して行方を晦ませたこと。
マリアンヌが語る。
イツキが最後に行使した魔法が禁呪[アタラクシア]だったこと。
[アタラクシア]は行使者に関する記憶や痕跡の全てをこの世から消し去る、神にしか行使できないはずの魔法であること。
そのために、シルキーネとサリナルーシャ、リーファとシャルトリューズからイツキの記憶が失われてしまったこと。
黙って訊いていたシャルトリューズが口を開く。
「そういえば、白亜様がご帰宅になられる前に――――」
シャルトリューズ曰く。
シャルトリューズ達二人は先程まで誰かと晩餐を囲んでいたらしい。
『誰か』と、相手がはっきりしないのはそれが誰か思い出せないからだ。
だが、その『誰か』が居たのは間違いないはずだ。
なぜなら、テーブルにはリーファとシャルトリューズのものだけでなく、彼女らの向かいにもう1客ティーカップが置かれていたからである。
そして、シャルトリューズが1枚のカードと1つの小箱をテーブルに置いた。
カードはリーファのアイアングレーの冒険者ギルドカード。
そして、小箱の中のプレートは公爵の身分証。
プレートにはこう刻まれていた。
『アナトリア王国 公爵 リーファ・サイガ』
「こ、……ここまでするか?」
絶句する白亜。
(徹底している)
白亜は愕然とした。
以前から用意周到に準備されていたイツキの行動計画。
その行動計画に従って、イツキは自身の痕跡の抹消と辻褄合わせを実行に移した。
残された者が不自由な生活を強いられないように。
残された者からその地位や穏やかな生活が失われないように。
それだけでもイツキがリーファ達を大切に思ってくれていたことがわかる。
(だが、いったい何がイツキにそうさせるきっかけとなったのだろう?)
白亜にはどうにもわからないのだ。
なぜなら、ここでの生活はイツキが求めてやまなかったスローライフそのもの。
そのスローライフを捨て去り、大切な家族との縁まで切らなければならない理由があったとすれば、それは余程のこと。
ふと、シャルトリューズとの話を思い出す。
『彼女らの向かいに置かれていたもう1客ティーカップ』
(痕跡、残っておるではないか)
つい、ほくそ笑んでしまった白亜。
「「白亜様?」」
「白亜お姉ちゃん?」
我に返った白亜の向けた視線があるものに釘付けになる。
リーファが胸に抱えた1冊の本に。
「リーファ、その本…………」
それは魔法大全。
イツキが常に肌身離さず持っていた秘蔵の本。
「さっき、尋ねて来たお兄ちゃんから渡されたの。サリナお姉ちゃんから『渡してくれ』って頼まれたって」
「『さっき』って、いつ!?」
白亜がリーファに迫る。
「つい2時間程前」
「そのお兄ちゃんはどんなヤツじゃった!?」
「黒髪に黒い瞳の穏やかそうな人」
「その人は何か他に言っておらなんだか!?」
鬼気迫る勢いの白亜。
「白亜様、落ち着いて」
「これが落ち着いてなどいられるか!」
マリアンヌが宥めるが白亜は収まらない。
「リーファが名前を尋ねたら教えてくれた………『Mr.ノーボディ』って………」
「『誰でもない』じゃと!? ふざけた名など名乗りおって!!」
「落ち着いて下さい。リーファ様が怯えます」
シャルトリューズまでもが宥めに入る。
「Mr.ノーボディ………」
「ノーボディ………」
「ノーボディ………」
魔法大全をじっと見つめながら繰り返し呟くリーファ。
やがて、その瞳からポロポロと大粒の涙が零れ始める。
「ほら、白亜様が脅すからリーファ様が泣いちゃったじゃないですか」
「妾のせいじゃと言うのか?」
「大丈夫ですよ、白亜様はリーファ様に怒っている訳では――――」
しきりに宥めるシャルトリューズ。
しかし、リーファの涙は止まらなかった。
「………お兄ちゃん」
「………お兄ちゃん………」
リーファが涙ながらに呟く。
「…………イツキお兄ちゃん…………」
「「「えっ?」」」
白亜もマルアンヌもシャルトリューズも確かに聴いた。
リーファが『イツキお兄ちゃん』と呟くのを。
そして、遂にリーファの箍が外れる。
「イツキお兄ちゃん、リーファいい子にしてたよ。お勉強も頑張ったよ。それなのに、リーファを置き去りにしてどこにいっちゃったの? どうして今までリーファはイツキお兄ちゃんのことを忘れてたの? それって、リーファが薄情だったのかなあ? リーファが悪い子だったからかなあ?」
普段は無表情に見えるリーファ。
そのリーファが穏やかに微笑みながら涙を流し続けている。
その口からは自らを呪う台詞。
「もうよい!」
白亜がリーファを抱き寄せる。
「リーファはいい子じゃ。それは妾が証明する。誰にも文句は言わせん!」
「そうですよ。リーファ様は私の大事なお嬢様です」
「でも……でも……イツキお兄ちゃんがいない………」
こればかしはどうしようもなかった。
「リーファ、イツキお兄ちゃんに会いたいよお。イツキお兄ちゃん、イツキお兄ちゃん、イツキお兄ちゃん! う…………うわああああああああああああああああああ!!」
堰を切ったようにリーファの想いが響き渡る。
その瞬間、リーファを中心に波動が広がるのをマリアンヌは認識する。
「こ。これは…………」
[瞬間発動]でリーファに[鑑定+++]を行使するマリアンヌ。
そして、マリアンヌはリーファの鑑定結果に驚愕したのだった。
名前 斎賀リーファ
年齢 8
性別 女
種族 ダークエルフ族
レベル ∞
HP 24650000
MP ∞
魔法属性 全属性
称号 勇者の娘
職種 大賢者
ギフトスキル 事象反転
(レベルもMPも無限大のリーファ様は、ダークエルフ族ではあるがステータスだけなら神族に近いです。だからリーファ様には[アタラクシア]が完全に作用しなかったんだ。そして、不完全な禁呪がちょっとした切っ掛けで解けてしまった。そういうこと)
今、リーファが無意識に発動したのは[事象反転]。
対象の現在の事象を反転させる固有スキル。
対象はシャルトリューズ。
自分をいつも世話してくれる優しい人。
自分に寄り添ってくれる人。
リーファはそんなシャルトリューズだけにはイツキのことを忘れて欲しくはなかった。
だから、無意識にシャルトリューズの事象を反転した。
「見てください、白亜様!」
マリアンヌに見せられたリーファのステータスに絶句する白亜。
HPは白亜越えの《SSS》ランク冒険者相当。
レベルとMPは無限大だ。
「こ、これがリーファのステータス。まさか、イツキは――――」
「知っていたのでしょうね。MPは私やイツキ様と同じ無限大、レベルに至ってはイツキ様以外に居なかった無限大です。リーファ様ならどんな魔法も使い熟すことができます。神にしか扱えない禁呪すら」
そこで一旦言葉を切り、『ここからは私の推測なんですが』と前置きして話を続ける。
「イツキ様がリーファ様を公爵位に就けたのはリーファ様を守るためだったのでしょうね。リーファ様のお力は勇者様に匹敵します。公爵令嬢ではリーファ様の力を欲する貴族や商人、他国の王族、下手すると聖皇国。そういった相手からの縁談の話を断り切れません。しかし、公爵家の当主となれば話は違います」
「アナトリア国王の承認が必要だし、本人の承諾も必要とすると?」
「そのとおりです。イツキ様はリーファ様の今後の行く末までをも守ったのです」
「だとしてもじゃ! リーファをこんなに悲しませたイツキは万死に値するのじゃ!」
怒りが収まらない白亜である。
「そのとおりでございますね。旦那様には相応の制裁を」
シャルトリューズがゆら~りと立ち上がる。
「シャルトリューズ、おぬし――――」
「ええ、ええ、し~っかりと思い出しましたとも。勝手に公爵家から自ら除籍されたことも。私が止めようとしたのを無視して禁呪・アタラクシアを行使なさったことも」
「ひっ!」
マリアンヌが凍結する。
それくらいシャルトリューズはどす黒い怒りを溜めていた。
「旦那様も面白い真似をなさるじゃありませんか。フッフッフッフッ。あまりのことに嬉しくて笑いが止まりませんよ」
(それ、絶対に嬉しくて笑ってるんじゃない! 静かに怒ってる! 絶対怒ってる!)
マリアンヌの足が竦む。
「このようなふざけた真似をした旦那様には、二度と同じようなことをなさらないように『教育的指導』が必要でございますね」
目の前で繰り広げられたイツキの暴挙を止められなかった自分の不甲斐なさまでイツキへの怒りに変えるシャルトリューズ。
そんなシャルトリューズに戦慄するマリアンヌだった。
ようやく、泣き止んだリーファに白亜が優しく問い掛ける。
「のお、リーファよ。そちはどうしたい?」
「イツキお兄ちゃんに会いたい!」
目を腫らしながらもしっかりと答えるリーファ。
「そうか、相分かった! イツキのヤツを探しに行くのじゃ! 一緒に来るか?」
「うん!!」
「当然、私も同行させて頂きます。リーファ様のお世話は私の大事な仕事ですから」
シャルトリューズが冷徹な無表情の仮面を被って同行を申し出る。
「で、その心は?」
「私の気持ちが収まりません。ですから、旦那様にはその捌け口になって頂こうか、と」
白亜の問いに万遍の笑みで答えるシャルトリューズの後ろに黒々とした負のオーラが漂っていた。
「じゃが、シャルトリューズよ。そちの主人はよいのか? 記憶を消されてイツキのことをすっかり忘れているようじゃが? 妾は気が進まんが、そちの主の方を先にリーファに解呪させても――――」
「必要無いでしょう。理由はともあれ、婚約破棄されたのですから。一通り片付いたらお嬢様やサリナルーシャ様には別の縁談をご用意すると致しましょう」
「よいのか、それで?」
「構いません。その方が白亜お嬢様にも好都合でございましょう?」
「まあ、それは否定せぬが………」
「私も、この際、ガヤルド家はお暇させて頂いて、斎賀家の専属メイドになろうかと思いまして。」
「確かにそうではあるのじゃが………」
今一、納得できない白亜。
「そもそもシルキーネとは長いのじゃろ? リーファとシルキーネを比べれば――――」
「リーファお嬢様に決まっているではありませんか」
「そういうものかの? まあよい。じゃあ、これからもよろしく頼むぞ」
白亜とシャルトリューズが拳をぶつけ合う。
互いに同じ相手に制裁を加えることを誓った戦友。
「あの………私は?」
「乗り掛かった船じゃ。当然、付き合ってくれるのじゃろう?」
「マリーさん。あなたに与えられた選択肢は『はい』か『イエス』の二択です。それ以外の選択肢は私が破棄しておいてあげました。この意味、わかっていますよね?」
表情を消してマリアンヌに尋ねかけるシャルトリューズ。
マリアンヌには拒否権など無かった。
白亜とシャルトリューズのマリアンヌを見る目はこう告げていた。
『一蓮托生。断ったら生きて帰れると思うなよ』
だから、マリアンヌはこう答えるしかなかった。
「ひいいいいっ! も、もちろんわかってます! 同行します!」
満足そうに頷く白亜。
(マリーの存在は妾の脅威になりそうな予感がするのじゃが、おらねばおらぬでこの先が不安じゃ。妾は魔法が得意ではないからのお。そういった意味ではマリーの存在は心強い。それに、シャルトリューズがおる。マリーの管理はシャルトリューズに任せておけば大丈夫じゃろう)
一方のシャルトリューズは別のことを考えていた。
(マリーがイツキさんに拘るのは意外でしたね。何か騒動の予感がします。白亜お嬢様も油断されているようですし、これからが楽しみですね)
シャルトリューズはクスッと笑った。
その笑みをマリアンヌは見逃さない。
(シャルトリューズ様が笑った。あれは何か良からぬことを考えている笑いだわ。怖い!)
『三者三葉』『同床異夢』の三人だった。
「すぐに出発したいところではあるが、もう夜じゃ。マリーは来客用の部屋を使うがよい。明日の朝、まずはホバートの冒険者ギルド支部に向かう。各々、明日に備えて準備し、英気を養っておくように。以上」
解散した四人は、それぞれ部屋に戻って準備を整え、早めの眠りに就いたのだった。




